2、受けた屈辱。@
今年は25,26が土日で27日に最後の出勤をしたら、あとは休みに入る。
支部の大掃除をして皆で蕎麦を食べるという年末の決まりごとをして(職域担当の営業部ではこんなのなかった)、今年もお疲れ様でした!また来年!と解散した。
あたしは家のこたつでぬくぬくと過ごし、気が済むまでお餅を食べたけど、たまに頭の中を稲葉さんが出てきて占領していった。
個人的記念月をしていたせいで今年は忘年会も楽しめず、抜け出しては客と電話をしていたあたしだった。
今、正月で、ようやくのんびりと――――――・・・・
雑誌を放り投げて、あたしは寝転んだままため息をついた。
・・・ゆっくり出来ない。鬼教官、いや、鬼支部長が邪魔をする。
あの愛嬌たっぷりの笑顔で「アポは?」と詰めるのとか、瞳を細めて色気を出し、「契約取れないなら今日は帰社しなくていいぞ」とか言ってゆっくりとあたしの呼吸を止めていくのとか。
あたしは汗をかきながらこたつの中で跳ね起き、「明日には必ず!」などと口走り、母親を心配させていた。
悪夢じゃん・・・。ああ、可哀想なあたし。そして時々、抱きしめられた腕の強さとか彼の香り、唇に触れた指の温度を思い出してはぎゃあぎゃあ言いながらごろごろと転がっていた。
死ぬー。死んでしまうー。憎ったらしいやら若干気になるやらで、勝手にわけわからなくなっていた。
と言ったって、勿論年末年始ずーっとそんな不毛な状態だったわけではない。
友達にも会った。
姉とその一家が遊びに来て、姪を可愛がったりもした。
前の営業部での新年会にも参加させて貰った。だけどそこでうちの稲葉支部長がいかに素晴らしい営業でいい男かを語る営業部長の隣になってしまい、早く帰りたいと思う羽目になった。
ああああ〜・・・・。
そんなわけで、年明けの1月4日。
あたしは結構ぐったりした状態で支部に出勤した。
元気の素だと大量のキウィは食べてきたけど、それでも胸のところがざわざわしていた。
今日は挨拶で終わり、本当は営業活動はしなくていいのだが、あたしは例の新人君のアポを取っている。
絶対今日中に1月分を終わらせて、ちゃかちゃか2月戦に入ってやる!とほとんどやけくそだった。
皆が正月の旅行のお土産を配りあいっこしている中、あたしは副支部長に営業に出ることを伝えて支部を出た。
支部長はベテランさん達に捕まっている。出るなら、今しかない。
今日、稲葉支部長本人を見て落ち着いた。
相変わらず愛嬌があり、色気もあり、垂れ目の甘え顔でキラキラと輝いていた。・・・黙ってれば、いいのになあ〜・・・。
それか自分の上司ではなく、支社勤務だったら良かったのに。それなら大会などで見かけるだけで、たまの目の保養てだけで済んだのに。
・・・・ざーんねーん。
年始の挨拶に支部長席まで行ったあたしにかけた第一声は、「明けましておめでとう、神野。今年も是非、優績者クラブへ入ってくれ」という仕事熱心な上司としての言葉だった。
・・・・優績者クラブ・・・。あたしに、億単位の契約を取ってこいって言ってんだな、こいつ。
あたしはひきつった笑顔で逃げた。
やっぱり想像の世界に入り込むのはよくない。現実を見よう、あたし。3年前はともかく、今はヤツにも彼女がいるかもしれないし(居ないとは一度も聞いてないもんな)、年始から釘をさされたあたしは恋愛どころじゃないハズだ。
新年の挨拶も兼ねて、お土産を持って職域を訪問した。
どこも今日は挨拶で終わりらしく、仕事始めは明日からだと機嫌が良さそうに会社で飲んでる人たちもいた。
あたしは何とか新人君を捕まえて(何と、やつは約束を忘れていた)、それから1時間会議室を借りて監禁し、説明して納得させ、無事に契約を頂いた。
書類が揃っているかを確認して、頭を丁寧に下げる。
「本日はお忙しいところ、ありがとうございました。独身の間は医療重視でいいけど、結婚することになったらまた教えて下さいね。責任が変わりますからね」
と釘をさし、本当のところどうでもいいのだけれども彼女の話なんかを聞いたりして彼のテンションを上げといた。
エレベーターまで送ってくれた新人君に再度頭を下げて挨拶し、あたしはさて、とビルの案内板に向き直る。
去年の秋に、このビルに新しい会社が移転してきたのだ。そこそこ大きな広告会社の新しく出来た部門の為の事務所だとまでは、守衛さんから情報を得ている。
いつもの職域に来るついでに、そこにも出入りが出来ないかな〜と、前々からあたしは企んでいたのだった。
・・・年始すぎるかも、だけど・・・。でも通常業務が始まる前の方が、ちゃんと話を聞いてくれるかも。
あたしは一人で頷くと、エレベーターに乗り、階上を目指す。営業職である以上は、どこからか自分で行く場所を確保する必要がある。
地域の各家庭を一軒づつ回るのも王道と言えば王道ではあるが、あたしは元々職域担当営業部出身だから、地域の家に飛び込みするのには慣れてなかった。
やっぱり、企業訪問が好き。
エレベーターを出て、小さなカウンターに近づく。多分、ここが受付の代わりを果たすのだろう。
うーん・・・だけど、誰もいない・・・。
すりガラスの向こうに人影が動くのは見えるから、会社としては始まってるんだと思うけど・・・。
あたしはガラス戸に近づき、3回ほどノックする。
「・・・失礼します」
少しだけドアを開けて中を覗き込んだ。
ビルの一つの階のほぼ半分を使っているらしく、大きな空間をパーテンションで小さく区切って使っているらしい。広告会社って聞いてるけど、外資系かな?そんな感じに見える。
何人かが行き交うけどあたしには気付いてくれず、あたしは半身をドアから滑り込ませて、丁度通りかかった女性に笑顔を向けた。
「あの、お忙しいところすみません、受付の方はいらっしゃいますでしょうか」
書類の束を抱えて歩いてきた女性は、はい?と華やかな笑顔でこちらに近づいてくる。
「〇〇生命保険の神野と申します。出入りの許可を頂きたくてお邪魔しておりますが、受付の方、お姿がなくて・・・」
「あら、いない?」
あたしの横からドアに手をやって、ホールを見た。
「本当ね、どこにいったのかしら、もう。―――――ええと・・・」
ドアから顔を突き出してキョロキョロしていたその女性は、くるりとあたしに向き直って微笑んだ。
「この事務所は移転してきたばかりで、まだどの保険会社さんも入ってないのよ。だけど総務に聞いてきてあげるわね、丁度用があって出向くところだから」
「ありがとうございます!」
あたしは頭を下げて、急いで名刺を取り出した。
女性はあたしを応接に使っていると思われるスペースまで連れて行ってくれて、お待ち下さいと微笑んで歩いて行った。
・・・うわあ〜・・・何か、素敵な人〜。明るい色で染めてある髪の毛は短く、パーマが当たっているのかふわふわと顔の周りで跳ねていて可愛いし、大きめの口を綺麗に開けての笑うのは見ている方が楽しくなる笑顔だった。
灰色のストライプのスカートスーツ。綺麗な足に高いヒールで、いかにもなキャリアウーマンだったけど、耳元の大きめのピアスがその硬そうな印象を大いに柔らかく変えている。
格好いい!あたしは嬉しくなってテンションが上がる。
働いている素敵な女性を見ると、やっぱり嬉しくなってしまうなあ〜。これも、企業訪問の好きな理由だ!
しばらく待っていると、そのハンサムな女性が戻ってきた。
あたしににっこりと微笑んで、頷いてみせる。
「許可、出ました。ここで営業活動してもいいって言ってたわ。詳しいことは総務と話して貰わないといけないので、こちらへどうぞ」
あたしはピョンと立ち上がった。
やった!幸先いい〜!!
ハンサムな彼女の後ろについて歩いていく。入口から近いところに仕切りに使ってるらしいラタンの大きな建具に『総務』とプレートが張られている場所まで連れて行ってくれる。
「どうぞ」
あたしは彼女に頭を下げて、お礼を言った。そして、近づいてくる総務の方に向き直る。
顔に大きな笑顔を貼り付けて、丁寧な挨拶をした。
ビルを出て、足取りも軽く駅に向かう。
やった〜!今日はいい日だったなああ〜!あたし、あのビルと縁があるのかも!スキップする勢いで歩いていた。
契約も貰えた上に、新しい会社での出入り許可まで貰えた。これで活動範囲が増える。2月戦を戦うためにもまず、エリア拡大クリアだ!
それに、あの優しい女性社員さん。格好よかったなあ!職域担当の営業部で憧れていた先輩にちょっと似ていた。
前に向かってそうな強い視線と、柔らかく崩れる素敵な笑顔が。
帰りにエレベーター前で男性社員と待っているところを見かけたので、お礼を言ったのだ。すると、これまた優しく微笑んで名刺をくれたんだった。
あたしは寒風吹きすさぶ駅のホームで、温かい気持ちでその頂いた名刺をじいっと見ていた。
『企画営業部 係長 梅沢翔子』
・・・翔子さん、て言うんだぁ〜・・・。うーん、名前と雰囲気がぴったりあってる。指輪はしてなかったから独身なのかな?嬉しい、憧れの対象となるような人と出会えて!
るんるんと支部に帰宅する。
今日は挨拶だけなので、既に数人しか職員も残っていなかった。
お疲れさま〜!とその残りの全員に迎えられて、あっちこっちから雑煮だのお箸だのが突き出される。
あたしは幸せにそれを受け取り、ホワイトボードの前で構えていた副支部長にピースサインと共に成果を発表した。
「おおお〜!今年一発め!さっすが玉ちゃん!」
大久保さんが背中を叩いてくれる。
正月休みの間に上がっている他の営業の成果も勿論あるが、出勤初日に上がる成果はやはり注目を浴びる。
支部長席からは瞳を細めて稲葉さんが笑顔をくれていた。あたしはちょっと誇らしい気持ちになり、上司に近づく。
「褒めて下さい、支部長。新しく、広告会社で出入りの許可も貰ってきました」
‘中央の稲葉’と言えばと噂された究極の甘え顔でにっこりと笑って、稲葉さんは頷く。
「よくやった。素晴らしいスタート、だな」
正直に言うと、あたしはその笑顔に少し見惚れた。
だけど満面の笑顔で近づいてくる副支部長の存在に救われる。はあ、よかった、アホ面でぼーっと見惚れたりせずに済んで。
あたしは自席で職員さんがつくってくれた雑煮を食べる。
やっぱりこれでなきゃ。あたしは、働くことが好きだ。営業をしていてその80%が辛いことかもしれないけど、それでも契約をいただけた時やお客様に喜ばれた時、うまく職域を増やせたとき、それを上司に褒められたときの達成感は、その辛さの全てを埋めて余りある。
この瞬間の為に、外で頑張ってると思うのだ。
雑煮はあたたかくて美味しかった。
あたしはふんわりと優しい気持ちになる。
今年もお仕事、がんばろうっと。
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