4、台所の出来事@

 タケルが、流石にもう来ないだろ、ほっとけば?と言ったのもあって、その出来事は姉には伝えなかった。

 言ったらどうなるだろう、と少し・・・いや、かなりの時間想像して楽しんだことは秘密だ。

 姉のことだから、元彼が自分から妹にのりかえて襲おうとした、なんて知ったらあらゆる手段で仕返しをしそうだ。もう本当に、あの手この手で。

 溜飲が下がるのは事実ではあるが、姉がしそうな仕返しを考えるとさすがにそれは広志さんが可哀想だと思う。あの人は思い込みが強かっただけなのだから。元々自信家の上に、いつもはパッとしないあたしの変身がタイミングよくて、自分の傷付いたプライドの手当てに使おうと思っただけだと思う。それも無自覚で。

 とにかくあたしは無事だったし、そのお陰で(?)タケルに極甘のキスも貰えたのだ。あの恐怖は忘れないにしても、もういいか、と思えたのだった。

 あたたかくなった風が開け放した窓から入ってくる。

 台所のテーブルに座って、あたしは目を細めてその風を顔に受けた。かすかに庭の花や新緑の匂いがする。


 あたしは今、夢の中にいる。


 現実の生活は淡々と進んでいるんだけど、まるで夢の中にいるような気持ちってこと。

 だっておばあちゃんの魔法が効いているのだ。

 有り得ない現象が起きて、イラストから出てきた男性と一緒に住んでいる。

 タケルは言葉や態度であたしをからかうし、それはそれは意地悪なこともあるけれど、あたしを見るあの茶色の瞳は優しいし、家事や買い物なんかは二人でしたし、テレビをみる間やふとした時に手を繋いだりキスをしたりしていた。

 抱きしめてくれる腕は強く、あたしはほっこりとした気持ちになって安心する。

 ・・・ただし。

 たーだーし。

 そう、ただし。あたし達は、未だにプラトニックなのだ。

 成年男女が一緒に住んでいて同じ布団で寝ており、お互いに(だと信じたい)恋愛感情を持っているにも関わらず、タケルとあたしはアレはしてない。

 かなりキワドイ台詞も口にするし、そのネタであたしをからかいもするのに、抱きしめるか、キスだけで終わってしまう。あーんなにディープなキスをするのに、いつもそこまでしか進まない。

 何故なのかは判らない。

 お子ちゃまなあたしに気を遣っているのか、何か別の理由があるのか、判らないけれどあたしにはワケを聞く勇気もない。

 そもそも繋がりを期待して眠れないなんてこともないし、謎には思うけれどなければないで苦しくなるのでもないのだ。あたしは乏しいとはいえ経験もあるのだが、それでも体がうずいて仕方がないってことにはならなかった。

 ただ、毎日好意を重ねて行く。それだけでも心地よかった。あたしはどんどん彼の事が好きになっていき、その存在に安心して甘えてられるようにもなった。

 彼が何を思い、考えているのかは判らない。でも、あたしは今、とっても幸せ。それが一番大事だと思っていた。

 だから、体の繋がりがなくったって全然平気だもん―――――――・・・

 風がさらさらと髪を揺らす。あたしは閉じていた目をゆっくりと開けた。

「さーて、と」

 呟いて立ち上がる。今日の晩ご飯は何にしようか。

 今日はおばあちゃんのこの家の整理と修繕を二人でしていて、タケルはまだ外に積まれた不要物を片付けたり、勝手口の電灯を直したりしてくれている。

 ・・・いや〜、ほんと、力のある男の人がいると、便利だな〜。

 まあ、彼は今これと言って仕事がないから暇つぶしにやってくれるだけかも、だけど。

 この1週間で家も大分片付いた。

 おばあちゃんの遺品は整理もして、あらかた友達や親戚や生前付き合いのあった老人会の人たちにも配り終えたし。

 どんどん片付いていく家はたまにあたしを寂しくさせたけど、その時は振り返ったらタケルがいて素敵な笑顔をくれた。

 本当、有難い。

 どうかおばあちゃんの力が、あと少しでも続きますように―――――――

 台所で手を合わせておばあちゃんに心の中でお願いしていたら、タケルが戻ってきた。

「とりあえず、不用品は全部捨て終わったぞー」

「あ、ありがとう。お疲れ様でした」

 肩をまわしたり首を振ったりしながら台所に入ってきたタケルが聞く。

「腹、減った。今日は何?」

 はいはい、今から支度させて頂きます・・・。あたしがメニューを口にしながら動き出すと、彼は手とか洗ってくると洗面所に向かったみたいだった。

 えーっと、とまた独り言をいいながら冷蔵庫を開けて材料を取り出す。

 ジャガイモが好きなあたしは肉じゃがが食べたい。タケルはどうやら魚が好きらしいから、鮭でも焼いて、卵豆腐と――――――

 根野菜を流しで洗っていたら、タケルがやってきた。

 ふわりと後ろから抱きしめられる。

 流石に最近では慣れて、いちいち恥ずかしさで死にそうになったり赤面したり動揺したりはしなくなってきた。

 タケルは頭を下げてあたしの首筋に鼻をこすりつける。・・・やっぱり犬みたいだ。

「・・・あー、いい匂い」

「くすぐったいんですが・・・」

「・・・マジでいい匂い。恋愛中の女性って感じだ」

 そう、あたしはあなたと恋愛中・・・。ついニヤニヤしてしまい、あたしはそれに気づいて急いで顔を顰める。こんなしまりのない顔を見られるのは嫌だ。ほらほら邪魔しないで、と照れ隠しに邪険に言いながら、まな板の上ににんじんを置いた。

 すると、何作るんだ?と言いながら、タケルはあたしの後ろから離れずに腰に回していた両手を外してにんじんと包丁を握るあたしの両手の上に重ねる。

「・・・に、肉じゃが」

「俺ごろごろしたにんじん嫌いだから、小さくしてもいい?」

「・・・うん」

 ところで、何でこの体勢なんですか、とは口に出せなかった。

 ううーん、さすがにこれは初体験で照れる・・・。後ろからほぼ抱きしめられた状態で料理なんてしたことは勿論ない。

「・・・あのー、あなたは魚担当でお願いできない?」

 一応言ってみたけど、微かな笑い声の後、タケルはこう言った。

「どうして?一緒に作ればいい」

 そしてにんじんを切り出す。

 あたしの両手と、その上に重ねたタケルの両手が。

 トン、トン、トン。

 まな板を包丁が叩く音がする。掴まれた手はうまく操作出来ず、いつもよりゆっくりと包丁を動かしていた。

 彼が呼吸するとあたしの耳朶を吐息がかすって、それに動揺しないようにと息を詰めていた。うお〜・・・困った!嬉しいけど恥かしいし、何よりもやりにくい!でもこのままがいいような・・・うお〜!

「・・・うーん、こうしてると・・・」

 タケルがあたしの耳元にある口を開いた。

「――――――このまま襲いたくなるな」

「!?」

 包丁の音が止まった。



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