3、少しずつだけど、変化を体感@




 翌日、ちゃんと中村さんにマニキュアを返せたときは心底ホッとした。

 あー良かった、高田さんから返すことにならなくて。

「助かりました、ありがとう」

 第1営業部での朝礼が終わったあと、中村さんの机まで行きそう言うと、彼女はにっこりと笑ってくれる。

「良かったですー。ちょっと固まってたかもって後で焦りました。大丈夫でしたか?」

「はい、大丈夫よ」

 ・・・だったと、思うよ。心の中で付け足す。

 だって塗り始めてすぐにヤツが邪魔したから、実際のところほとんど使ってないのだ。

「机にも一個入れてるので、また伝線したら言って下さいね〜」

 ニコニコと中村さんが言うのをぼーっと見詰めてしまった。

 かーわいーい。うーん、キラキラだわ、本当。

 もう一度お礼を言うと、自席に戻って今朝の営業準備をする。

 職域のチラシ・・・あ、今日こそはあの人からアンケート貰いたい。それに、あそこの会社、どうかな。でも飛び込むのにはちょっと大きくてビビる・・・副支部長一緒に行ってくれないかな。

 ご飯を食べるようになったことで、体力もつき、営業活動にも意欲が出てきていた。

 去年は辛かった真冬の営業活動も、今年はそんなに嫌じゃあない。まあそれは11月戦での上司の締め上げが恐ろしかったというのもあるんだけど。あれはもう経験したくないな。

 完全に停滞していた私の毎日は、なんとなくだけど確実に動き始めていたのだ。あの二人の男によって。

 ・・・ま、若干困ってるんだけど。

 朝飲んだコーヒーのカップを片付けるために給湯室へ向かいながら、私はうんざりとしてため息を零す。

 平林さんは高田さんを私にたきつけて喜んでいるように思える。高田さんもそれを無視せずにのって私をからかっている。・・・信じられない。高田さんて、そんなノリのいい男には見えないけど。むしろ無口で無愛想とくれば、普通はのらないんじゃないかと思うけど。

 うーん、良かった、営業部が隣とはいえ別々で。

 彼等の行動が理解出来ないので、ため息の日々なのだ。もう放っといてくれないかな〜。

 私はそんなに男性経験が豊富ではないし、イケメンに対する免疫はほぼゼロと言っていい。あんまり近寄られると挙動不審になること間違いなしだ。

 それに、目立つ。

 やだやだ、それは勘弁。

 一人でバカみたいに頭を振ってハッとした。

 ・・・もしかして!

 挙動不審で赤くなって逃げる私だから楽しいのだろうか。

「・・・え、そうなの?」

 思わず立ち止まって呟いてしまった。

 だって、彼等は男性営業部で仕事をしてはいるけれど、外に出たら会社の女子社員や事務員や他の会社の女性なんかによく話しかけられている。高田さんは無愛想にスルーしたりしているけど、平林さんはあの性格なので誰とでも楽しそうに話し、彼女達を散々笑わせてから立ち去る。

 完璧な化粧に素敵なスーツ姿の若い女性達が、超可愛いキメ笑顔で彼等を取り巻いている。

 彼等がいると周りの女性の嬌声で場所が判ったりするくらいだ。

 ・・・そのことに、彼らが多少飽きていたとして・・。

 逃げる女が珍しいってことか!?

 ガーン!!頭の中で盛大に鐘を鳴らして、私は給湯室の壁に額をぶつける。

 うっそ、だって、そんな、逃げるしか手がないじゃん・・・。他にどうしろと言うのだろう。私は地味でいいんです。自分の食い扶持を確保したいだけなんです〜。

「・・・ジーザス・・・」

 誰もいない給湯室でまた呟きが漏れた。

 目立ちたくない私は彼等からは逃げると決めたのだ。からかわれるのはもうたくさんだ。

 まだ男にかまけている暇なんてない。折角仕事に精を出し始めたのだから、ここで頑張って成績の取れる営業になり、それを軌道にのせて、生活にも身体的にももっと余裕を出したいのだ。

 そして、あの暗くて小さな部屋を出て、日当たりも風通しもよい部屋に引越しもしたい。

 離婚の辛さは2年は持続するってどこかで読んだことがある。でももう私は暗さには十分浸ったはずだし、そろそろその過去からも離れて太陽の光を浴びたいのだ。

 夫だった彼とは全然会ってないし、私には私の道がまだあるはず――――――――



「いってきまーす」

 上司に声をかけて営業鞄を持ち、マフラーとコートで装備して事務所を出る。

 エレベーターホールで奴らに会わないかとドキドキしたけど、多忙の営業である彼等はすでに出かけた後のようだった。よしよし。

 あ、そうだ。

 閃いて、私は職域の前に駅前の不動産へ向かう。

 どうせ部屋探しをするなら――――――――営業に、利用しましょ。

 寒さでかじかんだ指をさすって、ついでに頬の筋肉もムニムニと触りまくって柔らかくする。営業スマイルが強張っていたら台無しだ。

 何せ、今から突入するのはあちらもプロの営業マンで接客業。笑顔で負けてたら話にすらならないはず。

 ドアの前でコートもマフラーも脱いで腕に持ち、名刺入れを手に持ってドアを押した。

 カランと鈴がなり、不動産屋の男性営業が数名椅子から立ち上がる。

「いらっしゃいませー」

 元気がいいな。店の中を見回すとちょうどお客さんもいないようだった。

 私はにっこりと営業スマイルを顔中に浮かべながら、口上を述べた。

「こんにちは!お邪魔いたします」


 予測した時間通りに不動産屋を出て、職域に向かった。

 ホクホクしていた。狙いが当たったからだ。

 不動産屋への飛び込みをしてみた結果、店長さんに出入りの許可を貰える事になった。自分の顧客で部屋探しをしている方がいらっしゃったら優先的に紹介するという条件つきで。

 そんなことならいくらでも出来る。実際独身のサラリーマンは、若ければ若いほど部屋を探している人も多いのだ。

 毎日会う生命保険の営業が紹介するのは近道となるし、自分の保険の担当者ならまだ信頼もあるものだ。

 実際に部屋を契約するかは物件にも客にもよるのだし、そこは強制できない。だけれども手数料が半額になったりのメリットがあるのなら、彼等の契約のチャンスは増えるはずだ。

 そして、お客さんを不動産屋に紹介すればするほど、自動的に私の仕事のチャンスも増える。

「よしよし、私、冴えてる!」

 自分でそう褒めて、気分よくいつもの職域に入って行った。

 出入りの場所が増えただけでも営業としては万歳なのだ。これで今年の仕事を終われるのなら、大変宜しい。

 機嫌の良かった私は運も自分で引き寄せたらしい。アンケートも貰えたし、見直しを一件承って更にアポも取れた。素晴らしー。今日は上出来じゃない?

「お、尾崎さんちょっと変わったね。いいことがあったの?」

 馴染みになっているサラリーマンが歩きながら声をかけていく。私は笑って答えた。

「ダイエット諦めましたー」

 あはははと笑って通り過ぎながら、その男性は言った。

「その方がいいよ、健康的で。ご飯はちゃんと食べないとー」

 はーい、と叫んで手を振ると、向こうも手を振ってくれた。ダイエットなんかしていないが、病気だったんです、とか、病んでたんですなどと答えるよりはマシだろうと思ったけど当たったみたい。

 同じようなことが二つ目の職域でもあった。そこでは女性に、元気そうですね、と言われた。そして話をしたついでにとアンケートをお願いしてみたら、アッサリ書いてくれて驚いた。

 何となく皆の目が優しい気がした。

 やっぱり、そうなのね。私はしみじみと思う。

 痩せてギスギスしている女は印象が悪いんだなって。やっぱり多少太っているほうが、愛嬌も出るし可愛くうつるものだ。

 別に可愛くなくても構わないが、好印象は営業にとって大切なものだものね。営業活動の為に整形する人だっているくらいなのだ。

 そう考えたら笑顔も堅く顔色も悪かったこの1年半、よく契約貰えてたな、私。うーん、ちょうどタイミングが良かったって事例が重なったのだろうな。

 でももう証券会社時代にお世話になっていて、転職を伝えたら保険を変えるわと言って下さった有難いお客様は全部刈り取ってしまったのだった。今、自分の状態に気付けてよかった。食べれるようになってよかった。

 いい方向だ、そう思った。



「尾崎さん、いい感じじゃなーい!」

 私より4つ年上の嵯更副支部長に褒めて貰えた。

 先日思いついて飛び込んで出入りの許可を取った不動産屋で、そこで働く新人君の保険の契約を貰えたからだ。

 お客様がいていない時間帯を狙って不動産屋でもチラシを配ったりアンケートをお願いしたりしていた。勿論店頭だから、不動産のお客様が来た時点で私は撤退となる。

 だけども閑散期の今、不動産屋の営業達は暇を持て余していた。

 わお、ラッキー。

 やっぱり営業同士だけあって、お互いの利益も考慮して露骨に嫌がられたりはしないのだ。皆笑顔でアンケートを書いてくれる。

 すると一番端に座っていた新人君に、先輩だろう男性営業が声をかけたのだ。

「新垣、お前まだ無保険じゃなかったっけ?」

 その言い方で、スケープゴートだとはわかった。

 つまり、こいつの保険をこの保険屋に与えておけば一人や二人は必ず客を紹介してくれるだろうって目論見があるのが。

 だけど本当に無保険なら彼の為によくないし、私は口を挟まずにことの成り行きを見守る。

 そして、結局最後は先輩命令みたいになったけど、彼にぴったりの保険を設計して持っていくとその場で契約を貰える僥倖に浴したのだ。

 彼の言う保険料では難しかった。だけれども、貯金も何もなく、実家も母親がいるだけで迷惑はかけられないと言う彼には、なんちゃって保険は必要ない。

 もう保険に入れなくなってもこれさえあれば!という内容を、支部長を捕まえて相談に乗ってもらった上で作ったのだ。今の支部長は設計が上手いことで有名な男性で、知らなかった抜け道や特約の使い方も教えてくれて大変勉強になった。

 同行しようか?と言われたけど、それは丁寧にお断りをする。あっちの店にお客様がいない間を狙っていくので時間が指定出来ませんからと理由を説明して。

 忙しい上司にそこまでお願い出来ない。

 新社会人の初めての契約ということで、やっぱり説明にも力が入った。保険料は少しばかり上がったけれど、どうしてもつけたい特約に関しては詳細に説明した。

 どうかな〜お金的に無理かもね、とちょっと思っていたのだけれど、納得して貰えて即契約となり、円満に終了。





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