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あっという間に支部にはあたし一人になった。
時計のコチコチ言う音が耳障りで、あたしは買ったもの一式と、オレンジと水の入ったバスケットを持って支部の2階へ上がる。
あたしがよく使っているから、副支部長が「玉の部屋」と呼んでいる階段からすぐの手前の小部屋。
そこに入り、いつものようにオレンジを食べる。水の飲む。そして来年の計画表を見ながら自分の個人成績表と格闘を始めた。
3月までに、通算10件はいる。そうしておけば夏までが楽だ。ってことは、あそことあそこと――――――――
今までの顧客様に頂いている紹介をちゃんと全部物に出来れば、大丈夫だと判って一息ついた。
あー・・・よかった・・・。ほんと、一時はどうなることかと思ったああ〜・・・。
安心した勢いで泣きそうになった。ダメダメ、別に喜びの涙をながすことでもない。大体、紹介して頂けたって、その相手をあたしが信頼してもらえるかはまだわからないのだ。
でも、とにかく・・・。これで気が楽に、新年を迎えられるってもんである。
あたしはにんまりと笑って、今日買った素敵なものたちを袋から出して並べた。
持参したハサミでタグを切り取りながら、ドアのところにある小さな姿見で自分に当ててみては楽しむ。
うーん、いい買い物したわあ〜!!喜びが止まらない。買い物、本当に久しぶりだったんだもんなあ。
ジャケットを脱いで、新しいコートを着てみる。今日はジャケットの下にはシルクに見える光沢のあるトップスを着ていてシャツではなかったので、このままでも似合うなあ・・・帰り、このままで行こうかなあ〜。
中腰になって鏡で確かめていたら、コンコンとノックが聞こえ、あたしのすぐ横のドアが開いたから驚いてよろけた上にソファーに倒れ込んでしまった。
「ひゃあ!?」
髪が顔にかかって誰が入ってきたのか判らない。あたしがソファーでじたばたしていると、腕を引っ張り上げられた。
「・・・何してるのかと思ったら・・・」
――――――この声は!!!
「しっ・・・支部長!?」
あたしは片手で髪を払って、何とか体制を立て直してから改めて見上げた。
少し乱れた髪を手櫛で直しながら立つ稲葉さんは、うんざりする半日の会議で疲れ切っているはずなのに、やっぱり格好良かった。そのちょっと疲れてますって感じが色気を増幅させている。・・・どうしてそうなるのか、不思議でたまらない。
「誰もいないのに2階に電気がついてるぞ、クリスマスで金曜日しかも一般支部で、まだ仕事している職員がいるのか、感心感心、と思って来てみたら・・・」
はあ〜・・・とため息をついて、稲葉さんは通称「玉の部屋」を見渡した。
あたしも見回す。
ソファーとテーブルが一つづつあるだけの小さな部屋は、あたしが買ったものがそこら中に広げられていて、まさしく、マイ・ルーム状態だった。
散らばる服と靴。テーブルの上には書類とオレンジとボールペンや手帳。
「・・・あああ〜・・・ええーっと、いえ、これは、その・・・」
あたしはわたわたとそこら辺を片付け始める。
やばっ!!やーばーっ!!
ばたばたと右往左往するあたしをドアにもたれたまま見ていた稲葉支部長が、ひょい、と一番近くにあった袋を持ち上げてのぞき込んだ。
「うわあ!それは――――――」
―――――――下着セットだよ!!
あたしは真っ赤になって袋を取り返す。奪い取った袋を体の後ろに回して、あたしは稲葉さんを睨み付けた。
「みっ・・・見ました!?」
あたしに袋を奪われる前の、両手で袋を持つ格好のままだった稲葉さんは、その手を下げてから表情も変えずに少し首を傾げた。
「――――いや。何が入ってたんだ?」
・・・ああ、良かった・・・。あたしはほーっと息を吐き出した。パタパタと顔の前で手を振る。
「いえ、大したものでは」
「・・・・オレンジ色小花柄のレース」
「ってか、見てるじゃないですかっ!!」
真っ赤になったあたしが噛み付くと、にやりと笑って稲葉さんは言った。
「怒るなよ、拾ってやったのにさ」
もうー!!あたしはバタバタと買い物を回収し、ショッピングバックに突っ込む。
稲葉さんはドアから離れて机の上の来年の計画表と個人成績表を手に取った。
「・・・計画を立ててたのか。どうにかなりそうか?」
あたしはまだ顔を赤くしたまま何とか持ち物をまとめて、振り返った。
「あ―――――はい、ええと・・・。今頂いてるお客さまからの紹介をちゃんとものに出来れば、何とか。今日貰えなかった契約は、年始にアポが取れてますし――――」
ソファーに座って計画表を読み込む支部長の隣から、指を使って説明を加える。
彼に近づくと前に一度抱きしめられた時の記憶が蘇って一瞬鼓動が早くなったけど、挙動不審にはならずに済んだ。
稲葉さんは軽く頷いて、何点かあるあやふやな点を指摘した。それに答えるべく手帳を取ってめくっていたら、隣から視線を感じて顔をあげた。
垂れ目を柔らかく細めて、稲葉さんがじっと見ている。
「・・・何ですか?」
あたしは少し身を引いてから聞く。するとヒョイと左手を伸ばして、いきなりあたしの顎を掴んだから目が点になった。
「へっ・・・」
「化粧、変えた?朝と違わないか?」
ヤツはあたしの顎を掴んだまま、まじまじと顔を近づけて凝視する。あたしは急激に体温が上がるのを感じながら目を見開いていた。
ふわりと稲葉さんの香りがした。
「・・・」
「違うよな。何だか印象が色っぽくなったような・・・」
じいっと見られるのに耐え切れず、あたしは両手で稲葉さんの手を払って身を引いた。
「かっ・・・買い物中に、メイクもして貰ったんです!」
まだ視線を外さないまま、稲葉さんはふうん、と呟いた。
「女性って本当化粧で雰囲気変わるよな。凄い技術だ」
・・・それって、ちっとも褒められてる感じしないぞ。うーん・・・・そうか、褒めてないのか、別に。あくまでも化粧技術を褒めたんだよね、今のって。
ドギマギしてしまったあたしは悔しくて、仕返しにと噛み付くことにした。声を意地悪モードに変えてちろりと横目で見る。
「支部長は、女性に興味なさそうですもんねーえ。もしかして、同性愛主義だったりします?」
軽くジャブをいれると嫌そうな顔と声が返って来た。
「・・・何でだよ。男にそんな興味ねーよ」
「だって、あんなべっぴんの繭ちゃんに抱きつかれても、全然嬉しそうじゃなかったですよねえ〜。妻子が居る人でも嬉しいもんなんじゃないのかなあ、あれって。だからやっぱり支部長は、実は男性が好き??」
「違うって。美人に抱きつかれたって嬉しいかどうかは、その状況にもよるだろう」
「いいですってば、隠さなくて。誰にも言いませんから、ほらほら」
「・・・神野」
「彼女、いないんでしょ?でも実は彼氏はいるとかじゃないんですか?」
反応が面白くてにやにやが止まらないまま支部長へにじり寄り、畳み掛けていると、嫌そうに顔を歪めていた稲葉さんがするりと表情を変えた。
・・・うん?何だ?いきなり、余裕気な微笑み―――――――
あたしは思わずソファーの上で後ずさる。
「俺は」
口元に美しい笑みを浮かべて、稲葉さんは人差し指をつと伸ばした。
「女性が好きだ。特に、唇には惹かれるね。・・・こんな風に何もつけてない素の唇をみると、舐めてみたくなる」
微笑みながら、オレンジを食べていたから口紅が取れてしまっていたあたしの唇を、サラッと撫でた。
その感覚にあたしは固まる。
一瞬で形成は逆転して優位に立った稲葉さんが楽しそうに続けた。
「・・・まあ、神野のはキスしなくても判るけどな」
「・・・は?」
あたしの唇を撫でていた指をやっと離して、稲葉支部長は立ち上がった。そしてまだ食べてないあたしのオレンジをひとつ取って、それを振りながら言った。
「神野の唇。これの味しか、しねーだろ。夜の間は」
唖然として思わず口を開けたまま絶句したあたしを見て、ヤツは軽い笑い声を上げる。
「キスの味がオレンジとは、お子様だな。メイクで色気を出したって、最後の詰めが甘いのは営業活動と同じだ」
―――――――なっ・・・・!!
あたしが真っ赤になって攻撃をしようとするのと、ヤツがドアを閉じたのが同時だった。
ば、ば・・・バカにされたああああ〜!!くそう!結局からかわれて負けてしまった〜!!あああーっ!それにあたしのオレンジがあああ〜!!
あたしの貴重なビタミン剤を返せっ!!果物は高いんだぞう!
今日貰えなかった契約までキッチリ嫌味に変えて行った。くっそ〜ロクでもない上司だ!
ジタバタすれど、相手はなし。あたしは悔しい気持ちのまま、持ち物をまとめて2階の電気を消した。
腕時計を見るともう8時近かった。
事務所に入ってあたしからパクったオレンジをむいて食べている支部長を睨みつけて自席に戻る。
稲葉さんの楽しそうな声が他には誰もいない支部に響いた。
「寂しい独り身同士、どっか食べに行くか?」
「行きません!!」
あたしが鼻息も荒く荷物を引っつかんで事務所のドアを閉めた時には、稲葉さんの爆笑が聞こえていた。
・・・ちっくしょう!鬼支部長めええええ〜!!
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