A



 もうバス出ますよ〜!先行きますね〜!と叫んで、あたしを連れて走った。

 何とか席に戻り、あたしを座席に押し込めてから顔を覗き込む。

「・・・生きてる?」

「死んでる。・・・いや、死ぬ」

 あーあ。と隣でため息をついて、菜々はビールの缶を開けた。

「まさかまさか!ビックリよね〜・・・。あたし噂のイケメン稲葉支部長見たかったけど、あんたの話を聞いた後じゃあ・・・」

 そして勢いよくビールを煽り、でも!と手を振り上げた。

「宴会だって上司席に座るんだろうし、あたし達はあたし達で楽しくやろうよ!温泉なんだから基本的に男女別だしさ〜」

 あたしは何とか頷いた。

 ・・・そんな・・・稲葉さん、来るんだ・・・。そんなこと一言も言ってなかったじゃないのよ〜。

 でもこのバスにも乗ってないんだから、後からくるんだろうな。多分、同じように急遽参加になった他の支部長達と。

 それから宿までのバスの行程2時間ほどは、あたしは鬱々として過ごす羽目になった。

 だけど豪勢な旅館について、その広さと綺麗さ、露天風呂の素晴らしさに感動し、段々テンションがアップしてきた。

「おおお〜!」

「先お風呂いくでしょ?」

 菜々の誘いに勿論と答える。夜7時からの宴会までは自由時間になっていた。

 あたしは同じ支部の夕波さんが欠席の為、これまた豪華に一人で部屋を使うことになっているのだ。ウキウキと与えられた小さいけど豪華な和室で荷物を解く。

 すぐに菜々と待ち合わせをして、お風呂に入りに行った。

 ヒノキを贅沢に使ったお風呂で、きゃあきゃあと幸せに騒ぐ。

 他のお客さんはまだ見当たらず、居るのは同じ会社の営業ばかりだったから、気も遣わずに済んだ。

 露天風呂でどっちの胸が大きいかで菜々と言い合いをし、他支部のベテランさんに「どっちもどっち。威張るほどない」と言われて同時に凹んだりもした。

 旅館が女性客の為に浴衣を揃えてくれていたので、自分の好きなものを選んで着る。

 浅黄色の浴衣に赤い帯を締めた。髪も整えて、素肌はそのままで眉毛とマスカラだけを塗る。お風呂上りの上気した肌には過剰なメイクは合わないのだ。

 頬が赤くて、自分でも中々可愛いかも、などと思ってしまった。これぞ、旅行マジック。

 笑いながら廊下を進んで、ゲームコーナーに突入した。

 既に男性営業陣や上司達が浴衣姿で卓球大会などをしている。凄い騒ぎで、他の客から苦情がくるのではないかとちょっと心配したけど、菜々に引っ張られて観戦する内にこっちまでハイなのがうつってしまった。

 黄色い歓声を上げて応援する。一般支部対職域営業部では、菜々とも敵味方に分かれて応援した。

 男性陣は本気で試合モードになっていて、初めは適当だった応援陣も、そのうち両サイドに分かれて踊りだす始末だ。

 1回目は職域が勝った。営業部長が勝ちを取った職域担当の長嶺支部長の肩を叩いて激励する。

「よくやったぞ!」

 負けた一般支部の支部長が悔しげに周りを見渡し、あ!と声を上げた。

「おーい、稲葉!次お前やれよ!」

 え?と全員で振り返る。

 すると、丁度今到着しましたって状態の稲葉さんと他支部の支部長4名が、ぽかんとした顔でカウンターからこっちを見ていた。

 どこの団体だ、恥かしいとか思ってたんじゃないだろうか。まさか自分の会社だとは、みたいな顔で苦笑しながら近づく。

「・・・何事ですか?」

 浮田部長に聞き、上機嫌の部長が説明する。その間、珍しく私服姿の噂のイケメン稲葉支部長を、その場にいた全女性営業職員が凝視しているのに気付いた。

 勿論あたしもしばらく見惚れてしまった。

 スーツとはまた違う私服姿に、脳内でドーパミンかなんかがあふれ出す。超興奮状態のあたしだった。

 かあっこいいい〜!!

 シンプルな黒いロンTを着て、稲葉支部長が卓球台に近づく。その途中でぐるりとギャラリーを見回して、ヤツはあたしを見つけた。

 急激に上がりだした動悸に呼吸を乱されながら、あたしは何とか立っていた。

 人ごみを分けてやってきてあたしの前に立ち、稲葉さんは爽やかに笑った。

「いたな、神野。これ持ってて」

 あたしに鞄とコートを押し付けて、腕まくりをしてラケットを持った。

「・・・お疲れ様です。頑張って下さい」

 あたしの言葉に、あの甘え顔でキラキラオーラを放ちながら稲葉さんは頷いた。

「任せとけ」

 そして卓球台に向かう。

「・・・まじで。超いい男・・・」

 隣で菜々が、ぼそりと呟くのが耳に届く。

 さっき勝った職域担当の支部長、長嶺さんが不敵な笑みで相手コートに立った。

 稲葉支部長と社歴が近いらしく、稲葉さん赴任以来何かと目の敵にして成績を競っているのだと聞いたことがある。

 あたしの移動で痛手を負った、何でよりによって稲葉の支部なんだ!と支社の研修に出向いたときに苦情を言われたこともあったなあ、そういえば。

 で、あたしは、自分の移動の後に勝手にあっちが赴任してきたんです!と返したんだった。

 営業部長はじめ、居並ぶ優績職員の前で、にっくき稲葉を倒せるチャンスとあって、長嶺支部長は興奮しているようだった。

 一方淡々と構える稲葉さんは、戦意なんかちっともなさそうだ。大丈夫か?

「開始!」

 営業部長の声で、卓球が始まる。

 わあーっと凄い歓声が上がった。

 勝負は互角だった。ただ、イケメンは何をやっても素敵にうつるものだ。それだけで長嶺支部長の応援は女性の声が少なくて、余計意固地になっているみたいだった。

 あたしは若干同情した。長嶺支部長は、どう頑張っても美男子とは呼べない。

 稲葉さんも段々と真剣な目になり、スマッシュを放つ回数が増えだした。焦る長嶺支部長。

 まだお酒も入ってないのに、やたらと興奮状態のゲームコーナーで、卓球勝負は山場を迎えた。

 皆固唾を呑んで勝負の行方を見守る。おお〜!とか、ああ〜!とか、大きい声が上がり、白い玉が弾かれる。

 結果は、サービスを物にした稲葉支部長の勝ち。汗を拭って爽やかに微笑み、彼は声援にこたえる。

 がっくりと肩を落とす長嶺支部長を無視して、営業部長はご満悦だった。

「さすが、稲葉だ」

 第3試合に入る卓球台からあたしは抜け出して、少し離れて稲葉さんを待っていた。

 ・・・ああ、格好良かった。何なのよ〜・・・痺れたわあ・・・。

 ぼーっとしながら立っていたら、声援に手を振りながら稲葉さんが人の輪から脱出してきた。

「ああ〜、疲れた〜!」

 機嫌よさげにそう言って、稲葉さんはあたしに近づく。そして垂れ目を見開いて、あたしをじっくりと眺めた。

「・・・へえ、馬子にも衣装、だな、神野」

 あたしは恥かしくてわざとつっけどんに返す。

「どうせ馬子ですよ。卓球まで強いなんて、嫌味ですね支部長!」

 稲葉さんはしばらくあたしの全身を見ていたけど、それから視線を合わせてにやりと笑う。

「実は」

 そしてあたしから荷物を受け取りながら言った。

「高校の時、卓球部だったんだ」

 ・・・・へえ。そうなのか。それを知ってたから順番ふったのかも、あの負けた支部長。

 職域担当と一般支部は何かと張り合うので、たかが卓球といえどどっちも負けたがらない。元々負けず嫌いの塊である営業集団なのだ。

 同時についた他の支部長から鍵を受け取って、稲葉さんはあたしに片手を上げる。

「じゃあ神野、また宴会で」

 いえ、あたしはあなたとは飲みませんから!そう心の中で呟いて、曖昧な笑顔を返す。

 そしてとりあえず会釈だけをして、菜々の所に走って逃げた。

 ・・・酒飲んであの上司と対面なんて、絶対無理。あたしトチ狂うかもしれない〜(泣)

 だってだって、きっと浴衣姿で、しかもしかも、酔ったりなんかされちゃったら・・・うううー!妄想が暴走してるぜ。

 菜々は隅で立って一部始終を見ていたらしく、手をヒラヒラふってあたしに言った。

「・・・あのキラキラオーラから逃げようとしてんの?それって無理だよ、諦めな、玉」

「うううう〜!!」

 あたしはその場で地団駄を踏んだ。

「潔く告って見事に散りな」

「そんなことになったら退職してやる」

「・・・どういう脅しよ、それ」

 やれやれとため息をついて、菜々は痛そうな顔をした。

「・・・・ほんと、お疲れさん」

 ほんと、お疲れさんだよ、あたし!



[ 24/35 ]


[目次へ]
[しおりを挟む]



×
「#オメガバース」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -