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 一応、突っ込んでおこうと思って恐る恐る隣を見ながら言ってみた。

 すると垂れ目の瞳を見開いて、あたしを凝視している彼と目があった。

「え?」

「え、って・・・え?」

 体ごとこちらに向き、稲葉さんは呟く。

「いやだって、お前は俺が好きだろ?そんなこと去年から判ってたけど」

 何だとう!??

「・・・は?」

 あたしは口が開けっ放しになる。・・・何で、判ってたの?だってあたしはこの2月に気付いたのに!??

 驚くあたしをしげしげと見詰めて、稲葉さんはまた苦笑した。

「驚くことか?視線、態度、言葉、全部で判ってた。彼氏とも別れたらしいし、やっと俺の番かって。だけど、赴任したばかりで部下に手を出したとなったら流石にやばいしと思って。よく耐えたぜ、俺」

 カラカラと明るく笑う。

 あたしはそれを唖然と見詰める。

 ・・・いや、全部で判ってたって・・・ええええ?

 この、この格好良い男の人が・・・いやいやいや、中身は悪魔な美男子が。あたしをずっと狙ってた、だと〜!??

 ないだろ、それ。ないないない。両手をぶんぶん振り回したい気分だ。

 稲葉さんはひょいと振り返って、あたしを引き寄せる。

 フレンチキスをゆっくりとして、心の中で絶叫状態のあたしににこやかに微笑んだ。

「―――――――とにかく、これでお前は俺のものだ」

 ビックリな宣言を軽く言い放ち、手を伸ばしてあたしの頭を撫でた。

「今晩はとにかく戻る。強烈に後ろ髪引かれてるけど、社会人だし仕方ない。でも言葉くらいは俺だって欲しいんだ。言ってくれ、ちゃんと」

「・・・はい?」

 あたしは忙しなく瞬きをする。

「はい?でなくて。――――――判らないふりするなよ、帰社したらノルマ加算するぞ」

「・・・どんな脅しですか、それ。言いません」

 あたしは唇を尖らせて抵抗する。

 稲葉さんはぐっと目を細めた。その顔をすると、普段甘え顔の彼はいきなり迫力が増す。整っている顔っていうのは、簡単に人形みたいで恐ろしい無表情にもなれる。

 この顔で朝礼をすると、さすがに全営業職員が緊張して固まるのだ。

 ただし、今、その脅威にさらされているのは、あたし一人。

 即、言った。

「稲葉さんが好きです」

 誰に笑われてもいいの、どうせあたしはヘタレだ。

「よく言えました」

 がらりと表情を変えて、大変美しい顔で微笑んだ。そして一瞬名残惜しそうな顔をすると、立ち上がった。

「おやすみ。・・・お互いに一人寝を頑張ろう」

 その言い方につい笑ってしまった。確かに、一度目覚めて潤いつつあったこの体をどうしてくれるんだ、と言いたいけど、そんなこと言ったら終わりのような気がする。この人は喜んで襲い掛かるだろう。そして、目出度くデキ婚になる、なんて将来は嫌だ。

 まだ、両思いだとは信じられないあたしなのだ。

「おやすみなさい、しぶ―――――稲葉、さん」

 慌てて訂正したあたしに口元をあげてにやりと笑い、片手を振って稲葉さんはあたしの部屋を出て行く。

 ドアがバタンと閉まった後―――――――そのあとが、実は大変だったのだ。

 回りくどく言えば、あたしは自発的に夢の世界に突入した。

 端的に言えば―――――――気を失って、倒れた。

 布団の上でなく、部屋の入口でずるずるとへたり込んで。

 ・・・・だって、キャパオーバーだったんだもん。


 夜の間に一度運よく目覚めて、何とか布団に這っていったんだった。

 でも一度起きてしまったせいで、次はバンバン夢をみるはめになった。オール稲葉さん。大体キスシーン。体を持て余してごろごろと部屋の端から端まで転がって耐えた。そのせいで、あたしはがっつり寝不足だった。


 翌朝一番にこの部屋をノックしたのは、菜々だった。

「おはよう、玉。・・・昨日のことで、あたし謝りに・・・」

「謝罪、いらない。結果的にはあんたのお陰でひっさしぶりにキスに、それも極上のやつに恵まれたから」

 あたしは欠伸をしながら菜々に言う。は?と判りやすい反応をしたので、部屋に引っ張り込んで昨夜何が起こったか、をだらだらと喋った。

「まーじーでー!?」

 一度絶叫してからバタバタと歩き回ったけど、いきなりピタッと止まって今度は笑いだした。

「・・・大丈夫?」

 あたしは朝も早い時間に突然壊れた同期を心配する。

「大丈夫〜!いや、大丈夫じゃない〜!!嬉しすぎてあたし壊れたぁ!」

 ・・・うん、壊れてるのは見て判るけど。

 あたしは寝不足が酷くてまだぼーっとしていた。菜々は跳ねるように近寄ってきて、あたしを揺さぶる。

「良かったじゃん良かったじゃん!!やったー、玉にも恋人が!それも、しかも、あのあのあのあの稲葉支部長が〜!!」

「・・・・もうちょい、静かな声でお願いします。付き合うのは秘密だし。それと揺するのやめて、昨日食べたもの全部出る」

 パッとあたしから手を離して菜々は文句を垂れる。

「汚い!あたしに近寄んないで!・・・って、え?秘密なの?」

 あたしは頷く。

 そんなこと公表出来るか。あたしは事務ではなく営業で、相手は自分の上司だ。いくら主婦層で固められている支部に在籍していると言っても、カップル誕生〜なんて宣伝したら、あたしがどんな契約をとっても支部長が回したのではないか、と疑われる危険性がある。

 つまり、僻みや妬み、嫉みってやつだ。

 営業職である限りついてまわる。仲の良い悪いは関係なく、毎日が足の引っ張り合いだ。

 こればっかりはどうしようもない。いくらうちの支部が仲の良い自治会みたいなノリの支部でも、危ない橋は渡れない。

 自然にバレるのは止められないが、わざわざ宣言まではしないと決めている。

 実を言うとさっき、菜々のノックの音で目覚めたあたしは姿見にうつった自分の姿を見て驚いたのだ。

 首筋や胸元に、昨日の稲葉さんの痕跡。・・・わざとつけたに決まってる。

 だからあたしは真っ赤になりながら、認めざるを得なかったのだ。昨日のことは、欲求不満なあたしが見た利己主義的な夢なんかでなく現実なんだと。

 本当に稲葉さんに抱きしめられて、キスをされ、俺のものだといわれたんだって。

 あたしも、脅されてだけど好きですなんて告白したんだって。

 うきゃー。

 熱くなった顔に両手でパタパタと風を送って冷ます。

 上機嫌になった菜々が、朝風呂行こうよ!と誘うのを断って(だって、キスマークが!!)あたしは一人部屋で帰りの支度をする。

 今日の予定は午前中は皆で観光で、お昼を食べてからバスで支社に戻り、そこで解散だ。

 朝食会場で遠くに見かけた稲葉さんは眩しい笑顔であたしを見て、片手を振ってみせた。

 あたしは頑張って何とか笑顔を返す。だけど引きつっているのが自分で判った。パッと背中を向けて、足を速めて自席に向かう。

 ・・・眠れたのかな、稲葉さん。だとしたらちょっと悔しい・・・。

 菜々と並んで朝食を食べ、そのままお土産ものを一緒に物色した。

 だけど放心状態で全然買い物は出来ずだった。

 最近旅行もしてなかったあたしは観光だって楽しみにしていたのだけれども、ちっとも集中出来なかった。

 だって、ふと気付くと。

 この目はいつでも彼を探して彷徨う。

 そして見つけると、今度は見てられなくて全力で避ける。

 あっちからの視線を感じると背中を向けてしまう。

 見たいのに見れない。気になるから他の事が何にも手につかない。・・・・困った。

 そんなことでぐったり疲れて、帰りのバスは帽子を被って寝ていた。

 稲葉さんは来た時と同じで他の特別参加組みと誰かの車で帰社だったので、安心して夢の中へ突入出来たのだ。トイレ休憩にも起きなかった。




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