3、沈黙営業@


 そんなわけで、ケラケラと楽しげに笑う陶子を睨みつけて、私も化粧直しに立つことにした。

 くっそう!これでもし平林さんが高田さんを連れてきたら急な腹痛を起こして逃げてやる!うっ・・・とか呻いてくずれ落ちてやるぞ!ベロベロではないにせよ、既に結構な量のカクテルを飲んでいるのだ。羞恥心なく大演技をしてみせる。

 そんなことが・・・あり得るから怖いわ、そう思いながら洗面台の鏡を見る。

 浮いてきた油をおさえ、ルースパウダーだけを薄く付け直した。気合入れて化粧したのも久しぶりだから、いつもより長い睫毛が気になって仕方がない。

 グロスを塗ろうとポーチから出しかけて、そのまま止まる。

 ・・・・平林さんを迎えるのに頑張ることないでしょうが。

「ない。・・・そうよ、ないっつーの」

 ぶつぶつと呟きながらグロスはそのまま仕舞った。どうせまたお酒を飲んだらとれてしまうのだし。

 髪の毛をチェックして、席に戻る。

 陶子はチーズのほかにストーンチョコも追加していて、それを齧って微笑んだ。

「今日のあんたは本当に綺麗よ。その平林さんて方が高田さんて方も連れてきてくれたら嬉しいのに」

 こら、陶子―――――――そう言いかけて、私の後ろから飛んできた声に固まった。

「残念ながら、高田は残業です」

 パッと振り返ると、案内されてきたばかりの平林さんが微笑んで立っていた。

 お酒の影響と、薄暗いバー、その舞台設定も手伝って、いつでも堂々としている平林さんは益々存在感を放ってそこに立っていた。

 すらりとした体には今日もぴったりとスーツが張り付いている。

 ・・・この人、本当に立ち居振る舞いが格好いいわ・・・。思わず心の中で呟く。

 ただ立っているだけなのに目立つ目立つ。

 そして、端整なわけではないにせよ、好奇心溢れ出るような愛嬌たっぷりの可愛い笑顔と鋭い知性が見え隠れする瞳。これが武器になって、この人はあれだけの契約を取るんだ、そう思った。

 この人に警戒心を抱くなんてちょっと無理かもね〜って。

 彼に任せたら全部安心!人にそう思わせるような笑顔だ。

「・・・あ、お疲れ様です」

 少しばかり見惚れてしまった私はハッとして、平林さんに挨拶をする。彼の目が一瞬で私の全身を見たのが判った。

 男性が女性を眺める、そして評価を下す、そんな場面も久しぶりだった。緊張感と共に満足感も湧き上がる。平林さんの瞳の中には賞賛の光があるのが判ったからだ。

 ソファーから立ち上がって後ろにきた陶子を紹介する。

「こちらは砂原陶子さん。私の大学時代の友人で、今はデザイナーです。平林さん。うちの支社のトップ営業マン」

 陶子と平林さんが笑顔で近づく。自然に手を出した陶子と握手を交わし、自己紹介していた。

「平林です。折角楽しんでいるところに無粋者が乱入してすみません」

「砂原です。いえいえ、歓迎しますわ。女同士では既に十分話はしてますから。お噂は美香からよく聞いてます。凄いですね、保険会社でトップの営業成績を誇るなんて」

 陶子は美人だ。そのつりあがった猫目は大きく、口幅も広くて本当に楽しそうに笑うのだ。笑顔が美しく、ついつられて周りも笑ってしまう、そんな女性だった。

 彼女が本腰いれて微笑むのを久しぶりに見た。

 私は一歩下がって平林さんを眺める。いつもの愛想の良い笑顔。だけどその中に、確かに喜んでいる気配を感じ取ってちょっと面白かった。

 うーん、美人の威力はすげーな。まるで他人事みたいに二人を眺めていた。

「尾崎さんも、ごめんね、無理に押しかけて」

 並んで座りながら平林さんが言う。私はあ、そうだ!と声を上げて携帯を見せた。

「・・・これは、私でなく、この子が打ったんです、勝手に!そこは誤解なきよう頼みます。勿論平林さんの参加は歓迎しますけど」

 平林さんはシングルモルトを注文してからこちらに向き直り、あははと軽く笑った。

「ああ、そうだと思いましたよ。これって尾崎さんのテンションじゃないなーって読みながら思ってましたから」

 だってハートマークでしょ、ビックリして携帯落とすかと思った、彼はそう言う。

 隣で陶子は知らん振りをしていた。

「平林さん、3月分終わったんですか?」

 一応確認と思って聞くと、はいと頷く。・・・やっぱりか。羨ましいほどの仕事の早さです・・・。誰よりも早く3月に入ったのに、まだ終わってない私って・・・。

 勝手に凹んでいると彼の低い声が聞こえた。

「審査結果も良好で全部オッケー出たんで、今日で終了にしました。それで、沈黙営業の話をまだしてないな、と思い出して」

 ・・・はあ。それはどうも。

 私は自分のキールを飲みながら、ちょっとふらつく視界で夜景を見渡す。

 ガラスには陶子と私と平林さんが並んで映っていた。

 うーん、何か不思議な光景だな。

「さっき美香から聞きました。私も興味あるなー、個人営業もしているので。売り込みの秘訣を聞ける機会はウェルカムです」

 陶子が言うと、平林さんはあははと笑った。

「参考になるかは判りませんよ。無口な高田だからこそ出来る手法ですからね」

 彼の注文したものがきて、3人で乾杯をする。長い指で重厚なグラスを持ってくくっと流し込んでいた。

 お酒、強そうだなあ〜・・・私は平林さんの横顔を見てそんなことを考える。

 時計は8時半をさしていた。この人晩ご飯食べてきたのかしら。すきっ腹にウィスキーはキツイと思うんだけど。

 どうぞ、とチーズやチョコレートを勧める。

「沈黙営業ってくらいなんですから、やっぱり喋らない・・・んですよね?」

 私が言うと、グラスを置いて平林さんは簡単に頷いた。

「はい。それです」

「・・・だって、保険は説明なしでは何も判らないでしょう?365日そればっか考えている私達だって完璧に理解出来てるかと聞かれたらノーですよ」

 説明なしで契約が貰えるとは思えない。いくら彼が美形でもそれでは無理だろう。それに平林さんは高田さんが外見を利用している的な言い方はしてなかったし。

 私が首を傾げると、平林さんがふう、と息をついて、話し出した。

「説明は勿論するんですよ、やつだって。だけど、しても10分じゃないかな」

 ・・・10分?私は唖然とする。だって普通に隅から隅まで言うだけでも軽く2時間はかかるけど!?って。

 陶子は完全に傍観者に徹することにしたらしく、自分のシャンパンを飲みながら黙って聞いている。

「挨拶、その後は簡単にメリットとデメリットを3つずつ。それでヤツの説明は終わりです」

 ―――――――わお。それは、また、簡潔な・・・。

 私が驚いて姿勢を正すと、平林さんは苦笑した。

「客のほうがいくらでもって時間をくれていたとしても、保険の説明をマトモにしようとしたら時間ではなく理解がどうしてもついていかない。それでは結局認識不足となって、いずれ不満が出る事態になった時にそれが怒りのもとになるんです。だから、初心者でも判りやすい量としては6点まで。メリットデメリットを3つずつ言えば、そこだけは確実に理解して貰える」

 平林さんはそう説明する。大変判りやすかった。営業の数だけ営業方法はあるはずだが、最初に会社の研修で教えてもらうやり方をずっとしている営業は多いだろう。

 保険設計書と呼ばれる10ページほどの冊子を使って、その端から端まで説明するのが原則だ。ただし、今の保険は複雑で、色んなオプションが組み合わさっていて事例によって出たり出なかったりするので、全部を説明するなんてことは出来ない。

 昔みたいに、死んだらこれだけ、入院したらこれだけ出ます、では終わらないのだ。

 それでは時間もないし、お客さんも飽きてダレてしまう。

 メリット3つにデメリット3つだけ。それは大変シンプルで、判りやすい。

 ふむ、と私は考え込む。ああ、酔っ払ってない時に聞きたかったわ、これ。メモ帳も持ってないしな・・・。

 平林さんは指を3本立てて、私を見た。

「先にデメリットです。その後メリットを3つ。だから私はあなたにこれをお勧めするんです、という説得力が生まれるためにはそうするしかない。お客さんの頭の中でもいい印象だけが残る。そして、この次が高田にしか出来ないんですが――――――」

 私は彼を振り返る。平林さんはにっこりと大きな笑顔を見せた。

「・・・黙るんです」

「――――――それだけですか?」

 肩透かしを食らったようで私は力が抜けてしまった。・・・何だよ、それ。何かのオチ??

 だけどそこで後ろから陶子が口を挟んだ。

「・・・それって難しいわよ、美香」

「陶子?」

 並んで座っている為に、私は今度は体を陶子へと向ける。

 彼女は目を細めて考えながら呟くように言った。

「普通、営業は断られるのを怖がるためにマシンガンのように話してしまうものでしょ。沈黙は怖い。下手に客に考える時間を与えて断られるのを避けるために、結論を急かしてしまうのはよくあることじゃない」

 ううーん、そういわれれば、確かに。

 マシンガンのように話したりはしないけれど、私もあまり間を取るのは得意じゃない。

「それか、どうにか商品を判ってもらおうと必死になる為に、色々言い過ぎてしまったりとか」

 陶子の言葉に平林さんがのんびりと頷いた。

「そうです。高田の場合は、完全に沈黙しますよ。相手が喋るまで、何も言いません。ずっと待つ。メリットが残るように仕掛けはした。後は客が頭の中で気が済むまで咀嚼して、決断してくれるのを待つだけだって、言ってました」

 ・・・確かに、それは怖いな。私が出来るとは思えない。よっぽど設計に自信があるか、今月はもう十分な成績を確保しているって時しかそんな余裕は生まれそうにない。

 そして、そんな状況は今まで私には無かった。

 平林さんは続ける。

「間に弱いのは客も同じなんだよ、尾崎さん。黙って座っているってことに、彼等が先に耐え切れなくなる。質問がある人は高田に聞くけれど、何を質問していいのかすら判ってない客もいる。だけどどうやらこれはいいものらしい。そして、聞くんだ」

 ――――――これ、どうしたらいいんですか?って。

「・・・お客さんから?」

「そう、あっちから。だから高田は契約書を出す」

 ――――――こちらに記入をお願いします。

 平林さんはまた大きく笑った。

「契約成立」

 私は一度口をあけてから閉め、それからまた開けて言った。

「・・・わお」

 後ろで陶子が小さく拍手した。




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