2、早期解約。@



 しばらくぼーっとしていた。

 お客様に電話をしてとにかく話を聞かなければならないことは判っている。一体どうしたのか、他社の攻略であれば防止せねばならないし、病気が見つかったとかなら余計に保険の必要さを説かねばならない。

 だけどもあたしは動けなかった。

 ずっと追いかけて信頼を勝ち取り、2年越しのアプローチでこの7月戦にようやくもらえた記念すべき一件が、3回引き落としのみで手の平から零れ落ちようとしている。

 どうしたんですか、と聞く勇気があたしにあるだろうか。

 空っぽの支部長席を見る。

 ・・・・今こそアドバイスが欲しい。というか、一緒に解約防止に行ってほしい。

 あたしの成績は危機に陥り、頂いた給料は没収される。努力もかけた時間も水の泡。お客様に裏切られたような気持ちになって凹んで沈んでいくだけ。

 解約は仕方ない。人には都合が色々ある。だけども、早期の解約はわけがわからない。あたしにどんな不備があっただろうか・・・。

 支部の成績からも差し引かれ、お願い契約ではないかと噂される。あたしは顧客を一人失い、これからも気まずくなるのだろう。

 足を引っ張り合いの営業の世界で、これほど人を喜ばすネタはねえよな・・・と机に突っ伏した。

 悲しんでくれるのは、一緒に追いかけてくれたFPとこの支部の皆さんだけだろう。

「・・・・きっつい・・・」

 12月の中旬で、今年はもう数えるほどなのに。

 そんな一年の終わりに、あたしは世にも暗い現実と戦う羽目に。今年は何だ?大殺界かなんかだったのだろうか・・・。

 20分はたっぷりと一人で沼に沈んで、あたしはのろのろと起き上がった。いきなり真っ暗なオーラをまといだしたあたしを他の営業は遠巻きに眺めている。

 昼過ぎの2時で、ほとんどの人は事務所を出ていたから人数は少なかったけど、あたしが前に置いている緑の紙は見えていたはずだ。

 ――――――直接行ったほうが早い。

 あたしは覚悟を決め、事務員さんに解約届けの作成を頼む。そして携帯でFPの渡辺課長に電話を入れた。

 気軽に電話に出た課長はあたしの話にしばし絶句。それから「会議抜け出して飛んでいくわ」と言ってくれて、本当にすぐに駆けつけてきた。

 頼りになる〜!必要な時に居ないどっかの誰かとは大違いだわ!と後ろの支部長席を睨みつける。

「早かったですねえ・・・本当に飛んできたのかと思った」

 あたしの呟きに、恰幅のいい体をゆすって笑った渡辺課長が言った。

「信号、ひとつも引っかからなくて、道もすきまくり。今日はついてるかもだぞ。解約も防止出来るかもしれない。電話はしたのか?」

 あたしは頷いた。鞄を持って説明しながら駐車場まで歩く。

「すぐ行きますと伝えてあります。今日は社長もいらっしゃるそうですよ。何回も謝るんですが、理由が電話では聞けなくて・・・」

 課長のミニバンに乗り込み、出発した。


 どうか今日はついているらしい渡辺FPの運にあたしものれますように。お願い神様。やる気を根こそぎ取るようなことしないで。

 確かに道はすいていた。理由がわからないから対策も練れず、車の中では会話も弾まなかった。

 神様には祈った。

 そして、渡辺FPも全力で頑張ってくれた。

 だけど、やっぱり解約は防止出来なかった。

 なぜなら、明日でこの会社は、事実上倒産するらしい。

 乗り切れると思ったが、甘くなかった。君には本当に迷惑をかけて申し訳ない、と年配の社長に何度も謝られたけどあたしは何とも言えなかった。

 保険どころの騒ぎじゃない。

 これからこの人は、従業員のことや後始末について考えなければならないことが山積みなんだと判ったから。

 従業員の福利厚生の為にと決めてくれた経保だった。若輩の女性営業なんかとバカにせずにいつでもキチンと話を聞いてくれ、愛ある突っ込みや疑問などを真剣に投げかけてくれた社長だった。

 自分の零れ落ちた成績より、それよりもこの人に笑っていて欲しかったな、とぼんやり思っただけだった。

「力及ばず、申し訳ない」

 本当にすまなそうな顔でFPが言うから、あたしは慌てて頭を下げた。

「いえ、お忙しいのに飛んできてくださってありがとうございます」

 成績がなくなるのはFPだって一緒だ。彼も、これから支社長の面談が待っているのだろう。どうして防げなかったのだ、倒産の危険を嗅ぎ取ることが出来なかったのはどういうことだ、と詰められるんだろう。

 一営業であるあたしにはそんな叱責はない。ただ単に、当分施策にはのれないし、頂いた給料の返金とがた落ちになる自分の年間成績だけだ。

 支社の前で渡辺FPと別れる。あたしは電車に揺られながら、一体どんな顔をするだろうか、と解約をまだ知らせてない稲葉支部長の事を考えていた。

 夕方の5時40分すぎ、やっと支部まで帰ってきた。

 すでに夜が来ていて、主婦の営業職員はほとんどが帰宅済みなはずだ。

 いつも残っているベテラン3名と、あたしと上司二人だけだろう。事務員さんももう居ないから、解約の手続きは明日朝一番でして貰わなきゃ・・・。


 駅からゆっくりと歩き出すと、冷たい欠片があたしの頬を掠めた。

 上を見上げると、明るい照明の下を舞うのは雪だった。小さな白い欠片がハラハラと落ちてきている。

 今年の初雪だ・・・・。冷えていく体を無視して、しばらくその場で雪を降らせる雲を探す。

 だけどもう真っ暗で、空は見えなかった。

 髪にも睫毛にもトレンチコートにも雪が降りかかる。気温はそんなに低くないから、積もったりはしないだろう。ただ道をぐちゃぐちゃにさせて、明日の通勤客をうんざりさせるだけ。

 やっと歩き出して、徒歩2分の支部を見上げる。

 珍しく2階にも電気がついていた。あたし以外にも電話などで2階を使用する人はいるから、まだ今日は営業もそれなりに残っているのかも、と思った。

 職員の出入り口で深呼吸をする。

 さあ、上司にこの辛い事実を告げなければ。

 あたしはドアを開けた。

 予想に反して支部に残っていたのは宮田副支部長と手塚さんだけだった。

「あら、お帰りなさい、玉ちゃん。白い顔して大丈夫?」

 手塚さんが優しく微笑むのに、あたしも何とか笑顔を作った。

「・・・雪、降ってきましたよ」

「え?」

 二人が反応して、窓際に駆け寄った。そしてうわあ〜!本当だ!と喜んでいる。

 その二人の背中を見ながらあたしは自席に戻り、鞄を置くと同時にいきなり言った。はっきりと、声を大きくして。

「――――――7月戦で頂いた木下産業の経保、解約になりました」

 窓際の二人が同時に振り返った。




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