A


「・・・自分を信じる?」

「そう」

 あたしはそっと目を開けて、彼を見上げる。

「出来るかな・・・」

「勿論、出来る」

 そして、今日はまだ見たことがなかったあの鼓動を感じるような力強い笑顔で、タケルは笑いながら言った。

「魔法使いの孫なんだろ?」

 ・・・・そうだった。あたしはなんてったって、魔法使いの孫なんだ―――――・・・

 あたしは笑った、と、思う。

 でも判らないんだ。その後あたしは、タケルと会った最初の日みたいに世界がぐるぐると回りだし、あれよあれよと言う間に夢の世界へ。

 どうやら糸が切れたように気を失ったらしい、と気がついたのは、翌朝のことだった。

 また、きっかり7時にタケルに起こされたのだ。

「おーい、朝だぞー!サツキ〜起きろ〜!!」

 ・・・う・・・うるさい。頭に響く・・・まったく、どうしていつも怒鳴るのよ〜・・・・

 心の中で愚痴愚痴と言って、それからあたしはがばっと飛び起きた。周囲を見回す。いつもの寝室、いつものベッド、いつもの天井・・・。

「おお、起きれるんじゃねーか」

 ちょっと驚いたようにタケルが身を引いた。

「・・・タケル?」

「うん?」

「あれ?あたし、昨日・・・・」

 あなたとアステリスクについて話していて―――?

 彼はカーテンを勢いよく開けながら、呆れた顔であたしに言う。

「いきなり倒れたんだよ。まあちゃんと呼吸はしてるみたいだったから、そのまま寝かせたけど」

 え。・・・・ありゃあ、何か、覚えのある場面だわ〜・・・。疲れも酷くて耐えられなかったのね、多分・・・。

「それは・・・ええと、すみません」

 社会人のたしなみとして、ベッドの上ではあるが一応頭を下げたら、ふんぞり返ったタケルが言う。

「本当だよ。どれだけ心配させたら気が済むんだっつー話」

「だってあなたがあんなこと話すから!」

「だからって気絶するとか普通ないだろ!」

 もう〜!とお互いにぶーぶー文句を言い合う。

 でも、目の前にまだタケルはいた。彼は消えておらず、今朝もいつもと同じようにあたしをたたき起こしたのだ。だからあたしは笑顔を作った。そして、ぎゃあぎゃあ言い合いながら朝食へ向かった。

 左手人差し指のマークが更に薄くなったことに気付いたのは、家で出て、アルバイト先に着いた時だった。

 もう包帯ではなくバンドエイドを巻いているだけだったから、今朝の雨の湿気で剥がれかけていて見えてしまったのだ。

 しばらくそれを眺めた後、あたしはぐっと唇をかみ締めた。

 だって、タケルと約束をした。

 仕事はちゃんとするって。

 本当は家に飛んで帰りたかったけれど、心臓もバクバクうるさかったけれど、全身に汗をかいていたし手も震えていたけれど、我慢した。

 そしていつものように、アシスタントとして仕事をする。

 今日も漫画の世界では色んなことが起きて、彼と彼女はバタバタしながらも楽しく過ごしていた。

 あたしは消しゴムと墨と筆とペンとカッターと羽を使いながら、彼らの世界に力と命を入れていく。

 葉月タケル様は今日も由佳ちゃんの隣で極上の笑顔でいらっしゃるわ。

 ・・・・だけど。

 やっぱり、彼はこのタケル様じゃない。

 過ごす時間が増える間に外見にも性格が反映されつつあるのか、家にいるタケルは漫画の彼とは全然違う表情を見せる。だから雰囲気もまるで違うし、同じ顔なのに別人だ。

 タケルは、もっとやんちゃで皮肉で子供みたいだ。彼は本当に、意思を持ったひとつの個性なんだな・・・。

 仕事をしている間は落ち着いていたけれど、一人の帰り、電車の中がやばかった。ともすれば泣きそうになり、帰らないほうがいいかもと思った。

 家に戻って真っ暗だったり、タケルが出てこなかったりしたらどうしよう。

 どうしよう・・・あたしは耐えられるかな。

 それでも時間に正確な日本の電車は、いつも通りにあたしを地元の駅に下ろして去っていく。

 あたしは重い足を引きずって、商店街をぼうっと歩き出す。

 夕焼けが綺麗だった。

 商店街の焼き鳥屋からの匂いや、八百屋さんの掛け声や、自転車のチリンって音や、人の笑い声や話し声。

 生きている人々が作り出す生活音。

 涙が滲みそうになるのをこらえる。

 あたしは少しだけ道を引き返して、花屋で仏壇に飾る花を買った。もうすぐおばあちゃんの魂は消えてしまう。タケルも一緒に消えてしまうだろう。その前に、もう一度だけ、お願いをしよう。

 おばあちゃんの力が、あたしにも宿りますように。

 あたしも魔法が使えますように。

 タケルの心をあたしが忘れませんように。

 弱いあたしが、ちゃんと一人で立てますように。


 花に祈りを込めながら家に帰った。


 家の中も玄関もいつも通り明かりがついていて、ただいま、と玄関から声をかけると台所からタケルがひょいと顔を出した。

「お帰り」

 そして、いつもの笑顔で笑った。




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