4、キス。@
12月に入った。
営業さんたちの仕事ペースは一気に加速して、自動的に事務の仕事も増えていく。毎日がどんどん過ぎていって、合間に数々の締め切りだとか、細かい忘年会だとかが入れられていく。
体を壊してる暇が、文字通りない忙しさだ。
「あー・・・・疲れた・・・。こんなペースじゃこっちも壊れるってば」
3人の営業さんが固まりになって保全業務や新契約の書類を次々出してきたところで、隣の仲間さんの口から珍しく苦情が出た。
「もー今日は持ってこないで!一体何件目の住所変更させるつもりよ!この忙しい12月に何でこんなに引っ越す家が多いのよ!?」
おお。切れてる。
素晴らしいお顔にしわを寄せて、ボールペンを放り出していた。
美人が怒ると迫力が凄い。メラメラと背中からオーラまで見えるようだった。
お互いに慰めあうことも出来ないしね、と各自の机に積み上げられた書類の山をうんざりして見渡す。誰も、他の人の仕事を手伝う余裕がないのだ・・最近。
寒くなって屋上でのお弁当タイムも止めていたから、しばらくは食堂で事務のみなさんと一緒にお昼を食べている。
残業も多くなっていて、家に帰ってお風呂に入ったらご飯もそこそこにバタンキュー状態な私は、ほんと、会社の人たちとしか会話をしていない。その濃い人間関係にも、ちょっと疲れてきていた。
まだ私はアルバイトだからと早く帰らせてもらってるけど。正社員の仲間さんたちは、残業したくないからと朝を早くきて、仕事を片付けたりしているようだった。
「・・・無理。クリスマスには、過労で倒れてる、あたし」
コーヒー入れるわ、と立ち上がって、ぶつぶついいながら仲間さんは出て行った。
肩をぐるりと回すと、バキバキと音が鳴った。・・・ああ、お疲れモードだわ、私も・・・。
「よお、トマト。これ頼むね。面接士取れるか聞いてみて」
書類を振りながら、きゅうりが現れた。
こんな最中にも、ピシっとしてるなあ〜・・とマジマジみてしまう。髪は整えられてるし、目元にも疲れらしきものは見えない。スーツにはいつもの通りしわもないし。
・・・凄いわ、営業さん。
営業の仕事は、新たな契約を取るだけではない。
顧客管理も大事な仕事の内で、今までに契約を頂いたお客様の住所変更や名前の変更、来年のカレンダーを配布したりだとか、マメな情報提供もある。怪我だ死亡だと電話がかかれば給付金や保険金の手続きに飛んでいくし、他社への乗り換えを検討しているお客様がいれば解約防止に努めに飛んでいく。
その合間をぬって新規のお客様を探し、新たな契約を頂くために朝から晩まで駆け回っているはずだ。
きゅうりは顧客が多い。
その為、そういった保全の仕事も山のようにあるはずなのだが・・・。
なんて爽やかなの、この人。
どうやって疲れを取ってるのよ一体。私の方が若いし仕事も楽なはずなのに、大いにボロボロなのは何で?
何とか笑顔をみせて、書類を受け取る。以前きゅうりとお昼を食べて送ってくれた時に決めた自分の誓いは、今のところ破ることなく頑張れていると思う。
私は事務。大事なことは、営業さんたちが順調に仕事が出来るようにサポートすること。笑顔もその内の大事な一つの要素なり。
「はい。・・・えーと、14日の木曜日。動いてる面接士さんは二人しかいませんからちょっと微妙かもですよ?」
面接士とは、医者の変わりに保険契約者に健康状態などを聞く専門職のこと。
面接士ですませることが出来れば、健康診断表をもっていないお客様にわざわざ病院まで出向いて貰う必要はなくなる。営業としても病院まで着いていく手間が省けるので、面接士さんにお願いする方が楽なのだ。
病院で検査が必要ですとお客様に告げた時、非常に迷惑そうな顔をされるのが本当にいつでもビビるって青山さんも言ってたな。
それで契約がなくなるんじゃないかと思うらしい。
「取れなかったら仕方ない。トマトに文句言わないからやってみて」
「・・・させて頂きます」
仕事ですからね、勿論。
一応また笑顔を見せておいて、面接士さんの電話番号をプッシュする。
面接士はみんなフリーで動く専門職の為、事務が個人的に電話をしてアポをとるのだ。
「もしもし、多田さんですか?北事務所の瀬川です、お疲れ様です」
電話をかけてる間、きゅうりは時間があるのかカウンターにひじをついてそのまま待っていた。
お願いする時間がタイミングよかったようで、アポを取ることが出来た。電話でお礼を言い、書類に書き込んで、きゅうりに渡す。
「取れましたよ、多田さん。14日の午後4時に中央橋口駅で拾って下さいね」
「お、良かった。ありがとう。―――――――あのさ、お前・・」
受け取った書類に目を通して確認しながら、きゅうりが何か続けて言いかけた。
「あら、楠本君。お疲れ様〜」
その時、コーヒーを片手に仲間さんが戻ってきた。
「おう、お疲れ様。休憩?」
きゅうりが向き直って仲間さんに笑いかける。・・・さっき、何て言いかけたんだろう・・・。
気になったけど、机の電話がなって、急いで取る。カウンターの後ろで二人が世間話をしている中で、私は仕事に戻った。
電話を終えるともう既にきゅうりの姿はなく、結局なんだったんだろうと首をかしげるハメになった。
「さあ、気合入れなおしたわ!やるわよーっ」
仲間さんが号令をかけて、事務のブースは再び修羅場になっていった。
金曜日の終礼で、今年のうちの事務所の忘年会の会場が発表された。
来週の木曜日に、会社近くの居酒屋を借り切ってするらしい。営業と事務の正社員は全員参加が義務付けられているが、アルバイトである私や定年退職後の復帰組も呼ばれているので、私も参加予定は入れていた。
なんつったって、タダだし。晩ご飯代が一食浮くのは有難い。
仲間さんたち女性組みは、皆食べるだけ食べて早々に帰ると言っていた。毎年無礼講の忘年会は、普段すましている爽やかイケメンエリート達が、大いに壊れて見るに耐えないんだそうな。
「やっぱり、男は所詮男よ。シモネタも炸裂で、酔いが回ったらいただけないから、瀬川さんも初め顔だして、食べるだけ食べたら逃げた方がいいわよ」
って、なんてゆーかなアドバイスも頂いた。
そうか・・・壊れるのか、あの人たち。それはそれでちょっと見てみたいような気もするけど・・・。でも絡まれたら鬱陶しいし、やはり皆さんの言うとおり、1時間くらいで帰ることにしとこっと。
それに、イケメンの崩壊はいただけないよね、確か〜に。
大会で渡されたアンケートは、数日後に社内便を使って水野さんに送り、大賛辞を貰えたんだった。
同じく社内便で、いかに他の女の子だちが喜んだかを細かく書いた手紙がきて笑えた。手紙の最後に「瀬川さんも楠本さんに惹かれてるクチでしょ?一番近いよ、頑張って」とメッセージがあって、皆なんてするどいんだろうと驚いた。
・・・そんなにバレバレなのかしら・・・。仲間さんにも言われたなあ、そういえば。女の人って、怖い。色んな意味で。
一時の超多忙期はそろそろ終わりに近づいていて、営業部は既に来年の1月分の成績も収めて有給消化で冬休みに入ってる人もいるくらいだ。
私もここ2、3日は定時で上がれていたから、睡眠もちゃんと取れて家事も出来たので、体のコンディションも上々だった。
アルバイトでボーナスは勿論ないが、先月の多忙期の残業でお給料も増えていて、今月は少し余裕がある。
今日は仕事帰りに、かなり久しぶりのショッピングに出かけようと計画していた。
ウキウキしながら仕事を片付ける。
だって、生活雑貨や食料以外の買い物なんて、本当久しぶりで!
美容院にいくのも良いかもしれない。もう長いこと美容院には行ってないし、ロングをやめてショートにしてみようか、とか、色をいれてみようか、とか考えるだけで顔がにやけてしまう。
よーし、今年最後に、ちょっと『女力』なるものをあげてみよう!
定時に仕事終え、挨拶をしてエレベーターホールに出る。
今日は一度もきゅうりに会ってなかったけど、仕事帰りの計画に心が躍っていて、思ってたより落胆してない自分がいた。
こんな調子で・・・うん、こんな調子で、きゅうりのことから離れられたらいいよね。心の中でそう思う。
出来るだけ、心の中を占めないでほしい。あの男には。
ビルの外に出て、その寒さに首をすくめる。
うううう〜っ・・・寒い・・・。そういえば、昨日初雪降ったもんね。そりゃあ寒いよね。
ストールを鞄から引っ張り出し、コートの上から肩にまく。
よーし、出発だ!
電車で乗り換えなしの、この辺りでは一番大きな街へ行く。
駅の中も外もクリスマスの飾りつけで風景全体がキラキラしていた。それをみて、更にテンションが上がり、足取りも弾む。どこもかしこも結構な人出で、夜の繁華街のざわめきも興奮剤になっていた。
まず、どこに行こうかなあ〜。あそこ、新しいファッションビル出来たんだったっけ?晩ご飯をどこで食べるかも考えないと――――
その時、何気なく目に入ったウィンドーの中のディスプレイに、視線が吸い寄せられた。
「・・・・うわあ・・・・可愛い・・・」
ロシアンブルーの色のサテン生地に白いリボンがデコルテラインと裾に入った、フレンチスリーブのミニドレス。白いリボンには、細かく繊細な模様が縫い取りされていて、丈が短い割には上品なイメージを出している。
・・・素敵。
思わず近寄って、ウィンドー越しにうっとりと見つめる。体に吹き付ける風の冷たさも全然気にならなかった。
目が放せない。このドレスなら、ちょっとおめかしの必要がある時だけでなくて、普通にも着れるよね・・・。カジュアルな足元でかためて、髪の毛のアレンジを軽めにしたら。
うーん・・・・可愛い。
心が、このドレスを欲しいといっていた。まさにときめいていた。
でも、でも、でも。
衝動的に買ってしまうにはあまりにも現実的な私の理性が大声でストップをかける。
いつ着るの?これを買っちゃったら、美容院にもいけなくなるし、晩ご飯だって家に帰って食べるハメになるよ。どこに着ていくの?誰のために着るの?
頭の中で聞こえてくる私の声に、少し、興奮が冷めてきた。
――――いつ着るの?・・・着てどこかにいく予定は入りそうもない。
――――どこに着ていくの?・・・今のままだと、家で試着して自己満足に浸るだけ。
――――誰のために・・・・・そっかあ、私、彼氏もいないんだった・・・。
もう一度、ドレスを見上げる。
手の届かない素敵な物。
・・・手の届かない素敵な人。
ため息をついて、後ろを向いた。
あのウキウキした気分はどこかに行ってしまっていた。
自分のご褒美なんて、言える身分じゃない。少なくとも、今は、まだ。
真っ暗な空に目を向ける。
・・・黒い世界だ。だけど―――――――・・・
「だから、星は光るんだから」
口に出した言葉は白い息を伴って、夜空に吸い込まれていく。
「・・・だから、月だって光るんだから」
今は背を向けているこの素敵なものだって。
私は、きっと手に入れてみせるんだから。
悲しい時は、無理にでも笑いなさいって、昔もよく言われた。色んな人に、色んなシチュエーションで。
口角を上げる。足を踏み出す。
私は、光り輝く街へと歩き出した。
―――――――いつか、私も素敵になる。
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