B
タケルが居なくなってから、こんなに笑ったことはなかった。
多分姉も同じなんだろう。広志さんと別れてから、姉がこれほど楽しそうだったことはないだろうなと涙を浮かべながら床を叩いて笑うのを見て思う。あたし達は二人とも心の一部をもっていかれたような状態だったのだ。
だけど今、この世界で最も近い人と一緒に他愛もないことで大笑いしている。
ほんと人間って思っているよりも強いのかもしれない。
姉が明日も休みだから構わないわよ、と言ってくれたので、あたしはマンションに泊ることにした。笑い疲れてクタクタで、結局化粧も落とさないままで居間のソファーで寝てしまったのだった。
あまりにもぐっすりと眠ってしまって夢も見なかった。
溜まりつつあった寂しさから来るストレスの貯蔵庫が空っぽになったからか、翌朝の目覚めは超快調。
やっぱり笑いは偉大だ。心を明るく、頭を空っぽにしてくれる。
「おはよー、皐月。眠れた〜?」
姉がそう言いながら入ってきたので、あたしは手をひらひら振りながら頷いた。
「うん、何かかなり熟睡したみたい。スッキリしてる〜」
「それは良かったわね。私も気持ちいいのよ。やっぱり笑うって大切よね」
洗顔と身支度を済ませ、二人で簡単な朝食を囲む。
姉は朝日を浴びてキラキラと美しく、私達、これからもどんどん綺麗になっていくわ、とコーヒーカップを両手で包み込みながら微笑した。
「そうして、王子様と幸せになりましょう」
姉の言い方に笑ってしまった。
「王子様と?あれ?お姉ちゃんは自力で立てる女になるのがいつでも優先って言ってなかったっけ?」
あたしがトーストを食べながらそう茶化すと、姉はくすくすと笑ってカップを置いた。
「勿論そうよ。その上で、なの。素敵な女になる。いつでも自分で立てるようにしておく。そしていい男を愛するのよ。一人でも勿論幸せだけど、二人でそれを倍にするってこと」
・・・おおお〜!ちょっと感動したわ、今!これは朝日の影響もあるかもだけど・・・お姉ちゃんたらすごい!あたしはパチパチを拍手をした。姉はふざけてお辞儀をする。
自立しつついい男も探す。そして二人で幸福度を倍にする。それっていいよね。なんか、あたしだとやたら時間が掛かりそうだけど・・・でも、まあ、目標にするくらいはいいんじゃないだろうか。
「・・・王子様か」
あたしの呟きに、姉はにこにこと微笑んだ。
「大丈夫よ、皐月。あんたは綺麗になったし、慎重な性格は変わらない。ゆっくり見極めればいいわ。何たって世の中の半分は男なんだから」
微妙な激励を頂いて、苦笑する。
そして、そうだね、と頷いた。
大きな紙袋5つ分、大量に服やカバンやアクセサリーを貰って姉の家を出た。姉のマンションから駅は近い。だからそれは大丈夫だった。だけど、あたしの住んでいるおばあちゃんの家は駅前とは言えない距離なのだ。
暑い〜重い〜!!とぶつぶつ文句をいいながら、最寄の駅を出た時、後ろから声をかけられた。
「・・・あの」
「はい?」
思わず返事をして振り向くと、大学生くらいの男の子が立っていた。キャップを被ったその顔に何となく見覚えがある気がしたけど、どこで会ったことがあるのか判らなかった。
「・・・えーと、あたしですか?」
相手が何も言わないので、勘違いして振り向いたのかと恥ずかしくなって聞くと、相手がコクンと頷いた。
「あの・・・荷物、持ちましょうか?」
え、とビックリした。振り返るために一度地面に置いた大量の紙袋を思わず見る。
・・・うーん・・・魅力的な案なんだけど・・・いや、でも他人様に頼むほどのことではないし・・・。
あたしが誘惑と理性の間で揺れていると、その男の子はさっさと紙袋を4つ持ち上げた。
「同じ方向だし、俺、時間あるんで。そこまで持ちます」
「・・・え、あの・・・あ・・」
同じ方向?どうしてそんなこと判るの?
だけどこちらがもたもたしている間に、彼は先に歩き出してしまう。
「待って・・」
あたしも最後の一つを持って急いであとを追いかけだした。男の子はスタスタと歩いていき、追いつくのに苦労した。やっと追いついた時、あたしは声を張り上げて男の子に後ろから聞く。
「あの・・・あの!すみません、どこかで会いました?あなた、見覚えがある、ような・・・」
彼は、しどろもどろの質問に少し笑ったようだった。そして振り返って低い声でぼそぼそと言う。
「・・・コンビニのバイトです。いつも、ヨーグルトとキットカットを買ってますよね」
あああー!!あたしは口を開けたままで、つい頷いた。この人、家の近くにあるコンビニの店員さんだ!散歩やバイトの帰りなんかによく寄るコンビニだった。
そりゃあ見覚えがあって、思い出せないわけだよ!制服じゃないからわからなかったのか。疑問がとけてちょっとした爽快感があった。
男の子の足は速くて、あたしは早歩きでついていく。
「判りました。あの、ありがとう、荷物・・・」
あたしが息を切らしながら言うと、早かったですね、すみませんと歩調を緩めながら彼が言った。
「・・・見かけて、ちょうど良かったです。俺、話したいと思ってたので・・・・」
―――――え。それは、一体どう意味・・・?
見上げたら彼はふいと視線を逸らしてしまう。照れているようだった。
あたしも勿論照れてしまう。自分の人生において男性にそのようなことを言われた経験などないのだ。恐らく顔は赤くなってしまっているはずだ。
うーん、どうしよう・・・。困って、黙ったまま一緒に歩く。商店街を通り過ぎて、彼の勤めるコンビニが見えてくる。店の前に着く直前、ここでいいから、と彼を止めた。
「今から仕事なんじゃない?もう家は近いので、ここで十分です、ありがとう」
何とか微笑んで彼を見上げる。
男の子は少し照れたように視線を外したけれど、口をぐっと結んだと思ったらぼそりと言った。
「・・・彼氏とか、いるんすか」
・・・えーっと。
あたしは微妙な笑顔で固まってしまう。
どうすればいいのかしら、こういう場合。モテたことがないから対処の仕方が判らない。姉なら失礼がないような振る舞いを出来るんだろうけど・・・。
でも、とあたしは顔を上げた。これはあたしの現実なのだ。今のあたしの、現実。ドキドキとうるさい胸を無意識に押さえて、あたしは口をあけた。
「あの・・・彼氏はいないんだけど・・・ごめんなさい。好きな人がいるんです」
彼はキャップの淵を触り、そうすか、と呟いて、頭をぺこっと下げた。
「すみません、いきなりで」
「いえ、本当に助かったし、あの・・・嬉しかったです。バイト頑張って下さい」
なんとかそれだけを言う。
男の子はハイ、と頷いて、店に向かって歩き出した。
あたしはふうと息を吐いて、よいしょ、と紙袋を持ち直し、家へ向かう。
まだドキドキしていた。あたし今、男の子に好意を寄せられたんだよね?それで、もしうんって頷いていたら、付き合ったりしたかもしれないんだよね?
「・・・うわ〜・・・。まさか、あたしが、そんな!」
体が熱かった。
本当だ・・・・。と心の中で思った。タケル、あたし、ちゃんと潤ってきてるよ。だって男性に声を掛けられたんだもの。
午前の太陽の光がさんさんと落ちてくる。風も吹いていて、汗ばんだ肌を冷やしながら通り過ぎていった。
今は、まだ・・・。
今はまだタケル以外の他の人のことを考えられないけれど。でもいつか、あなたがちゃんと思い出になったら・・・その時は―――――――
考えると、くっと泣きそうになった。
だけどあたしは泣かなかった。
そして、大量の荷物を持って家に帰った。あたし一人で。
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