3、訪問者
次の日のアルバイトでは、またまたあたしの変化に大絶叫が起こった。
暗い悲しみに支配されて鬱々としているあたしよりはいいし、皆、綺麗になったと家族のように喜んでくれた。そして、やっぱりバレた。
「さっちゃん、恋人が出来たんでしょー!!!」
アシスタント全員で勝手に色々想像しては盛り上がっている。ヒューヒューなんてありきたり過ぎるはやしまで飛んでいた。
「これはもう間違いなく男が出来たよね!」
「そうでなくてこの変化はおかしすぎるし」
「羨ましいわ〜!!いい男!?」
第2アシさんの興奮した声に、あたしはつい頷いてしまう。あ、と思ったけれど時既に遅し。アシさん達の興奮は更に高まった。おおおお〜っ!とペン先を握り締めて絶叫している。
「写メないの!?」
ありません、と即答する。・・・だけど、写メなんか撮らなくても毎日会ってますよ、皆さん。紙の上ですが。そんなことは勿論口にはしないけど。
「いやあ、いきなり色気まで出てきたんじゃない!?おたくっぽさが消えてるよ〜」
「髪型と眉毛でそんなに変わるんだね!休みの日は化粧もするんだろうし、いい女に変身だあ!さっちゃん美人じゃん!気付かなかった〜」
おたく。そして気付かなかったって、そんなこと思ってたんですね、皆さん・・・。しかもそれを聞いて誰も否定してくれないのが悲しいわ、と思いながら、あたしは曖昧に微笑んで壁に貼られた漫画のポスターを見る。
漫画の葉月タケル様と家にいるタケルは全く別人だと思うことに、成功しつつある。
顔は一緒なんだけど、キャラが違いすぎる。敢えていうなら・・・双子?
そう、そんな感じ。
葉月タケル様と家のタケルは一卵双生児である、そう思っておこう。そうすれば、漫画に対しても平静でいられるはずだ。別人だとあたしが思いこめるなら。
「ねえ、さっちゃんったら〜!」
「人ののろけなんて聞いても面白くないですよ。仕事に戻りましょう、皆さん」
あたしはそう言って方々から飛んでくる数々の質問を誤魔化し、自分の席に座る。きっと今日は大丈夫だろう。動揺せずに、ちゃんと仕事になるはずだ。
よし!と声を上げて筆を取ると、隣の第4アシさんがにっこりと笑った。
「本当、元気にもなったしね。体調もいいみたいじゃない?やっぱり恋愛っていいわ〜」
あたしは顔を赤くしながら原稿に向き直る。
仕事は始まったばかりなのだけれど、もう既に、早く帰りたかった。
タケルの時間の砂時計がどこかで作動しているなら、一分一秒だって、本当は無駄にしたくない。隣にいて笑っていたい。仕事などいっている時間が勿体無い、そう思っていた。
だけど朝、あたしの顔を見て、彼が言ったのだ。
「笑うんだ、サツキ。それで、仕事頑張っといで。普通の生活が一番大事なんだから」
だからあたしは頷いた。
約束したし、頑張る。
筆に墨をつけて、深呼吸した。
イメチェンを(強制的な、ではあるが)先生にまで褒めてもらえたのはとても嬉しかった。
あたしは上機嫌で笑顔のまま職場を後にする。
日も大分長くなってきて、温かい、そして懐かしい香りのする風が吹いていく。春の夕方で、帰宅途中の人々の顔も優しい表情に見えた。
おばあちゃんが亡くなって、そろそろ2週間と少し経過していた。タケルがイラストから出てきて6日目。まだ6日目!?あたしはそこに愕然とする。え、本当?って感じ。だってそれはえらく内容の濃い6日間で、心情的には2ヶ月くらい経っている感じがするんだけど。
だけど、まだ6日目なのだ。彼が現れて、一緒に住み始めたのは。そして恋愛中に突入したのはほんの昨日のことなのだ。
・・・我ながら信じられないぞ。怒涛の展開だ。でも、何てことなの、これは現実なんだよね。
あたしは足取りも軽く家へ向かう。
タケルと一緒に住むことで、やっとあの家があたしのものになったんだって思えるようになってきた。もう一人ぼっちの夜と朝に、台所の流しにつけてある一人分の食器を見て悲しまなくても良いのだ。隅の陰やドアの向こうにおばあちゃんを探すこともなくなった。
電車を降りてホームの上で目を細める。風が吹き通り、賑やかな駅前の音をつれてくる。駅前通りの桜は完全に姿を消し、もう新緑が出始めていた。
これからは、命を感じる季節になる。
最寄の駅から今日はスーパーも寄らず歩き出したら、すみません、と後ろから声をかけられて振り向いた。
「あ、やっぱり。見違えたけど、皐月ちゃんだ」
「・・・あ」
笑顔でこちらに歩いてくる、広志さんを見つけた。
あたしは真顔を維持したままで心の中で呟く。げー、またあんたかよ。一体何しにきたの〜?もう会いたくないんですけど・・・。
だけどもう目の前まで来ているし、知らないふりは出来そうもない。仕方ないから諦め半分で彼を見上げる。あたしを頭から爪先までしげしげと見詰めるのが鬱陶しかった。
「・・・また、感じが変わったね」
面倒臭いから簡単に答えることにした。
「女に戻ろうと思ったんです」
「ふーん、そうなんだ」
・・・何でスルッと納得なのよ。そこ、笑うとこ。頭の中で突っ込んでおく。
「こんなことろで何してるんですか?」
あたしの不機嫌そうな声は全く意に介せず、広志さんは相変わらずニコニコと笑って答える。
「君に用があってきたところだよ。丁度会えてよかった」
「・・・あたしに用、とは・・」
照れ笑いのような、少しはにかんだ顔で広志さんは言った。
「先日お邪魔した時、俺、玄関に万年筆忘れて行ったと思うんだよね。それを取りに」
―――――――万年筆。・・・ああ、胸元から出してたモンブランか。そんなの玄関にあったっけ?
あたしは首を捻る。
「・・・すみません、気付きませんでした」
あたしが謝るのに、いやいやと手をふる。
「俺が悪いんだよ。それと―――――手紙、ありがとう」
思わず彼を見上げた。
「姉から返事きたんですか?」
広志さんが書いた手紙は翌日姉に郵送しておいた。お礼を言われたってことは、姉がちゃんと返事も出したってことだよね、よかった〜。
困ったような微笑で、広志さんは頷く。
「うん。やっぱりもう無理ってことだったけど、一応ちゃんとした形で別れることになったから、手紙を書いてよかった」
ふーん・・・そうなんだ。あまり悔しそうじゃないってことは、ちゃんと礼儀正しい返事を書いたんだろうな、お姉ちゃんも。
「残念でしたね」
あたしがそう言うと、広志さんは苦笑した。
「全然そうは思ってないような言い方だなー」
・・・あ、正直に出てしまったか。何て素直なの、あたしったら。
「・・・すみません」
彼はあははと笑った。あたしはこっそりとため息をつく。ああ・・・相手するのが、本当に面倒臭い・・・。
仕方ないから並んで家まで戻り、電気がついてない家に、あれ?と思った。
タケル、出かけてるのかな?そんなこと言ってなかったけどな・・・。不思議に思いながらも玄関を開けて明かりをつけ、広志さんを通す。
「・・・ないですね・・・」
玄関先にはモンブランは見当たらない。そらそうだよね。だってずっと玄関使ってるけど、気づかなかったもの。そもそも靴箱の上には花くらいしか飾ってないし。
あたしが彼を見ると、広志さんは困惑しているようだった。
「あれ?・・・・でもここ以外に忘れそうなとこないんだけどな・・・」
彼は口元に拳をあてて考え込む。
あ、とあたしは気付いた。
あの夜タケルが、こんなのあったけどって手紙を台所に持ってきていた。もしかして、モンブランもその時一緒に運んだのでは―――――――
「もしかしたら台所かも。ちょっと待ってくださいね」
あたしは靴を脱いでバタバタと上がる。
えーっと、と言いながら電話台のところを探す。訳が判らないおばあちゃんやおじいちゃん関係の書類がたくさんあって、まだ整理出来てない電話台は混乱を極めていた。
うーん、判らない。でも他に入れそうなところもないし・・・。
ぶつぶつ口の中でいいながらも探していると、台所の入口に人の気配がして振り返った。
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