B



 ヒーターで車が温まる間、出発もせずに稲葉さんが隣からあたしを見る。

「―――――――さっきの話だけど」

「はい?」

 判っていたけど、聞き返した。彼はため息をついて話す。

「・・・新しい職域の。嫌なら行かなくてもいいんだぞ」

 あたしは眉を顰めた。嘘でしょ?そんなことしたら、貴重な出入り機関が減るじゃないの。それでどうやってノルマを達成しろっての?

「大丈夫ですよ。実際よくあるんです。若い男性にそういってからかわれたり、年配の男性からは娘に出来ない説教を代わりにされたりもしますし。そんなことで出入りやめてたら職域なんて無くなります」

 稲葉さんはハンドルに頭をつけて唸っている。

 あたしは不思議に思って聞いた。

「男性だってあるでしょう、支部長?今までお客さんにつきあってくれたら契約あげるって言われたことないですか?」

 ハンドルの上で顔をこっちに向けて、ヤツは言った。

「・・・なくはない。だけど、付き合って、と、抱かせろ、は違うだろう」

 ・・・そう?とどのつまりはして欲しいことって一緒じゃないの?そう思ったが、それは言わないでおいた。

「職域の立ち募集の間にセクハラ発言されるのなんて日常茶飯事ですよ。生保の営業に自分からマトモに喋ってくれる人なんかいないんですから。それよりも、地域の家庭を回ってるときの方が怖いっちゃ怖いですよね」

 あたしの言葉に支部長は頷く。

 女性営業を守るすべとしては、行き先を必ず誰かに言うことと、新規の家への飛び込みは二人以上で、とするしかないのだ。もし変な人間の家に飛び込んで、拉致監禁されたりすると大変だから、ということで。

 お金に関わる仕事なので、玄関先で込み入った話なんかしない。

 そんなわけで家の中に入り込み、襲われないとも限らないのだ。

「・・・頼むから、一人で地域の飛び込みはしないでくれ」

 あたしは両手に息を吐きかけながら言った。温まるの、遅いなこの車。

「あたしより、繭ちゃんですよ。若いし美人だから本当に危険」

 支部長がまた唸った。

「・・・返事は、ハイ、だろ。何かあってからじゃ遅いんだ」

「へ?繭ちゃんが?」

「・・・もういい」

 稲葉さんは何やら疲れた様子で車を出す。あたしは窓の外を向いてぺろりと舌を出した。


 黙ったままで、車は走る。エンジン音もほとんど聞こえないし、稲葉さんは音楽もつけなかったので、車内は静かだった。

 あたしは居心地が悪くてシートに寄りかかる。うーん・・・何話していいか判らない。

 仕方なく窓の外をずーっと見ていたら、ゆっくりと稲葉さんが口を開いた。

「・・・楠本さんなら、よく判るんだろうなあ・・・」

 うん?あたしは体を稲葉さんのほうへ向ける。楠本FPが何だって?

 あたしをちらりと見て、稲葉さんが言った。

「さっきの話。楠本さんなら、いく必要はないって言いそうだな、と思って。あの人は自分の容姿を憎んで、営業活動に支障が出るからと女性客からの契約は一切取らなかったんだ」

「え!?」

 あたしは思わず叫んだ。・・・マジで!?そんなこと可能?だってだって、あの人の成績の良さは本当に有名だった。広報誌にもよく載ってたし、一年の獲得件数は凄いはずだぞ!?それ全部、男性オンリー??

「本当ですか、それ?」

 前を向いたまま、うん、と稲葉さんは頷く。そして目元を和らげて話し出した。

「楠本さんは、凄い。自分の力を試したいってルックスを利用しないと決めて、それでもちゃんと結果をだしてたんだ。女性からの契約に頼らないとなると、人の3倍は動かないと到底無理だと思う。契約が取れなくて苦しんだ期間も人よりは長いんだ」

 そりゃあそうだろうなあ・・・。あたしは黙ったままで考える。収入源は男性にあるとしても決定権は女性が持っていることが多いものだ。女性抜きで考えるとほとんど動けないと思うけど・・・。それを、やったのか。

「まあその分、自分のスタイルを確立してからは不況知らずの営業になったけどな。だから、あの人なら、そんな職域にはいかなくていい、とか言いそうだな」

 ・・・ふーん。楠本さんが営業から支部長職への昇進は選ばずにFPになったのって、それも原因としてあるのかな。

「・・・稲葉支部長は営業のとき、どうだったんですか?」

 あたしは言った。自分の容姿を利用したのか、と気になる。稲葉さんはふ、と小さく笑って言う。

「俺は違ったな。契約してくれるお客さんが俺の外見で喜んでくれるなら、それはそれでいいじゃないかと思っていた。どんなこと言ったって、お客さんが最終的に長く続けてくれるのはその人にマッチした設計の内容だ。その点、やっぱりシビアなもんだよ」

「はい」

「自分の外見だけで契約を頂いたって、それだけなら長く続けて貰えない。だから、早期の解約になればニード喚起が足りなかったんだろうな、と反省した。自分の設計技術の糧にしたんだ。納得して頂けるまではこちらから契約の拒否をする。新商品が出ればパンフレットを熟読して、研修をお願いする」

 ・・・へえ。あたしは俯いて自分の両手を見詰める。

 どっちにしたって、凄い話だ。だけど、稲葉さんの設計技術が高い理由はそこにあったのか、と思った。

 自分の容姿を拒否して利用しなかった楠本さんと、敢えて利用してお客さんの反応を見ていた稲葉さん。

 ・・・なんか、美形は美形で苦労があるんだなあ〜・・・。もっと気楽にホイホイ契約とってたんだと思ってた。反省しよ。彼等はあたしなんかより、もっともっと仕事に対して真面目で、真っ直ぐなんだ。

「楠本FPの方が、先輩なんですよね?」

 あたしの質問に頷く。

「1こ上。入社した時から噂に聞いていて、教官も褒めるし憧れだった。一度だけ成績が並んだことがあって、嬉しかったな〜、あの時」

 ・・・ふうん。稲葉さんは32歳のはずだから、そうすると楠本さんは多分33歳?・・・何しか、素敵な男だった。

 会話が途切れてまた車の中は静かになった。稲葉さんは稲葉さんで考え事をしているようだった。

 晩ご飯を食べずにビールを飲んだから、空腹を通り越して眠くなってくる。既に車の中は適度に暖められて、窓の外に流れては過ぎていく街の明りを見ていたら、うとうととしてしまった。

 稲葉さんの車に乗ってるなんて・・・あたしが。信じられない。

 厳しかった鬼教官が自分の上司になって毎日顔を合わせる。今では褒めてくれるだけの時だってあるし、夜の残業で二人で言い合いするのにも慣れてしまった。たまに支部長が会議や宴席で不在だと、誰もいない支部での残業が寂しくなるくらいには。

 ・・・・慣れたってことよ、それだけのこと・・・。ぼんやりと揺られながらあたしは頭の中で繰り返す。

 稲葉支部長が気になってるんじゃない、厳しさにうんざりして―――――――・・・

 急にグン、と体が前のめりになって悲鳴が出た。隣から舌打ちが聞こえて、車が急ブレーキをかけたんだとわかった。

 あたしはシートベルトを握り締めながら、目を開いて周りをみた。

 前3台の車が、先頭車に何かあっていきなり止まったらしい。それで急ブレーキが・・・とまで考えて、あたしは気付いた。

 あたしの体の前には稲葉さんの左手。

 片手でハンドルを握って、急ブレーキであたしが前に飛ばないようにとっさに手を出してくれたらしかった。

 ・・・シートベルト、してるのに。

「・・・あぶねー。大丈夫か?」

 隣から、稲葉さんが振り返る。あたしはしばらく彼の左手を見ていて、それから頷いた。

「・・・大丈夫、です。――――――ありがとうございます」

「え?」

 何がって顔で稲葉さんがあたしを見る。

「・・・手で、支えようとしてくださったんですね」

 ああ・・・と稲葉さんも気付いたように少し笑った。そして手を引っ込める。

「無意識だな。神野が怪我したら大変だ」

 言葉が、かーんと全身に突き刺さった。あたしは思わず震える。

 動き出した前の車について、稲葉さんも車を動かす。あたしはシートベルトを握り締めたまま、俯いた。

 ・・・やっばい・・・。

 目を閉じた。心の声を間違っても出してしまわないように、自分自身に落ち着け、と唱える。

 やばい、今の。・・・あたし、嬉しかった・・・。

 ドクドクドク、と鼓動が耳の中で跳ねる。

 体温が一気に上昇し、顔が真っ赤になったのが判った。

 あああ・・・どうしよう。ちょっとちょっと、落ち着いてよ、あたし!

 優しさを感じてしまった。それが、どストライクに胸に来た。

 隣にバレないように、深呼吸が出来るだろうか。や〜だ〜・・・まっかっかだよ〜!

 瞳が潤みだしたのまで判ってしまった。急激にいろんなことが頭の中にあふれ出す。あたしはそれを処理できずにオロオロと落ち込む。

 ・・・ああ。神様。

 やっぱり、意識だったんだ。今までのも全部。やっぱりやっぱり、あたし、あたしは―――――――


 前の車のテールライトが滲んで霞む。溢れそうな感情を空気と一緒に飲み込んだ。


 稲葉さんが、好き、なんだ・・・。





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