2、塩味のキス。@



 桑谷さんがうちに住むようになってまだ1週間だ。

 だけどもう既に、私の限界が来ているのが判った。

 ・・・まあね、と湯船に口まで浸かりながらため息をつく。普通なら、同棲していても職場が同じでもこんなに一緒に行動なんてしないだろう。

 シフトの調整をするのと売り場への電話の対応もあるから、福田店長には伝えてある。

「ストーカー被害にあってます」

 と。お陰で小川宛にかかってくる不審な電話は、店長が全部シャットアウトしてくれていた。

 23歳の娘さんがいる福田店長には、ストーカーは現実的かつ許せないことなんだろう。行き帰りを桑谷さんとあわせているのでと伝えると、さっさとシフトの調整をしてくれた。大変有難い。もう店長の為に仕事をしよう。

 ああ・・・それにしても。

 いつまでもこのままでいいはずがない。

 さっきの写真の事もだけど、桑谷さんは昔のパートナーと色々動いてるみたいだった。警察にも話はしてあると言っていた。ストーカー野郎には警察から訪問があり、威嚇してあると聞いたのだ。

 だけど、減らない手紙に掛かってくる電話。本人の訪問はないけど、毎日確実に存在感を増すストーカー。

 一緒に居すぎてアレルギーのようになり、桑谷さんとは抱き合ったりすらしなくなった。辛うじてキスをかわす程度の触れ合いだ。

 あっちはどうか知らないが、私はそんな気分になれないのだ。そのような雰囲気を感じると、さっさと寝てしまったり逃げたりしていた。

 ・・・・・ううう・・・。何てこと。斎のバカ野郎と切れてから、やっと見つけたロマンスなのに。この一番熟れ時の体が勿体無い。

 湯船から上がって体と頭を洗う。考える時間が欲しくて、丁寧にゆっくりと洗った。

 そして最後の石鹸の泡を流し終わった時、結論が出た。

 やっぱり、ストーカー野郎と接触しよう。向こうの望みが知りたい。今のままでは、ヤツの望みが何かが判らない。

 湯気で曇った鏡の中の私は、化粧を落とした少し幼い顔だ。

 じっと自分を見詰めた。

 私の貴重な毎日だ。この1分1秒も全て私のものであるはずだ。なのに、あのロクデナシのせいでそれが削られている。そして大切な男。色々な意味で私を救ってくれた男。私のために、黙って努力している男。

 彼を失わないために。


 ・・・・・私の人生、邪魔させないぜ、ストーカー野郎。



 案外、私が狙っていた機会は早くやってきた。

 風呂場で決意した2日後、売り場にまた電話があったのだ。

 クリスマス商品の展開が始まっており、お歳暮のギフトも開始されていて、百貨店は賑わい始めていた。

 ストック場からあふれ出た商品を、繁忙期だけ特別に解放される臨時の倉庫へと竹中さんが運んでくれていて、売り場は私一人だった。

 電話が鳴った。

 ギフトも始まっているから、ギフトセンターから持ち帰りのお客様もいるので無視するわけにはいかない。

 それに個人的な思惑があったので、3コールくらいで受話器を取った。店の名前と自分の名前を名乗る。

『・・・・今日は、居たんだね』

 第一声がそれで、一発でストーカー野郎だと判った。念には念を、と思って一応普通に対応する。

「もしもし?こちらは桃源堂ですが」

『小川さん、細川です。いつもただ今席を外しておりますばかりだったのに、今日は出てくれたんだね』

 小さなまったりとした声が耳の中に入ってくる。

 深呼吸をして、心を落ち着けた。鮮魚売り場の方を見ないようにして、わざと笑顔を作る。桑谷さんに見られても普通の電話だと思ってもらえるように。

「―――――細川さん、ですね。何か御用でしょうか?」

 すぐに電話を切られると思っていたらしく、驚いたような気配の沈黙が伝わって来た。

『・・・・小川さんの声が聞きたかったんだよ』

「大変申し訳ありませんが、この電話は売り場のもので私用に使うことは禁止されておりますので、ご用がないのでしたら今後はお控え下さいませ」

 抑揚もつけずに、大して申し訳ないと思ってないのがバレバレの言い方でたらたら喋る。

『仕方ないよ、君の携帯の番号知らないんだもの。ああそうだ、今教えてくれ』

 相変わらずの小さな声で、あっちも平坦に話す。私は笑顔のまま続けた。

「先に伺いたいんですが、細川さん」

『・・・何?』

「あなたの目的は何ですか。手紙に電話、毎日ご苦労様ですが、一体私に何をして欲しいと思ってるのかを、ちゃんと聞きたかったんです」

 間が空いた。

 私は後ろを振り返って、店に来客がないかを確かめる。それにそろそろ竹中さんが戻ってきてしまう頃だ。急がねば。

『・・・そうだな、僕と付き合って欲しいんだ』

「すみませんが、お断りします。現在付き合ってる彼がおりますので」

『彼って桑谷だろう?振ってしまえばいいじゃないか』

「告白して断りを受けたのに、まだすがり付く男は情けないと思いませんか?」

 また、間が空いた。

 驚いているのか怒っているのか悲しんでいるのか、全く判らない静かな気配だった。

 眉間に皺がよる。それは、予感がした、としかいい様がない。私は次の瞬間ぱっと受話器を耳から離した。

 途端に、大絶叫が受話器から溢れ出し、響き渡った。

『うるせえんだよおおおおおおお!!!この雌犬がああ!!てめえなんか虫けら以下だって思い知れよおおおおお!!!』

 ・・・・あぶねー。あの声普通に耳で聞いてたら、絶対鼓膜破れてた・・。

 受話器からの声があまりに強烈な絶叫だったため、隣の店にも聞こえたようだ。接客中の友川さんがハッとした顔で振り返った。お客様もこっちを見ている。

 隣の店とお客様に何とか微笑んで見せて、相変わらず鮮魚売り場の方は見ないようにして、のけぞった体を戻した。

 不快感と驚きでドキドキする胸を押さえながら、また受話器を耳に当てる。

 絶叫の後の荒い呼吸が微かに聞こえていた。

 私は笑顔をまた作って、ぼそりと低い声で言った。


「てめえは、その雌犬にすら相手にされないんだよ、バーカ」


 まさか返答があるとは思ってなかったんだろう、ハッと息をのむ音が聞こえた。

 私は早口で口上を述べる。

「本日のご利用、誠にありがとうございました。お客様は営業妨害といたしまして百貨店と警察にその旨通報いたしますので、その点ご理解下さいませ」

 そして軽やかなチン、と言う音を立てて、電話を切った。

 あーあ、本当にバカ野郎だったぜ。ゆっくりと深呼吸をする。

 だけどちょっとスッキリした。言いたいことを言ったから。これで挑発にのって、私の前に出てきてくれないだろうか。そしたら一気にカタがつくのに。

「・・・ねえ、小川さん?さっきの電話大丈夫だったの?絶叫してなかった?」

 接客を終えた友川さんが、隣の店から身を乗り出す。

 私は軽く手を振って、大丈夫だと笑った。「変なお客さんだったのよ」って。



 早番を合せていたので、少し残業した桑谷さんを店食で待ったあと、百貨店の入口で待ち合わせた。

 一度ヒュっと冷たい風が吹き、私は首をすくめる。

 隣を歩く桑谷さんが、風が冷たくなってきたな、と呟いてするりと私の手を握った。

 手なんか繋ぐの久しぶりだ。

 顔を見ずにして、彼の存在を大きく感じた。繋いだ手から温かさが溢れ出るようだった。

 さっきまで頭を占めていた、昼間のストーカーの絶叫が綺麗に消え去り、私は小さく微笑む。親に抱っこされている幼児のように、無敵!!って心境だった。

 私の耳の辺りの高さにある桑谷さんの口が小さく動いた。

「え、何?」

 歩きを止めないで彼を見上げる。何かを呟いたらしいけど、聞こえなかった。

 彼は前を向いたまま、さっきよりは声を大きくして言った。

「――――――海、行こう」

「海?」

 思わず立ち止まって聞き返す私の手を引いて歩くのを促し、相変わらず前を見たままで彼は言った。

「そう、今から」

「え?」

「車で。細川が居ないのを確認したら出発しよう」

「ええ?」

 やっと、私を見た。

 斜め上から見下ろして、笑っていた。

「明日は二人とも休みだ。今晩から海まで小旅行しようぜ」

「・・・車で?」

「そう」

「今から?」

「帰って、用意したら」

 呆気に取られて彼を見詰めると、やんちゃな笑顔のままで彼が私を覗き込んだ。その子供みたいな笑顔は久しぶりだった。

「嫌?」

「・・・いえ、別に・・・嫌、では・・・」

 って言うか、今やっと脳みそに到達した感じだ。

 ―――――――嫌なワケがない。


 いきなり、とてつもない高揚感が体の奥底から湧き上がってきた。

「・・・嬉しい」

 ぱあっと笑顔になった。目も口も三日月みたいにして、飛び跳ねて喜んだ。

「やったあ!嬉しい!行きたい行きたい!」

 安心したように笑って、よし、と彼が頷いた。

「さっさと帰ろう。泊まるとこ、あるか判んねえけどな」

 手を繋いだままで子供みたいにはしゃぎながら私の部屋に戻り、小さな鞄に必要なものをぱぱっと用意した。

 そして彼が元パートナーに電話している間に、私は着替えたり、家事をしたりしていた。

「大丈夫だ」

 携帯を閉じながら、彼がこっちを見て笑った。

「今確認した。ストーカー野郎は友達らしい男と店で飲んでいる。出発しようぜ」

 ちょっと待って、これだけ。と洗濯物を片付けてしまう。戻ってきたときにこの山をみてうんざりするのは御免だ。

 そして、わくわくしながら出発した。

 遠くの海岸までの、夜のピクニックだった。

 彼の車に乗って高速に入ってしまうと、いきなり開放感が沸いてくるのを感じる。大声で笑い出したい気分だ。

 四六時中ではないにしろ他人に自分の行動を見張られているっていうのは、かなりのストレスだった。

 やったー、これで明日戻るまで、ストーカー野郎とはおさらばだああああ!!

 元気になった私は車内に流れる音楽を口ずさむ。

 楽しそうな私につられて、彼もよく笑った。

 久しぶりだった。やっぱり私たちは異常状態にいたんだったと理解した。

 高速のサービスエリアで晩ご飯を食べて、そして笑いながら、下らない話を沢山した。





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