「さー文化財まであと五日!我がクラスはお化け屋敷!学生生活最後の大イベント、絶対成功させるわよー!」

クラス委員長の高橋千秋ことキャプテンが教壇から声を上げれば、クラス全員がおお!と声を返した。人気者の彼女の熱血っぷりに、士気はみるみる上がっていく。

十一月に入ったが気温はまだ安定せず、ひんやりした空気の中にまだ陽射しの温かみがある。文化祭を控えた秋の放課後は、夕暮れ早くも落ち着かない喧騒が絶えなかった。皆がそわそわと、作業をしても居ても立ってもいられない焦燥に駆られている。
三年C組は個性的なメンバーを引き連れ、それぞれの特性を活かしながら抜群のチームワークを見せていた。笛吹と小田倉は椅子と机を壁際に寄せ、床にダンボールを広げてネットで拾ったフリー画像を参考に絵を描いていた。武光は鋸を使って大道具を作っている。早乙女を始めとした女子はお化け役の衣装のデザインや、クラスメイトのサイズを計っていた。この作業は学校が閉まる夜まで続き、それでも足りない者は休み時間やしまいには授業中も行なっている者もいる。受験生という立場ならもう少し控えて欲しいところだが、卒業式を除いた学生最後のイベントとなると、教師の目も甘かった。皆それぞれに自分の役割を見出だし、自然と他者を気遣いながらクラスは一つになっていく。その中で図々しくも、そうっと教室を抜け出そうとする者がいた。僕はそいつの襟から飛び出ているパーカーを掴んだ。首が締まった相手はぐえっとえづいている。一つ咳払いをしてから更にパーカーを引き寄せた。

「何を先に帰ろうとしている」

止められたクラスメイト、もとい兄の藤崎は気まずそうにじとりと目を座らせた。

「…いや用事があってよ」
「昨日もそう言ってたな」
「じゃなくて、腹下して」

いてて、とわざとらしく腹を押さえている。苛々するのを抑えきれない。

「それは一昨日に言った。というか、ここ一週間何を我先に帰っているんだ!生徒会の僕や丹生だって業務の合間を縫って頑張っているんだぞ!」

ついつい声が大きくなってしまう。藤崎は耳を塞ぎ、まくし立て終わるとパーカーを乱暴に取り戻した。

「うるせーな。俺の分のノルマはちゃんとやってるだろ」

顎でしゃくった先には本物と見紛う墓石と卒塔婆がおどろおどろしていた。
休み時間や家に持ち帰って作業をしているらしい。

「ノルマをこなしたとかそういう問題ではない。一回しかない学生生活、一人で独断作業ばかりではなく友人と有意義に過ごそうと思わないのか?」
「うっせ。バーカバーカ。堅物睫毛」
「なんだと!」

止めようとしただけなのに、小学生みたいな逆切れについ喧嘩を始めてしまう。どんなに僕が理路整然としていても、藤崎は屁理屈ばかりこねていた。
僕達兄弟の背後にぬっと現れたのは、鬼塚と笛吹だ。

「まあまあ、椿はお兄ちゃんおらんくて寂しいんよなぁ」

鬼塚は口に手を当て、僕の肩を叩いた。

『そうだな。折角兄弟最初で最後の一緒の文化祭だ。甘えたいのも仕方ない』

笛吹はいつの間にか口髭をつけて父性を発している。藤崎は頭の後ろで手を組み、ため息をついた。

「こいつがそんな殊勝なこと考える奴かよ」

恥ずかしくて顔の熱が上がっていく。藤崎は踵を返そうとしているところで、僕の赤面に気付かなかった。慌てて彼のブレザーの裾を引っ張った。

「あ?」
「…本当に帰るのか?」

顔が赤いのを見られたくないので、うつむきながらそっと目だけで見上げる。藤崎はうっと言葉を詰まらしていた。そのまま二人で数秒制止する。考えを改めてくれるかと思いきや、藤崎のポケットから携帯の着信が響いた。彼等の知り合いのアイドルが電話を告げている。先だけ掴んでいた裾はするりと抜け、藤崎は慌てて教室を出て行った。

「わりー!今日も帰る!」
「あ、待て愚か者…!」

ドアから身を乗り出せば、藤崎はもう廊下の遠くを走っていた。後ろ姿に廊下は走るなと声を掛けると、手だけを振り返していた。
僕は見届けて教室に戻った。

「…馬鹿藤崎め」

クラスメイト三十三人の中、孤独に立ち尽くす。
藤崎はこの一週間、毎日何か理由をつけてそそくさと帰っている。作業は彼の持ち前の器用さで滞りなく進んでいる。どれだけ精神論を述べたところで、彼に落ち度はないのだ。それでも僕は納得出来なかった。
受験の合間の僅かな期間。クラス全員で一緒に一つの物を作り遂げていく空気は何にも変え難いものがある。ただでさえ僕達はクラスが同じでも、スケット団と生徒会それぞれの立場で忙しいのだ。生徒会は学校行事があるとどうしても運営側に回ってしまう事も多い。それに不満はないが、最後のイベントは兄弟として―恋人として一緒にいたかった。それなのにこの体たらくだ。ぽっかりと穴が開いた心に寒風が吹き抜ける。
しかし想い耽る間もなく、クラスの女子に呼びつけられた。

「椿くーん!衣装合わせするからお願い」

窓際の席に裁縫道具を広げた集団に寄っていく。バラバラに散らばった布を何枚か取り出し、腕のサイズに裁断された布を合わせられた。その横で早乙女がスケッチブックにこの衣装の完成図を書き込み、満足そうに頷いている。
お世辞にも上手いとは言えないが、問題は画力ではない。

「なんでこの衣装なんだ?お化け屋敷では…」
「今回はなんでもありのお化け屋敷にしようって最初に言ったじゃない」

机三つ向こうで、同じく衣装合わせをしている伊達は吸血鬼の格好をしていた。その横では結城が踵まである黒いローブを羽織り、頭には山羊の角をつけている。あそこらへんは完全に自分の趣味だろう。

「いや僕が言いたいのはそういうことではなく…」
「決まったことに文句言わないの!」

プンスカと古臭い擬音を出しながら早乙女がペンを振り回す。衣装のアイデアは勝手に決められたものだが、もう諦めて従った。



それから日々は目まぐるしく、あっという間に過ぎていった。楽しい時間は砂塵のように僕達の体をすり抜けていく。
統一感はないが完成度の高いお化け屋敷は無事に出来上がった。カーテンは暗幕に変え、光が入らないようにしている。衝立を並べて道を作り、沿うように墓場や十字架、井戸に柳、提灯や西洋の拷問器具まであった。笛吹が用意した効果音が低く響き、所々に扇風機を仕込んで首や足元を冷やす。何より驚くであろうは、総勢三十五人分のお化けの衣装である。骨の仮面をつけた死神に、頭に矢が刺さった落武者、仕舞いには内臓の飛び出たゾンビや頭が昆虫のようなエイリアンまでいる。これを暗闇で見たら相当怖いだろう。
大勢の和洋折衷が並ぶ化物は圧巻の光景だ。当日は流石に全員いっぺんは教室にいない。十人ごとのローテーションを組んで交代でお化け役に回るのだ。皆最後の文化祭を思い思いに過ごそうとシフトは揉めたが、それもようやく決まった。僕は自分とシフトが全く重なっていない藤崎の名前を見た。結局彼が放課後に居残る日はないまま、文化祭を明日迎えることになった。





「さぁ皆!気合い入れていくわよ!」

高橋に応じた掛け声は最早咆哮になっていた。座る場所どころか隣に誰がいるかわからない教室で朝の簡単なホームルームを行う。先生から短い注意事項を聞いているだけで、既に駆け出したいのを抑えている様子だった。形だけの会を終え、一斉に持ち場に走り出す。狭く暗い教室で、誰が誰かわからない仮装をする中、一人足りないことに気付いた。

「先生、あの…藤崎は?」
「ああ?あいつなら午前中は用事あるってよ。昼のシフト迄には来るって連絡あった」

僕はそんなこと一言も聞いていなかった。昨日念のために「明日はちゃんと来るんだぞ」とメールした時は「わかった」と素っ気ない返事だけだった。
どちらかと言えばイベント好きの藤崎が、ここまで何に時間を割いているのだろう。もしかしたら用事と言いながら避けられているかもしれない。細かい喧嘩はよくしているが、何か彼の気を損なうことをしたのだろうか。不安で胸が突風を吹かれた枯葉のようにざわざわする。ぐっと拳を握り締めた。

「椿君、私達は案内係の方へ」
「あ、ああ…行こう」

僕と浅雛と丹生は腕章をつけ、生徒会役員として校門の方へ向かった。
午前いっぱいは来場者が多いので、五人全員で出迎える。人が少なくなる午後から交代で一人ずつ抜けていく予定だ。一応は休憩時間に設定してあるが、僕達はこの時間にクラスのお化け屋敷のシフトに入る。僕は会長としてギリギリまで生徒会の方に回り、一番最後のタイムスケジュールでお化け役を行う。元より藤崎と文化祭を楽しむ時間などないが、それでも一目会いたかった。一緒にいれなくても、お互い頑張ろうと伝えたかった。
それすらも叶わぬまま、廊下に出ると希里が待機していた。

「会長、お迎えに上がりました」

後輩の前で、生徒会長として、弱気なところなど見せるわけにはいかない。毅然とした態度を装いながら、陽気な喧騒を歩いていく。
人混みの中を何度か藤崎を探したが、見つからなかった。



来場者にパンフレットを渡し、迷子を見つければ校内放送を頼み、落とし物を預かり、時々アクシデントを起こした教室にも出向く。あちこち校舎を駆け回り、お化け役をしている時には満身創痍だった。お化け屋敷は思っていた以上に盛況していた。悲鳴が廊下にまで響き渡り、評判が評判を呼んで遅い時間になっても客足が途絶えない。

「きゃー!」

僕の姿を見たカップルの女の方が彼氏にしがみついている。彼氏は余裕の態度で先に促していたが、向こうの方で野太い叫び声が聞こえた。確かあちらではジェイソン先生がゲストとか言って来ていた筈だ。

「しかし暑いな…」

季節は秋と言えど、閉めきられた部屋に多数のお化けと客で熱気がかなり籠っていた。汗が流れて額を拭う。手には溶けた血糊がついていた。

「おっと、汚さないように気をつけなければ」

僕の今の格好は純白のウェディングドレスだ。ヅラとベールを被り、所謂サス子の状態だ。顔にだけべったり血が滴るメイクをされ、ドレスを汚さないように言われているのでボーッとしてはいけない。
ドレスは首までつまり提灯袖というクラシックなタイプだ。重ねられたフリルは重く動き辛い。式の前に事故死した花嫁という設定らしいが、花嫁なんて女子がすればいいのに何故僕なのか。やれやれと息をついていると、さっきのカップルを最後に客が来てないことに気付いた。もうそろそろ終わりだろうか。
昼間の作られた暗闇とは違い、日は沈んでないものの重たい闇に包まれている。笛吹が流していたBGMが切れ、代わりに蛍光灯がつく。久しぶりについたそれはカチカチッと何回かに分けてようやく明るくなった。

「みんなー!最後のお客さん帰ったよ。お疲れ!」

高橋の声に、衝立から柳から井戸から、お化けが顔を出していく。明るいところで見るお化けは結構間抜けだ。

「皆さん、お疲れ様ですわ」
「OOK(お化けお疲れ、怖いな)」

生徒会の方に行っていた丹生と浅雛も戻ってきていた。

「早いな。案内係の方は大丈夫なのか?」
「キリ君が最後の文化祭楽しんできてくださいって計らってくれましたの」
「客も帰ったし、後は任せて下さいと椿君に伝えて下さいって言っていた」
「そうか」

簡単に道具を片し、皆ジュースで乾杯したり写真を撮っている。達成感の中に紛れ込む寂しさに涙を流す者もいた。
見通しの良くなった教室をくるりと確認する。一見クラス全員揃ったようだが、やはり今朝から探している一人が足りなかった。

「…藤崎は?」

ぽつりと呟くと、周りにいた連中がフルフルと首を振った。

「そういやボッスンおれへんなぁ」
『お化けのシフトの時は来ていたぞ』
「お母さんと妹さんと一緒に歩いてるのを見たわよ。かっこいいお母さんでヤバス!」
「王子なら綿飴食べてたわ」
「拙者もポケット団といがみ合っているのを見たでござる」

それぞれに証言は出ているが、僕だけが一回も見ていない。やはり避けられているのかと肩を落とす。すると、校内放送が流れた。

「本日の快明祭は終了の時刻になりました。各クラス活動を止めて後片付けを行なって下さい」

淀みない淡々とした八木の声が流れる。彼女もこれが最後の校内放送だろう。

「あ、校庭の方行ってるんとちゃうん?」

窓から見下げたが、廃材を持った生徒がもう集まっていてわからなかった。ここで探すより行く方が早いだろう。

「よっしゃ、皆行くで!」

どちらにしろ全員後夜祭のフォークダンスの為にグラウンドに行くつもりだ。去年と同じメイドの格好をした鬼塚に手を引かれる。

「ほら、椿も!」
「ちょ…待て。皆着替えないのか?」

裾を踏んでしまい、思わず転けそうになるのを踏ん張る。

「この格好の方が楽しいやん」
『最後だし、折角作ったのだから着ていたいだろう』

よく見ると、さっきまで制服だった者までお化けの衣装に着替えている。皆は好きな格好をしているからいいだろうが、僕は好んで女装をしている訳ではない。こんな格好で出歩くのは恥ずかしいし動き辛かった。

「僕は着替えて行くから先に行ってくれ」

そこらへんにいた女子全員がえー!と声を上げた。その甲高く揃った声に肩を竦める。

「勿体無いですわ。似合ってますのに」
「似合ってるとかではなくてだな…」
「脱ぐならサタンの雷が落ちるわよ」
「そうや。着替えるんならうちの屍を越えてからいけや」
「なんでだ!」

女子を無視して袖を抜くと、掴み合いにまで発展した。押さえつけられて服を着せられるという謎のシチュエーションに誰も助けてくれない。僕もムキになって譲らず、結局ヅラと衣装を脱ぎ、血糊メイクも落としてベールだけ残すというところで決着がついた。女子はあんまり納得していないが、ここで揉めてる暇もないのだ。ぶつぶつ言いながら鬼塚達が出ていく。

「椿君、行きましょう」

窓から日が射し込み、反対側の壁に丹生の濃い影が佇む。まばらになった廊下は怖いくらいに静かだ。先を促されて校舎の奥を見る。
やはり校庭だろうかと、ベールを揺らしながら早足で丹生を追いかけた。すると、胸ポケットに入れておいた携帯のバイブ音が響く。足を止めてディスプレイを確認する。そこには藤崎の名前があった。

「…丹生、悪いが先に行ってくれないか」

数メートル先にいた丹生は小さく振り向き、にこりと笑った。

「わかりましたわ」

廊下で一人になった。しかし胸は騒がしいくらいに高鳴っている。はーはーと息を吐き、無駄に高まった緊張をどうにか解す。通話ボタンを押して耳に当てると、機械を通した電子音は、どこか懐かしいとすら思えた。

「よー椿、今どこにいんだよ」
「君こそどこなんだ!全然見かけないぞ!」

人が探し回っていたというのに、いつも通りのだらけた口調に電話口で怒鳴った。

「ちゃんと昼から来たっつーの。それより今教室なんだけど、来れるか?」

僕はまだ教室から出たばかりで十メートルも離れていない場所にいた。丁度入れ違いになったのだろうか。

「…わかった」

体をくるりと反転する。
看板を下げた教室は、窓にカーテンを下げていて中が見えない。逸る気持ちで足元がふわふわする。息を急ききってドアを開けると、教室は先程と同じく簡単に片付けているだけだ。役目を終えた荷物は両脇に追いやられている。
窓際には夕暮れの陽射しを受けて静かに立つ藤崎の姿があった。いつもの帽子とズボンはなく、シャツをきちんと第一ボタンまで着込んでネクタイをしめている。あんな格好は卒業式の時くらいしか見たことがない。
普段の幼稚さが抜けて途端に大人っぽい雰囲気だ。逆光になる顔には影が落ち、目は優しく細められていた。思わず視線が奪われてドキッとする。ドアの入口で立ち尽くしていると、藤崎は手を差し出した。

「椿、こっち来いよ」
「え?」

僕が戸惑いでまごついていても手はそのままだ。扉を閉めてゆっくり藤崎の方へと歩いていた。夕日が眩しいせいか、彼の顔が上手く見れない。伸ばされた手の一歩手前で止まる。藤崎は踏み出してベールを撫でた。

「ウェディングドレスじゃないんだな」

妙に落ち着いた声色だ。

「ドレスは動き辛いから脱いだんだ。女子に反対されてこれだけ残したけど」
「ふーん」

そういえば藤崎はなんで僕の衣装がウェディングドレスと知っているのだろう。放課後はずっといなかったし、僕は話していない。鬼塚あたりに聞いたのだろうか。
ふと、僕達の横に十字架があるのに気付いた。鉄骨に黄色いガムテープを巻いた、背より大きい立派なものだ。大道具は色々あった筈なのに、これだけうまい具合に近くに佇んでいる。窓の向こうの真っ赤な空には火の粉がパチパチと舞い上がっている。フォークダンスの軽快なメロディが放送で流れ、生徒のざわめきが聞こえた。
何故だろう。たくさんの音で溢れているのに僕達の周りはとても静かだ。穏やかな静寂とは少し違う、何かを告げようとしている嵐の前の静けさ。でもとても優しい。僕が俯くと、藤崎はポケットから小さな箱を取り出した。

「…これは?」
「誕生日だろ」

思わず顔を上げる。藤崎は苦笑いしていた。
僕は忙しさにすっかり忘れていた。今日は自分の誕生日、つまり藤崎の誕生日でもある。

「ご、ごめん!僕何も用意してくれなくて…」
「いいって。忙しかったんだろ」

僕は放課後に居残らない藤崎に散々説教をたれたのに、彼は僕の不注意を優しく受け止めた。申し訳なくて顔が熱くなる。
僕が黙っていると、藤崎は持っていたプレゼントを開けた。包装をしていない、手のひらサイズの正方形の箱。そこには揃いの指輪が二つあった。細めのデザインのシンプルな銀細工だ。

「……これ、本物じゃないか?」
「まーな」
「こんな高価な物、どうして…」

指輪はキラッと小さく光っている。

「この二週間、短期でバイトしてたんだよ。学校終わってからファミレスで皿洗い。給料貰ったのが昨日だから今日の午前中に買いに行ったんだ。クラスの皆には話してたんだけどな」
「え?なんで?」
「今日サプライズしたくてずっと黙って貰ってたんだ。ちなみにウェディングドレスは女子の思いつき」

ニッシッシッ、と頬をかいて照れ笑いをしている。よく見ると藤崎の手はアカギレと、大道具制作時についたペンキの汚れでボロボロだった。
胸が詰まって言葉が出てこない。藤崎は指輪を一つだけ取り、箱を窓の枠に置いた。

「椿、左手出して」

言われた通り手を出すと、そっと取られた。薬指の爪にコツンと指輪が当てられる。

「なぁ、覚えてるか?去年のこの日に俺達が双子だってわかったの」
「…忘れるわけがない」

同じ日の同じくらいの時間。野球のバックネットに凭れながらフォークダンスを眺めた。
あの時孤独同士だった二人は、二人になった。

「昔はほんとムカつく奴だと思ったのにまさか弟なんてさ。まあ今はこうして付き合ってるから不思議なもんだよな」

フォークダンスのメロディの中に藤崎の声が混ざり、とても心地がいい。
彼は微笑んだ。

「俺達ってさ、兄弟なのに兄弟って証明するものないじゃん。書類上は他人だし、家族になりたくても男同士は結婚も出来ないし」
「………そうだな」

そう言われると妙に寂しくなってくる。
僕達は血の繋がりがある唯一の肉親だ。しかしそれを証明するのは、僕の両親の言葉だけだ。他人に認められなくても、僕達は互いを兄弟だと思っているし、それが揺らいだりすることはない。
藤崎は薬指に指輪をはめた。サイズは言っていないが、きっと同じサイズなのだろう。ぴったりだ。

「でも俺は椿と家族になりたいんだ。…これからもずっと、一緒にいてくれるか?」

左手を彼の両手でギュッと握られる。僕は空いている手で窓に置いてあったもう一つの指輪を取り、同じようにはめた。

「そんなこと!言われなくたって…僕だって、」

言葉が縺れる。凄く嬉しいのに嗚咽で声が震えた。
藤崎は僕の頬に手を添え、ベールを耳にかけた。どちらからともなく距離を縮めていく。唇が重ねられた。藤崎も少し震えている。まるで初めてした時みたいだ。
離れるのが勿体無く感じる。もどかしく互いの吐息を掠める。薄く開いた目には相手が映っていた。

「…なぁ、やっぱりプレゼントちょうだい」
「え?でも僕は何も…」

藤崎の手が腰に回される。背中を支えられながら、ゆっくりと二人で床に倒れた。

「…あの」
「いいじゃん。プロポーズ受けたし」
「……馬鹿!」

肩を押し返しても体重をかけられる。
藤崎は頭を抱いて再度口付けた。チュッ、チュッと何度も啄んでくる。

「んっ…」

するりとシャツの上を撫でられる。平たいそこに指先が掠めるだけで震えた。期待し始めた体は拒否など考えもせず、彼のシャツを握る。藤崎も僕のネクタイをほどいて床に捨てた。一番上まで閉じたボタンを丁寧に一つずつ外していく。器用な手がプチプチと音を立てる度に、焦れったい息を一緒に吐いた。

「……椿」

胸が晒し出され、無防備な頂に吸い付かれる。柔らかい唇に食まれ、背がピクンと反った。

「…っは、藤崎っ…」

舌全体で舐めあげてから先で潰してくる。軽く歯を立てられた。僕の胸は女のような柔らかみはないのに、震える快感を見出だす。
藤崎が同時にズボンの前も触れた。形をなぞって手のひらで握られる。藤崎の愛撫はいつも僕を気遣ってくれて、僕もそれに甘えている。でも太股に彼の硬く主張しているそれが当たり、それだけではいけない気がした。僕も彼を良くしてあげたい。ただ待っているだけは嫌で、腹に落ちる彼のネクタイを軽く引っ張った。胸から離れた藤崎が顔を覗きこんでくる。

「…なに?」

まだ掴んでいるネクタイを更に引っ張り、自分の唇へと持っていく。僕と同じ猫目が驚きで大きく開かれていた。

「…僕も君に触りたい」

こんな事を言うのは初めてで、藤崎は戸惑って行為が止まった。その間に浮いている腰に手を回し、カチャカチャとベルトを取っていく。不器用でもたつく手つきを、藤崎はじっと見ていた。チャックを下ろすと、下着はもう押し上げている。そこに触れると陰茎がピクンと震えた。しかし下着を下ろそうとすると、その手を止められた。

「ちょ、待って。誕生日だし俺だって椿にしたいんだけど」
「駄目だ。プレゼントをあげてない僕がするべきだ」
「融通きかねえなぁ、おい。大体お前出来るの?触ったり舐めたりするんだぞ」

具体的に言われて顔がカッと赤くなる。触ったことは何度かあるが、口でしたことはない。確かによくやり方もわからないまましても、藤崎を良くするなんておこがましい。しゅんと目を伏せると、藤崎は首を捻りながら頭を掻いた。

「……じゃあさ、一緒にする?」
「一緒に?」

藤崎も僕のベルトを外し、ズボンと下着を全て剥ぎ取った。 半裸にされて小さく体を丸める。藤崎は僕の足の間に体を割り込ませ、腰を重ねた。お互い興奮した陰茎が押し合っている。藤崎は僕の肩に顔を埋めて抱き締めた。

「俺下になるからさ。一緒に出来る?」

ぼそぼそと照れた声が耳を擽る。
単語の一つ一つの意味を繋ぎ合わせ、ようやく彼の意図がわかった。少ない知識にある、性行為の体勢のことを言いたいのだろう。自分達がそれをしてるところを想像すると恥ずかしさで硬直した。

「あ、嫌ならいいけど」

藤崎は上半身を起こした。照れ隠しに挙動不審に笑っている。僕も体を起こし、彼の胸に抱きついた。

「椿?」
「…大丈夫。する。というか、僕もしたいから…」

語尾につれてか細くなっていく。藤崎は僕の背中をゆるく撫でた。
こっそり顔を覗くと彼は、多分僕も、真っ赤になっている。普段はそんな大胆な体勢でしたことはなく、どう切り出せばいいのか二人でもじもじした。フォークダンスのメロディが二週目に入った。藤崎が恐る恐る後ろに背を倒し、僅かに上半身を浮かしながらこっちを見た。僕は藤崎の瞼を手のひらでそっと押さえた。

「いいって言うまで目閉じて」
「…ん」

床に座り込んでいたせいで、剥き出しの尻はひんやりしていた。背筋に寒気が走る。ゆっくり腰を浮かし、寝そべる彼と反対向きに膝を立てながら跨がった。もう体勢は整ったわけだが、今目を開けられたら何もかも丸見えだ。言い出せないまま彼の勃起した陰茎を取り出す。こんな近くでまじまじと見るのは初めてだ。筋が浮き上がり、僕より色も濃くて男っぽい。 眺めていると、まだ完全に勃ち上がっていない僕のものを舐められた。

「っあ!」

左右に揺れるそれの根元を掴まれ、亀頭にキスされる。

「ダメ…まだ、いいって言ってない……」
「だって待ってるのにお前言わねーじゃん」

深くくわえこまれ、快感に夢中になる。僕も同じようにしなければいけないと思うのに、崩れそうになる膝を支えるので精一杯だ。

「んぅっ…藤崎、やだ……」

彼のズボンを掴むと、ガクガクしている太股に手を添えられた。

「椿もしてくれんだろ」
「うん…」

ぎこちない動きになるが、竿の部分に舌を這わしていく。いつも藤崎がしてくれている動作を思い出す。
鼻先にツンと当たるそれを唾液で濡らした。口に含むとジュプ、と水泡が音を立てる。彼がしてくれたように同じく僕も先端を刺激した。裏筋と陰嚢を弄っていた彼が、僕と同じ動きに倣う。僕達は同じ所作で同じ快感を貪った。

「う、ん、藤崎っ…」

下半身は勿論気持ちいい。でも口に彼の陰茎があるだけで、口内まで擽ったくなった。ざわざわと産毛を揺らすような感覚に、五感は敏感になっていた。
壁の向こうにあるグラウンドの喧騒が、遠くに思える。日も傾き、教室は大分暗くなっていた。

「…ん、あ…!」

藤崎は同じ動きを止め、陰茎から口を離した。唾液を掬い取ったのだろう、濡れた指が穴に差し込まれた。予期していなかった愛撫に、僕まで彼の陰茎を離してしまった。それと繋がった唾液が藤崎の恥骨に落ちる。

「藤崎、駄目…そこは……」
「んー?」

藤崎は再び僕の陰茎をくわえながら、同時に穴を弄った。交互に抜き差しされて、僕はされるがままになった。

「両方いっぺんに、……っ、だめ…だめ……!」

藤崎は返事をしてくれない。僕は口淫が出来ずに彼の腹に突っ伏した。
ぞくぞくする疼きが腰を這い回る。解れた穴にはもう三本まで入り、一番長い中指が陰嚢の裏側の知られた場所を抉った。僕の腰が否応なしに痙攣する。

「っ!―――ぁ!」

ドクドクと欲が溢れていく。射精に力なくしてついへたりと座り込んだ。藤崎がゴクリと咀嚼をする音を聞いて、慌てて彼の上から退いた。まだ頭がぼうっとする。壁に凭れて足を閉じると、藤崎も体を起こした。

「ごめん…先にいって……」
「いいって」

引き寄せられ、彼の膝の上に乗せられる。至近距離で向かい合わせになると、藤崎も息が荒い。尻をカサカサした手で撫でられ、割れ目にまだ興奮しているそれを沿わせた。熱いのにゾクッとする。

「…あ」
「入れてもいい?」

最初の落ち着きはどこか、切羽詰まった声色だ。半開きの口から整った歯列が見える。吸い込まれるようにそこに口付けた。

「ん、ふぅ…」

くちゅくちゅ互いの唾液を行き来させる。彼の唇が甘い。そういえば早乙女が綿飴を食べていたと言っていた。
臀部が左右に開かれる。応じて腰を浮かすと、藤崎は自身を握って目的の場所へあてがった。体を落としていくと、狭いそこが亀頭に合わせて広がっていく。排泄器官のそこは異物を押し返そうとしているが、反抗して沈めていった。圧迫感に彼の体にすがりつく。

「ん…くっ、苦しっ……」
「椿、無理すんなって」

いつものように割り入れられるのとは違い、自分の体重をかけての挿入は息苦しさを伴った。でも痛みや不快感はない。むしろ中を満たされていく喜びが大きい。藤崎はよしよしと僕の頭を撫でた。

「……ん、ふ…」

息を吐きながら全部埋まったのを確認する。膝立ちしていた足を彼の背中に回す。もうこれ以上は埋まらないと思っていたが、体重で更に根元までくわえこんだ。ズン、と亀頭が奥を穿つ。その衝撃に背が仰け反った。

「ぅあ……!」
「椿…」

藤崎も締め付けが苦しいらしく、眉根を寄せていた。上気した頬の輪郭線を辿る。藤崎は足をもぞもぞ動かし、表情もどこか余裕なかった。

「動いてもいい?」
「…うん」

体を両手で掴まれ、揺さぶられる。激しくてベールが上下に羽ばたく。何度も何度もギリギリまで抜かれ、一気に奥を貫かれた。

「ぅ、ん…ん、ぁっ…!」
「っ…」

下肢は二人分の先走りでぐしゃぐしゃになっていた。快感が強すぎて苦しい。
しかしどんなに体を繋げても寄せ合っても、足りなくて背中を引っ掻く。
心の底を掻き立てる激情を表す言葉が見つからない。生まれた日に、昔一つだった二人がまた一つになる。背徳的のような、甘い幸福のような、いつまでも満たされない焦燥のような、たくさんの感情が渦を巻く。向こうも同じことを考えていたのだろうか。瞳の虹彩が揺らいでいた。

「……ん、」

睫毛にキスされた。
こういう時につくづく双子だと実感する。 言葉などいらず、僕達はただ相手の体を欲した。

「……っ!」

腸の中でドクンと脈打つ。背筋を駆け抜ける感覚に、僕も達した。藤崎の腹に欲を飛ばしてしまう。僕の太股にも、収まらない彼の白濁が伝っていく。
僕達は肩で息をしながら、未だに相手の体を抱いていた。



「後夜祭はこれにて終了です。皆さん、お疲れ様でした」

八木のアナウンスで、初めてフォークダンスの音楽が終わっていたのに気付いた。
相手を伺うと、抑えきれないような、じんわり溢れる笑みを浮かべている。きっと僕も同じ表情だろう。僕達は左手を繋ぎ、指を絡ませた。額を突き合わせてクスクスと小さく声を漏らす。

「誕生日おめでとう、佐介」
「君も…誕生日おめでとう、佑助」



去年も同じことを言った。あの日は新しい事実を受け入れながらも、まだ戸惑っていた。
今日は違う。ずっと離れていた二人は、十八年振りに家族になった。



始まりの日に僕達は新しい未来を誓った。

Happy Birthday!!