3、段々大きくなる


 1月の中旬から、いよいよ2月戦も本格化した。今年に入って最初の数日間はやはり正月ボケしてダラダラだった営業達も、もう腰を上げて動かざるを得ない状況になる。

 保険会社で年に3回ほどある各社同じ記念月で、この2月戦が一番苦戦する。

 なぜなら11月にすでに一度激しい保険契約獲得戦を繰り広げており、一年間の見込み客はこの時に刈り取り済みってことが多い。しかも間に正月を挟むため営業活動時間も少ないし、年末年始の帰省や旅行やお年玉などで、世間の大人たちは金欠状態に陥るのだ。

 心理的に、保険なんかにお金はだせん、というのが一般的な状況なのだ。

 だからアポを取るってだけで本当に大変。

 そこを、誕生日の半年前ですから保険年齢が上がりますよ、とか、金利がいい時なら来月はまた下がると思われます、とか、様々な甘言と真摯な姿勢、真心を武器にして挑むのだ。

 まさしく、汗と涙と笑顔で奔走。

 職域担当で、会社で働く、そう意味では居留守を使ったり逃げたりが出来ない人々相手の営業をしている私達でこんな苦労なら、一般支部で一般家庭担当の営業達の苦労はいかばかりだろうか・・・涙が出てくるわ〜。だって、あっちは居留守だって使えるだろうし、会社員のおおらかなお父さん方よりは家計を握っている奥様方のほうが金銭にシビアに決まってる。

 それでも毎年2月戦はくるし、契約も頂ける人は頂けるのだ。不思議だけど。

 私ですらバタバタと連日走り回っていたから(だって、もう部長に詰められたくないんだもん)、第2営業部に所属するエリート社員の彼等の多忙さと言ったら、ここに極まれリ状態だったはずだ。

 一度エレベーターホールで平林さんの姿を見かけたけれど、ずっと携帯で会話中でシステム手帳は開きっ放しのようだった。

 いつもの愛想のいい笑顔は封印して眉間に皺をよせ、駆けずり回ってるようだったから、勿論声はかけられなかった。

 私はこっそりとその場を離れたのだ。

 平林さんと同じく高田さんも多忙を極めていたらしい。いつ覗いても第2営業部はガラーンとしていて、支部長だけが机について書類に判子を押していた。

 ・・・ううむ、正しい姿だ。うちの第1営業部に昼間っからこれだけの職員が居て、笑い声が響いているのがおかしいのだろう・・・。

 去年の12月に新規で開拓した不動産屋から子供の学資保険とがん保険をラッキーなことに立て続けに頂けた私は、主力商品は皆無ではあったけれども、一応件数は4件に達し、直属の上司を喜ばせた。

 自分の部下から一人でも多く叱責組みから脱出させることを肝に命じているらしい担当の副支部長は、目の下にははっきりとクマが出来ていた。

「良かったわ〜・・・尾崎さんは脱出ね。あとは主力商品を入れないと、お給料にはならないからそれは頑張って欲しいけど」

 盛大なため息をついてそういう副支部長の肩を揉んでやる。

「お疲れ様です。私、最近体調もいいからツキもきたようで」

 そう言うと、それは素晴らしいわ!あやかりたい、と私に抱きついていた。4つ年上の副支部長は、明るい性格だ。

「入社してきた時には倒れないかしらと心配したけど、本当、ふっくらとしてきて元気そうになって嬉しいわ。この調子で今年一年の大繁忙期を期待してるわね」

 ・・・あくまでも、上司は上司なのだな、私は心の中で呟き、へらっと笑ってみせた。


  そんなわけで、2月に入った時には気分的にもの凄く楽で、寒い外に行かずにいかに契約を貰うかの作戦まで練る暇があった。

 この3月には新しい保険が出るので、2月戦をぬって職員には研修が行われる。成績が足りない職員は営業活動時間が削られるので、イライラして出席するハメになる。それにも余裕を持って出席できた私だった。

 よしよし。

 雪は降らないけど底冷えの街をうろつきながら、私はそれなりに機嫌が良かった。


 事務所に戻って来て2月戦の速報を見た時、思わず口笛が出た。

「・・・わお」

 小さく呟く。

 また支社のダントツ一番は平林さんだったけど、内容が凄かった。既に8件、オール主力商品で、S(契約高)が半端ない。

 ・・・何だ、6800万の保険って。金持ちっているところにはいるんだな〜・・・これの保険設計書を是非とも見てみたい。年金もつけて、それが360万×20年とかそんなのかな・・・。それとも終身の部分を厚く500万とか?

 速報を見ながらついアレコレ考える。

 他にも経保(経営者保険)が2件。一体どこから見つけてくるのだ。唖然として、口が開きっ放しの私だった。多分、紹介者が数珠繋ぎで広がっていく好景気スパイラルをずっとやっているのだろうけれど。

 そうじゃなきゃ無理だよね。

 そして2位は丘坐さんて48歳のこれもエリート営業だ。この人はSは小さいけど契約数が半端ない。15件だって!一体いつ契約書の印刷してるのよ。会社のプリンターでしか出来ないそれをしている姿を全然見かけないけど?ひたすら残業してるのかしら。とにかく細かく契約を積み上げて2位だった。そして3位が―――――――――

 ・・・・高田さん。

 私はその名前をじっと見詰める。

 凄い・・・やっぱり営業として、かなり優秀な人なんだな。解約率も見てみたいな〜・・・これで解約ゼロとかだったらマジでぶっとぶ。

 私の思考はふと美形の営業マンへと飛ぶ。

 実は先週一度、エレベーターの中で高田さんと遭遇したのだ。

 いつもは後ろで一つにくくっている髪をロン毛のままにして、エレベーターに飛び込んできた。

 久しぶりに見た彼はいつもの通り静かな表情で、重そうな鞄と紙袋を二つも左手からぶら下げていた。

 どくん、と鼓動が跳ねたのが判った。だけど私はそれを極力無視していた。

 その後にも数人詰め込まれ、やたらと混雑したエレベーターの中、高田さんはいつの間にか私の隣に。

 一度も目も会わなかったし沢山人がいたから、彼は私に気付いてないんだと思っていた。

 混雑したエレベーターの中でわざわざ話しかけたりはしない。だから私からも敢えて挨拶はせず、そのままで黙って立っていたのだ。

 すると、大きな彼の手が、するりと私の手を握った。

 驚いた私はハッと彼を見上げる。

 だけど高田さんは階数ボタンを静かな表情で見上げていて、こちらを見なかった。

 私は他の人に気付かれないように、小さく呼吸をする。

 振りほどけないわけではなかった。強く握られていたのではなかったし、動けないほどの密集状態でもなかった。

 だけど、私はその手を解けなかった。

 寒い外から戻ってきたばかりだとは思えない温かさで、彼の大きな右手は私の左手を握る。

 撫でて皮膚をこすり、指を絡ませてくる。

 私は一人緊張状態で、体は固まっているのに頭の中はぼんやりと夢うつつという、忙しい状態だった。

 あったかーい・・・気持ち、いい・・・。

 ついこちらからも指を絡ませそうになって、そこで18階に着いたエレベーターのチーンという音に意識が戻る。

 彼はするりと離れて先にエレベーターを降りてしまった。

 私は赤面をマフラーで隠して他の人に続いて降りる。

 ちょっと・・・私ったら今、何しようとしたのよ〜・・・。ううう〜と唸りながら廊下を歩いていて、通りかかった支部長にどうしたんだと声を掛けられたのだった。尾崎さん、熱でもあるの?顔赤いよ、って。

 そんなことがあった。

 二人の間に言葉はなくて、でもそのせいで、より強烈な記憶となって私の頭の中に居座っている。

 撫でられた感触も、あの温度も・・・・短いエレベーターの上昇時間の中で、それはくっきりと私に刻み込まれたのだ。


 2月戦速報を机に置き、私はコーヒーを淹れに給湯室へ向かう。

 ヒール音を鳴らして歩いて行くと、廊下の突き当たりにいた平林さんが携帯を仕舞いながら顔を上げたのとバッチリ目があった。

 ―――――――あら、噂をすれば。

「あ、尾崎さん。お疲れ様、何だか凄く久しぶりだね〜」

 ひゅっと愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべて、平林さんが片手を上げる。・・・素晴らしい営業スマイル。

 私は特に笑顔も作らず、歩きながら会釈をした。

「おひさしぶりです。1月は一度も会いませんでしたね」

 私はエレベーターホールで見たんだけどね、という追伸は胸の中のみにした。どうして声かけてくれなかったの、とかいいそうな男だ。そんなこと突っ込まれたらいい訳が面倒臭い。

 彼はあははは〜と笑った。

「いやあ、忙しくてほとんど事務所に居なかったですから。ようやくちょっと時間が空きだして、今日久しぶりに自分の椅子に座りました」

 本当に多忙だな、さすが支社ナンバーワンだ!毎日自分の椅子に長いこと座っている私はそう思って、あ、と声を出した。

「そうだ、2月戦も一位独走中、おめでとうございます」

 パチパチと拍手もしてあげた、無愛想な私にしてはすごいことだ。平林さんはにっこりする。

「ありがとう。今回の記念月も、何とか乗り切れそうだよ。尾崎さんは調子はどうですか?」

「あら、私のことまで。えーっと、11月戦に比べたら大分マシな成績ですけど、平林さんのつま先にもなってませんね、多分」

 彼は面白そうな顔をして近づいてきた私を見下ろす。

「じゃあ今回は広瀬部長の叱責からは逃げられそう?」

「それは大丈夫と思います」

 良かったですね、と笑った。・・・この人、成績不良で詰められた経験とかなさそうだよね・・・少し恨めしい。

 きっと詰められたこともないし、記念月に会社が企画する全部の施策に乗ってるはずだから、ノベルティでも自腹で買ったことなんかなさそうだ。旅行も行き放題、物も貰い放題。

 まあ、それだけの努力をしているはずなんだけれども。でもきっと、元々運も良い人なんだと思う。努力だけではどうしようもないのが人生だ。

 そして、不公平なのが人の一生なのだろう。

 じゃあね、と言いながら行きかけた平林さんに、私はあ!と声を飛ばす。

「はい?」

 振り返った平林さんに急いで言った。このチャンスを逃したら、次にいつこの超多忙の営業マンを捕まえられるか判らない。

「あの、御多忙なのは承知の上で言うんですけど・・・」

「うん?」

「教えて頂きたいことが」

「何ですか?」

 首を傾げた平林さんに近寄って、小声で言う。

「沈黙営業って、なんですか?」

 彼は目を見開いた。そして少し考え込んでいる様子だった。

 ボソッと小声で言う。

「・・・それは、俺が篤志につけた・・・」

「そう、それです。何か知りたかったら平林さんに聞けって・・・」

 真っ直ぐに彼がこちらを見る。口元にはまた楽しそうな笑みを浮かべていた。

「・・・へえ、あいつが」

 何でニヤニヤしてるのだ、この人。別に笑うところじゃないでしょうよ、さっさと教えてくれよ〜。地団駄踏みたい気分だったけど、さすがにそんなことはしなかった。

「それはどういうシチュエーションで?」

 あ、この人完全に楽しんでる。高田さんは平林さんにはコンタクトの一件を話してないのだなと思った。私は忌々しく思いながらも、情報が欲しくて仕方なく話す。

「詳細省きますが、一度高田さんと買い物に出かける必要が生じまして、その時に気になってた営業の仕方を聞いたんです。ほら、あの人無口だし・・・」

「ああ、気になったんですね。重要事項の説明とか本当にしてるのかこいつ、と思ったんでしょう」

 今では完全にからかいモードで平林さんは矢継ぎ早に言葉を放ち出す。

 うおっ!バレたか!私は少し自分の目が泳ぐのに気付いて、動揺を隠すために腹に力を入れる。・・・つまり、皆考えることは一緒ってことだよね。

「・・・で、何ですか?どういう営業方法なんでしょうか」

「気になるの?」

 この男のニヤニヤを止めたい。・・・殴ったら止まるだろうか?私はため息をついた。殴ればにやけは止まるだろうけど、平林さんは行ってしまうに違いない。それはダメだ。

「気になります」

「どうして?興味ないって言ってた高田のことを知りたいってこと?」

 ・・・ムカつく。イライラと私はつま先で床を蹴る。も〜!

 だけど平林さんはむかっ腹立てた私をさも面白そうに観察して、こうのたもうた。

「今日は時間ないから、また今度」

 ―――――――は?

 私はあんぐりと口をあけた。

 いやいや、このおっさん!

「・・・私をからかってる暇があったら教えて下さいよ」

「ダメ。2月戦が終わったら、一緒に飲みに行きましょう。戦争中に簡単に営業方法は漏らせないでしょ」

 くそう・・・。2月戦に利用しようと思ってたの、バレてる・・・。

 ムスッとして膨れた私に平林さんは携帯を取り出す。

「そういうわけだから、尾崎さんの番号教えて下さい」

「え?」

 何だって?私は彼の握る携帯電話を見詰める。

「都合ついたら電話します。メルアドにしようか?メールの方が邪魔じゃない?」

 いや、そうではなくてですね・・・。私は手で額を押さえた。うむむ・・・彼が優秀な営業であるのはここか!と思った。何て上手な揺さぶり方。

 今、私は教えて欲しい情報があって、それはつまり、平林さんの強みなわけだ。弱みを握られている私は彼に個人情報を与える必要がある・・・。

 教えたくない。この喧しいミスター愛嬌の営業には、自分の携帯番号を教えたくない。

 だけどだけど、高田さんの営業秘密は是非とも知りたい。だってもうそんな機会は巡ってこないだろうし。そして本人は教えてくれなかったのだ。指定された男は平林さんだけだし。

 くっそ〜・・・。

 それでも何とかのまれたくない私は、水面すれすれだけれど足掻いてみる。

「・・・・平林さんの都合がついたら、うちの支部に顔出してくださったら・・・・」

「だって殆ど会社に戻ってこないけど?契約はまとめて週末に出してるし」

 えー!何だってー!そんな、契約処理する事務員さん泣かせなことしてるのか、こいつは!

「・・・なら会社のパソコンの社内メールで・・・」

「あ、知らないんですか?あれ見張られてるんだよ。飲みに行きましょうなんて社内メールで送れないでしょうが。きっと尾崎さんに届く前に本社に消されると思うし。・・・というか、尾崎さん俺と噂になってもいいんですか?」

 よくない。

「良くないです」

 はい、と笑って頷いて、平林さんは携帯を振ってみせた。

 ・・・・・・くそう。狸親父め・・・・。

 敗北感をかみ締めながら私は自分のメルアドを教える。意地でも電話番号は教えてやらないぞ。

 あははは〜と笑って、望みのものをアッサリ手にいれた平林さんは手を振ってから第2営業部へと戻っていく。

 私は悔しさに唇をかみ締めながらコーヒーを淹れに給湯室へ向かった。

 ・・・平林め!





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