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目を見開いて宮田副支部長があたしを凝視している。手塚さんは口元に片手をあてて目を瞬いていた。
「何ですって?」
あたしから目を離さずに副支部長が近寄ってきた。手塚さんはため息をつくと、事務所を出て行く。
あたしは椅子に座って、落ち着いて詳細を話した。
副支部長は黙って聞き、途中で痛そうな顔をしたと思ったら、ぽろりと涙を落とした。
・・・あらあら。あたしはそれを見詰めていた。
営業から副支部長に上がって半年の彼女は、まだ感覚が営業職員に近い。ダイレクトに自分のこととして考えてしまったのだろう。
ドアが開く音がして、手塚さんがコーヒーを持って入って来た。そしてあたし達に近づきながら、そっと言う。
「・・・あなたが泣いてちゃダメでしょう。職員さんが耐えているのに。・・・玉ちゃん、体が冷えてるんじゃない、コーヒーでも飲みなさい」
「・・・ありがとうございます・・・」
おばあちゃんそのものの優しさにぐっと胸が詰まる。ベテランに注意された副支部長はババッと涙を拭いて、顔を上げた。
「本当ですね、ごめんなさい、玉ちゃん。悔しくて、つい。でも私が泣いても仕方ないわね、それよりも対策を練らなくちゃ」
両手で頬をパンパンと叩いて、副支部長は気合を入れている。あたしは頂いたコーヒーをゆっくりと飲んで、お腹からあったまっていくのを感じていた。
そして、あ、そうだ、と口を開いた。
「支部長にもまだ言ってないんです。今日は何時に戻られますか?」
宮田副支部長は、ああ、と2階を指で指す。
「皆の来年の目標を決めたいからって大量の資料と共に2階に篭ってるわよ。4時頃に帰ってきてからずっとやってらっしゃるの」
ああ、2階を使ってるのは稲葉さんなのか!あたしはぐいっとコーヒーを飲み干して、ご馳走様でした、と手塚さんに頭を下げる。
にこりと微笑んで、手塚さんは立ち上がった。
「私は帰るわね。雪がひどくなるといけないから。・・・玉ちゃん」
「はい?」
顔を上げたあたしにゆっくりと手塚さんが言う。
「知ってるわね、いい時も悪い時もいつまでも続かないって。頑張ったけどダメだった。だけど、またいいこともあるはずよ。前を向くことは忘れないでいきましょうね」
副支部長がまた瞳を潤ませている。
泣き虫の上司に苦笑して、あたしは頷いた。
「暫く凹みますが・・・大丈夫です。来年はもっと大きな経保狙います」
にっこりと頷いて、営業生活50年の大ベテランは帰って行った。
支部長への説明についていってくれると副支部長が言うので、甘えることにした。さすがに一人では気力がもたないに違いない。
冷え切った階段をゆっくりと上る。ヒールがこつこつと音を立てた。
二つある部屋の奥のほうに明りがついていた。
副支部長がコン、と一度ノックして、ほぼ同時にドアを開けた。
「稲葉支部長、少しお――――――」
話が・・・と続けようとしたらしい宮田副支部長が止まった。
あたしも彼女の背中越しに見た。
電気が煌々と明るいその小さな元応接室の真ん中で立つ稲葉さんに抱きついているのは繭ちゃん。
部屋の真ん中の二人はひっついたままでハッとあたし達入口の邪魔者を見た。
「―――――――あ・・・」
支部長に両腕を回していた繭ちゃんが、弾かれたように離れる。両腕を下ろして突っ立っていた支部長が、二重の垂れ目を開いて驚いた顔であたしと宮田副支部長を見比べた。
「・・・・新谷さん?とっくに帰ったのでは?」
いつもの明るくて華やかな声を低くして搾り出した隣の宮田副支部長を、あたしは驚いて思わずじっと見た。
小柄で細い彼女の体から何かが噴出したようだった。
普段は繭ちゃんと呼んで同行している新人を睨みつけ、するりと腕を下に向けて言った。
「仕事をしているようには見えないし、今日は帰りなさい。雪が降ってきてるから気をつけてね」
抑揚のないその言い方に、怒りと冷たさを感じる。繭ちゃんも感じたのだろう、一度支部長をちらりと見上げると、小走りであたしの横をすり抜けて階段を駆け下りて行った。
「・・・あー・・・宮田さん。説明してもいいかな」
腰に両手をあてて首を垂れた稲葉さんがゆっくりと口を開いた。
今や怒り全開にして立つ小柄な宮田副支部長の冷たい冷たい声が響いた。
「説明?見た通りでしょう、それで十分ですので言い訳は結構です。お邪魔してすみません、支部長。ですがここは職場ですので誰かといちゃつくなら他所でお願いします!」
・・・怒ってるわ〜・・・・。職業上のえぐい痛みを経験したことすら一瞬飛んで、あたしは珍しいものを眺める。
宮田さん・・・怒るんだ〜・・・。
あたしがまじまじと進行中の修羅場を見ていると、盛大なため息をついてモテ男稲葉がきっぱりと言った。
「見たことの全てが事実だとは限らない」
いつもの明るい笑顔はなく、厳しい顔をしていた。きっと支社長との面談はこういう真面目な顔なんだろうと意地悪く思う。
ま、笑顔だろうが真面目顔だろうが、端整な顔はやっぱり端整な顔だけど。平凡代表のあたしは心の中でそう付け足した。
「俺がここで書類と格闘していると、新谷さんがやって来た。明日クロージングの設計をみてくれと言うからアドバイスしていた。もう帰りなさいと言うと、いきなり抱きついてきて、そこにタイミング悪く、いや、良く―――――」
手をあたし達に向けて振った。
「――――――君達が来たんだ。言い訳じゃない、説明だ。実際のところ、乱入には感謝している。・・・それで?」
「は?」
支部長の話を頭の中で噛み砕いていたらしい宮田副支部長は、追いつけなかったかマヌケな声を出した。
「何の用だ、ふたり揃って?」
首を傾げる稲葉さんを見ていたら、何だかあたしは急に疲れを感じた。
さっきの説明の通りだったんだろう。きっと、繭ちゃんが一計を案じてアタックにきたのだろう。
だけども。
よお〜っく考えたら、今晩のボロボロのあたしにあれはきつかった。アドバイスや同行が欲しい時におらず、やっと話せるかと思ってきてみれば、相手は若い美人に抱きつかれていた。本人がそれを喜んでいようがいまいが、今のあたしの状態よりはいいことは確実だ。
・・・・ムカつく。
・・・・むーかーつーくううううう!!!
さっきまで完全な傍観者だったあたしがいきなり睨みつけたので、支部長は一瞬仰け反った。
「・・・神野?」
宮田副支部長もいきなり激変したあたしの雰囲気に気がついたようだった。振り返って、感情沸騰中のあたしを見上げる。
「あ・・・あのー・・そうなんです、一件大変なことがありまして―――――」
声を元に戻して宮田副支部長が焦ったように話し出すのを、あたしは言葉で乱暴に遮った。
「7月戦に貰った経保がぽしゃりました!渡辺課長に同行して頂きましたが、解約防止には至りませんでした。解約用紙への記入は済んでます!以上です!あたしは帰ります!」
呆気に取られる稲葉さんを更に一度睨みつけて、宮田副支部長に頭を下げる。
「お付き合い下さってありがとうございました。それに、解約になってしまって申し訳ありません!お疲れ様でした!」
そしてもう一人の上司には声もかけずに1階めがけて階段を駆け下りた。後ろで二人の呼び声や掛け声が聞こえたけど、あたしは無視した。
どうぞ、宮田副支部長に聞いてくれ。彼女はあんたと違って涙を流して詳細を聞いてくれたのだから。
営業鞄を引っつかんで支部を飛び出す。
まだ雪が降る中を、濡れた地面の上をヒールで走った。
今日は電車で来ていたので、あたしは駅までダッシュする。ムカついていて、情けなくて、悔しくて、よく判らない状態になっていた。
涙は出てない。だけど駅の構内の鏡にうつったあたしは、相当酷い顔をしていた。
青ざめて、目じりは上がり、荒れた唇で。
「・・・本当に、もう!」
天に唾を吐きかけてやりたいが、そんなことを実行すれば間違いなくその唾はあたしに落ちてくる。
ダメダメ、止めておこう。でもこんな気分じゃ家に帰って母親に微笑んだり出来ない。かと言って、まだ泣きたいわけでもない。というか、今の自分の状態が実はよく判ってない。
泣きたいのか、怒りたいのか、それとも笑いたいのか。
うーん・・・としばらくホームで立ち尽くす。
そして、決めた。入ったばかりの改札をまた出て、馴染みの居酒屋に足を向ける。
今日は、自棄酒だ。気が済むまで一人で飲んでやる!
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