3、重い重い責任。



 今日は支社に来ていた。

 理由は、時間短縮の為。

 締切日である今日、時間ぎりぎりに契約申込書を突っ込みたかったら、自分の事務所でなく支社にくるのが早い。

 そんなわけで健康診断の結果と契約書その他を持ってあたしは支社に駆け込んだってわけ。

 夕方の4時。

 無事にそれが処理されるまでイライラと待っていたけど、支社の事務員中埜さんが笑顔でオーケーをくれたので、やっと安心して支社を出た。

 繁華街の高層ビルの23階の全フロアを占める支社からの眺めはよかった。だけど高所があまり得意でないあたしは1階に下りるとほっとする。

 そのままビル1階のコンビニに入って缶コーヒーを選んでいると、肩を叩かれた。

 くるりと振り返って、あたしは驚愕で全身が固まる。

「えーっと、神野さん・・・だったよね?」

 ――――――――北の楠本!?

 あたしは目を見開きながら、わたわたと言葉を返す。

「はい!あの・・・楠本FP、なぜここに?」

 あなたの所轄は都心でしょう!?思わず後ずさって棚にぶつかってしまった。

 それを面白そうに眺めて、やたらと高い場所から楠本さんはあたしを見下ろす。

「研修で、出張。君は、支社に用?」

「ええと・・・はい。そうなんです、今日締め切りで、飛び込みを」

 ああ、と頷いて楠本さんは格好良く笑う。その無邪気な笑顔に印象が変わってハッとする。

 広報に載っているのは真面目な顔が多かった。それでも美形だと人気があったけど、笑うとえらくやんちゃな印象が出てくるんだなあ〜。それもいいなあ〜・・・。

「ぎりぎりの飛び込みか、それはお疲れ様」

「いえいえ、仕事が遅いもので・・・」

 何とか呼吸を整える。周りにいたOLさん達の視線を感じた。

 ・・・この人と居ると、無駄に目立つな。

 あたしはコーヒー選びに戻った。それを見ていたらしい楠本さんが、なあ、と声をかける。

「・・・はい?」

 振り返ったあたしに、伝説の元スーパー営業は悩殺の笑顔を見せた。

「カフェインが必要なら、お茶しないか?」

 気絶しなかったあたしを褒めてやりたい。そんな格好良さだった。

 気がつくとあたしは近くのカフェで楠本さんと向かい合っていた。何故!?記憶にないんだけど、ここに来るまでの!?

 あたしは呆然と周りを見渡す。しかも、オレンジジュースを注文していたらしく、すぐにそれが運ばれてきた。

「この寒いのにオレンジジュース。稲葉の言ってた通りだな」

 面白そうに楠本さんが前から言う。

 あたしはストローを出す手を止めて、顔を上げた。

「はい?」

 あたしのオレンジジュースを長い指でさして、彼は言う。

「うちの神野って営業は、朝は朝礼が終わると同時にキウィを食べるし、残業中はオレンジしか口にしないんだって聞いたことがある。どうして?」

 ううう・・・。何で稲葉さんはそんな微妙な情報を楠本さんに話すのよ〜・・・。瑣末なことですので、放っておいて下さい。って言いたいけど言えない。

 あたしはストローをジュースに突っ込みながら小さな声で答えた。

「・・・ビタミン摂取の為です。つまり、初めはそうだったんですけど、今ではただの習慣で」

「習慣。うん、成る程ね。さっきはコーヒー選んでたのに、ここにきたらオレンジジュース頼んだのが不思議だったんだ。放心状態にあって、無意識だったのか」

 ハスキーな声で、楠本さんが言う。

 ・・・・あたしったら!!放心状態なのまでバレてますから。めちゃくちゃ恥かしいですから!

 ま、こうなったら一緒か。挙動不審な女にはこの人は慣れてるはずだし、と勝手に決め付けた。

 あたしは小さく深呼吸する。絶世の美男子が前にいるけど、こんな経験一度の人生でそうあるもんじゃない。楽しみなさい、玉緒!!

 女は度胸、と心で唱えてあたしは笑顔を向ける。そして全身の勇気を奮い起こして話しかけた。

「・・・稲葉支部長に聞いたんですが・・・楠本FPは、現役営業の時女性から契約を頂かなかったって本当ですか?」

 カップを口元で止めて彼は苦笑する。

「・・・本当です。自分に課して、バカみたいに守ってたな」

 いやいや、バカじゃないでしょ、それ。すんげーことだぜ、おい。

 心の中で突っ込んでたら、でも、と楠本さんの声が聞こえた。

「俺は、稲葉の方が凄いと思うけどな」

 うん?・・・営業の時の稲葉さんが、何?

 あたしは首を捻る。楠本さんと稲葉さんと、あと南営業部の高田さんとが3人揃って有名だった。楠本さんの契約件数やなんやについてはよく噂に上がったけど、あとの二人についてはかなりのイケメンだってことだけだった。

 あたし達研修組は個人的に中央の稲葉が鬼教官なのを知ってはいたけど、噂にすらなってなかったのだ。

「・・・支部長の営業の時の、何が凄かったんですか?」

 あたしは真っ直ぐ楠本さんを見た。楠本さんはしばらく黙ってあたしを観察しているようだったけど、やがて淡々と話し出した。

「あの支社の男性営業部で、誰よりも自分に厳しかったのは稲葉だ」

 都心の支社の男性営業部。優秀な大学を卒業した男性ばかりを集めた営業部で、そこで生き残ればエリート街道まっしぐらを約束された場所だ。

 その代わり、新入社員の時の研修で、約半分が脱落すると聞いている。かなりのスパルタ教育で、強くて優秀な営業社員を育てるのだ。

 そこで、稲葉さんが一番自分に厳しかった?・・・そりゃそうだろうよ。あたしは憮然となる。ヤツは、あたし達女性の研修生にもえぐい教育をしたんだぜ。

 あたしの表情を読んだらしく、楠本さんは苦笑した。そうじゃないんだ、と続ける。

「例えば、お客さんがそれが気に入ったと言ってもその人の状況にあっていないと思えば契約を断ったりしたんだ」

 ――――――――何!?あたしは思わず口を開けてしまい、それに気付いて慌てて閉じる。

 そんな、勿体無い。自分から断るだと!?

 楠本さんは頷く。

「そうだよな、中々出来ることじゃあない。普通は営業職っていったら年がら年中契約のことを考えていて、喉から手が出るほど欲しているものだ。あいつはそれをいつでも破棄出来た」

「・・・真面目にもほどがある・・・ありますよね」

 あたしの呟きに少しだけ笑って、楠本さんはコーヒーを飲み干す。そして言った。

「あいつは営業2年目で痛い思いをしている。ステレオタイプの設計をして、独身の若い社員の契約を取り扱ったんだ。客の言う保険料にあわせた、独身の初めて持つ保険ならこんなもの、という内容のヤツを」

 あたしは頷く。お客さんに本当に興味や関心がない場合、そういうステレオタイプの安い保険を取り扱うことはよくある。とりあえず、これだけは持っておきましょう、という内容のやつだろう。

 医療がついて、ちょっとは貯まり、月の保険料が7,8千円くらいのもの。

「すると、その客は、事故にあって下半身不随になった」

 え。

 あたしは片手を口に当てて声を押さえ込む。カフェで絶叫するわけにはいかない。

「ひき逃げで、結局加害者は判らず終い。そうなれば治療費は本人持ちになる」

 楠本さんから笑顔が消えた。厳しい顔になって、過去の話を語る。

「無理のない保険料で、そこそこの内容。無保険よりは断然良いが、もう2度と保険には入れない体になってしまった若者には全然足りない保障内容だった。客からもその親からも感謝を貰った。あの時すすめてくれてありがとうって。だけど―――――――稲葉は、自分を責めたんだ」

 心底満足いく設計をしなかった自分を。

 客の希望保険料にあわせて、あっさりと保障を削ってしまった自分を。

 もう少し、もう少しだけでもちゃんとニード喚起をしていれば、本当に役立つ保険をもてたのにって。それでも決して払えない保険料ではなかった。これは、相手を納得させられなかった自分の落ち度だと。

 あたしは言葉が出ない。

 確かに、保険の営業は日々顧客の一大事に接している。文字通り人の生死に関わる仕事だから、そればかりは仕方ない。

 だけど、稲葉支部長・・・・。

「相手の一生を左右する、この仕事はそういうことなんだ、と本当の意味で理解したんだな、その時に。以来、独力で自社商品も他社商品も研究しまくって、設計に全力を尽くすようになったんだ。いい内容なら、自分も自信をもって勧められるし、お客様も納得してくれるって」

 楠本さんは椅子にもたれかかった。

「俺は女性客は排除してきた。だけど、稲葉の姿を見ていたら、それは間違いだと思うようになったんだ。自分の勝手で区別しているって。俺が保障を持つのを勧めることで、救えたかもしれない女性が何人いたんだろうって」

 それはそれは、泣きたくなるような責任の話だった。

 あたしは自分の両手を見詰める。

 この手で設計した保険が、誰かの生活とその家族を経済的に守る。そう本気で思って設計していたのは、一体いつまでだっただろうか。

 判らなければ聞けばいいと、自分で保障について調べなくなったのは、いつからだっただろうか。

 なんて甘えていたんだろう。

 ・・・稲葉さんの設計技術、色んな抜け道や加算方法を知っているのには、そんな過去が原因としてあったんだ。

 楠本さんはにっこりと笑う。そして謝った。暗い話をして悪かったって。あたしはただ首を振る。

 それからは30分ほど楽しい話で盛り上げてくれたけど、笑いながらもあたしの頭の中は稲葉さんの過去の話がぐるぐると回っていた。

 これではいかん、と楠本さんのご家庭の話を聞いたりして、頭から追い出す努力はしたのだ。だけど徒労に終わった。

 あ、でも楠本さんの奥様がうちの会社の元事務さんだったと判ったのが楽しかった。

 子供さんを産んでからは仕事を辞めて家にいるらしい。この人の子供なら大層可愛いだろう、などとマジマジと楠本さんを見詰めてしまった。

 やっぱり営業と事務はひっつきやすいんだなあ!自動的にそれが羨ましいと思ってしまった自分は、何とか封じ込めたけど。

 どうやって北の楠本を手に入れたのか真面目に聞きたいところだ。本人に直接質問して勉強したい。

 自信満々の美人とかそんな人なのかな?と思ってつい質問すると、顔を優しく緩ませて楠本さんが描写した奥様は、全然イメージとは違ってて驚いた。

 むしろ自分に自信のない、照れ屋な、細やかな人みたいだった。

「・・・楠本FP、ベタ惚れですね」

 彼の表情に思わずあたしがそう零すと、彼はあはははと爽やかに笑って頷いた。

「そう、自分でもビックリしている」

 ・・・・羨ましい。

 帰り道の冬の空を見上げる。これから支部に戻って上司との対話が待っている。

 口の中でオレンジジュースの味が回る。病気になった父親の為にもと家族で始めた習慣だった。営業職でよくボロボロだったあたしと妊娠中の姉を気遣って、母親が娘に義務就けたのだ。

 朝は、ご飯を食べる時間がなくても出勤した会社でキウィを食べること。

 夜は、ダイエットをしていてもオレンジか、それに変わる果物だけは食べること。

 サプリメントでなしに、果実を摂取すること。香りや色を楽しむこと。

 毎日それを繰り返しているうちに、それは習慣になってやらなければ気持ち悪くなる。習慣とは恐ろしい。

「・・・ヤツまで、習慣に・・・」

 稲葉さんにいじられること。あの笑顔を見ること。職権を乱用しまくってあたしをこき使う美形の上司に文句を言う事。

 その全てが今では「習慣」に。

 あたしにはキウィやオレンジと一緒、あれが必要だ。

 帰社したら、稲葉さんと向き合わなきゃならない。そろそろお経の力もなくなってきて、あたしはまたこの大きな鼓動が聞こえてませんように、と祈る状態になっている。

 想いはますます深くなる。

 稲葉さんの、厳しさも、めちゃ振りも、なにもかもが。今までうんざりしていたものも全て集まって、光り輝く好意の結晶へと姿を変えていく。

 帰りの電車で欠伸のせいにして少しだけ泣いた。


 こんなにも、想いは膨らんでしまった―――――――――




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