5、繁忙期突入
新年明けたら記念月突入だ。
珍しいとよく言われるが、俺は記念月が好きだ。
理由は二つ、1、流石に自分も忙しくて篤志の監視が緩むから仕事に没頭出来る。
2、壁のように積み上げられたノルマを達成した時の快感はセックスよりも気持ちいい。
・・・ま、ここ何年も女性を抱く機会はないわけだけど。
そんなことは良いのだ!とにかく、俺は嬉々として記念月の繁忙期に身を投じる。もう篤志なんか無視しまくって、ヤツの恋愛もどうでもよくて、ただひたすらに狙った契約をものにしていく過程に集中した。
毎日が、保険設計書と契約書と領収書と判子と営業スマイルと消えていくガソリンと増えていく給油時間と伸びていく成績ボードの俺のグラフで埋められる。
アドレナリンが出まくりで、睡眠は実際のところ必要なかった。たまに電池が切れたみたいに事務所で椅子を並べて眠る。起きたらカプセルホテルへ行ってシャワーを浴びる。それで十分だった。
会社には洗面用具一式置いてあるし、たくさんの会社が入ったこの高層ビルの地下に入っているコンビニには下着まで売っている。何も困らないから部屋にはほとんど帰らない。営業も寝るのも移動もほとんど車だ。
そうやって1月と2月を過ごす。それがいつものことだ。
だけど2月に入ってすぐのある日、珍しく事務所にいた。
目が疲れて霞むな、そう思って目薬を差してからコーヒーを摂取しに廊下を歩く。
すると胸ポケットにいれたケータイが鳴った。
今追いかけてる客からだった。おっと、どうした?まさか今日のアポキャンセルとかなしだぜ。
一度頭を振ってから仕事モードに切り替えて通話ボタンを押す。
「はい、お世話になっております、平林です」
会社にいるのが久しぶりで、電話をしながらつい視線が遊んでしまった。電話の内容は何てことない質問だったから、簡単に答えて会話は終了となる。パタン、と音を立てて携帯を閉じたところで、事務所から出てきた尾崎さんとバッチリ目があった。
・・・おお、懐かしい人が。
俺はにっこりと笑顔を作る。
歩きながら、彼女は軽い会釈をした。
久しぶりに見た彼女は以前よりはかなりふっくらとしていた。今でやっと「スレンダー」と形容されるくらいか。前の「ガリガリ」よりは大分マシ。ちゃんと食べれてるんだな。
俺はちょっと満足して彼女を眺める。
うん、体型がまともに近づくと、やっぱり愛嬌がある顔をしているんだと思うな。硬くて硬くて硬い以前の表情もなりをひそめている。
相変わらず笑顔はないが、ふっくらしてきた頬は笑ったらえくぼも出来るのじゃないかと思える。
「おひさしぶりです。1月は一度も会いませんでしたね」
彼女の言葉に俺はあはは〜と笑う。
「いやあ、忙しくてほとんど事務所に居なかったですから。ようやくちょっと時間が空きだして、今日久しぶりに自分の椅子に座りました」
ちょっと驚いた顔をする。営業は自席に座る暇があったらダメなんだぜ、心の中で付け加えた。
あ、と声を出して顔の前でパチパチと拍手をしながら彼女は言う。
「そうだ、2月戦も一位独走中、おめでとうございます」
・・・うーん、拍手はくれてもやっぱり笑顔はナシなんだな。徹底的無愛想。まあ多分、これは俺に対するあてつけだろうけど。
俺は微笑んでお礼を言う。
「ありがとう。今回の記念月も、何とか乗り切れそうだよ。尾崎さんは調子はどうですか?」
「あら、私のことまで。えーっと、11月戦に比べたら大分マシな成績ですけど、平林さんのつま先にもなってませんね、多分」
肩をすくめる彼女に、じゃあ広瀬部長の叱責からは逃れられそう?ときくと、大丈夫と思うとの返事。
「良かったですね」
珍しく彼女から話しかけてくれたけど、そろそろ時間だ。俺はコーヒーを諦めて、じゃあ、と尾崎さんに片手を上げた。
「あ!」
尾崎さんがハッとしたように声を上げたから足が止まる。・・・おお、ビックリした。何事だ?
振り返った俺に、彼女は慌てたように言った。
「あの、御多忙なのは承知の上で言うんですけど・・・」
「うん?」
確かに多忙だが。何でショウカ。目を瞬く俺に尾崎さんは近寄りながら小声で言う。
「教えて頂きたいことが」
「何ですか?」
俺に質問?首を傾げて尾崎さんの返答を待つ。彼女は一度唾を飲み込んで、恐る恐ると言う風に口を開いた。
「沈黙営業って、なんですか?」
――――――――あん?
俺は意表をつかれて目を見開く。・・・沈黙営業?いきなり何だ?それって――――・・・
「・・・それは、俺が篤志につけた・・・」
俺の呟きに、尾崎さんは首を縦にぶんぶん振る。
「そう、それです。何か知りたかったら平林さんに聞けって・・・」
「・・・へえ、あいつが」
何だ何だ?二人に一体何が?俺が楽しく記念月を飛び回っている間に二人には何かがあったってことだよな。
まったく、篤志は何も言いやがらないから―――――・・・
思わずニヤニヤしたら反対に尾崎さんの機嫌が悪くなったのが判った。
あはは、おもしれー。
「それはどういうシチュエーションで?」
そんなに簡単に教えられない。物事には順序があるでしょ。俺は彼女を覗き込む。
イライラした表情で尾崎さんが口早に言う。
「詳細省きますが、一度高田さんと買い物に出かける必要が生じまして、その時に気になってた営業の仕方を聞いたんです。ほら、あの人無口だし・・・」
「ああ、気になったんですね。重要事項の説明とか本当にしてるのかこいつ、と思ったんでしょう」
買い物に二人で?それはそれは・・・。ちゃんと会話が出来たってことだよな。篤志もやるじゃないか。
「・・・で、何ですか?どういう営業方法なんでしょうか」
「気になるの?」
彼女の聞きたいことが鮮明になってついからかってしまう。高田篤志という営業に興味を持てば、当然知りたくなるところだもんな。
そうか、彼女も段々と篤志に惹かれつつあるわけだ・・・。
「気になります」
「どうして?高田のことを知りたいってこと?」
ぶっすーと彼女が膨れた。目には毎度お馴染み殺意が見える。あはははは、本当に正直だな、この人。
だけど、残念、時間切れだ。
こういう時に長身だと便利だ。心理的にすでに上に立てるから。俺はにやりとして言った。
「今日は時間ないから、また今度」
彼女は口をあんぐりと開ける。唖然としたようだった。それからきっと睨みつけて、けんか腰で言う。
「・・・私をからかってる暇があったら教えて下さいよ」
「ダメ。2月戦が終わったら、飲みに行きましょう。簡単に営業方法は漏らせないでしょ」
判ってんだぜ、策略は。篤志の営業方法が使えそうなら自分で取り込むつもりでしょ。ま、普通の営業なら絶対それは考えるんだろうけど。
俺は胸ポケットから携帯を出して開く。そして言った。
「そういうわけだから、尾崎さんの番号教えて下さい」
え?と小さく呟いて彼女が固まった。怒ったり化石になったり忙しい人だな、まったく。
「都合ついたら電話します。メルアドにしようか?メールの方が邪魔じゃない?」
彼女は額を押さえてふらついた。どうやらショックを受けているらしい。あくまでも自分は俺たちとの距離を置くというスタンスなんだな、と判った。
「いや、そうではなくてですね・・・」
そう言いながら頭の中で忙しく対策を練っているのがハッキリ判った。
色々抵抗を試みだしたけど、そんな攻撃が俺に効くハズがない。こちとら海千山千の営業だぜ。
結局は彼女のメールアドレスを無事に手に入れて、俺は事務所に戻る。
ニヤニヤが止まらない。
同じくしばらく話してない篤志を捕まえて、このことを報告しなければ。
そこで壁のカレンダーを見た。
ああ・・・・まあ、それは――――――――
2月戦の旅行施策で飲みながらにしよう。
鞄を持って事務所を出る。
酒が入れば篤志の口も軽くなる。二人とも施策にのれるのは判ってる。そこで、全部聞き出してやる。
笑みを抑えられないまま、俺はエレベーターに乗った。
今回の施策旅行は金をけちっていた。
バスの中で回ってくるビールを飲みながら、俺たちは口々にそう話す。勿論前方に座っている営業部長や支社長には聞こえないようにだ。
以前は2泊3日くらいで海外にも連れて行ってくれたものだったけどなー。最近では国内旅行で1泊がいいところ。下手したら日帰りでカニ料理なんてことにもなる。
まあ、ちょっと前に生保の不払い問題で会社が自粛モードに入ったから仕方ないのは判るんだが・・・。何だか、頑張ってかなり会社に貢献したって自負がある人間には悲しいご褒美だ。
何本目か判らないビールを飲み干して、そろそろトイレに行きたいな、とおもっていたら丁度トイレ休憩になった。
3月に入っていて天気は晴れ。風も温かくなってきていてビールも回ってる。気分は最高だった。
今日はうちの会社はどこの支社も一斉に施策旅行のはずだから、稲葉のところもどこかへ行ってるはずだ。
あいつの受け持ち支社の成績は知らないが、稲葉のことだからきっとやってるだろう。稲葉が狙う彼女も優秀な営業らしいから、この旅行でいい感じになれればいいのにな――――――――そう思って、思い出した。
いい感じと言えば、うちの相棒の恋模様はどうなってんだ。記念月も終わったし、そろそろ発展があってもいいだろう。
ちょっと立ち止まって考えていると、呼び声が聞こえた。
「あ、平林さーん、一緒に写真撮りませんかー?」
別の支部の女性営業の数人がサービスエリアにある小さな公園の前で手を振っている。
皆私服で、いつもより若く見えた。女性達のキラキラと輝く笑顔に俺も笑顔を返して手を振る。
「ごめんねー、今は遠慮しときまーす」
そう返すと、じゃあ旅館では遊んでくださーいと高い声が聞こえた。あははと笑う。
若いぜ。君達、こんなおっさんに構ってないでもっと若手を狙いたまへ。いるだろうがよ、26歳も27歳も29歳も。心の中で呟いた。
大量のゴミを捨ててトイレを済ませると、サービスエリアのベンチに座って黙って周囲を見回している篤志に近づいて行った。
「お前にいいもん見せてやる」
怪訝そうに顔を上げたやつの目の前に、俺は開いた携帯の電話帳画面を見せた。
『尾崎さん』
と書かれた文字の後ろには彼女のメールアドレス。
篤志の目が少し見開かれた。
「・・・孝太」
「へっへーん、羨ましいだろ〜」
俺はにやりと笑って携帯を閉じ、そのまま後ろポケットに突っ込んでバスに向かって歩き出す。
と、後ろから服を引っ張られて足が止まった。
「うわっ・・!」
「―――――孝太」
振り返ると俺のジャケットをしっかりと掴んだ篤志の両目からビーム。甘いな、そう簡単に教えるかっつーんだよ。
俺はやつの手を服から払って言った。そして腰に両手をあててふんぞり返る。
「3月4月は俺の監視をやめると名言しろ。そしたら教えてやる」
尾崎美香のメールアドレスを。
すると篤志は少し黙って、それから改めて俺を見た。
・・・・うん?何だ、このシリアスモードは?
俺がちょっとたじたじと後ろに身をひくと、篤志の低い声が聞こえた。
「・・・監視は終わりだ。あれ、決めた。支部長には言った」
自分が真顔になったのが判った。
・・・・あれ、決めた。
そうか、ようやく決めたのか。
黙って篤志を見る。ヤツも同じく静かな表情で俺を見ていた。
・・・相棒関係も、終わりだな。
俺は後ろポケットから携帯を出して篤志に渡した。
「ほらよ」
すると篤志は首を振った。そして珍しく企んだ笑顔を見せる。
・・・は?今度は何だ?いらねえのか、尾崎さんのメルアド?
立ち上がってバスの方へ歩きながら、篤志が低い声で言った。
「教えて貰わなくていい。だけど協力してくれ。考えてることがあるんだ」
企んだ、綺麗な顔。
篤志が俺から離れて自由になる。
その前に手にいれたい彼女がいる。
「・・・おう、任せとけ」
俺も笑った。
今までの、礼だ。
お前をずっと事務所に、営業職に縛り付けていた俺からの、お前への礼だ。
任せとけ。――――――――お前が自由になって笑顔になるためなら、何だってやってやる。
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