A
「・・・ダメ。見てたらヤバイ。テーブルの支度しよ」
そして背中をむけて、新聞紙が積まれた机の上を片付けだした。あたしは笑ってしまった。
宅配は本当に来るのが早かった。
稲葉さんの一人暮らしの小さなテーブルに並べられる中華料理を、一緒に食べる。
「・・・酢豚ひっさしぶり。めちゃ美味しいですねえ〜」
あたしがどんどん箸をのばすのを嬉しそうに見ていた。
「よしよし、どんどん食え」
はあー・・・あたし、お腹空いてたんだなあ〜。悲しんでたはずなのに、ちょっと自分が薄情に感じてしまう。
だけど、ちょっと食べすぎ?さっきから、稲葉さんはご飯はあまり食べずにビールを飲んでいる。
「食べないんですか?お腹すいてませんか?」
あたしが聞くと、軽く笑う。
「支社長と遅い昼ご飯食べたから」
―――――――ふうん・・・?箸をとめてしばらく考える。・・・今日は稲葉さん、あたしの欠席の為に支社に行ったんだよねえ。営業部長と話するんだと思ってたけど・・・支社長!?
「え!?あたしの研修欠席で怒られたんですか?」
テーブルに身を乗り出して聞くあたしに、大丈夫、と手を振る。
「支社のスタッフじゃ話にならないと思って、どうせ行くなら上と話そうと思っただけ。そしたらご飯に連れて行かれたんだ」
それで?それで??
あたしはハラハラしながら続きを待つ。稲葉さんはグラスを置いて、にっこりと笑った。あたしと言い合いをして打ち負かした後と同じ、無敵!って笑顔だった。
「経費、ちゃんと貰ったよ」
「嘘っ!?」
おおおお〜!凄いぞそれは!あたしは驚いてお箸を落としかける。
食べろよ、と前で促して、彼は話す。
「お客様第一って社訓にもうたってるのに、客の永眠を見届けたい営業が研修に参加出来ないからとペナルティーがつけられるのは間違ってませんか、って、そのまま言ったんだ」
―――――――・・・支社長に?あたしは若干呆れた。・・・すごい度胸だ。
「それで?」
「そしたら俺の話を詳しく聞き、支社のスタッフに今日の研修の趣旨を聞き、神野に関しては別の日に補講をしてくれることになった」
「・・・」
「だから、当支部の予算は安泰。良かった良かった」
前でそう言って笑い、見たこともないラフな格好で稲葉さんはビールを煽る。
あたしはそれを見詰めていて、ざわざわする胸の中に広がりつつある温かいものの存在を感じていた。
・・・掛け合ってくれたんだ・・・。自分がコンタクトを取れる、一番上の人の所まで乗り込んで。
営業部長のお気に入りではあるが、やはり支社長に直談判は大変だっただろう。今のここの支社長は仕事の約束に関しては厳しい人だから、下手したら移籍覚悟だ。
担当営業としては、出すぎたことをしたあたしの為に。顧客が亡くなるという、言ってみれば生保会社には日常茶飯事な出来事に、いちいち予定を変えてたら会社は動かない。なのにそれを敢えて言葉に出してくれたんだ。
「ありがとう、ございます」
あたしは食べるのを止めて、頭を下げた。
稲葉さんはテーブルの上を片付けだしながら小さく呟いた。
「・・・あんな顔見ちゃあな」
テキパキと片付ける。あれ?でもあたし、まだ食べてる途中だったんだ―――――と思って、あのー、と声を出す。
「稲葉さーん、あたし、まだ食べてます」
小さな台所のシンクにお皿を重ねておいて、稲葉さんはくるりと振り返った。
「もういいだろ?続きはあとにしてくれ。俺、待てない」
そしてやたらと早く目の前に戻ってきたかと思うと、そのままの勢いであたしの首筋に口付けた。
「・・・っひゃっ・・・!」
あたしはバランスを崩して後ろに倒れこむ。
反射的に体を捻ると髪に巻いていたタオルが解けて落ちる。髪の毛が広がり、稲葉さんと同じシャンプーの匂いが当たり一面にパッと広がった。
「――――――ふむ、色っぽいな。これ気に入った」
言いながら彼は自分のシャツを着たままのあたしの色んなところにキスをしていく。
勿論、唇にも。
彼は笑う。酢豚の味がするって。やっぱり美味いな、あの店、って。
「・・・」
もうあたしからは言葉は出ない。
ホテルでなく、彼の部屋で抱かれるのは初めてで、それが興奮の材料にもなっていた。
稲葉さんは口では意地悪なことを言いながら、手や舌や動きはとても優しかった。
あたしはただ彼の海で揺れる。
「・・・弱音だって、俺が聞くから・・・」
抱きしめながら耳元でそう言われて涙を零した。
山下さん、あたし大丈夫だよ。
だってね、素敵な人が一緒にいてくれるの。この人は上司で、営業職の仕事も判ってる。賢くて優しいの。あたしをからかって遊ぶけど、柔らかい笑顔もくれるんだ。だからまた、もうちょっとお仕事頑張るね。これからも、あたしはこの仕事で――――――・・・
あたしは、快楽に手をのばす。そして意識を手放した。
何度か抱かれ、そのまま眠ってしまったようだった。
カーテンを閉めてなかったので朝日が直接あたしの瞼をさして、その眩しさに目が覚める。
隣へ顔を向けると、無防備な顔で稲葉さんが眠っていた。
あたしはその寝顔をじいーっと見詰めた。
・・・・ううーん・・・やっぱ、美形。素敵な寝顔〜・・・。
お泊りデートはしたことがないから、この人の寝顔も初めて見るんだなあ、そういえば!
ちょっと感動して、あたしはここぞとばかりにじっくりと眺める。
サラサラの黒い髪が朝日を浴びて光る。
上がり気味の眉に二重の垂れ目。通った鼻筋に綺麗なピンクの唇。そういえば稲葉さんて兄弟姉妹いるんだろうか・・・。もし妹さんやお姉さんがいたら写真見せて欲しい。べっぴんだろうなあ〜!
「・・・羨ましい」
つい、声が出た。
「・・・何が?」
ゆっくりと、稲葉さんの目が開く。
あ、しまった。起こしてしまった。しかもどうでもいいことまで聞かれてしまったぞっと。
「いえ、何でもありません」
「言って」
ゴロンとこっちを向いて転がり、稲葉さんが言う。まだ寝ぼけた顔をしていた。
朝でも追及するところはするんだ。あたしは苦笑する。
「・・・綺麗なお顔だなあ〜って。羨ましいです」
稲葉さんは、何だ、と小さく笑って、手で顔をこすった。
「やるよ、欲しけりゃ」
――――――――いや、貰えないでしょ。何言ってんの、この人。思わず冷静に心の中で突っ込む。
「・・・いいじゃないか。お前は愛嬌があるし、性格も明るい。それで人望があるんだろう?」
へそ曲がりなあたしは敢えて裏を読んでしまった。
「・・・どうせブサイクですよ」
ぶーたれる。愛嬌と性格でその外見をカバー!って言いたいんだな!
隣から、何でそうなるんだって呆れた声がした。
大きな手が伸びてきてあたしの後頭部に回される。そして引き寄せられ、じっくりと、柔らかくて甘いキスをくれた。
唇を少しだけ離して間近で見詰める。そのまま言った。
「・・・その正直な目が好きだ。小さな口も、可愛い。膨れっ面も。どこもかしこも柔らかい体も。胸も、太ももも、それから―――――――」
あたしは慌てて遮る。
「も、もういいですから!判りましたから!」
恥かしーっ!!褒め殺しかよ、今度は。何であれ、この人には敵わない。
真っ赤になったあたしを抱きしめて、彼は笑う。
それから起き上がって、あ、そうだ、と言った。
「あるぞ、あれ」
「あれ?」
いきなり何だ?あたしは目を瞬く。・・・あれって、ナンだ?
稲葉さんはベッドから降りて、頭からロンTを被って着た。それから部屋を横切って、冷蔵庫のところまで行く。
あたしに向かって手のひらで、おいでおいでをした。
「何ですか?」
あたしはまた昨日借りた彼のシャツを裸に羽織って、冷蔵庫の前の彼のところまで四つんばいで進む。
近づくあたしを見てにっこりと格好よく笑って、稲葉さんが冷蔵庫を開けた。あたしは横から覗き込む。
独身者用の小さな冷蔵庫には、数本のビールと少量の卵や牛乳。そして真ん中に、大量のキウィが入った籠が鎮座していた。
あたしは目を見開く。
「―――――――――・・・大量、ですね」
そのコメントに、隣で彼はぽりぽりと頬を掻く。
「あまり毎日同じ光景ばかり見るから、体にいいのかなあと思って・・・」
同じ光景。
朝礼が終わるとキウィを食べだすあたし。そのままで事務作業をしている毎朝。それは確かに、うちの支部の通常の光景になっている。
「食べてたんですか?」
毎朝、自分の部屋で?
「そう」
あたしは彼を見詰めた。
寝起きの乱れた髪のままで、稲葉さんはキョトンとあたしを見ている。
―――――――――この、やたらと美形の仕事には厳しい鬼支部長が、毎朝キウィを食べている?
朝日が満ちるこの部屋で、ラフな状態の稲葉さんがスプーンを片手に座る。手には半分に切ったキウィ。
その姿をリアルに想像した。
・・・・超可愛い。
あたしは噴出した。
「あはははは〜!」
お腹を抱えて転がって笑う。か・・・可愛い!!可愛いぞ、その光景は!写真に撮って支部の壁に貼り付けておきたいくらいだ。きっと皆頬を緩ませて、笑顔で営業活動をしに外へ行くことだろう。
ラブリー!!
「何笑ってるんだ?」
怪訝な顔で稲葉さんは床に転がって笑うあたしを見下ろす。
あたしは笑いを止められず、涙が出るまで一人で楽しんでいた。だってだって、鬼支部長が一人でキウィ〜!!
おーい、と彼が呼ぶ。
やっと何とか笑いを止めつつあるあたしは、そのままで床から稲葉さんを見上げた。
「似合うなあ〜と思いまして」
ヤツはにっこりと、あの甘え顔で笑った。
「そうだろ?俺、可愛いものが似合う男なんだ」
・・・自分で言うか。あたしは突っ込む。まあ、確かに似合うんだけど。
あたしに手をのばして起こしながら、彼が聞く。
「食べるだろ?」
あたしもにっこりと笑う。
「勿論頂きます!」
春のある土曜日の朝、その柔らかい光りに包まれながら、あたしは稲葉さんが渡してくれた半分のキウィを持って床に座った。
今日もこうして栄養と元気をゲットだ!
瑞々しい緑色の果肉をスプーンで掬い取って、口に含んだ。
そして笑った。
恋人の、隣で。
「キウィの朝オレンジの夜」終わり。
[ 34/35 ]
←|→
[目次へ]
[しおりを挟む]