1、やっかみはいつでもある
2月の初めで4件だった件数はそのままで、私はとっとと3月分にいくことにする。
いつだって余裕があるわけではないのだ。2月戦のノルマとしては達成はしてないが、それでも4件入れれば事務所にも机を並べて島とするチームにも十分貢献出来たわけだし、と思って、個人的に記念月は終わらせて、次へ行くことに決めたのだ。
2月戦で頂けた学資保険は本当にラッキーだった。あの出入りがもらえた不動産屋で空前の出産ブームが到来した時に居合わせた私は、同僚同士が勧めあった結果右並びで頂くことが出来たのだ。
だけど、もうそんなことはない。だからまた種蒔きからの開始なわけ。
昼の職域もバレンタインを過ぎるころにはいつもの日々に戻る。もう正月の金欠からも脱出しているし、本命の彼氏彼女にお金をかける人以外は資金も潤いだすのだ。
私はそれなりにうまくいって暇だった2月の間に考えた作戦を実行することにした。
3月はこれ。個人年金攻めでいきたい。
そりゃあ主力商品の契約だって欲しいのだ。だけれども、今会社が一押しの主力商品には個人的に魅力を感じない私は、つい他のものを勧めてしまう。大体元々総合保険と呼ばれるオールマイティな保険が好きではないので、力が入らないのだ。
だけど個人年金は違う。契約者は基本的に損をしないし、ある年齢を超えると格段に加入しにくくなるので、それまでのボーダーライン上にいる人片っ端からアタックすることにしたのだ。
これを、ローラー作戦という。
普段はこういうのはチームやペアでやるのだが、皆2月戦で忙しいので、暇な私は一人でやることにした。
チラシを持って、名刺をともに花吹雪のように配りまくる。損をしない話だと人間は聞き入れやすくなる上に、投資信託を扱っていたときのような「そんな名前聞いたことない」という返事が個人年金に関しては皆無だ。
実にいい、やりやすい作戦だった。何でもっと早く思いつかなかったのだろう、私。
これはうまく行き、出入りしている昼間の職域から2件、既に自分のお客様になってくださっている方から1件頂き、2月の下旬には3月分で1.5件の成果となった(個人年金は保険会社の儲けが少ないので件数は稼げない)。
うふふふ〜と曇り空の下会社に戻る私は笑う。
満足して自席に向かう私を捕まえて、これを2月分にしてくれないかと副支部長が泣きついて来た。
「お願い〜!そしたら尾崎さんも施策にのれるのよ!2月戦のご褒美旅行、行きたいでしょ?」
・・・行きたくないです。
心の中で呟いて、私は曖昧に笑う。
記念月はノルマが増える分、ご褒美の施策があるのだ。自分の事務所からそれに何人のったかで、上司が参加出来るか出来ないかが決まる。それに参加出来ない場合、上司は本社や支社長からこってり叱責を受ける上、次回の記念月での挽回を強力に求められるのだ。
それは判ってるけど、嫌です。
他のことでは出来るだけ協力しますけど、旅行には行きたくないんです!
「副支部長、もう3月分で入力して提出しちゃったんです。すみませんが」
私が言うと、折角の綺麗な顔を情けなく歪めて副支部長がへたりこむ。
「尾崎さーん!お願い〜!あと二人なのよおおおお〜」
「だってお客さんとの約束もあるし」
「それは大丈夫じゃない!責任開始期なら――――――」
「いえ、契約年齢上がるぴったり半年前でって約束で頂きましたので」
それは嘘だけど、この際何でも利用する。転職組みで仲のよい同期も居なければ旅行にさほど興味もない私は施策に感心がない。
すみません、副支部長、でも私には3月分のほうが大事。
ガックリと肩を落として副支部長は立ち上がる。
「・・・仕方ないわね。今日ペアで追い込みしている人たちに期待するわ」
とぼとぼと席へ戻る副支部長を見送っていたら、隣の席から弓座さんが話しかけてきた。
「尾崎さん好調ですね〜!いい職域開拓したんですか?」
私はまた曖昧な笑みを浮かべた。
「・・・そうなの。運よく貰えたんです」
「そこって男性ばかりの場所ですか?」
弓座さんの口調に粘っこい何か不快なものを感じて振り返る。まだ28歳の彼女は意地悪そうな顔をして私に笑いかけていた。
――――――――おおっと〜?これは、まさか・・・・。
私は慎重に口を開いた。
「・・・不動産屋さんだから、そうね、男性営業が圧倒的に多いわね」
「ふーん」
ニヤニヤと微妙な笑みを口元に浮かべて、弓座さんは言った。
「最近尾崎さん体型も雰囲気も変わったしいきなり成績入れ出したから〜、皆でどうしたんだろって話してたんですう〜。出入り先に恋人でも出来たんですか?その彼の斡旋で同僚さん達が入ってくれてるとか?」
――――――・・・ああ、やっぱり。舌打を堪えてぐっと拳を握り締める。
客の男性に色気で迫ったのではないか、と彼女は言っているのだ。
女性ばかりの営業部だ。特に記念月で多忙な時は、競争も激しくなるし、やっかみや僻み、足の引っ張り合いは多発する。
私は今まで地味で影に紛れ込むようなガリガリの不幸そうな女だった。だから多少成績を上げても面と向かって喧嘩を吹っかけてくる人はいなかったのだけれど、平林さん達と話す場面をよく目撃されて体型が元に戻りだした去年の12月あたりから、他の子達からの視線にトゲを感じることがあったのだ。
朝礼台の後ろのグラフを見る限り、弓座さんは苦戦しているようだ。まだ0.5件しか入っていない。副支部長が私に言っていたことを全部聞いていたに違いない。
「私は恋愛運がないみたいなの。そろそろ2年間、恋人もいないわ」
敢えてニッコリと笑顔を作って返すと、弓座さんは更に意地悪そうな顔をした。
「・・・ふーん。でも平林さんや高田さんに引っ付いていってるんですよね?彼等からお客さん回して貰ってるんですか?」
机で額を打ち付けそうになってしまった。
思わず振り返って彼女の顔をガン見する。・・・・何だと!?平林&高田ペアに、私が何だって!??
「――――――は?」
出た声は驚きの余り掠れていた。私が本当に驚いているらしいと判ったようで、ちょっと弓座さんの瞳が揺らぐ。だけどそのままで続けた。
「去年の暮れくらいから尾崎さんてあの二人とよく話てますよねえ。食堂でも一緒にいたり。尾崎さんが付きまとってるって――――――」
「ないない!ないっす!」
両手を顔の前でバタバタ振る。私から引っ付いて行ったことなんて本当にないもん!
「でも嬉しそうに話してるって皆言ってますよ。成績2月にまわして、旅行施策も一緒に行けばいいんじゃないですか?第2営業部とは合同なんだしぃ〜」
・・・・この子は平林さんか高田さんか、どちらかのファンなわけだな。私はそう思って、あーあ、と小さく聞こえないように呟く。
そうね、じゃあ一緒に旅行いって3人で飲もうかな、とか言えば更に彼女の機嫌は悪化するのだろう。
面倒臭い・・・くそ、だから無駄に愛嬌のある男も美形の男も苦手なんだよ!彼等が悪いわけではないにせよ、それに付随してくる面倒臭いことに巻き込まれるのが嫌なのだ。
私は急いで頭をめぐらせる。ここをうまく偶然として処理するのは難しい。ならばあれを利用しよう――――――――
私は向き直って、唇を尖らせている弓座さんに言った。
「高田さんが私のコンタクトを廊下で踏んでしまったことがあって、それを申し訳ないって謝ってくれたことはあったけど」
だから食堂で話してたんだよ、と頭の中で話をひっつけてくれる事を期待して途中で区切る。
彼女はそうしたようだった。ちょっと表情が和らいだのを観察する。よしよし。
そこで私は今度はこちらから攻撃することにした。言われっぱなしは性にあわないし、彼女は私を陥れようとして間違った言葉の使い方をしたのだ。そこは是非指摘してあげないと、ね。
私は真面目な顔で言う。
「それに、あの二人が人に契約を回すなんてお客様をバカにするようなことをするとは思えないけど。もしかしてそういう噂が出回ってるの?あの二人ってそんな卑怯なことして――――――」
「いいえ!そ、そんな事はないんですけど〜」
急いで否定する弓座さんをまだ真面目な顔で見詰める。心の中では嗤ってやった。まだまだ若いね、お嬢さん。金融会社の営業ばかり9年している女をなめるなよ。
顎に人差し指をあてて首を傾けてみせた。
「でも火のないところに煙はたたないっていうし。弓座さんがそう言ってたって、私から平林さんに――――――」
「尾崎さん!」
今では顔を引きつらせ、血色の悪い顔で弓座さんが懸命に言う。
「ごめんなさい、あたしの勘違いです!すみません、全然そんな噂はないんですけど・・・お、尾崎さんが彼等と仲がいいから・・・」
私は口元を緩ませる。安心させるようににっこりと笑った。
「平林さんと私は同じ年なの。それが判ったから話しやすくはなったけど、追いかけてると思われるのはとても心外だわ。それに私も12月に自分で動いて必死で出入り許可を取った場所からの契約なわけだし、回して貰った契約だとか、変な噂が流れていたら止めてもらえる?」
彼女は引きつったままで笑って頷いた。
「はい!判りました〜」
勝った。
机の下でピースサインをかましてやった。
また雪が降ってキンキンに冷えた2月が終わり、3月に入る。
今回の第1営業部からの旅行施策は10人が入賞で、上司二人も無事に旅行へ参加出来ることになったらしい。
朝礼でお礼を言って頭を下げる支部長と二人の副支部長は笑顔満面だった。
それに拍手をしながら私はホッとため息をつく。
・・・ということは、明日から二日間、上司も不在だし、平林&高田ペアも不在ってことだ。
やったー!
2月戦の最中、結局一度も高田さんとは言葉を交わしてない。
だけれども、あのエレベーターの中での指での愛撫や廊下ですれ違う時に彼と交わす視線、下界で横断歩道の信号待ち、顔を上げたらあちら側に高田さんが居て、目があったときにゆっくりと笑顔になったりとか、そんな小さなことが積み重なって大きくなり、私の頭の中には彼専用の空間が作られた。
じわじわと侵略されていくようだった。
小さな視線や笑顔や温度はそこに仕舞われて、夜に酔っ払ってテレビを見ている時とか、一人の部屋のドアを開けた時、ふと空を見上げた時などにそこから記憶が流れ出てくる。
あの綺麗なアーモンド形の両目で私をじっと見る。
それは最初の頃、居た堪れなさを私にもたらしたけど、今では震えと共に温かさが生まれるのだ。
お腹のところ、じんわりと。ゆっくりと体が熱を持って、私はそれから目が離せない。
彼が、見ている。
私は、震える。
そして何とか背中を向けて逃げる。
溶けてしまうかもしれない、このままだと。そんな風に思って、そのバカさ加減にあとでうんざりするのだ。
溶けるかっつーの。人間だよ私は!
もどかしくて仕方がない。自分が自分でよく判らない、そんな状態の2月を過ごしていたので、彼等の姿が2日間でも見えなくなるというのはいいニュースだ。・・・多分。
結局2月戦が終わって暫くしても、平林さんからは都合ついたよメールは来なかった。
沈黙営業がいかなるものかが知りたかったけど、彼からメールが来ないのはある意味素晴らしい。もうそのまま忘れてしまおうか、そう思ってもいた。
これだけ接触もなく言葉もなかったら、高田さんだってその内私を忘れるだろう。
彼が私のどこを気に入ったのかは知らないが、隣とは言え同じ会社の同じフロアーで仕事する営業同士、噂になったりすると仕事もしにくくなるのは彼も同じに違いない。
前の弓座さんみたいに契約の元を疑われたりすることもある。一生懸命自分で蒔いた種を育てて収穫した契約をそんな風に言われることほど腹が立つことはないのだ。
どうか、彼の気になる女性が外で出来ますように。それを考えると胸のところがちりちりと音をたてて痛むけれど、それは頑固に無視してみせる。私はもう恋愛が出来るとは思えないし、それにもうすぐ・・・。
カレンダーを見詰めた。
そっと息を吐き出す。
・・・もうすぐ、離婚して2年目がくるのだ。
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