B


  庭先の緑がキラキラと鮮やかに光る。命溢れる季節で、どこもかしこも若葉の瑞々しい緑色が輝いている。


 おばあちゃんの49日は実家の近くの会館で行われた。

 あたしも姉も従妹達も大忙しでバタバタと走り回っていた。しんみりしている暇なんか全然なかったけど、それはそれで助かったから、いいや。

 お陰であたしはタケルのことを考える暇もなかった。

 タケルと消えていく魔法のことを話してからも5日間、今まで通りに過ごしていた。

 タケルは一人でぼーっと空をみたりしていることが増えたけど、あたしはちゃんとバイトも休まずに行って、分担して家事をし、親や姉と電話で今日の相談をし、仏壇のおばあちゃんに手を合わせて笑顔を貰おうとしていた。

 今では気持ちも落ち着いていたけど、昨日は眠らなかった。

 ・・・眠れなかった。

 あたしは間近で眠るタケルの綺麗な顔をずっと眺めていた。でも、既に外見なんかでなく、彼の人間性に夢中になってんだな、と思った。

 言われた言葉やされた悪戯は全部覚えてる。でもその時、タケルがどんな表情だったかなんて覚えてない。

 アーモンド形の綺麗な瞳の形も瞼の裏ではぼんやりと霞む。

 この体温と、言葉、それを覚えておこうって。

 温かい胸に顔を摺り寄せて、そう思ったんだった。


 寝不足の割にはよく体も動き、皆笑顔のままおばあちゃんの法要は滞りなく進む。

 あたしがいきなり綺麗な女になったって、親戚中で驚いていた。どうしたの〜!?と会う人会う人皆が言うのだ。葬式のときはあれだったのにって。あれって・・・失礼でしょ。あたしは若干憮然としたけれど、まあ以前の自分の状態はよく分かっている。だからふんと唇を尖らせるだけにしておいた。

 従妹は、恋人が出来たの?と色々聞き出そうとしたし、親戚のおっちゃん達は、姉の弥生と比べてどっちが好みかと不謹慎な話をしていたのを知っている。

 あたしの瞳はいつでも潤って、どんな瞬間に涙が零れても不思議でない状態だったから、目が色っぽくなったと言われても嬉しくなかった。

 だって、いつでも泣きたいのだ。

 おばあちゃんとタケルとが、あたしに大きな愛をくれたから、我慢してるだけだ。

 この素敵な39日間を、あたしは夢ごこちで過ごしてきた。そして変わったのだ。中身も外見も、とても変化した。

 あなた達にその秘密は教えてあげないって。

 法要の間中、適当にヘラヘラと笑ってかわしていた。

 お茶を持ってきた姉だけが、やっぱりあの鋭い頭と感覚で見抜いていたようだけど。

「皐月、また貰ったのね」

「え?」

 あたしはお茶を受け取って、ぽかんとした顔で姉を見上げる。急にそんなことを言われてわけが判らなかったのだ。

「何?」

 何も貰ってないけど・・・。あたしは怪訝な顔をしてみせて、空っぽの両手をぶらぶらと振ってみせる。

 喪服を着ていつもより更に美しく見える姉は隣に座って、優しい表情であたしを見た。

「おばあちゃんの魔法ね。きっと、あんたが綺麗になったのは」

 あたしはハッとして、姉を凝視した。

 彼女はお茶をゆっくりと飲んで、はあ、美味しいなどと呟いている。しばらく黙ってあちこちで雑談する親戚を眺めていたけれど、やがて小さな声で話しだした。

「小さい頃から、おばあちゃんとあんたがしてたことは知ってるわ。色々なマジックやおまじない。おばあちゃんは凄い力を持ってるって、ずっと思ってた」

 ・・・・へえ、知ってたの。あたしは今初めて見る人みたいに姉を見た。

「私にはない不思議な空気が二人にはあった。空の上でピクニックをしてるんじゃないかと思うような、楽しそうな雰囲気が。そこにどうしても入れなくて私はいつでも羨ましくて、それに届かないと判っていたから、努力したの」

 ヒールを床に降ろしてコンコンと音を立てる。

「この世界で努力して、素敵な女の人になるって、私は決めて努力してきた」

 あたしは驚いて、無言で姉をじっと見ていた。

 ・・・・そうだったのか。

 姉はおまじないで遊ぶあたしをいつでも冷たい目で見ていたと思っていた。そんなの、現実の世界では役に立たないって。バカじゃないのって。おばあちゃんもあんたもおかしいよ。そう言われたことだってあったはずだ。だけど、二人でしていた不思議なおまじない、それを彼女が羨んでいたなんて。

 そして彼女は努力をして、知識と美貌を手に入れたのか。自分で自分を誇れるように。

 あたしはやっぱり知らないことが多い。今ハッキリと目が覚めたように、そう思った。

「お姉ちゃん、おばあちゃんの魔法、知ってたの・・・」

 あたしの呟きに、うんと頷く。

「おばあちゃんは私にも魔法をくれたのよ」

「え?」

 あたしは思わず大声を上げてしまって、慌てて手で口を覆う。おばあちゃんが、姉にも魔法を?

「亡くなる時に?それって・・・どっ、ど、どんな・・・?」

 姉はあたしを見てふんわり微笑んだ。

「――――弥生ちゃんは頑張りすぎて疲れてるって。もう今にも死んでしまうって状態のおばあちゃんの手の平からバラの香りがした。私が驚いて黙っていたら、気をつけて頂戴って言うの」

「・・・気をつける?何に?」

 姉はうちの一族で一番しっかりしている。正義感が強く、公平かつ第三者的なものの見方が出来る人間だ。それが判ってたから、おばあちゃんだって遺言で財産管理人に指定したんだろうし・・・。

 あたしが首を傾げると、姉はふふっと笑った。

「・・・本当に信頼出来る人が見つかるまで、あなたをあげちゃダメよって。あなたが心から笑える人が一緒にいるべき人なのよって。後で考えると、多分、広志のことを言ってたんだと思うの。おばあちゃんには判ってたのかしらって」

 ・・・広志さん?あたしは思い出す。

 姉が婚約者よって紹介した時、おばあちゃんはじっと見ていた。笑顔はあったけど。何か不安にさせる瞳をしていた、そういえば。

「彼の、少し冷たい考え方や行動。見栄えを気にするところや上昇志向なんかを、おばあちゃんは多分良く思ってなかったんじゃないかしら。結果的に、こうなったわけだし、私はあれをおばあちゃんの魔法だと思ってる。あの言葉があったから、その後で広志の言葉が引っかかったのよ、多分ね」

 そしてあたしを見た。あなたは?って聞いてるようだった。あたしは何と言っていいかわからずに、少し困ってぼそりと呟いた。

「・・・・男の人を好きになったの・・・」

「あら、それは素敵」

「・・・・その気持ちを、思い出させてくれたの。おばあちゃんが」

 お茶を飲み干して、姉は立ち上がった。

 そしてあたしの肩をぽんぽんと叩いて、にっこりと綺麗に笑う。

「もう大丈夫ね。誰かを好きになることは勇気がいることだもの。ここ何年かのあんたは世話をやかれない人形みたいだった。ただ生きてるってだけみたいに思えた。だから皆心配してたのよ。でも皐月がそうなったなら、きっとおばあちゃんは安心するわね」

 あたしは姉を見上げた。

 ・・・・そうかあ、そういうことだったのか・・・。やっぱりお姉ちゃんは賢いなあ・・・おばあちゃんの望みがわかるんだなあ・・・。

 あたしは、強くならなきゃならなかったのか。

 イラストから出てきた男性と恋愛をすることで。

 期限つきの日常で、その気持ちや相手をどれだけ大切に出来るかで。

 そうかあ・・・。

 
 食事を皆で食べて無事に法要は終わる。挨拶をして、家族に手を振り、あたしは一人で家に帰る。


 もう予感ではなく、確信に変わっていた。

 商店街を通りぬけて、住宅街の端っこの小さな平屋に向かう。

 おじいちゃんとおばあちゃんの、あたしの、家が見えてきた。

 夕日が窓で反射してキラキラ光っている。家全体が夕日を浴びて赤く染まり、静かにそこで息をしているようだった。

 玄関先で立ち止まる。

 明かりも音もない家を見詰める。

 無人だと、判った。


 鍵を開けて暗い玄関に入り、靴を脱ぐ。荷物を台所において、まずは声をかけてみた。

「・・・ただいま」

 家の中はシーンとしている。

 あたしは両手を擦り合わせて温める。それからゆっくりと足を踏み出して、痕跡を探して家をうろついた。

 タケルの服、洗面道具、靴、帽子、本。どこに行ったんだろう・・・。

 今朝は家中に散らばっていたそれらが、全部無くなっていた。寝室の床に敷いた布団も上げられて、ベッドだけになっている。

 あたしは壁に貼った紙に近づく。先生から貰ったあのイラストが描いてあった紙。

 タケルが紙から出てきたあと、床に落ちたままだったその紙を貼り付けていたのを思い出したのだ。

 そして、彼を見つけた。

 空っぽだったイラストの紙の中に、タケルがちゃんといた。

「・・・戻ってる」

 あたしは指を伸ばしてイラストを触る。

 色づけのマーカーの感触が指先に刺激を送る。

 ・・・・違う、これはタケルじゃない。葉月タケル様だ。

 彼にはあたしと暮らしていたタケルの表情はなかった。頂いた時の状態で、先生のサイン入りで、斜め後ろを振り返っている構図の、格好良い『葉月タケル様』だった。


 あたしが落書きした*も消えていた。

 無意識で左手人差し指の爪を擦る。



 タケルのアステリスクも、消えてしまった―――――――――






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