B
顔を、顔の赤面だけでも戻したい〜。
しばらく必要のない書類の破棄をしたりして時間を潰し、さすがに体が冷えてきてやっとこさ立ち上がる。
ファイルを戻し、鍵を閉めて事務ブースを出る。電気を確認して、ドアを閉めた。
「すみません、お待たせしました」
出たところで壁に背をつけて待っていたきゅうりに小走りで近づいた。
エレベーターを待つ間、お互いに黙っていた。ぶおん、と機械の作動する音が聞こえる。
しんしんと冷えてくるエレベーターホールで、黙って立つ。きゅうりは何考えてるんだろう。
いつもよりラフな姿のきゅうり。艶のある短い黒髪は夜も遅いというのに綺麗に後ろに梳いて整えてある。切れ長の目。高い鼻梁。じっと見てみたいけど、隣にたってりゃ正面から観察は出来ないしな・・・。暇にまかせて少し考える。うーん、バレずに、きゅうりをじっくり観察する方法は・・・。
「何考えてんだ?」
いきなりボソっと声が聞こえたから、ビクっとして肩が震えた。
「ひゃあ!・・・い、い、いきなり低い声で話しかけるのやめて貰えます?」
びっくりした反動でまた真っ赤になって、急いで言葉をつないだ。まさか、きゅうりの事考えてたなんて言えない。
「ええっと・・・さ・・寒いから、この分だとクリスマスには雪かなって」
頭1個分高い場所からちらりと私を見下ろして、きゅうりはため息をついた。
「・・・・あー・・・クリスマスね。いっそのこと、大寒波がきて、大吹雪になってくんねーかな」
「は?」
思わずきゅうりを見上げる。とーっても嫌そうな口調なのが、耳にひっかかった。
エレベーターが来て、乗り込む。
きゅうりはズボンのポケットに手を突っ込んで、目を閉じ、背中をエレベーターの壁に預けていた。
「・・・前の、長谷寺さんの娘さん。クリスマスには一緒にって、何度も誘ってくるんだ」
思わず見上げる。
長谷寺様のお嬢さんが、きゅうりをクリスマスに誘うって・・。
「・・・断れないんですか?そんな嫌そうにして」
「そのたびに、何度も断ってる。あんまりしつこいから、彼女と約束がありますのでって言ったんだが・・・」
何だと!?
「彼女!?出来たんですか!?きゅ・・・でなく、楠本さん!」
私の勢いに驚いたのか、きゅうりが閉じていた目を開いた。エレベーターが音をたてて1階につき、揃って出る。
私の心臓はうるさいくらいで、聞こえるかと思った。
「いや、とりあえず、断る方便として」
きゅうりの言葉に安堵のため息をつきそうになって、慌ててそれを飲み込んだ。
・・・・心臓に悪いったら。無駄に血液逆流させるのやめてよ、もう・・。
話を続けるきゅうりの後ろで、そっとため息を漏らした。
「でも、信じないんだよ。笑って言うんだ、信じないって。かなり押しの強い子だよなー・・・。あー、面倒くさい・・・」
守衛さんにお礼を言って、外に出る。
駐車場まで歩いていく間に話が続く。
「前の大会の時、青山さんに保険の話振ってませんでした?」
「うん、振ったな。あれは、結局話しを聞いたってだけでなくなったらしい。青山がニヤニヤして、娘さんは楠本さんと付き合いたいだけですねってわざわざ席まで言いにきた」
おお〜・・・凄い。それとも普通の人って、好きな人が出来たらそこまで出来るものなんだろうか。
いや、違うよね。ってか、彼女居ないのまでばれてるのが凄いかも。
私はきゅうりだったら絶対いると思ってたけど・・・それって自分に自信がないからなのかな?
結局、仕事優先の為、彼女は作る意思がなかったって前きゅうりから聞いたばっかだし。
歩きながら考える。
・・・・クリスマスかあ・・・。そうか、今日の2次会が楽しみですっかり忘れてたけど、また一人のクリスマスがくるんだなあ〜。
一人暦、長いぜ。まあ、ちゃんと男の人と付き合ったことないんだから、長いのも当たり前・・って言うか、全人生なんだけど。
長谷寺様のお嬢さんは、きゅうりを誘った。
断ったっていってたけど、追いかけてきそうな雰囲気・・・。
「・・・凄いですね、断られたのに、どうやって一緒に過ごすつもりなんだろう・・・」
返事を期待しない呟きだったけど、隣からは声が返ってきた。
「待ち合わせしましょうって電話がかかってきた。いかないつもりだけどな〜・・・。なんせ、お客様だし、青山の為にもあまり無碍には出来ないところが辛い・・・」
・・・はあ、大変だなあ・・。前もしみじみ思ったけど、顔がいいってのも大変な苦労があるのね。よかった、私は特別美人でも可愛くもなくて。
「・・・・」
「ん、どうした?」
黙ってしまった私をきゅうりが覗き込む。・・・近い近い近い!慌ててするっと距離を取った。
「コメントのしようがありません。仲間さんにでも彼女役頼むとかしてみるのはどうですか?」
胸の奥がキリキリ痛んだけど、真っ直ぐ前を向いたまま言ってみる。
あのゴージャス美人の仲間さんなら、連れて行ったら長谷寺様も諦めるんじゃ・・・。
するときゅうりは即答した。
「え、俺がヤダ。あいつ怖いもん。後でどんな見返りがくるか・・・。それに、あいつはどうせデートだろうしな」
あ、そうか。今日もデートで邪魔するなって電話切られたんだっけ。仲間さんの彼氏かあ・・・めちゃ見てみたい。
そんな事を考えていたら、履きなれない高いヒールが駐車場の段差に引っかかった。
「きゃあ!」
ぐらりとよろけて目を瞑る。
絶対冷たいコンクリートにぶつかる〜!と思っていたのに、いつまで経ってもその衝撃はやってこない。
・・・あれ?
そういえば、腰のあたりを捕まれて――――――――――・・・・
「あぶねーな。酔っ払いめ」
きゅうりのハスキーな声が耳元で聞こえてパッと顔を上げた。それが悪かったらしい。倒れかけた私の腰を抱きとめてくれたらしいきゅうりの顎に、自分の頭をぶつけてしまった。
ゴンっといい音がした。
「痛っ!」
「ひゃあ!す、すすすすみませんーっ!!」
慌てて何とか自力で立つ。まだ腰に手を回されたままでくるりと向き直り、至近距離のきゅうりの顎を指先で撫でた。
「ごめんなさい〜っ!痛かったですか?痛かったですよね!ひゃああ〜赤くなってる〜・・・」
ウダウダいいながら赤くなってしまったきゅうりの口元を指で撫でる。痛いの痛いの飛んでいけ〜!盛大に心の中で呪文を唱えた。
「・・・大丈夫、だから、トマト」
「うううっ・・・本当にすみません〜」
「うん」
「でもやっぱもう一回くらい呪文かけときますね!痛いの痛いの〜・・・」
くくくっ・・・と笑い声が聞こえた。目の前にあるきゅうりの口元がひゅっと釣りあがる。
え。あら?どうして笑うのよ。
私は目を上げて、そこで綺麗な両目とバッチリあってしまった。
ぎゃあ。
そういえば!まだ腰に手が!!ようやく気付いて最速でババッと離れる。
「・・・おお?おまじないは途中でお終いか?」
にやにや笑いながらきゅうりが言うのに、私は悔しくて唇をかみ締めた。
「お、お終いです!もう、真剣に謝ってるのに、笑うから!」
抑え切れないらしく、まだ笑いながらきゅうりが車のロックを外す。
私はぷりぷりしていたけど、そういえばコケるのを助けてくれたんだった、と思い出した。
「・・・楠本さん」
「うん?」
運転席に滑り込みながら、まだ楽しそうな顔できゅうりが振り返る。
「あの、ありがとうございました。ヒール高いの、慣れてなくて」
頭を下げるとちょっと驚いたようで笑うのを止めたけど、うん、と頷くとシートに座ってベルトを締めた。
送るというきゅうりの言葉に甘えることにして、また車に乗り込んだ。ワンピースの丈が短くて、座ると膝から上までするすると生地が下がってしまう。
変に意識して恥ずかしいから、クラッチバックで膝を隠す。
「・・・寒そうな格好」
きゅうりが見ていることに気付いて、顔が赤くなる。
「大丈夫です!」
「・・・今年もあと少し仕事あるんだ、体冷やして風邪ひかねーように管理しろよ」
後ろの座席に手を突っ込んで、茶色のブランケットを引っ張りだし、私に渡してくれた。
お礼を言うタイミングが少し遅れたけど、優しくされてびっくりしたからなんて言えない。
黙ってそのブランケットを膝の上にかける。
両足に感じる暖かさは、ブランケットだけが原因じゃないと思った。
それでも、スマートに車を出すきゅうりをみてガックリくる。
結構頑張ったお洒落なんだけどなあ〜・・・うーん、あんまり反応がなくて残念。私ってそんなに色気ないかなあ・・。
さっきも腰抱いて貰ったけど、きゅうりは何てことないみたいだった。私は一人でワタワタして・・・もう、バカみたいじゃないの〜。
あああ〜、恥かしい。思い出したらまた赤面してしまう。落ち着かないと、私。
窓の外を流れていく夜景に目をやった。
いつだって、この人は私にこれだけのパニックをもたらすのに・・・。
きゅうりには私なんて何の影響も与えられないんだなあ〜・・・。
あーあ。
また凹みそうになる自分に心の中で叱咤激励を繰り返す。いいのよ!今晩は事務として役に立てたじゃないの、そう思って、何とか笑顔を取り戻そうと努力していた。
家に帰りついたら、既に夜も11時半を過ぎていた。流石にあくびが出る。
「じゃあな、本当に今日は助かった。ありがとう」
いつものにやり笑いじゃなかった。
すごく、優しい笑顔だった。しばらくそれに見惚れてしまって返事が遅れる。
「・・・いえ、よかったです。お役に立てて。お休みなさい」
こちらも笑顔で返す。
風が垂らしている髪を撒き散らし、一瞬目をつむった。
「寒いから、早く入れ。――――そうだ、トマト」
「はい?」
きゅうりの声に顔を上げる。
外灯の下、その光に照らされて、きゅうりはすごく綺麗な笑顔で私を見ていた。
「その格好、似合ってる。化粧も、いつもと違って色っぽくていい」
「・・・は・・」
「おやすみ」
車のドアがバタンと閉まる。
私は呆然としてそのままで固まっていた。
エンジン音が遠ざかっても、しばらくそのままで突っ立ってた。
寒さは気にならなかった。ただ全身を赤くして、風にさらされていた。
・・・褒められた。
「・・・やだ」
呟きが漏れる。
気付いてくれてた、化粧がいつもと違うの。
「・・・・やだ、嬉しい・・・」
急激にテンションがアップした。
かかとでターンをして、部屋に上がっていく。今にも踊りだしそうな心境だった。
・・・褒められちゃった。やった、やった、やったああああああ!!!
[ 18/30 ]
←|→
[目次へ]
[しおりを挟む]