2、バカ野郎の告げ口。@



 翌日の火曜日とその次の水曜日、何と私は久しぶりの連休だった。

 無事に家に戻れたし、ふてくされていたので携帯は台所の引き出しにしまっていた。

 勿論、連絡の取れない彼への地味な当て付けだ。

 自分の部屋にいるし、昼間は恐怖なんてかけらもなく窓を全開で掃除をしたり洗濯をしたりして、まだ明るい内に買い物も済ませた。

 あっちは私の事を知っているし、ふいをつかれて襲われる心配がないうちは、いつも通りにするしかないと思っていた。

 今日は桑谷さんは出勤のハズだけど、朝来ていた「おはよう」のメールは無視した。月曜日に連絡を取ろうと躍起になっていた情熱がさめた反動で、彼にメールをするのでさえ面倒臭かったのだ。

 それに、水曜日が楽しみだったのもある。その興奮で嫌なことは頭から追い払っておきたかったのだ。

 いよいよ明日、楠本に会える。

 夜、「友達と飲むから今日は来ないで〜」と軽いメールを送っておいて、桑谷さんを遠ざけた。今日は昔の私に浸りたかったのだ。

 そしてストーカーのことも忘れ、ゆっくりとお風呂に入ったり、弘美と電話したりした。大学生の時の話をたくさんして笑い転げる。

 とても寛いで、幸せに眠りについた。



 待ちに待った、水曜日が来た。

 アイツとは昼に約束している。準備万端で軽く化粧をして気取らない格好で待っていた。楠本相手にお洒落をする気はないけれど、それなりにしないと肌の老化が目立つ年頃でもあるのだ。

 朝からいい天気の一日で、11月に入ったけど、風も温かく、窓を開けていてもちっとも寒くなかった。

 午後1時過ぎ、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 ついほころぶ口元を押さえて玄関に走る。覗き穴から確認したら、背を向けて町を眺める楠本が見えた。

 ドアを開けるとパッと背の高い男が振り返る。

「――――――・・・よお。久しぶり」

 私の挨拶に、綺麗な歯並びを見せてあははと笑う。

「相変わらずな、男らしい挨拶だな」

 久しぶりに聞くハスキーな声は、以前より落ち着いていた。

 まだ中には通さないで、ドアにもたれてじっくりと、私は自分の男友達を眺め回す。

 彼はふざけて両手を広げ、その場で一回りしてみせた。

「俺変わったか?」

 切れ長の瞳、通った鼻筋、完璧な口元、均整の取れた体は仕立ての良い濃紺のスーツに包まれている。短い黒髪が秋の陽光を受けてきらめく。

 頭一つ分高い所にある楠本の顔を見上げて、私は微笑んだ。

「・・・驚いた」

「ん?」

「元々無駄に美形だったけど、色気がプラスされて更に格好良くなってる。・・・天は二物を与えないなんて嘘っぱちだわ」

 私の褒め言葉ににやりとして、それはありがとう、と答えてから苦笑して付け足した。

「無駄って何だよ」

「正直で失礼」

 私は笑いながら手を引っ張って、部屋に引き入れる。楠本はきょろきょろと暫く見回して言った。

「えらく古いとこに住んでるなあと思ってたけど、中は別世界だな。まりっぺの世界だ。壁、自分で塗ったのか?」

「そう。二日かけて一人で作った部屋」

「すげー」

 適当に座ってと手を振って、台所に入った。

 今日は昼から半休取ってるし、お前に会うから電車で来た、なんて嬉しそうに言うから、判ってると頷いて、テーブルにおつまみとビールを並べる。

 平日の昼間、窓から心地よい風が入る私の小さな居間で、極上のイケメンと宴会を始めた。

 うーん・・・何て贅沢な時間だ、としみじみ思う。

 風は気持ちよく、キラキラと光が舞う中で久しぶりの親友と酒を飲む。しかも相手は滅多にお目にかかれないような美男子とくれば、目の保養まで出来るのだ。

 私たちは上機嫌で、空白の5年間を埋めるべく近況を話し合った。

 仕事もうまく行ってるようで一営業から課長に上がり、まさに順風満帆な生活らしかった。

 安心した。友達の幸せは喜びだ。

 楠本が差し出した結婚式の招待状を両手で受け取って、私はにやりと笑う。

「あんたが結婚って聞いた時は本気で嬉しかったけど、ちょっと驚いた。最後に会った・・・えーっと、具体的にはいつから会ってないんだっけ?」

 グラスを傾けてビールを流し込みながら楠本が答える。

「25」

「そうそう、25歳の時よね。あの頃あんた、しばらく女と付き合う予定はないって言ってなかった?」

 ひょいと肩をすくめて、彼が言った。

「―――――その頃は。支社を異動したばかりで営業成績も上げなくちゃならなかったし、時間もなかった。けど、正直、女は暫くごめんって状態だった」

 はいはい、思い出した。24,5でこいつが付き合っていたのは同じ大学の後輩で、やれ結婚しろだ子供が欲しいだとやかましく、その上に嫉妬深くもあったので、こいつは悲惨な目にあったんだった。

 ついでにその頃はまだ私と遊んでいたから、その嫉妬深いバカ女から数々の嫌がらせを受けたんだったわ、私も。

 そのバカ女は二言目には「男女の友情は有り得ない」とぬかし、私という彼女がいるのにあんなふざけた女(つまり、私だ)と遊びに行くなんてどういう事、と楠本に詰め寄り、俺様ではあるが横暴ではないこの男をキレさせたのだ。

 楠本が本気で怒ったのを見たのは、私はあの一度きりだ。

 私があぐらを組んでおつまみを口にいれつつ回想していると、楠本はアルコールの回って少し赤くなった顔で言った。

「でも、あいつは違うんだ」

 その声にハッとする。

 こんな優しい声を出すのか、彼女のことになると、と驚いた。

「どんな子なの?今いくつっていったっけ?25歳?」

 私の問いにコクンと頷いて、楠本はだらりと後ろの壁にもたれかかった。

 濃紺のスーツのジャケットは脱いで椅子にかけてあって、その上にさっき解いたネクタイもかけていたから襟元が開いていている。その上に酔ったトロンとした無防備な瞳で、もう強烈な色気の垂れ流しだった。

 今ここで写真とれば、間違いなく売れる・・・。金のない私の邪悪な心が呟いたけど、少々残っている理性をかき集めて何とか諦める。

 あぶねーあぶねー、本当に実行しそうだったぜ、私。

「まっすぐ、正直、猪突猛進、少し鈍くて、たまに頑固」

 楠本がゆっくりと呟くように言った。

「・・・それがあんたの好みだったのね」

 私のコメントは無視してそのまま続ける。

「責任感が強くて、媚びない。初対面で俺を意識せずにしっかりした挨拶をした会社の新人女子はあいつくらいだ」

 ・・・・へえ、それは凄いかも。この美形を前にして、動じない女がいるのか。

 でもそれを口に出すと、楠本は違う違うと手を振った。

「挨拶に一生懸命で周りをみてないってだけだ。トマトは――――・・・・」

「は?」

 今、何か奇妙な単語が耳にひっかかったけど。

 一瞬真顔になって、楠本が口を閉じた。私は目の前の男友達をガン見する。

「・・・ねえ、今何て言った?トマトぉ??」

 しまった、と言いながら口ごもるやつの足を、前から私はげしげしと蹴る。

「何の冗談よ、まさか彼女の名前?」

 いやでも。さっき貰った招待状には、普通の、可愛い名前があったよね。招待状を開いてみる。新婦、瀬川千尋。可愛くて、まともな名前だ。

 あーあ、と言いながら、楠本は片手で髪をかき回した。

「・・・赤面症なんだ。すぐに赤くなるから、俺がからかってつけたあだ名」

 私は新しいビールの缶を開けながら、前の酔っ払いを睨んだ。

「・・・あんた、それってサイテーよ。笑いものにしたわけ?彼女傷付いたでしょうねえ〜」

 自分ではどうにも出来ない身体的な事柄をからかうなんて。なんつー男だ。可哀想な彼女。

「うるさい。まったく、お前と仲間は本当によく似てるよ。いつでもガミガミ・・・」

 言いかけた楠本が、言葉を切ってちらりと私を見て小さく笑った。

「そういえば、俺を全く恋愛対象として見ないのも、お前と仲間だけだな」

 ・・・・何だ、こいつ。私をまるで変人みたいに。自分に惚れないヤツは女じゃないっていうような態度に憮然としたけど、それよりも懐かしい名前に反応するほうが先だった。

「仲間さん!あのダイナマイト美人の仲間さん!彼女、元気?」

 私の派遣会社が楠本の勤める保険会社に近かった頃、同期だといいながらこいつが連れてきた美女を思い出した。

 2、3回一緒に飲んだかな。最初の1回で私と意気投合して、たくさんお喋りをしながら飲みまくったのだ。あれは楽しい宴会だった。

「去年本社に異動になった。噂では、子供が出来たらしい」

 眉毛を上げてみせる。あんたと仲間さんの仲で、そんな大事な話を噂で信じるのか?

「噂?」

「はいはい、わかったよ、事実だ。社内ではまだ内緒ってだけ」

 楠本が笑った。

 ・・・・ショックだ。仲間さんだって、私と同じ年。しかも、いつの間に結婚を??それについて根掘り葉掘り聞いていたらいつの間にか夕方がきて、窓の外で色を濃くしていた。

「もうお腹はいっぱい?」

「あー・・・もういらねぇなあ・・・。でもチーズとかあったら欲しい」

 炭酸の抜けたビールの入ったグラスを揺らして楠本が言うので、私は冷蔵庫を指差した。

「私も。ありがと」

「・・・客を使うなよ」

 仕方ねえな、と彼が立ち上がったと同時に、バタンと凄い音がして、玄関のドアが開いた。

 その勢いに古いアパートの私の部屋が揺れたくらいだった。

 呆気に取られて二人で固まっていると、桑谷さんの大きな体が居間に飛び込んできて更に驚いた。

「――――――あ?」

 思わず変な声が出た。

 楠本は立ち上がりかけたまま、私はビール缶を握ったままで固まっている。それを、肩で息をして汗をかいている桑谷さんが、交互に眺めた。

 突っ立ったままで、状況を観察しているようだった。

「・・・・何事?」

 やっと金縛りから解けた私が言った。あまりの驚きで、まだ心臓がドキドキしている。

 桑谷さんは、荒い呼吸を大きく深呼吸をして鎮めようとしていた。

 そして額の汗を腕でぬぐいながら、はあー・・とため息をついた。

「・・・・畜生、騙された・・・」

「何?」

 全く状況が飲み込めない。

 中腰のまま止まっていた楠本がゆっくりと体を起こして、呟いたのが聞こえた。

「・・・・ああ、酔いが一気にさめた・・・」

 同じく。

 ビールの缶をテーブルにおいて、体ごと桑谷さんに向き直る。・・・えーと、とりあえず、初対面だし紹介したほうがいいのよね。

「あー・・・楠本、こちらは・・」

 私が言いかけると、追いかけるように、桑谷さんが言った。

「桑谷です。申し訳ない、驚かせてしまって」

 立ったまま楠本に向かって頭を下げた。それを見て、同じように会釈を返しながら楠本が言った。

「あ、これは失礼。楠本と言います」

 顔を上げて、改めてお互いが観察しあっているようだった。それぞれがどのような印象を持ったかは興味があるけど、今はそんな事聞ける雰囲気じゃなさそう・・。





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