3、気付いてしまった。@



 そんなわけで、翌日の木曜日。

 あたしは会社で梅沢さんと待ち合わせをして、彼女の行きつけだというバーに連れて行って貰った。

 ここら辺では一番の繁華街で、うちの会社の支社もある所だった。駅前の小さなビルの一階に入っている落ち着いたバーに、梅沢さんはあたしを連れて華やかに入っていく。

 あまりお酒は飲まないのでバーなんて行くことは滅多にない。あたしはちょっと興奮して店内を見回した。

 オレンジ色の柔らかい照明、カウンターにテーブル席二つ。まだ誰もいなくて、カウンターの中では全身真っ黒のバーテンダーさんがにっこりと微笑んでいた。

「いらっしゃいませ、梅沢さん」

 彼女は嬉しそうに微笑んで、カウンターに近寄る。

「マスター、私、喉カラカラなの」

 魔法使いのような雰囲気のバーテンダーさんは一度頷いて、すぐにお作りします、と言う。それからあたしを優しい目で見た。

「あ、ビール、お願いします」

「畏まりました」

 店に入って楽しそうな雰囲気がいきなりアップした梅沢さんとテーブル席についた。

「ごめんね、明りが足りないかもだけど、私ここが好きなので」

 そういって謝るのに、大丈夫ですと返す。

 一人ではこれないこういう世界につれて来て貰えるのは嬉しい。大体、客公認で酒を飲みながら仕事が出来るわけで。

 梅沢さんが手渡してくれた現在加入中の保険設計書を熟読する。

 あたしが設計書に没頭している間、彼女はすぐに来たジン・トニックを実に嬉しそうに口にしていた。

 すぐに一杯目を飲んで、マスター、と柔らかく声を出す。すると2杯目が飛ぶようにきたのには驚いた。

「・・・お酒、お強いんですね」

「好きなの。私は酒飲みのヘビースモーカーなのよ。タバコ、いいかな?」

 どうぞ、とあたしはカウンターのバーテンさんから灰皿を受け取って渡す。

 慣れた動作で実に美しくタバコをくわえ、火をつける。ほお〜っと眺めた。酒飲みのヘビースモーカーで営業・・・。なのに肌が綺麗なのは、何で??

 そして彼女が一服するのを待って、では、と説明を始めた。

 別の大手保険会社の少し前の目玉商品だった。終身保険が基本で、その上に更新する定期保険が乗っている。残念ながら医療は古くて現行に対応しているとはいえなかったけど、利率がいい時に入っているのでたまりも多く、保険としては素晴らしい部類に入るんじゃないだろうか。

 これを作った担当者は、悪人ではない、ということは判った。つまり、自分の成績の為に作られた設計ではなく、ちゃんとお客さんの要望も聞いて、保険料との兼ね合いで作ったのだろうということが。

 などを説明した。

 たまに質問で口を挟む以外は黙って聞いてくれる。その姿勢も嬉しかった。分かった振りも無駄な横槍もない。

 出来るだけ専門用語を使わないように噛み砕く努力はするが、やはり保険商品は複雑なのだ。真剣に聞いて貰えれば、それだけ時間を節約出来るし、混乱も少ない。

 一発で理解しろって方が、無理。あたし達営業みたいに365日いつでも保険のことを考えている人種だって、やはり混乱することが多いのだから。

 梅沢さんは潔い性格らしかった。

 つまり、と自分にとって大事な要点だけを取り出して確認した。混乱するような特約や制限に関しては一切を省いて。あたしは考えながら、多少説明を加え、誤解を解く。

 にっこりと微笑んで梅沢さんは言った。

「あら、私ったらいい保険を持っていたのね」

「そうですね、この当時では、一番いいものだったと思います。契約されたときから環境など変わったことはありますか?」

 ううーん、としばらく悩んで、新しいタバコでテーブルにトントンとリズムを刻む。相変わらず独身だし、病気も別にしてないし・・・と小声でブツブツ言っていた。

 バックにはジャズがゆったりと流れ、目の前には素敵な女性。満足のいく説明が出来たし、若干酔っ払ってもいた。

 あたしは気分が良かった。

 その時、鞄に突っ込んでいた携帯の振動に気付く。梅沢さんが、どうぞ〜と言ってくれたので、すみませんと席を立った。

 店を出ながら、相手も確かめずに通話ボタンを押して耳に当てた。

「はい、神野です」

『お疲れ様、稲葉です』

 ・・・おおっと、鬼から電話だ、何事だ??あたしはつい、胸の上で十字を切る。ちなみに別にキリスト教徒ではない。

「お疲れ様です」

『今支部か?昨日貰ってた提出書類、訂正印がいるんだよ。明日出すのにもう間に合わないから今晩欲しいんだけど』

 ああ、有給消化の書類か・・・。あたしは唸る。事務員さんが二人とも居なかったので、支社に会議の為に出向く支部長に頼んだんだった。訂正印・・・。ううーん。

「それはすみません。今お客さんと会ってまして、外なんです。支社近いので、こっち終わってからあたし行きますよ」

 電話の向こうで稲葉さんが、え?と問い返す。

『近い?どこにいるんだ?』

 駅前のバーで、と名前を言うと、ああ!と明るい声が聞こえた。

『知ってる、そこ。丁度出たところだから俺がそっちに行くよ。クロージングか?』

 自分が行くのは邪魔か?と聞いてるんだろうな、と思ってあたしは大丈夫です、と答える。

「あの新しい職域で、加入内容を説明して欲しいとおっしゃる方がいらっしゃったんで、説明していたところです」

 じゃあついでに挨拶するよ、と返事が聞こえて、あたしがそれに答える前に電話が切れた。

 ・・・せっかちだ。そうか、会議はもう終わったんだな。

 あたしは店に戻って、梅沢さんに謝る。

「すみません、書類の不備で訂正印が必要らしくて上司が今から来ます。すぐ終わらせますので」

 梅沢さんはにこりと笑って、手を振った。

「大丈夫よ、私一人でゆっくり出来るから。気にしないで終わらせて」

 そして、柔らかい声で、マスター、と呼んだ。

 またジン・トニックが追加される。・・・すごーい。あたし、これだけ飲んだら酩酊状態・・・・。

 15分ほどで、バーのドアベルが鳴った。

 梅沢さんと設計書を挟んでお喋りしていたあたしは振り返る。そして、固まってしまった。

 あたしを見つけ、笑顔で入ってくる稲葉支部長の後ろ、稲葉さんよりも身長の高い美形の男性を見てしまったからだった。

 ・・・何だ?何なのこの二人。セットでいると、芸能人みたい・・・。

「いらっしゃいませ」

 バーテンダーさんの声が遠くに聞こえる。あたしの前では、梅沢さんが、あらまあ、と呟くのが聞こえた。

「神野、お疲れ様。――――――こんばんは、お世話になっております」

 稲葉支部長があたしに頷き、その後で梅沢さんに会釈をする。

 あたしはたっぷり10秒は固まったあと、やっと声を出した。

「・・・・あ、ええと・・・お疲れ様です」

 そして立ち上がって、梅沢さんに支部長を紹介する。

「上司の稲葉です」

 梅沢さんは華やかな笑みを浮かべて立ち上がり、美しく名刺を取り出す。

「〇〇企画の梅沢と申します」

 支部長と梅沢さんが笑顔と名刺の交換をしている間に、あたしは恐る恐る支部長の後ろを見た。

 少し離れて立ち、美形の男性が微笑んでいる。

 ―――――――きゃあ・・・・。

 あたし、この人知ってる・・・。本社や支社の広報誌でしかみたことないけど、元エリート営業の、楠本さん、だあ・・・。

 稲葉支部長が営業だった頃、他にも北事務所と南事務所のイケメン営業がいて、3人で有名だった。その内の一人、「北の楠本」だ。ホンモノ、初めて見た・・・。超格好いい。

 梅沢さんに断って、稲葉さんがあたしに向き直る。

「神野知ってる?今は本社つきのFPの楠本さん。研修の時に名前聞いたことないか?」

 あたしは凝視していたことにやっと気付き、慌てて咳払いをした。

「はい、お名前は勿論。・・・びっくりしました」

 楠本さんが素晴らしい笑顔であははと声を出した。

「稲葉言ってなかったのか。たまたま出張でこっちに来ていて、会議にも出てたんだ。営業中に、悪かったね」

 いえいえ、と急いで手を振る。いかん、どうしても仕草が大げさになってしまうぜ。いやあでも仕方ないか!こんな美形目の前にしたら!自分で言い訳をした。

 稲葉さんが書類を鞄から出したので、あたしはマスターに断ってカウンターで判子を取り出す。

 稲葉さんが梅沢さんの相手をしてくれているうちに、やってしまわなければ。

 するとあたしの隣の椅子に楠本さんが滑り込んで、ビール下さい、と注文した。

 あたしが、え?と思って振り返ると、彼はまた笑う。

「何も注文せずに帰れないだろ、お店に来て」

 あたしは何とか、そうですね、と呟いた。

 ・・・素敵過ぎる〜!!切れ長の瞳はやんちゃそうな光りがあって、通った鼻筋に、綺麗な口元。しかも、声までいい〜!!ハスキーな、ちょっと掠れた声。

 ぐんぐん脳内糖度がアップして困ってしまった。手が震えて判子がぶれないように、めちゃくちゃ力を入れなければならなかった。落ち着くんだ、あたし!!

 稲葉さんが甘え顔なら、この人は歌舞伎顔だ。どっちにしろ、目の保養としては最高級。あたし、今日はついてるなあ!!

 まさか噂の「北の楠本」にも会えるとは思ってなかった。同期に電話して自慢しなくては。

 うふふふ〜!やつらはきっと絶叫して騒ぐに違いない。中央の稲葉が鬼教官だったことは悲しい事実だったけど、北の楠本にはそんな噂はないのだから。写メとってないの!?とか聞かれそう。

 不純なことを考えながら、何とか使命は果たす。

 書類を持って支部長に向き直ると、丁度梅沢さんが稲葉さんと楠本さんを交互に見て、口を開いたところだった。

「・・・保険会社って、顔や容姿が入社基準にあったりするんですか?」

 あたしがぽかんとしているのに、稲葉さんは余裕気に言葉を返していく。

「それを聞いたら、私の後輩が喜びますよ」

 支部長、とあたしは稲葉さんの背中をつつく。ヤツは振り向いて、書類を確認した。

「はい、ご苦労さん」

「いえ、わざわざすみませんでした、足を運んで頂いて」

 あたしが謝るのはスルーして、稲葉さんは楠本さんに目をやり、あー!と小さく叫んだ。

「・・・飲んでるー・・・」

 楠本さんがカウンターに座ってビールを飲み干す、その姿もとても格好良かった。あたしだけでなく、梅沢さんも見惚れた様子だった。何しても絵になる人間ているんだなあ!

「本当にいい男って、探せばいるものねえ・・・」

 小さい声で彼女が呟いたのをあたしは確かに聞いた。そして心の中で頷いた。本当に、そうですね。

「稲葉も飲めよ。今日の仕事は終わったんだろ?」

 楠本さんがにやりと笑う。稲葉さんはため息をついて、近づいて言った。

「・・・俺が車なの、知っててやってますよね、それ」

「美味いぞ〜。あ、お代わり下さい」

「・・・楠本さん」

 がっくりと肩を落とす珍しい支部長をあたしは後ろからまじまじと見詰めた。

 おやまあ、稲葉支部長完全に遊ばれてるじゃん。今日は噂の美形だけでなくて、珍しいものまで見れたわ〜。

 あたしは可哀想な稲葉さんと素敵過ぎる楠本さんから無理やり目を離して、梅沢さんに向き直った。

「すみません、中座しまして」

 梅沢さんも今日はあたしとここに来ていたことを思い出したらしい。あ、と声に出して苦笑している。

「いえ、大丈夫よ。目の保養させて貰ったし、ラッキーだったわ」

 そう言ってから、自分の荷物をまとめてマスター、お会計お願いします、と続けた。

「神野さん、今度、あなたが私にぴったりだと思うプランを作ってきてくれない?あなたの説明は判りやすかった。契約になるかは判らないけど、自社商品ではどんなものが出来るのか興味があるから」

 おおお〜!!あたしは驚いて目を見開いたけど、勢いよく頷いた。

「はい!」

 宜しくね、と柔らかく微笑んで、梅沢さんは稲葉さんに近づく。

「私は失礼します」



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