1、これから、よろしく。@


 そんなわけで、私は日常に戻った。

 相変わらず閑散期の百貨店の洋菓子売り場で、せっせとチョコレートを売る。売り上げノートをつける。商品の管理をする。

 10月も半ばで、最近では秋を思わせる風が吹くこともあった。

 私と桑谷さんが普通の態度に戻ったと、また一々デパ地下では噂が流れたらしい。暇な人達だ。別れることになるかで賭けてたのにって、隣の田中さんなんか私の前で笑っていた。

「でも、せっかくいい男捕まえたんだから、離しちゃダメよ〜」

 なんて、別れるに賭けてたらしいのに、ケラケラ笑っている。・・・いい性格だ。私は呆れて笑うしかなかった。

 竹中さんが、ケース越しに田中さんと喋る私の制服の袖を引っ張った。

「はい?」

 振り向くと、彼女は和菓子の方を見たままで口を開く。

「・・・・さっきから、ぐるぐる回ってるお客様がいるんですけど。態度がちょっとおかしい・・・かも」

 ん、どれ?とついでに田中さんも顔を出す。

 お土産で持っていくのに、取り合えずと百貨店に来てから長い時間悩むお客様もいる。特に、連れもなくて一人の若い男性客はデパ地下の雰囲気に馴染めずにどうしても挙動不審になりがちだ。

 しかし、たまに、『おかしな』客がいるのも事実で、よく見たら裸足で歩いていたり、ぶつぶつ独り言を言っていたり、いきなり絶叫するような人もいるので、ちょっとおかしいかもと思えば目を離さずにいて、必要ならば警備に連絡もしなければならないのが販売員だ。

 3人で、キョロキョロと辺りを見回す。

「・・・どの人?」

 私が聞くのと、竹中さんが、あ、と声を漏らして笑顔を作るのとが同時だった。

 カウンターの前に男性が立っていて、3千円の商品を指差してこっちを見ている。

 ありゃあ、お客様がいたとは!私は慌てて笑顔を作り、接客に入った。

「いらっしゃいませ、お待たせいたしました」

 若い男性客で、近寄ると軽く会釈して、これ下さいと小さな声で言った。

「はい、畏まりました。本日お持ち帰りですか?」

 ポケットからメモ用紙を取り出しながら聞くと、送って貰えますか、と返事が返って来た。

 竹中さんの耳のも届いたようで、カウンターの中から配送伝票を渡してくれる。

「恐れ入ります、お届け先とご依頼主様の記入をお願いします」

 微笑んでペンと一緒に渡す。そして、横に立って記入が終わるのを待った。

 チラリと隣の店をみると、田中さんも「しくじったね」って顔で苦笑していた。しかも3千円のお買い上げと聞いて、悔しいのだろう。今日も暇で、どこの店も予算の達成に四苦八苦のはずだ。

 少し得意げな顔で見返していたら、記入が終わったようでお客様がペンを置いたのが見えた。

「お熨斗紙はいかがいたしましょう。リボンもございますが」

 聞きながら、必要事項を埋めていく。今日の日付、販売員の名前、店の内線番号。

「お礼でお願いします」

 相変わらず小さな声で、答える。お礼ね、えーっと・・・。

「名前はいれますか?えー・・」

 依頼主の名前を見る。苗字、もしくは下の名前、フルネームで書いてくれというお客様もいるから、必ず聞かなければならない。それに頼まれて買いに来た場合、御依頼主の名前をかくとも限らないわけで。

 名前を復唱しようとしたら、先にフルネームで入れてください、と言われた。

「では、フルネームで」

 この人若いのに、熨斗つけたりするのに慣れてるのかしら、と若干不思議に思った。躊躇なく答えたな。

 ま、若く見えるだけかもだけど。待っている間デパ地下を見回しているらしい客をそっと盗み見る。

 28・・・もしかしたら30歳越えてるのかな?いやでも、25歳でも通るかもね、この外見だと。

 年若いお客様の中には熨斗が何かを知らない方も多くいる。何でもはいと答えとけばいいや〜的なノリで販売員の質問に答え、紅白か黄白か、とこちらに聞かれて初めて「熨斗ってなんですか」と質問がくるのだ。

 で、散々販売員に説明させておいて、やっぱり包装だけでいいです、となるのが普通。

 仕方がないことではあるし、説明は勿論させて頂くが、忙しい時にはイラっとなるのも事実。判らないなら判らないと最初っから言えっつーの。

 全ての記入を終え、会計を済ませる。そして竹中さんと二人で並んでカウンター前で頭を下げて見送った。

「やったー、3千円ですね〜!一歩ずつでも売っていかないと、今日の予算高いですもんね〜」

 喜ぶ竹中さんに、頷いて、今売ったばかりの商品の品だしと熨斗を作りに言ってきますと声をかけた。

 ・・・有難いぜ、3千円。

 デパ地下では熨斗の出番が多い上に必要枚数が多いこともあって、一々筆耕さんには書いてもらわない。

 パソコンで印刷するのだ。

 そしてそのパソコンは、閑散期のくせに最近調子が悪く、たびたび壊れていた(パソコンソフトがのし太郎と言うので、販売員は『太郎君の機嫌が悪い』などと言ったりする)。

 仕方ないからわざわざ百貨店の社員さんを捕まえて、手書きしてもらった。

 通りすがりの鮮魚売り場で桑谷さんがアルバイトに指示を出しているのが見える。

 短い髪にも慣れてきた。あれはあれで以前はなかった爽やかな印象が加わって案外いいかも・・・などと思う。

 でもやっぱり10代の学生と並ぶと・・・・おっさんだわ。

 そう思って、一人で笑った。


 本日の勤務終了で、お先に失礼しますと声をかけてロッカールームへと上がっていく。

 斎に襲われた記憶が二回もある北階段は、取り合えず平和になったからとまた使っていた。

 携帯を開いてメールや電話の有無をチェックしながら階段を上がる。着信はなかったけど、何と懐かしい男からのメールがあった。

「おお〜!!」

 つい、興奮して声を上げる。

 弘美と話題にしたばかりの楠本からだった。

『まりっぺ元気か?届くか判らないけど一応先にメール送っておく。近々会いに行こうと思ってる。都合のいい日あれば教えといて。 楠本』

 あはははは、一応送っておくだって。

 そりゃあ、5年間もメルアド変えてないとは思ってなかったんだろうなあ。・・・変えてないんだけど。なんせ、その必要はなかったし、第一面倒臭い。

 楽しい気分ですぐさま返信する。

『弘美に会って話聞いたよ。お前が結婚するって聞いて喜んだ。今は販売員してるから、平日が休み。大体、火曜日か水曜日に休んでる』

 男みたいな文章を打って、送信、と声にだして言った。

 昔馴染みは良い。一瞬で、その時に戻れる。

 ロッカールームのドアを開けながら大学時代を思い出していた。

 あの頃は、今よりも明るかった、かも。今より酒を飲んで、ハメを外して楽しんでいた。

 大学生なのに、通りかかったマンションの敷地内にはえている枇杷の木から枇杷を取って勝手に食べたりして、管理人に見つかって、楠本と走って逃げたりもした。大学の単位が取れなくて、二人で芝生でタバコを吸いながらいかに先生に懇願するかの対策を練ったりもした。

 おバカで、陽気で、四六時中笑っていた。

 賢い楠本に、私がアルバイトをしていてサボった講義のノートを見せてもらっては、ちゃっかりしているアイツにお昼を奢らされたりしたんだった。

 思いつめた女の子から告白された上に迫られて困るアイツを助けるために仕方なく抱きついてみせて、女の子が立ち去ってからその気持ち悪さに吐きそうになって、お互いに文句を言いまくったりしたんだった。

 どんどん出てくる思い出に一人で笑っていた。

 着替えて百貨店を出るのにも、機嫌がよくて幸せだった。

 友達に会えるかと思うと嬉しい。携帯を手に握り締めたまま、楠本からの返信を心待ちにしていた。

 秋で、日暮れは早くなりつつある。すれ違う人の様子もあまり判らなくなる薄明かりの中、徒歩10分のアパートに帰った。


 私の知らないところで動きがあったと判ったのは、その数日後のことだった。

 まるで冬の夕暮れみたいに、それは音もなく近づいて、私をじっと観察していたんだった。

 私は気付かず毎日をさらさらと過ごし、仕事と部屋を往復していた。繁忙期が近づいてくるデパ地下も少しずつ賑やかになっていて、毎日その店の様子を楽しんだりしていたのだ。

 ちっとも気付かずに。

 音もたてずにそれは、ある日いきなり形をともなってやってきた。


 遅番の日、桑谷さんに俺は残業するからと気をつけて帰っての言葉だけ貰って、一人で部屋へ戻った時だった。

 いつものようにアパートの入口の郵便受けを覗く。

 独身の一人暮らしはあまり使わないだろう郵便受けを、私は普通に使っていた。

 新聞を取っているし、通販での買い物も多いので郵便受けは必要だった。ただし、鍵はつけているし、名前は出していないけど。

 ダイレクトメールと夕刊、カードの請求書と一緒に白い封筒が入っていた。

 宛先も差出人も何も書いていない白い封筒を手に取って、裏表を何度もひっくり返しながら、他のものと一緒に部屋へ持って上がる。

 一度座ってしまうと面倒臭くなって後回しにしてしまい、そうなると1ヶ月は放ったままになってしまうので、帰るとすぐに郵便物は整理することにしている。

 鍵をいつもの場所に投げて、テーブルに郵便物を置いた。

 そして冷蔵庫から水を出して飲み、まず請求書を開ける。

 ・・・よーし、よし。オッケー。これで今月も黒字で家計が締めれる。月末に落とされる金額だけ確かめて、ゴミ箱に入れた。




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