1、32歳バツ1監視付き営業主任
時は夏。毎日暑くて暑くて暑くて死にそうな晴天の日が続き、外回りの営業達を苦しめていた。
「明日は?」
隣から飛んできた声に俺はだら〜っと答える。
「・・・10時から保全、書類渡すだけ。2時からクロージング」
ちらりと横を見ると、幼馴染で同じ職場にいる高田篤志がこっちをじっと見ている。
「・・・何だよ」
無言。
まだじいーっと見ている。
――――――畜生。
俺は昇りのエレベーターの壁に背中をあててもたれた。偶然にも他には誰も乗っていない。
「・・・それから、夜8時から飲み会・・・」
「接待か?」
点滅するエレベーターのボタンを見上げながら俺はうんにゃ、と首を振る。
今のは結構自然だったぞ。よしよし、俺の腕も上達したってもんだ。心の中で自分を盛大に褒めた。
何せ、この見張り役は半端ない。やたらと鋭いし、遠慮もないし、だますのに苦労する相手なのだ。
だけどたまには接待の宴会もしないと、大事な顧客に逃げられてしまうではないか。他社が狙ってきているって情報もあるし、今晩は是非とも酒つきでお得意さんの心を掴んでおきたい。
その為の舞台セッティングだって2ヶ月も前から力を注いでいて――――――
「・・・孝太」
高田篤志の低い声が聞こえた。
俺は目を合わせずに、ああ?と声を出す。
今は振り返れない。だってあいつはきっとあの顔で俺を見ているはずだ。あの両目に出会って、それでも嘘をつき通せる自信はさすがにない。
うおー、頼むぜ本当。見逃してくれ〜!!ただの飲み会だと思ってくれーっ!
心の中の必死の叫びもむなしく、昔から聞いてる篤志の判ってるんだぞというニュアンスを含んだ声が聞こえた。
「・・・接待なんだな。山根支部長は知ってるのか?」
畜生!
俺はパッと振り返った。それと同時にエレベーターがチンと音を立てて会社のある18階に到着する。
「頼むー!今晩だけだ!もう全然接待なんてしてないし、他社が狙ってる噂があるし――――――」
「支部長に一緒に行って貰え」
「じょじょじょ・・冗談じゃねえよ!」
そんなことしたらまとまる話もまとまんねえ!俺たちの事務所の長である山根支部長は接待だと言えば喜んでついてくるに違いない。だけどそうなったら本人は気付かないままで俺の営業トークの邪魔をしまくるに決まってる。
今までだって何回もそれでポシャッた話があるのだ!同行なんてとんでもない。何故営業力がゼロに近い上司なんぞ伴わなければならないのだっつーんだ!
「篤志〜!!」
足の速いヤツの隣を歩きながら俺は懇願する。くそ、何だって自分の仕事をするのにこいつの許可がいるんだ!
だけど仕方がない。忌々しいことに、一度過労で倒れている俺を見張ると決めたらしいこの幼馴染は、俺が少しでもオーバーワーク気味だとすぐに拘束しやがるのだ。
まず、上司への告げ口で。大口契約かと喜んで首を突っ込んでくる営業力のない上司のせいで契約が危うくなり、俺のモチベーションが下がることで結果的に仕事を減らさせる手。
そしてそれでもダメなら、何とヤツは俺の実家へチクるのだ。
次に倒れたら営業をやめて実家を継ぐことを約束させられている。それだけはごめんだ。俺はこの、保険の営業という仕事を天職だと思っているのに。
ま、そんなわけで、この幼馴染に操られているのだ。3年前の夏から。
ヤツは俺の仕事スケジュールを監視し、少しでも気に入らなければキャンセルを迫る。憎たらしい男なわけだ。
エレベーターを出てやたらと早いスピードで廊下を歩きながら、高田は俺をちらりと見る。
高校までは俺の方が身長も高かったのに、今では一個下のヤツのほうが少しだけ高い。それも憎たらしい。
「・・・10時の保全は俺が行く」
「え」
「渡すだけだと言ったよな」
だったら俺でも問題ないよな、通りすがりに届けてやるよ、そう言って高田は目を細める。
ぐっと詰まった。そんな、保全の書類を手渡すだけで祝日の午前中にアポなんか取るかよ!勿論新商品についてのアプローチをするつもりだった。そしてそろそろ家族展開も狙うつもりでその下ごしらえを企んでいたのだ。
だけど。
目の前で無表情に俺を見る幼馴染兼監視役にはそれはバラせない。そんなことになればキャンセルするまで付きまとうに決まってるのだ。
くっそ〜・・・・!
「・・・接待をやめるか、朝の保全をやめるかだ。選べよ」
ヤツは立ち止まって静かな声で脅す。俺は大きく顔を顰めた。いいのだ、どうせ今は誰も廊下にいないし、イメージ作りをする必要のない幼馴染だけ。
ミスター愛嬌だとかラブリースーパー営業だとか呼ばれる俺を顰め面にさせるのは、世界広しと言えどこいつくらいだ。
「おまえ鬼だろ。正体を見せやがれ!」
俺の言葉にも眉一つ動かさない。
目の前の一つ年下の男を見る。
高田篤志、31歳、独身。生命保険の営業主任。俺と同じ南支社の第2営業部所属。
野郎の癖に美形、野郎の癖に肩までの長髪、そして潔いくらいに寡黙。昔からちっとも変わらない綺麗な整った顔で、じいっとこっちを見詰める。
幼少時から、こいつは黙っているだけで望みを叶えることが出来るのだ。俺はそれを羨ましく思いながら、いつでも懸命に努力してきた。
滅多に表情を変えない篤志は俺から目を離さず追い詰める。
「どっちにする?」
畜生・・・・。今日も負けだ。
「―――――・・・接待」
自席に戻った俺は明日の朝10時のアポ分の資料を封筒に入れて篤志に渡す。ヤツは微かに口角を上げて、静かに言った。
「これで明日は昼まで寝れるよな」
舌打してやった。ああそうだよ!おめーのお陰でな!
全く、何てこった。
新卒で今の大手保険会社に入った。
最初からエリート養成コースだったわけじゃない。俺は一般職の営業として普通に男女混合の事務所に入ってスタートし、性に合ったらしくバンバン好成績を挙げたので、昇進コースに組み込まれた叩き上げ営業だ。
その自分を誇りに思ってるし、その履歴に負けないようにと仕事に没頭してきた。
24歳の時、一年違いで入社した幼馴染の高田篤志を会社の研修室で見て驚いたものだった。
・・・え、何でいるのあいつ。と思って。
中学まで一緒だったけど途中で俺の家が転校し、総合大学の経済学部で偶然出会っての再会をしてから12年、ずっと顔を合わせる羽目になったのだ。
そして俺が結婚生活に失敗し、離婚するに当たって羽目を外し、元妻に慰謝料を弾みたいが為のオーバーワークで倒れて以来、ヤツは俺を見張ることを使命だと思ったらしかった。
ゲイだと疑われても仕方ないくらいにいつでも俺の隣に篤志はいる。
非常に無愛想だが外見が異常に良いので、アイツといると目立つ。目立つのは嫌いじゃないけど出来たら自分だけで目立ちたいぜ、俺は。
邪険に扱っても全くめげずに引っ付いてくるから、ここ2年は諦めて好きなようにさせていた。
実際、篤志に監視されるようになってから体調は良くなったし。
心身ともに余裕が出来て、そのお陰で仕事もうまく行ってるんだってくらいはちゃんと判っている。・・・あいつには礼なんていわないけど。
ため息をついてコピー機を睨みつけた。
くっそう・・・下ごしらえしようと思ってたのに・・・篤志め。
今だって契約書を作成する俺を見張って用もないのに入口の所に立っているのだ。
その鬱陶しい相棒を肩越しに盗み見て、あれ?と思わず声が出そうになった。
ちゃんと入口、印刷機やコピー機が見える位置に高田は立っていた。だけど、俺のほうを見てなかった。いつもならコソコソと隠れて客とのアポを取ろうとする俺を監視するためにじっと見てくるのに――――――――
・・・何、見てんだ?
つい俺は半身を捻って高田に注目する。
ヤツはドアの所に通行人の邪魔にならない程度に立ち、何かに視線を飛ばしていた。
あの方向は―――――――第1営業部?
我が第2営業部と隣あわせにある、職域担当の第1支部。56名の女性営業が働く一般支部だ。
同じフロアーにあるため、営業同士の交流がたまにあるのだが、あの無愛想な高田が一体何を気にして第1営業の方を見ているんだ?
俄然興味をひかれた。
ちょっと待て待て。あっちを見てるってことは、まさか女!?あの篤志に、サイボーグ並に女性に興味を持たない高田篤志に、もしかしてもしかすると春が来たってことか!?
俺は興奮して印刷機が止まっているのにも気付かなかった。
篤志はじっと何か、誰かを見詰めている。
俺はそんな珍しい幼馴染を見て突っ立っていた。
・・・・これは、もしかすると・・・大事件だ!
アイツの弱みを握れるチャンスかも、と俺は興奮した。
こっそりと篤志に近づいていく。息を潜めて、後ろからそおっと。
視線の先を辿っても、そこにいる女性営業達4,5人の一体誰をみているのかが判らない。
毛利さんか?確か28歳・・・くらい、まあ、綺麗な子だよな。
それか・・・弓座さん?もうちょっと年下だっけな。うちの神谷が可愛いですよねって言ってたな。ちょっと意地悪そうな顔してるけど・・・・。
うーん、尾崎さん・・・はねえか。俺と同じ年だし、何かあの人病んでそうで雰囲気も硬い。かなり痩せてるしなあ〜。結構な壁を構築して周りと距離を取ってるし・・・。
ではでは・・・。
「終わったのか?」
急に篤志が振り返ってそう聞くから、飛び上がるかと思った。
「うわああ!いきなり振り返るなよ」
「・・・」
怪訝な顔をしている。俺はもう一度第1営業部のほうへ目をやったけど、もう誰もドアの隙間からは見えなかった。
こうなりゃ本人に聞くのが早い。
「今、誰見てた?」
「うん?」
篤志は印刷機まで歩いて行って俺が出した契約書類を掴んだ。
「誰かを見てただろ?もしかして、もしかすると篤志君に恋の花が!?」
ワクワクとそう言うと、いつもの淡々とした両目とばっちりあった。
「・・・まだ判らない」
「は?」
珍しく考え込むような顔をして、篤志は俺の胸に書類をバサッと押し付けた。
そしてそのまま廊下を歩いて行ってしまう。
「おーい」
篤志くーん。
残された俺はしばらくぽかんとして、それから忙しく考えた。
まだ判らないだと?自分の気持ちがか?それとも別のこと?でも珍しい・・・今、確実にあいつは表情があったぞ。
無意識に手元の書類を握り締める。
・・・おお〜!篤志君ったら、恋ですか!?勝手に一人で気持ちが盛り上がって喜んだ俺だった。
学生の時に彼女がいたことはあるらしいが、ここ5年はヤツの周囲に女性の影は皆無だったのだ。女性が嫌いってわけではないのだろうが、進んで付き合おうとはしない。無口で無表情、何を考えているか判らない美形の幼馴染を、俺は俺なりに心配していた。
結婚に失敗した俺の面倒をみてるだけであいつは数年を過ごしている。
全く、バカなヤツだぜ。
休日に家にいたって何もすることがない。基本的に食事は外食だからワンルームについているミニキッチンには板をのせて塞ぎ収納にしたくらいだ。
洗濯物だって下着や靴下も全部クリーニングに突っ込むし、寝に帰る部屋に掃除機をかける必要があるのは月に1回ほどだ。
ガランとした部屋にはベッドと机と着替えをいれてるクローゼットだけ。
テレビすらなくて、机の上に置いたつけっぱなしのパソコンの画面の中をイルカが泳ぐのだけが唯一のインテリアだ。
朝っぱらからビールを飲んで寝転がる。
「・・・俺は働いてるほうがいいんだって・・・」
篤志が好意で俺の仕事をセーブさせてるのは判っている。
だけど動かさせて欲しい。この部屋にいたって気は紛れない。やることもない。
壁に一つだけはった写真をちらりと見た。
結婚していた時に、元妻と二人で選んだ部屋の前で撮った記念写真だ。
あの頃の潤子はまだ笑っていた。
二人とも若くて、潤子は結婚するってことに興奮していたんだ。だけど俺は――――――仕事に夢中だった。
結局体が弱くて外には働きにいけない彼女は新婚の家の中で一人で俺を待つハメになった。
寂しすぎたと書いてあった。彼女が最後にくれた手紙の中に。
たまにインクが滲んでいた。帰ってきた真っ暗な部屋の中でその手紙を読んで、俺はよく判らずに発作的に笑ったのだ。
家には当然妻がいるものだと思ってた。
だけど彼女にも感情があるだなんて当たり前のことを、理解していたとは言えない。
出て行ってしまった。そう判るのに2時間は必要だった。
泣きながら書いたんだろうな、そう思って呆然と立っていた。
インクの滲んだ手紙。
吐き出された感情。
長い間してない会話。
彼女は笑わない。
・・・俺はバカだ。
結局離婚になって、その慰謝料を少しでも多く払いたいとがむしゃらに働いて、気がついたら入院していたんだ。
悲しげな顔した親と、いつもの無表情で篤志がベッドのそばに立っていた。
静かな声でヤツが言った。
「過労で倒れた。ちょっと休め」
あの時は情けなくて泣けた。自分は、本当に何も出来ない人間なんだと思って。
幸せにするって、本気で誓ったはずなのに。
その約束を破った侘びすらもちゃんと出来ないなんて。そう思って。
親が病室を出て行った後、篤志が苦しそうな顔で、珍しいそんな顔でぼそっと言ったのだ。
「潤さんはそんなこと望んでない。お前は何も判ってない。倒れるまで働かないで、何度でも迎えにいくべきだったんだ」
2年の結婚生活が終わって、俺の手に残ったのは壁の一枚の写真と、彼女が最後にくれた手紙だけ。
俺はそれを捨てることが出来ない。
まだ、引き摺っている。
彼女が本当に好きだった。
だけど、仕事を優先した。
スーツを着ると気持ちが引き締まって序序に興奮する。いつでもワクワクするのだ。今から、俺の戦場だと思って。
篤志が朝のアポに行ってしまったから、2時からのクロージングの準備をしに会社へ行く。
休日だけど半分くらいは出勤していた。
廊下で尾崎さんとすれ違う。
暗くて厳しい顔をした彼女。前篤志が見ていたのかも、と思ってからちょくちょく視界に入るようになったのだ。
お疲れ様、と微笑んだら少し間をあけて会釈をした。
後ろ姿を目で追う。
・・・・うーん・・・・篤志も真っ青の無愛想だな。客の前ではさすがに笑うのかな。篤志は客の前でも滅多に笑わないけど、彼女はそんな感じではないしな。
黒髪、短めの前髪、白い肌。ぎゅっと引き結んだ口元。凄い美人というのではないが、別にブサイクではない。見たことはあまりないけど笑ったら可愛いのではないだろうか。
あの全身にまとった「近づかないで」の空気。
ちょっと懐かしい感じがして、俺はハッとする。
もしかして、尾崎さんって――――――――――
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