4、馬と私とその他1名@


 この夜の雪は止むこともなく、翌日の月曜日まで降り続いた。

 でもゆっくりまったりと休んだお陰で元気だった私は、キラキラする冷たい朝に、上機嫌で出勤した。

 軽快にヒール音を鳴らして歩く。

 吐く白い息が光りながら天空に上がって行く。雪がまだ降っていて、空には灰色の雲が広がっていた。

 職場について鞄を開けた所で、携帯の着信に気がついた。マナーモードにしていた電車の中では気付かなかったらしい。

 だけどもう朝礼が始まる。

 やきもきしながら支部長の説教と副支部長のロープレ、本日の朝の一斉アポ取りを済ませる。

 携帯に電話をくれていたのは9月に契約を貰った24歳の男性サラリーマンだ。転職してこの事務所に入った時、定年退職する先輩の職域を引き継いでいて、そこの男性職員に頂けたその職域では最初の契約だった。

 うわあ〜・・・何だろう。怪我?それとも病気?まさかまさか、解約じゃあないよね?

 今月やっと一回目の保険料の引き落としがあったばかりのお客さんから電話・・・。暗い想像しか出来ないじゃないの!気分よく出勤して最初からこれだと凹む〜・・・。

 イライラしつつ、ようやく終わった朝礼の後、私は早速廊下に出て電話をかけなおした。

 コール5回目で、相手が電話を取る。

「お世話になってます、〇〇保険の尾崎です」

『あ、尾崎さん?』

 集中して相手の声を聞き取る。・・・うん、何かしらないけど、解約ではなさそう。申し訳ないような響きは感じ取れなかった。

 ちょっと安心して、電話を持ち直す。

「はい、尾崎です。すみません、朝礼中で出られずに失礼しました。堀口さんどうされました?」

『あのお〜、ちょっと聞きたいんですけど〜』

 野郎が間延びした喋り方すんな!と心の中で突っ込みながらも、顔は何とか笑顔を作る。電話口の向こうであっても笑顔を作れるかどうかで、声のトーンも変わるのが人間だと、長い営業生活の間に学んでいた。

 客は客だ。

「はい?」

 どうしたのだ、一体。そう思って要領の得ない話をじっと聞くと、どうやら日帰り入院したらしいということが判った。

「はい、入院。堀口さん、大丈夫だったんですか?」

 真面目にそう聞くと、電話の向こうでヘラヘラ笑っている気配。

『あ、別に病気とかじゃないんです〜。ちょっとキャバクラで飲みすぎまして、急性アルコール中毒で運ばれちゃったんですよ〜』

「は?」

『調子乗って一気飲みしちゃって・・・』

「一気飲み」

 つい、物凄く冷たい声で復唱してしまった。

『そうなんです〜、それも何回も〜。アハハ。参りましたよ〜。で、夜も遅いからってそのまま泊まりになっちゃって・・・。これって給付金出るんすかねえ?』

 情けなさから眩暈を感じて私は思わず廊下の壁に頭を預ける。

 ・・・おいおい、頼むよ兄さん。しっかりしてくれ。

 キャバクラで飲み過ぎて病院に運び込まれて入院だと〜?

 舌打ちを堪えて、彼のために設計した契約内容を懸命に思い出した。医療の特約にいくらつけていたかは忘れたが、医療はつけていた。それは確かだ。この人、完全な無保険だったから。

「・・・ええと。領収書のところの入院て欄に点数が書いてあれば、出ます」

『領収書?えーとちょっと待って下さい。・・・あ、書いてます〜。じゃあ出るんだ、ラッキー』

 ・・・ラッキーじゃねえよ、バカ男。

 私はため息を押し殺して必要事項を聞く。そして廊下で立ったままでそれをメモし、すぐにでも給付金が欲しいという24歳のお子様の為の手続きをすべく電話を切った。

 ああ、他の善良な契約者様は、バカな若造の飲みすぎの為に保険料払ってんじゃないんだけどねえ・・・。くそ、こんな事例は給付金は出ないように出来ないものか!

 自席に戻ってイライラとパソコンを開く。

 なあーにが入院だよ、自業自得じゃねえかよ!口汚く罵りながら書類を作る。すぐにでも欲しいらしいから、書類は今日届けて判子を貰わねば。

 残念ながら、他に優先すべきアポもなかった。

 今日は雪だし、カレンダー配りで一日を終えようと決めていた私の計画は朝一から見事に狂ってしまった。

 ぶちぶち口の中で文句を言いながら、それでも準備を終える。その時、事務所内が騒がしいのに気付いた。

「うひゃあ〜!!」

「・・・駄目、外回り、今日は諦める」

 他の営業達の声が次々に聞こえる。

 へ?と思って顔を上げると、そこにはいつもの光景はなかった。

 高層ビルの18階のフロアーを占めるうちの保険会社からの窓の眺めが一変していたのだ。

 というか、何も見えなかった。雪で。

 唖然として口が開いた。

 ・・・ふ、吹雪いてるし・・・。

 うそん!ちょっと待ってよ〜!

 半泣きで窓に近寄る。外は灰色の世界に変わっていた。いつもは見える向かいの高層ビルの青く光る窓も、下に広がる高速道路や道やビル群が見えなくなっている。

 猛吹雪じゃん!くっそう!私は本気でうんざりした。

 都会であるここら辺では珍しい大雪。こんな雪が降ると、交通機関は一気にマヒしてしまう。だからこんな日は動かずに、温かい支部にいてコーヒーでも飲みながら来年の計画を立てたり電話でのアポ取りをするほうがいいに決まっている。

 なのに、私はおバカな若者の為にこの吹雪の中を外出〜!?もう本当に勘弁してよ・・・。

 でも約束は約束だ。

 しかも約束した堀口さんはお正月に友達といく旅行のお小遣いに、給付金をあてにしているらしい。ブチのめしたいけどまさかそんな事出来ないし、お客様の為ならエンヤコーラー!との心意気で行かねば、我が会社のうたい文句を裏切ることにもなる。

 泣く泣く私はコートを着込んだ。

 事務所を出るまでに同情に満ちた「行ってらっしゃい」を何度も聞いて、エレベーターホールへ出る。

 いつもより営業鞄が重く感じるのは気のせいではないんだろう。・・・・だって、行きたくないんだもん。あーあ。

 行く前からぐったりしながらエレベーターに乗ると、あ〜そのエレベーター待って待って!と賑やかな声が聞こえてぎょっとする。

 この声は・・・平林!?

 条件反射で思わず私はエレベーターの「閉」のボタンを連打する。閉まれ閉まれ閉まれ〜!!!だけど残念ながら少し遅くて、ヤツの長い手が閉じかけたエレベーターのドアをガシっと掴んだ後だった。

 私はボタンから手を離して後ずさる。

 ・・・うぎゃあ(泣)これは・・・もしかして・・・。


 嫌な予感というのは概ね当たるものである。それに、平林さんの横にはなぜかいつでも高田さんがいるのは判っていた。

 そして予想を裏切ることなく、無理やり開けられたエレベーターのドアの向こうには、平林&高田のペアが立っていた。

 ―――――――マジ、勘弁・・・。


「あ、尾崎さんお疲れ様〜」

 いつもの愛想の良い笑顔でニコニコと平林さんが乗り込んでくる。その後ろからは当然のように高田さんも。二人とも鞄は持っておらず、スーツにコートだけを羽織っている。

 大きなエレベーターの、出来るだけ隅っこに寄って、私は小声で仕方なく返す。

「・・・お疲れ様です。平林さん、高田さん・・・」

 いつもは色んな人の乗り込むエレベーター、何故今日に限って私だけなのよ〜。

 大きな男二人が乗り込んでから無情にも扉は閉まり、エレベーターは下に降り出す。

 また当然のように、平林さんが笑顔で口を開いた。

「凄い雪ですね、今からアポ?」

 ああ・・・。私は心の中でシクシクと泣きながら、表面上はひくついた顔で答えた。

「はい。お客さんの給付金手続きです・・・」

「おお、それは大変だ。どこまで?」

「ええと・・・職域まで」

 平林さんが同情の色を浮かべた目で私を覗き込んだ。

「この雪の中?さっき戻ってきたやつが言ってたけど、凄い寒いらしいよ。雪で前も見えなかったって」

「・・・はい、気をつけます」

「バスや電車も止まるかもよ。遠いの?」

「あの・・・どうにか行けると思いますので」

 もういいから会話も終了してくれ。私は必死で祈りながらそう答える。すると平林さんはうーん、と片手を口元に当てて唸った。

「これは放っとけないなあ〜」

 私はチラリと平林さんを見上げた。するとその隣で、高田さんも同じように相棒を見ていた。

 ・・え、ちょっと待ってよ。まさか。

 背中を悪寒が駆け上った。

 一人で考え事をしていたミスター愛嬌が、うん、と頷く。

 そして笑顔で私を振り返り、軽やかにこう言った。

「俺たち尾崎さんを送りますよ」

 ・・・・・・・のおおおおおおおおおおお〜う!!!!

 いきなり手のひらにまで汗をかいて、私は必死で首を振る。

「いえいえいえ!結構ですから!」

「遠慮はなしですよ。この雪じゃあ仕事にならねえって、クロージングのアポもないし、今から飲みにいくつもりだったんです、俺達。だから暇。車で送りますよ、雪も酷いし」

 平林さんが機嫌よくまるで歌うようにそう言うのと、高田さんが腕を伸ばして駐車場のあるB2のボタンを押したのがほぼ同時だった。

 ナイスコンビネーション!これが阿吽の呼吸ってやつか!などと呆然と考える私を、エレベーターはいとも簡単に連れ去る。

「本当に結構ですから!電車で、確実に、行きたいんです!どうぞお二人は飲みにでも遊びにでも行って――――――」

 私の必死の叫びは平林さんの軽やかな笑い声で遮られる。そして1階について開いた扉は、高田さんの指であっさりと閉じられてしまった。

 うぎゃああああ〜・・・。閉じるエレベーターのドアを切なく見詰める私。

「さあさあ、尾崎さん、急がないとお客さんを待たせますよ。あ、重そうですね、俺持ちます」

「いいいいいいえ!大丈夫ですから!」

「まあそう言わずに」

「大丈夫ですからあああ〜!!」

 あっという間に私から鞄を奪い取って、うちの会社が誇るスーパー営業はさっさか進んで行く。

 ・・・鞄を人質に取られた〜・・・。私はがっくりと肩を落としてとぼとぼと彼等の後について行った。

 あの鞄の中には提出しなきゃならない書類の束。そして個人情報の塊。今更やつから奪取できるとは思えない・・・。

「どうぞ」

 運転席に高田さん、助手席に平林さんが座った黒いセダンの後ろ座席に、仕方なくコートを押さえて乗り込んだ。

 もう喋る気力も残ってない。だからすみませんもありがとうございますも言ってやらない。

「会社どこでしたっけ?」

 高田さんが出口に車を動かし、助手席の平林さんはカーナビを操作することになっているらしい。私はぐったりと座席に持たれながら、出入りしている会社のビル名を彼に伝えた。

「よし、出発〜!」

 陽気な平林さんと沈黙の高田さんと疲れきった私を乗せて、車は吹雪きの都会の中へ出て行く。

 もう勝手にして。私は喋らないからね!そんな心境だった。

 音楽もかけない車内で、陽気な平林さんは一人、お客さんの面白い話や上司の話を誰ともなく話している。都会には珍しい吹雪の中、平然とステアリングを握る高田さんは時々頷くのみでその相手をしていた。

 ・・・いつでもこんなんなのだろうなあ〜・・・。

 後ろの席で沈み込みながら、ぼーっと私は考える。楽しそうに喋る平林、黙って聞き、時々頷く高田。

 ミスター陽気に何を聞かれても、小声であーとかうーとか言っていたら、漸く彼も私に話しかけるのを諦めてくれたようだった。

 やれやれ。疲れて私はため息をついた。

 もう送ってくれるってだけの事実を有難く受け入れよう。そして今日の出来事は忘れることにしよう。このことが万が一にでも第1営業部の皆に知られたら大変――――――

 一人でそう思っていた私の耳に、話し続ける平林さんの声が入ってくる。

 本当によく喋るね、この人・・・。

 バックミュージックよろしく窓の外を眺めながらそれを聞いていた。






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