3、消えたアステリスク@
おばあちゃんの49日の法要は、近所の会館を借りてやることになった。
親から電話があり、7日ずつの法要(みたいな大きなことじゃあなかったけれど)を守っていたあたしの苦労を減らすために、今はあたしの家となったここではしないと決めたって、電話があったのだ。
「判った。日曜日、朝9時から。はい」
電話を切って、そのまま佇む。
・・・49日。法要は親戚の都合やらお寺さんの都合やらで日曜日だけど、本当の49日は次の火曜日だ。
電話台の前の壁の染みを見詰める。
これは、あたしが8歳の時に、家の中で花火に火をつけてしまって出来た染みだった。
怒り狂うおじいちゃんと、あたしの心配をして飛んできたおばあちゃんと。
今は二人ともいないけど。
それでもこの染みは残る。あたしがここに住む限り。
「電話、終わった?」
寝室からタケルが顔を出した。
あたしは頷いて、鞄を持って部屋に入る。
今日はアシスタントのバイトの日で、締め切り前の大忙し、全員で残業の嵐を過ごして、たった今帰ってきたところだった。
時計は夜の11時を指している。
「・・・ただいま」
「お帰り」
タケルがまた綺麗に笑う。その細めた三日月みたいな茶色の目に、あたしは毎回のことながら釘付けだ。
「ご飯は?」
「・・・あー、パン食べながらアシしてた。肩凝ったあ〜・・・・」
首を振ってコキコキ鳴らすあたしの肩を後ろに回ったタケルが揉んでくれる。
「何だこれ、化石か?」
そんな風に文句を言いながら。あたしは疲れきっていて、家に帰ってきた安堵とそのマッサージの気持ちよさに既に眠りかけてしまっていた。
その時ふと、指先に空気を感じて目を開ける。
タケルがあたしの左人差し指の包帯を解いていた。するすると目の前でほどけるくすんで灰色に変わってしまった包帯をあたしは呆然と見ていた。
「・・・何、してるの?」
何とか言葉になった。
タケルは解いたあたしの人差し指を手に取ってじっと見詰める。
「ねえ?」
彼は長い前髪の間からちらりとあたしを見て、そのまま人差し指の爪を指差した。
「これ」
「――――――え?」
爪の端っこにあったあたしのアステリスクが、薄くなっていた。
あたしは一瞬で目を覚まし、ベッドにもたれ掛っていた身を勢いよく起こす。
「・・・薄くなってる」
呟いた声は小さかった。タケルがまだ爪を見ながら頷く。
「なってるな」
あたしは彼を見あげる。・・・・どうして、判ったの?それにそんな普通の声で――――――
気がついた。
「何か―――――変化があるの?あなたの体に何かあったの?」
あたしの指を離して、彼は少し頷いた。そして慎重な声で言う。
「・・・・体が、軽い」
「え?」
「最近、体が軽いんだ。実体化してから感じてた重力というか、そんな重さがなくなってきている。だから、サツキの爪のマークにも変化があるんじゃないかと思って」
だから、あたしの指先を解いてみた、と。
「そんっ・・・・そん、な・・・」
口がもつれて上手く喋れない。あたしは急にパニックになる。ざあっと全身の血が引いたのを感じた。疲れてうまく働かない頭も体も、このショックについていけなかったようだ。
タケルがあたしの両手を自分の手で包んで擦る。
「――――――サツキ、ダメだ。ちゃんと呼吸しろ」
過呼吸になりかけているんだと気付いた。吸って、吐く、吸って、吐く・・・。タケルの言葉に合わせて落ち着くまで深呼吸を繰り返す。
手の痺れは止まった。だけど、今度は強烈な寂しさが襲ってきた。
「・・・・もう、時間なの?」
タケルはいつもみたいに前髪の間からあたしを見ていた。その目は笑ってはなかったけど、優しい視線だった。
「まだ」
「・・・どうして判るの?」
あたしが首を傾げると、彼は肩をすくめて口元で笑った。
「根拠なんてない。だけど、多分もう少し大丈夫だ」
そして、いきなり改まった声で、サツキ、と呼んだ。
「・・・・はい」
あたしは目の前が霞んでいた。だけど、タケルが真面目な顔で何か言おうとしているのが判ったから、必死で意識を集中した。
聞かないといけない。何か言おうとしているんだから。あたしは、ちゃんと聞かないと。
「いきなり消えるのは、お前が心配だったんだ」
「・・・・うん」
「だから敢えてマークを確認した。・・・聞こえてるか?」
「・・・・うん」
「お前が言ってた魔法が、もうすぐ終わるんだと思う」
「・・・・・」
「多分俺は紙に戻る」
「・・・・・」
「その前に、一つだけ、聞きたかったんだ」
「―――――――・・・・ん?」
それは本当に真剣な目だった。もう6歳児や犬みたいな可愛いかったりやんちゃな目じゃなかった。
タケルはちょっと掠れた小声で聞く。
「・・・お前が好きなのは、葉月タケルそれともここにいる俺?」
―――――――何を、今更・・・・。
普段のあたしなら、笑ったところだ。何言ってるのって、肩くらい叩いて。でも今は笑えなかったから、少しだけ首をかしげて、ゆっくりと言った。
「・・・ここにいる、タケルが好き・・・」
彼は目を伏せた。そして長く、細く、息を吐き出す。
長い指で、あたしの頬を触った。ゆるゆると優しく撫でて、確かに生きてここにいるんだって熱を伝えてくる。
あたしはその感触を覚えたくて目を閉じた。
「・・・魔法を恨むのは止めろよ」
「・・・うん」
恨んだりなんて、しない。だってこれはおばあちゃんがくれた愛の塊。あたしを包んで笑顔をくれたんだから。
「サツキは魅力的になった。だから、必ずいつか男がお前を迎えに来る。その時、俺が言ったのを忘れないようにしてくれ。大事なのは、お前が、自分を信じることなんだ」
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