4、アフター・マジック@

 あたしが少しでもタケルと居たかったのもあって、以前青山さんと決めていた保険の契約を一週間伸ばして貰っていた。

 それが、今日の約束だった。

 あたしは朝、やっぱり7時に起きる。タケルが居なくなっても彼があたしの身につけた早起きの習慣は消えなかった。

 目覚ましも必要なく、すっと目を覚ましてむっくりと起き上がる。

「・・・・ジャスト、7時」

 あたしは手に取った時計を枕元に転がして、ぼーっと窓から入る光を見ていた。

 二人でひっついて寝ていたベッドを一人で占領出来ているので、あたしの体は凝ることもなくなった。

 ・・・ちっとも嬉しくないけれど。

 タケルが慎重に、長い時間をかけて十分あたしに植え付けたせいで、というかお陰で、あたしは号泣せずに済んだ。あの日ここに彼が住んでいた痕跡が全てなくなったのも、それを手伝ったかもしれない。

 おばあちゃんの時みたいに思い出が詰まった色々なものがそこここにあることで、あたしを苦しませなかったから。

 彼の大きな靴や、服や、雑貨で。

 タケルの匂いや温度が感じられるものたちで。

 おばあちゃんの家は整理されて快適になっていたけど、春先からずっとあたし一人の生活が続いていたかのように感じていた。

 タケルはあたしを抱かなかったから、体が寂しくて泣くことだってない。もしかしたらそれが理由だったのかな。もしかしたら。

 あたしは彼の腕や胸や唇の温度と、言葉だけを置き土産に貰ったのだから。


「・・・暑い」

 5月も半ばで、朝の空気の中にはもう既に夏の匂いがしていた。カーテンから差し込むその太陽の光に一瞬眩暈を覚える。

 ・・・眩しい。こんなにキラキラする必要なんてないのに・・・。

 だけど、立ち上がった。

 眞子の彼氏の青山さんに会いに行かなくちゃ。身支度をして、朝食もちゃんと食べよう。庭に水を撒いて洗濯物も干して。

 あたしはこうして毎日を続けていく。出来るだけ笑うけど、無理はしない。

 まだ泣けないけれど、泣きたい時がこれば泣くと決めていた。思いっきり号泣しようって。

 胸の中に溜め込まず、口に出して思いを表現する。

 それを、タケルと約束したんだから――――――――――


「渡辺さん、こちらです」

 案内の人に従ってお店の中を進むと、青山さんが立っていた。にこにこと笑ってあたしを見ている。

 あたしは笑顔を作りながら近づいた。

「青山さん、すみません、一週間延ばしてしまいまして」

 まず謝ると、とんでもない、大丈夫ですよ、と爽やかな返事が来た。

 今日は個人的な契約の話になるから眞子はいない。あたしが指定したファミリーレストランで、青山さんは待ってくれていたのだ。

 向かい合って座ると、青山さんが少し首を傾げてあたしをじっと見た。

「・・・何か?」

 あたしが聞くと、いえ、何でもってすぐに目を逸らした。そして、ではもう一度説明いたしますと話し始める。

 ・・・何でしょうか。不快ではなかったけれど、真正面からの不躾な視線だった。だけどもしかしたらあたしが少し痩せたのに気付いたのかもしれない。痩せた、というか、やつれた、というのが正しいのかもだけれど。

 あたしは居住まいを正し、集中して彼の話を聞く。良く判らなかったところはその都度聞いて確認した。

 そして自署と押印で契約を済ませ、改めて彼に頭を下げる。

「宜しくお願いいたします」

「はい。すぐに手続きいたしますね。渡辺さんの大切なお金、お預かりいたします」

 青山さんが丁寧に返してくれる。おばあちゃんの遺産だってことは伝えてあった。

 その心配りが嬉しかった。

 書類の確認を済ませて大事なものは頂き、清算の案内を受けて、お互いがやっと一息ついてコーヒーを飲む。ああやれやれ・・・。自発的に何かの契約なんて初めてしたけれど、結構大変だったな。

 カップを置いたところで、青山さんがゆっくりと聞いた。

「・・・渡辺さん。失礼ですが、聞いてもいいですか?」

 あたしはヒョイと顔を上げて前に座る青山さんを見る。真面目な顔をして見ていた。

「はい?あの、どうぞ気楽にお話しください。眞子の彼氏さんだって思ってますから、こっちも」

 あたしの返答に、ありがとうございます、でも今日はまだ仕事中なので、と断って、彼は少し言いにくそうに言葉を切る。

「どうしたんですか?」

 あたしも手に持っていたカップを置いた。

「・・・・あの。先日言ってらっしゃった、おまじないがなくなってるな、と思って―――――」

「あ」

 思わず左手人差し指を右手で包み込む。それをじっと見ながら青山さんは言った。

「願いが叶ったんですか?」

「・・・願い」

 そうか、あたしはあの時眞子に聞かれて、こう答えたんだった。

『好きな人と結ばれますようにって』。

 あたしはすぐには答えられなくて、黙ってしまう。その表情を見た青山さんが、慌てたように頭を掻いた。

「・・・あっ・・・すみません、ほんと余計なお世話ですよね。答えなくていいです・・・忘れて下さい」

 あら、焦らせてしまったわ。あたしはちょっと笑って、いえいえと手を振る。

「大丈夫です。彼とは――――今回は、無理でした」

 青山さんは、頭にやった手を下ろした。

「・・・今回、は?」

「はい。色々、何ていうか・・・タイミングが悪くて。また次の機会があると信じたいんです」

 あたしの返事に少し首をひねったけど、青山さんはその内頷いた。優しい顔をしていた。

「叶うといいですね。その恋が」

 ええ、と言って、あたしも笑う。

「遠い人になってしまいましたけれど、沢山の色んなことを教えてくれた人なので。・・・もう一度、会いたいです」

 青山さんは一瞬遠くを見詰めた。そして、それは判るような気がしますと言い、照れたように笑う。

 彼にも何か失った恋があるのだろうなあと思った。

 皆、何かはあるんだ。

 でもこうやって生きている。自分に出来ることをして。

 目の前にいる優しい人が、眞子の恋人でよかったな。この人の指が眞子の涙をふき取るんだ、と思ったら、あたしはとても嬉しかった。

 少しだけ世間話をしてコーヒーをお代わりしたりした。久しぶりに人と喋ってあたしの心も若干ではあるが軽くなったのを感じた。全然関係ないことを他人と話すというのは、いい気分転換になるのだな。

「では、また」

 お互いにそう挨拶をして、青山さんとファミレスの前で別れる。あたしはそのままで初夏になりかけの空を見上げた。

 もしも・・・・。

 もしも、あたしの願いが通じていれば。

 おばあちゃんの力が少しでもあたしに影響してれば。

 もしも、もしも――――――――――




 そうして、あたしの春は終わっていった。








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