6、いつか、誰かと@
「―――――・・・送信っと」
俺はそう呟くと机の上に携帯を放り投げた。
それは篤志の机の上をバウンドして奥へ転がる。
椅子に座って設計書を手に持ったままで、篤志が微笑した。
「ありがとう」
おおっと〜・・・ここでやっとありがとうかよ、今までの俺の活躍には何にもなかった癖に。
俺は苦笑する。今日で、けりをつけるつもりなんだな、本当に。
営業職がどんどんいなくなる第2営業部で、俺たちは隅っこに座っていた。
3月も下旬の締め切り近い、ある夜。
今日は支部長主催の懇親会がある。だからうちの第2支部は綺麗に空になるのだ。勿論、本来なら俺たちも参加しなければならないが、大きな契約を支部長の鼻の前にぶら下げて篤志が欠席をもぎ取った。
そして俺たちは、作戦を実行する。
尾崎さんがどうでるかは、まだ判らない。なんせ彼女に関しては行動が全く読めないのだ。客にはしたくないタイプだな。表情が読めない。
「・・・返事がくるかもわからないのに」
俺の呟きに篤志は判ってるという風に頷く。だがしかし、彼女も営業なのだ。営業職の悲しい性で、携帯は常に意識するはずだ、というそこに賭けたのだ。
忙しい俺は今日で3月分の営業を終了した。だから暇が出来た。今なら約束通り、「沈黙営業」が何かを教えて上げれますよ――――――そういう内容のメールを、さっき尾崎さんに送ったのだ。
彼女のレスポンスが15分以内に来なければそこで終了ってことで。
それで終了なら、縁がなかったと諦めると篤志は俺に宣言した。
机の上で俺の携帯がガタガタと震える。
「―――――あ」
二人で一斉に携帯に注目した。パッと手に取って画面を開くとそこには待ち望んだ彼女の名前。
「・・・来た来た。レス早いな、よし―――――・・・おお?」
ぶつぶつ独り言を言いながらメールを読む俺の横から篤志が覗き込む。
「おい、ひっつくなよ。野郎に近づかれても嬉しくねえよ」
俺はヤツの額を押しのけてメールを読んでやる。
「『お疲れ様です。本日は外で女友達と飲んでおります、すみません』だってよ。女友達?全然問題ないよな」
篤志が何も言わないうちに俺はさっさか返信メールを打つ。
『俺そっちに行ってもいいですか?迷惑じゃなければ』
送信。
勿論、迷惑だといわれても行くつもりだったけど。こんなことで諦めるわけがない。
とかいって、飲んでいるらしい彼女が泣き上戸とかだったら勘弁だけど。
次の返信まで間が空いた。悩んでるんだろうな〜、と二人でダラダラ言う。まあ、ここでアッサリ「いいですよ」などと言ってくれる人だったら、今ごろすでに篤志の彼女になっているだろうしな。
しばしの沈黙。お互いに椅子にもたれてだら〜っとする。
「・・・お前、営業全部終わったの?」
俺の問いかけに篤志は簡単に頷いた。・・・そうですか。やっぱり仕事は早いんだな。今月で営業を辞める篤志は全部で5件入れていた。・・・お見事。まあ俺は5.8件入れてるけど。
また沈黙。
既に二人しかいなくなった営業部で、隣のビルの明りを窓越しに数えていた。
都会は不夜城だ。この街に眠りが来ることなどなく、いつでも誰かがどこかで働いている。
窓の明りが全部消えることなどない。
携帯が振動した。チラリと篤志を見るとあいつも同じタイミングでこっちを見た。
・・・さて、丁と出るか半と出るか――――――。
「―――――へ?」
俺はつい小さく叫ぶ。
だって―――――あけた画面の中、俺の目に飛び込んできたのはハートマークだったのだ。
『〇〇ホテルのスターライトバーに居ます。喜んで、歓迎しますよ〜待ってまーす(ハートマーク)!!』
隣から覗き込んでいた篤志が苦笑を漏らす。・・・おいおい余裕だな、ここ、叫んで驚くとこだぜオイ。
「・・・友達、だろうな」
篤志がそう言って、俺はようやく納得する。ああ、そっか。成る程。この後のことをシュミレーションするので手一杯で、女友達と居るんだってことをすっかり忘れていた。
そっか、友達か。そうだよな、ああビックリした・・・ハートマーク・・・尾崎さんが・・・そんな柄じゃねえだろって。
いや、驚いてる場合じゃないんだった。
「よし、じゃあ行ってくるわ」
俺は立ち上がってぐぐーっと伸びをし、コートをまとう。
机の上から携帯だけを引っつかんでポケットに突っ込んだ。
何はともあれ、彼女のオッケーが出たのだ。ここからは、俺の腕次第。
椅子にもたれて卓上ライトに照らされた篤志が、微笑して俺を見上げた。
「・・・頼む、孝太」
「―――――――」
頼むなんて言葉、こいつから出されることがあるとは思わなかった。この長い付き合いの中で、ヤツが誰かに頼ったことなどあっただろうか。
・・・・本気ですよ、か。
確かに、本気なんだよな、お前。
俺は口元を大きく上げて笑った。俺を誰だと思ってんだ、篤志。
「任せろ」
―――――――――俺は全国3位のスーパー営業だぜ。
通行人に混じって、俺は会社から徒歩10分ほどの有名なホテルへ向かう。
粋なところで飲んでるんだな〜。なんだろ、金のかかる女子会かなんかだろうか。・・・女友達ってのが、5人や6人だったらどうしようか。
俺の役目は彼女を連れ出すことなのに。もしかして5,6人ほどの女性が居れば、それを突破できるかは正直自信がない・・・。
そんなことを考えていたらすぐに着いた。
接待では使ったことがあるけど女性と来たことは一度もないホテルの最上階へ上がる。
ここで飲むんだったら靴磨いてくるんだった。決して安くはないが、今日も一日営業で使った革靴を見下ろす。うう・・・あのカーペットに砂を落としてしまう。ホテルの従業員に心の中で謝った。
さて、入ったらすぐに判るのかな――――――そう思いながら入口から最上階の広いフロアを贅沢に使ったバーを見回すと、丁度目の前を一人の女性が歩いているのが目に入った。
――――――――おやおや。
えらく着飾ってはいるが、あれは尾崎さんだ。間違いない。
案内のボーイさんが近寄ってくるのを笑顔と片手で制して、俺は彼女に近づく。
やっぱりここで飲むからってお洒落をしてきているのだろう。
声を掛けようとして一足大きく踏み出した。
すると窓際近くに置かれている白いソファーに座ったもう一人の女性の声が聞こえた。
「今日のあんたは本当に綺麗よ。その平林さんて方が高田さんて方も連れてきてくれたら嬉しいのに」
・・・俺、ですか?つい口元が綻んだ。そうか、この人が尾崎さんの女友達―――――・・・
声に笑いが出ないように努力して尾崎さんの後ろから喋る。女友達に何か言いかけていたらしい彼女の背中がハッと止まった。
「残念ながら、高田は残業です」
くるりと振り返って、尾崎さんは一瞬俺をじっと見た。俺もついじっと見詰めてしまった。
・・・わお。
感想は胸の中で一人ごちる。
シンプルなベージュのドレスはマーメイドタイプと呼ばれるものだと知っている。膝下でふんわりと贅沢に使った生地が足を取り巻いて、彼女の長い足をいつもより細く白く見せている。
アクセサリーは少なめ。でも手元には光る輪が数本。
いつも着ている濃紺のスーツ姿よりは10ランクほど艶やかないでたちで、彼女は目の前に立っていた。
ふむ、綺麗だ。
「・・・あ、お疲れ様です」
間が空いたけど彼女は小声で俺に挨拶をする。ああ、やべ。つい全身を観賞してしまったのに気付かれたか。いやあ、でも仕方ねえべ。これが男ってもんだし。
そんなことを思っていたら、後ろからこれまたゴージャスな女性が大きな笑顔を浮かべて近づいてきた。
尾崎さんが微笑んで手で示す。
「こちらは砂原陶子さん。私の大学時代の友人で、今はデザイナーです。平林さん。うちの支社のトップ営業マン」
ごく自然にパッと手を出されたので、俺もすんなりとその細い手を握る。手の小ささの割りには強い握手で、砂原さんと言うらしい尾崎さんの女友達の意思の強さを感じさせる握手だった。
「平林です。折角楽しんでいるところに無粋者が乱入してすみません」
「砂原です。いえいえ、歓迎しますわ。女同士では既に十分話はしてますから。お噂は美香からよく聞いてます。凄いですね、保険会社でトップの営業成績を誇るなんて」
にっこりと大きな、ひまわりみたいな笑顔だった。
ワインレッドのストンとしたドレス、アップにした髪、ラインが綺麗に入った大きな猫目。色っぽい口元。文句なしにいい女がそこにいた。
キラキラと瞳を輝かせて、好奇心に溢れる表情で俺を見上げている。
思わず左手薬指を確認する。・・・独身か?それはそれは、何とも勿体無い。
俺は何とか魅力的な彼女の微笑みから視線をひっぺがすと、尾崎さんについて席に座った。
「尾崎さんも、ごめんね、無理に押しかけて」
すると彼女は急にあ!と声をあげたかと思うと急いで携帯を俺に向かって広げて見せた。
篤志の推測通り、やっぱりあの返信は女友達が勝手に書いたものらしい。
笑ってしまった。
その、必死で言い訳をする尾崎さんに。
すきっ腹にウィスキーは実際結構キツイものがあるけど、俺はこれからに備えてアルコールを沁みこませる。
ちょっと酔っ払ってるくらいが丁度いいのだ。
まだ彼女が篤志のことをどう思ってるのかがはっきりとは判らない。だけど、今晩は是非あいつの元へ行って欲しい。
そしてそれは、俺にかかっている。
彼女の友達も個人で営業をするらしく、最初こそ楽しそうに口を挟んだけど、いよいよ俺が話し出すとするりと身も引っ込めた。
空気のよく読める人だ。ますます高感度が上がる。
高級なホテルの素晴らしいバーで、広がる夜景を見ながら、さり気なく着飾ったいい女二人といい酒を飲む。
あああ〜・・・畜生、これが何かの計画でなかったら、もっと心からこの場所も味も雰囲気も楽しめるのに。ちょっと残念だった。
女性二人は俺が話した「高田の沈黙営業」についてそれぞれが考えているらしい。
ちょっとの間、沈黙が降りた。
俺はぺろりと舌で唇を湿らせる。
さて―――――――――ここからだ。
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