A
「君の、別のストーカーさんだよ。君のあとをつけていて、彼に気付いたんだ。彼は―――――」
無表情の男を指差す。
「街中で君を見かけて気に入ったんだってさ。もてるんだね、小川さん」
私は目を見開いて、新しく現れた男を見た。
・・・・なんてこと。また新しく、変態のバカ野郎が増えるとは・・・。
手の平に汗を感じて握り締めた。
・・・・・どうする。ここは確かに声は響くけど、周りの家の人が悲鳴を聞いたところで警察に連絡してくれるとは期待できない。
男が二人。
・・・・畜生。
出来るだけ、表情は変えない努力をしていた。
バカ二人を喜ばせることはしたくなかった。
細川がへらへらしながら言葉を続けた。
「これが絶対絶命ってやつだよな。彼はお前が欲しい。俺は桑谷に仕返しをしたい。手を組めば、案外簡単かもしれないと思ったんだ」
顔つきが変わった。完全にアッチにいっちゃった表情で、ベラベラとまくし立てる。
「お前が他の男に好き勝手やられてるとこを撮影して桑谷に送ってやるよ。泣き寝入りするしかない強烈なやつをな」
そうしてあらゆるところにばら撒いてやる。証拠がないから俺は捕まらないし、すぐに姿を消してやる。お前は死んだも同然。桑谷は非常な苦しみを味わう。
お前を世間の好奇心や嘲笑から守るには、どこか遠くに行って息を殺してじっとしてるしかないようになるんだ、そう言って、バカ野郎は楽しそうに笑う。
ムカついた。
腹を立ててる余裕があるのはいいことだ。それにあいつも逆上すれば、ばかげたミスをするかもしれない。
私は傲慢に顎を上げて口を開いた。
「・・・あんたがどれだけバカなのかを一々誇張してくれなくても、十分判ってる。てめえなんかに何が出来るのよ。私は、あんたなんかよりもっと性質の悪い男と2年も付き合ってたのよ」
まあ、それだって自慢にはならないが。
変な目つきのまま、嗤うのをやめた細川が少し首を傾けた。
すると、もう一人の男が私を見て軽く笑った。そして細川に、どうぞ、というように手を振った。それに頷いた細川が、前に一歩出て私に近づく。
「これでも」
細川が言った。
「まだ軽口が叩けるか?」
手には、鈍く光るアーミーナイフが握られていた。
・・・・・マジで。
私は、正直なところうんざりした。うんざりが強すぎて恐怖心が沸かなかったくらいだ。
私はまだ30歳なのよ。この3ヶ月でナイフを突きつけられるのは2回目ってどういうことよ・・・。
そして現実感の戻らない頭で、そういえば今年は前厄だったわ、などと考えた。・・・お祓い行かなかったからかな・・・おそるべし、神仏の力。生きて戻れたら、必ずお祓いにいこう。
私はため息をついて、嫌々口を開いた。
「・・・バーカ。ねえ、格言を教えてあげるわ。“バカにつける薬はない”。あんたみたいな脳無しに何言ったってイミないんでしょ」
軽口どころか暴言を受けて、細川の上半身が微かに揺れた。
今では嗤わずに、ただギラギラと私を睨んでいる。
「――――――・・・・本当に口の減らないクソ女だ。もうお喋りはいい。こいつを楽しませてやってくれ。・・・脱げ」
こいつ、のところでもう一人の男のほうへ頭を動かした。その時、私は気付いた。
ハッとしたけど、一瞬で理解した。
細川を見て、即答する。
「嫌よ」
途端にシュッという音と共に白い光りが舞い、左腕に痛みが走った。
切られた、と気付いて腕を掴む。
左腕の切られたところから、血がゆっくり手を伝って地面に落ちたのがわかった。
この寒い倉庫の中で、私の血だけが温度をもっているかのようだった。
・・・あーあ・・・。と心の中で呟いた。・・・このコート、高かったのに・・・。
「・・・次は、そのキレーな顔だ」
細川の声が響く。
「脱げ」
痛みをこらえる必要はなかった。アドレナリンが出ていて私は興奮状態だった。
後で痛むことは判っていたけど、それだって生きていたらの話だ。私は無意識に唇を舐め、小さく微笑してから、声を出した。
「まだ、駄目よ」
ハッキリと声を出したので倉庫内に響いた。
一度ビクッと反応した細川が、口元を歪めてナイフを振りかざす。私はそれを見ながらまたいきなり言った。
「もう一人はどうしたの?」
細川は体を止めて目を見開いて、周囲を見渡す。いつの間にか、もう一人の男は消えていた。優勢に酔いしれて、相棒が消えていることに気がつかなかったのだろう。
ヤツが私から目を離したその一瞬を、私は勿論利用した。
体の横で握り締めていた右拳で、前に踏み出すと同時に体重をかけて、バカ野郎の横面を殴った。
細川が吹っ飛ぶ。手からナイフが滑り落ちて、倉庫の冷たい床の上を滑って転がっていく。慌てた細川がそれを追いかけようと身を起こした時に、滑るナイフを踏んで止めた足に気がついた。
私はそれを、バカ野郎を殴った体勢のまま見ていた。
「細川政也、銃刀法違反並びに婦女暴行の現行犯で逮捕する」
床に這い蹲る細川を見下ろして、生田刑事の冷たい声がこだました。
細川は最初、よく判らないといった表情でポカンとしていた。髪も服も乱れていて、私が殴った顔の左側が腫れてきている。
刑事を見上げ、横目で私をちらりと見た。
そして急に笑い出した。
「あはははははは!!ひゃーははあー!!」
妙に甲高いその声が倉庫内に響いてぞくりとする。
生田さんが細川を拘束して警察に連絡と消防に連絡を入れる間も、ストーカー野郎は奇妙な声で笑い続けていた。
「大丈夫ですか?」
警察の人が続々と到着し、細川を連れ出したあと、救急車の所で切られた腕を手当てして貰っていると、生田刑事が近づいてきて言った。
「はい、おかげさまで」
私が笑うと、それとは逆に辛そうな顔になって刑事が言う。
「・・・怪我、しちゃったじゃないですか。暴言はいて余計怒らせて、どうするんですか」
私は肩をすくめる。
「だって私の気が納まらなくて」
「桑谷さんに怒られますよ」
「そうですね」
「・・・私も、怒られるんですが」
うーん、それは可哀想だ。確かに、あの人は怒っている時は普段より迫力が増して恐ろしくなるしな。巨大な炎を背中に背負って生田刑事に詰め寄る桑谷さんを詳細に想像してしまった。
うな垂れる生田刑事の肩をポンポンと叩いて慰める。
「私が勝手に動いたことにしておきますよ。というか、事実そうですしね」
ニコニコ笑っていたら、生田刑事は暫くそれを見ていて苦笑していた。
「・・・大変なお嬢さんですね」
「褒め言葉ですか?」
「・・・しかも、前向きなんですね。羨ましいです」
携帯電話を返して貰って立ち上がった。
大したことがないからと病院にいくのは断って、事情聴衆の約束をさせられ、生田刑事にお礼をいう。イライラして待ってるだろう桑谷さんのところに向かうことにした。
騒がしくなった近所の中を、私は関係ありませんってな顔で自分の部屋に戻る。
玄関を開けると、狭いたたきには男物のデカイ靴が3足もあって一杯だった。
トレンチコートを脱いでいたら、ドアが開いた音に気付いたらしく、居間の入口に桑谷さんが現れた。
「あ、ただい――――」
ま、と続けようとして、彼の目が包帯を巻かれた私の左腕に固定されているのに気付いた。
「――――怪我したのか」
声が低くなっている。
ありゃあ〜・・・と思いながら、大丈夫大丈夫、と手をヒラヒラさせた。
「細川が・・・あいつがしたのか?一体生田さんは―――――」
言い募ろうとする彼の後ろに更に人影を認めて、私は指でそれを教える。
「紹介して」
遮られ、一瞬凶暴な顔をして押し黙った彼を無視して、私は後ろから出てきた二人の男性に頭を下げる。
「小川まりです、こんばんは。お世話になりました」
そしてにこにこして顔を上げたら、長い長いため息をついて桑谷さんが居間へ促した。
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