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 男性二人が振り返った。そしてそれぞれが、微笑みを浮かべる。それはそれはゴージャスな光景で、あたしは、今死んだらこの光景が最後に残るのか、幸福だろうなあ!などとバカなことを思った。

「ありがとうございました。神野を宜しくお願いいたします」

 稲葉支部長がそういうのに、梅沢さんは、表情を暗くして言った。

「そうだ、昨日うちの会社の男性社員が、神野さんに大変失礼な態度をとったんです。申し訳ありません」

 男性二人が一斉にあたしを見る。あたしは慌てて手を振った。

「いえいえ、本当に大丈夫ですから!気にしてませんから!」

 ゴージャスな美形に並んで直視されたら、鼻からの出血多量で死にそうだ。やめてくれ、そんな情けない死に方はしたくない。

「彼には私から、きつく言っておきましたので。本当にごめんなさいね」

 梅沢さんがあたしに向かって言う。あたしは頭を下げた。

「ありがとうございます。でも、本当に、慣れてますから!」

 むしろ、あの信田とかいう男に同情した。怖かった、あの梅沢さん。

 あたしの返事に少しだけ笑って、では、と梅沢さんは男性二人に会釈をする。そしてヒールを鳴らして店を出て行った。

 あああ〜・・・・びっくりした。何て律儀な女性だろうか・・・。

 あたしがほお、と息を吐き出していると、楠本さんに並んでカウンターに座った稲葉さんが、それで?と促した。

「はい?」

 顔を上げる。また男性二人と目が会う。・・・無理。あたしはするりと頭を下げて、床から鞄を持ち上げる動作に没頭することにした。

「何をされたの?」

 楠本さんがビールを飲みながらあたしに聞く。

 ・・・ああ、伝説のイケメンに話しかけられる幸せも薄れるぜ、あの話題を出すと。あまり口には出したくないし、鞄を拾って腕にかけながらあたしは手を振った。

「いえ、大したことでは」

「言えよ」

 今度は稲葉さん。マスターが出してくれた水を飲んでいる。

 ・・・いやーん(泣)ほっといて下さい・・・。若干半泣きになる。ううう・・・梅沢さんと一緒に店を出るべきだった。

「大したことじゃないです!では、支部長、あたし帰りま―――――」

 チラリと稲葉さんがあたしを見た。その後ろでは、片手で顎を支えながら楠本さんもあたしを見ている。気を失うかと思った。

「帰りたかったら、言え。でないとアポノルマ加算するぞ」

 鬼そのものの言葉を吐いて、稲葉さんが可愛らしく笑う。

 ・・・アポノルマ、加算・・・。ただでさえ吐きそうな量を言い渡されているのに、これ以上加算するというのか、この男。一体どこに電話しろってゆーの。

 あたしは思わず天を仰ぐ。

 あーあ、それに詰める時に甘え顔全開で笑うの止めて欲しい。それって真顔よりも恐ろしい。

「・・・えー・・・・っと、ですね。その・・・久しぶりに、女性営業職ならではの屈辱を受けまして・・・」

「うん?」

「何?」

 男性二人が同時に首を捻る。あたしは小さくため息を零して、覚悟を決めた。仕方ない。さっさと白状して、帰ろう。

「枕営業してんだろ、あんたに契約やってもいいぞ、と言われたんです」

 一気に言った。

 相変わらずジャズは店に流れていたけど、間違いなく、一瞬その場が固まった。

 目のやり場がなくて、あたしはマスターに微笑みかける。魔術師のようなマスターは、流石にあまり表情を変えずに、上手にあたしから視線を外した。

 いい難いんだよなぁ、なんたって男の人だし。今まで直属の上司は女性ばっかだったから、もっと気楽にこんな話も出来たんだけど。

「・・・・」

 黙ってしまった稲葉さんを、隣の楠本さんがじーっと見ていた。どう出るかを観察しているようだった。あたしは笑顔を貼り付け、では、と通り過ぎようとした。

 ・・・ら、支部長にパッと腕を掴まれた。

「――――――送っていく」

 稲葉さんの言葉に隣の楠本さんが頷いた。

「その方がいいな。俺はこのままホテルに戻る。稲葉、またこっちにくるときは連絡するから、飲みに行こう」

「はい、お疲れ様でした」

 ――――――――・・・はい??何だって?こここここの、真顔の鬼支部長に送られる!?

 楠本さんが会計をしに立ち上がった。

 あたしは慌てて稲葉さんを見上げる。

「い―――――いやいやいやいや、支部長!!そんな必要ないです!どうぞ、楠本FPと飲みにでも遊びにでも行って下さい!」

 これだけの美形が揃って歩いていたら、それだけで大層目立つだろう。色んな店で歓迎もされるはずだ。どうぞあたしの事は放っておいて――――――・・・

「すみません、楠本さん。この埋め合わせはまた次回に。奥さんに宜しくお伝え下さい」

 稲葉さんはようやくにこにこと笑って、楠本さんに言う。和風美形の楠本さんは見る者をとろかすような笑顔で、おう、と手をあげた。

「神野さん、お疲れ様。2月戦頑張ってね」

「え?・・・あ、はい。頑張ります・・・って、いえ、だからですねえ・・・」

 あたしがわたわたするのは完全に無視して、稲葉支部長はあたしの腕を拉致ったまま店を出る。

 最後にちらりと見た楠本さんの瞳が笑っていたのをあたしは確かに見た。


「車、支社に停めてるんだ」

 あたしの右腕を掴んだままスタスタと歩く支部長にあたしは何とか苦情を申し立てる。

「だから、結構ですって!支部長〜!!」

「遠慮するな」

 遠慮じゃねえよ!!あたしは心の中で叫んだ。腕は痛いし、鞄は重いし、それにコートすら着てないのだ。寒い寒い寒い!!

「支部長〜!!寒いんです〜!!」

「すぐだすぐ」

 鬼いいいいい〜!!あたしは唇をかみ締めて耐えた。梅沢さーん、ここにもあたしを脅かす男がいます〜!たーすーけーてえええええ〜!!

 冬の夜の町を、上司に引き摺られながら歩いた。最後の方は諦めた。暴れると温かくはなるかもしれないが、後で仕返しが怖い。この上司は公私混同も著しくノルマを加算する形で仕返しするに違いない。

「もう逃げませんから、離して下さい。痛いです!」

 これだけは、と思って言うと、やっと着いた支社のビルの入口で稲葉支部長はあたしを解放してくれた。

「悪い」

 あたしはふんと鼻を鳴らす。ちいーっとも悪いと思ってなさげ。可愛くね〜。

「痣になってたら、アポの件数減らしてください」

「それは却下」

「・・・鬼」

 小さく呟いたのに、ちゃんとキャッチしたらしい男が、あたしを見下ろしながらにやりと笑った。

「3年前も今も、どっちにしろ神野は必死で食いついてくるからな。指導しがいがあるんだ」

「・・・指導でなくいじめです」

 エレベーターに向かいながら、ヤツが振り向いた。

「何か言ったか?」

「いえ何も」

 あたしは両手をぶんぶん振る。

 支部長の言葉で、さっき梅沢さんと支部長が話している時楠本さんがあたしに言った言葉を思い出したのだ。

 彼はあたしを見ながら言った、あの素敵なハスキーな声で。

『・・・君が、神野さん。稲葉のお気に入りか』。

 それは、あたしが食いついていくからだった、らしい・・・。

 自分の負けず嫌いをあたしは呪った。

「お邪魔します・・・」

 あたしはコートと鞄をお腹に抱えて支部長の車に乗り込む。シルバーのやたらと早そうな車で、あたしは初乗りだった。

 稲葉さんに同行してもらったことはまだないのだ。

 ただし、支部の駐車場に停めてあるこの車を蹴っ飛ばしたことは何回かある。それは勿論秘密だ。

「冷えるなー。ちょっと待って」

 ヒーターを入れてそう言う稲葉さんを見ないように助手席に座る。・・・後ろの席でもいいんだけど、この車、後ろに乗ろうと思ったら前の席を倒さなければならない。支部長がそれをしてくれるとは思えない・・・。



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