4、抱擁かつ脅迫。@



 翌日の朝、あたしはまた睡眠不足だったけど、すっきりと目覚めて目覚ましのアラームを切った。

 いつものように12分前に。

 隣で眠る光を見詰める。

 彼の寝顔を見るのも、これが最後なんだろうな。そう思って、じっと見た。

 伸びかけのひげや、枕に広がる黒髪や、わりと通った鼻筋なんかを。

 ・・・この顔も、好きだったな。

「あーさーでーすーよ〜」

 気が済むまで見詰めてから、あたしはおもむろに彼を起こしに掛かる。ぺちぺちと柔らかく頬を叩いた。

「・・うう〜・・・ダメ、すんげー眠い・・・・もうちょっと・・・」

「ふざけんなっつーの。サラリーマンでしょ、今日はまだ金曜日よ。ほら起きた起きた!」

 今度はバンバンと肩を叩いてから、あたしはベッドを抜け出す。

 先にシャワーを浴びて洗面所で化粧をしていたら、欠伸をしながら光がやってきた。

「・・・はよ」

 まだ半眼で、がしがしと頭を掻いていた。鏡越しにあたしを見て、にやりと笑う。

「・・・営業職って感じだな〜。ホント顔変わるよな、お前」

 あたしはむすっと膨れる。

「すみませんね、スッピンはブサイクで!」

 代わって、とあたしを押しのけて、蛇口を捻りながら光が笑った。

「そういう意味じゃねーよ。営業職の化粧って、あるだろ?すぐ判るよな、格好と化粧で職種が」

 ・・・ああ、そういうことか。うむ、それは確かにそうだろうから、許してやろう。

 あたしは完成した顔を点検して、頷く。

「今日は‘泣けないメイク’なの」

「・・・何それ」

 顔を洗ってタオルで拭きながら、光が怪訝な声を出す。あたしはホラホラと指を振った。

「今日は、鬼支部長と面談があるのよ。昨日の解約について。だからウォータープルーフじゃないこってりマスカラと、マットなファンデ。泣くと酷い崩れようになるから、それだけで涙を抑制できるってわけ」

 ドライヤーに手を伸ばしながら光が嫌そうな顔をした。

「・・・嫌な化粧だな。なんつーか・・・お疲れ様です、だな」

「でしょ」

 これも、営業職のたしなみだ。


 恋人みたいに一緒にラブホを出て、駅前まで歩く。改札で別れる光を見上げて、あたしは顔の横でヒラヒラと手を振った。

「・・・じゃあね、今まで長い間大変お世話になりました」

 その言い方に、彼は微かに笑った。

「お互い様、だな。体に気をつけろよ」

「光もね」

 口に出しては言えないけど、あたしは心の中で付け足した。

 絶対絶対、幸せになってよね、って。

 支部に向かって歩き出すと、玉緒、と光の声がして振り返る。

 他の通勤客を避けて立ちながら、最初の頃みたいな優しい表情で、彼がこっちを見ていた。

「仕事は――――――あまり・・・頑張りすぎるな。俺は、お前の仕事は大切だと思ってる。だけど心身を潰すほどの仕事なんてないんだからな」

 あたしは目を見開いた。

 じゃあな、と光が手を振って改札を通る。そしてそのまま他の通勤客の波にのまれて消えた。


 お前の仕事は大切だと思ってる。・・・まさか、光からそんな言葉を。

 生命保険の営業は、嫌がられて避けられることが普通だ。

 元気な人に、万が一のことを話してお金をかけてもらう。タブーの話題をわざわざ出して人をうんざりさせることから仕事が始まる。

 付き合いだした頃、光も嫌がったものだ。

 ――――――俺、保険とか必要ないから。彼女の仕事だからって関係ねえよ。人に嫌がられる仕事なんて辞めてしまえよ。

 そう言われたこともある。

 何でそんな頑張るの?人の命をお金にするのがそんなに楽しいのか?そう言われて大喧嘩したこともある。

 自分の為に保険に入るんじゃないのよ、自分を大切に思ってくれている人たちのために入るのよ!!って平手打ちしたこともあった。

 その光が・・・・。

 あたしはつい涙ぐんだ。

 やだ・・・今日は泣けないメイクだって言ってるのに、あの男・・・。

 唇をかみ締めて涙を耐える。だけど顔はほとんど笑顔だった。

 あまり・・・頑張りすぎるな。貰った声が耳の中でこだまする。あたしは一人で頷いた。

 はい、肝に銘じます!


 そして、戦場へ歩き出した。保険の営業、神野玉緒、本日のお仕事開始。


 明るい表情でドアを開ける。

 今朝はここから徒歩10分のラブホからの出勤だったのもあって、あたしが一番乗りだった―――――――と思ったら、違った。

「おはよう、神野」

 あたしは事務所に入って一歩目で、足を止めた。

 ・・・稲葉支部長、いらっしゃってたんですね。

 いつもは明るくてよく通る上司の声が、今朝は何だか固い。あたしは振り返って鬼支部長の机を見た。

「おはようございま・・・す。支部長」

 真顔の稲葉さんと目が会って、思わず声が途中で切れてしまった。笑顔がないぞ。・・・つーか、めちゃ怖いんですけど。

 整っている顔の人間が無表情だと、人形みたいでマジで怖い。

 あたしは既にびびりながら、自席へ向かう。そのあたしから目を離さずに、支部長席から稲葉さんがじいーっと見ている。

「・・・あの・・・何でしょうか・・・」

「何が」

 抑揚つけずに即行で聞き返されて、あたしは更にびびる。

 ・・・やめてよおおお〜!折角、光にも元気を貰って新たな気持ちで出勤してきたのに、いきなり機嫌の悪い鬼上司の相手なんか御免だよー!

「・・・何でも、ないです・・・」

 居た堪れなくてあたしはコーヒーを淹れに給湯室へ向かうことにする。まだ8時前だもんな〜・・・当分誰もこないよね。どうしよう、コンビニにでもいっとこうか?あ、でも財布持ってこなかった!

 支部に備えられた小さな給湯室で、マグカップを持ったままあたしは困って唸った。

 と、とりあえず・・・と自分で掛け声をかけて、ポットの電源を入れる。何にせよ、お湯はいるんだし。先輩方が出勤してきたらコーヒーは飲むはずだ。

 カップにコーヒーの粉を入れてこれから他の面々が出勤するまでどうしたらいいのだ、と悩んでいたら、悩みの原因が自らやって来た。

「俺にも淹れて」

「うひゃあ!」

 驚いて横に飛ぶあたしを見て笑うでもなく、稲葉さんは淡々と自分のカップを出してくる。

 び・・・びっくりしたあああ〜!!ドキドキとうるさい鼓動を抑えようと頑張っていると、神野さ、とヤツの声が聞こえた。

「は、はいっ!?」

 慌てて振り返るとすぐ隣に稲葉支部長がいてまた仰け反る。何でこんなに近いのよ〜!!

 あたしをじっと見たままヤツが言った。

「・・・今日、どこから来た?」

「は?」

 あたしは首を傾げる。

 給湯室の入口に肩を預けてもたれ、今日も一寸の乱れもない美形の上司は、冷たい真顔であたしに言った。

「服が昨日と同じ。それに、会社の前を朝から‘元彼’と仲良く歩くのは、どうかと思うけどな」

 あたしは固まった。

 ・・・・みーてーたーのーかあああああ〜!!!




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