椿が自身を男と偽り、火付盗賊改方に入隊してから三ヶ月が経とうとしていた。季節は春から夏を迎え、総勢二百名を超える男の役所は、毎日必要以上にむさ苦しい猛暑と戦っていた。
椿を含む二十人の新人はようやく生活に慣れてきていた。毎日飯炊き夫のように三食料理をし、武道の稽古に政治や戦術の勉強。この激務に耐えられず、医務室に世話になる者も多かった。しかし今は暑気に当てられながらも、日々をこなしている。体つきも一回り大きくなり、少年から大人の屈強な体格に変化していった。その中で相変わらずこじんまりした椿だが、やはり新人の中でも一番の優秀さを保っている。今日も自習室で一人夜遅くまで勉強していた。しかし顔色があまり良くなく、書物を置いて指折り数を数えている。

「最後から明日で一ヶ月…今夜は用心しないとな」

ふう、とため息をついて開け放した襖から夜空を見上げた。夏の空は色濃く染まり、星の輝きも一際増している。軒先の風鈴が思い出したように、チリンと音を立てた。柔らかい夜風に頬を撫でられて目を閉じる。
そこへ椿と同室の一人の男が廊下からひょっこり顔を出した。風呂から上がったばかりのようで、髪から水が滴っている。

「おい、椿。まだ勉強中か?」
「ああ。どうかしたのか?」

同室と言っても、二人はよそよそしく距離を取ったまま会話した。大概は同じ志を持つ同期とは、少なからず友情を感じ育んでいる。しかし椿には友人と呼べる人間がいなかった。
女という秘密がばれないように必要以上関わらないようにしているし、真面目でお堅い彼女は周りからしたら近寄り難く、むしろ煙たがられていた。
こんな風に声をかけられる事は珍しいのだ。

「局長がお前のこと呼んでたぞ」

局長、と聞いて椿は表情を固くした。広げていた書物を閉じる。

「…わかった。すぐに行く」

荷物を携えて立ち上がり、部屋を出ようとした。局長室と逆方向に自室がある男は、椿と入れ違う瞬間に耳元で囁く。

「毎晩ご苦労なこった。椿君は夜の方も優秀なんだな」

カッとなって振り返る。同室の男はゲラゲラ笑いながら廊下の奥へ走り去った。

「局長に呼び出されてなかったら殴ってやるのに…」

苛立ちながら局長室へ向かう。
局長代理の安形と新人の椿がただならぬ関係にあるという噂が流れたのは、最近の話だ。
椿が入隊して間もない頃、彼女の正体が彼にばれてしまったのだ。それから度々口止め代わりに体を差し出すという条件で、部屋に招待されている。呼び出されるのはいつも夜で、不審に思った同室の奴らが局長室にいる事を知り、そこからいらぬ噂がたったのだ。勿論彼等は椿が女だと知らないので、男同士の禁忌の恋愛だと話している。普通の男なら呼び出されたくらいでこんな噂にはならないかもしれない。
しかし線が細い椿の外見は、過激な妄想を駆り立てた。椿は腹こそ立っていたが、否定しきれないのも事実だ。

「……それでも、僕はここにいたい理由がある」

言い聞かせるように頷き、局長室の前に立つ。部屋の中では行灯で照らされた安形の影が映っている。
廊下に書物を置き、戸の前で正座をした。

「遅くなりました。椿佐介です」
「おお、入れよ」

返事を貰ってから両手で襖を開く。恭しく一礼してから入室し、椿は安形の前で姿勢を正した。その姿を見て安形が苦笑いする。

「そんな毎回礼儀正しく来なくてもいいって」
「いえ、代理と言えど局長の…上司の部屋ですから」

椿に反して安形はだらりと夜着を着たまま、胡座をかいて煙管を吸っていた。細長いそれから煙が大量に吹き出す。
彼は時々煙管を吸うが、大概は仕事中の一服だ。今も机に書類を広げ、苦々しく顔をしかめていた。

「もしかしてお仕事中でしたか?何か手伝いましょうか?」
「いや、もう粗方終わってる。明日の朝に隊士全員に渡せばいい」

安形は書類の山をまとめ、椿は目だけ動かしてそれを盗み見た。
隊士全員となると、下っ端の椿も該当する筈だ。局長直々に渡される書類と聞いてどうしても気になってしまう。それに気付いた安形は一枚だけ書類を取り、椿の前に差し出した。

「明日の夜にな、〇〇城の護衛に行くんだ。どうやら最近城の蔵に盗人が出入りしているそうだ。百坪はある蔵の中の米やら野菜やら、根こそぎ持っていかれているらしい。多分相手はかなりの人数だろうな」

人数には人数で対抗すること。只の物取りなので、新人に一度現場の空気を体験して貰うのが目的だと、安形は付け足した。
椿は書類に書かれている作戦内容を見ながら、眉を潜めた。

「しかし随分急なんですね。明日の朝に作戦を発表して、夜に出動ですか」

作戦内容自体は単純だが、新人も含まれるのだ。もう少し前もって言った方が流れを把握出来るし、気持ちの準備も出来るのではないか、と誰もが思うであろう。安形は薄く笑いながらも、困ったように表情を濁している。

「城から頼まれたのが今日の見回りの時なんだよ。明日は農民の納税の日だし、蔵はいっぱいになる。…向こうも嫌嫌というか、お役所連中には見せたくないものがあるって感じだったな。まあ今の城主は後ろ暗い噂も多いしな」

安形はため息と共に大きく煙を吐いた。頭を掻いて明後日を見ている。
椿達が住む国の城は何代も続く由緒正しい家柄だが、今の城主は農民すら馬鹿にする阿呆だった。自分の身の周りばかり派手に着飾り、贅沢や女遊びが好きなのは周知の事実である。そのつけは国民に回り、重い税を強いられている。
本当の局長が一度政治について進言をした際に大変揉めて、火付盗賊改方は城の連中と犬猿の仲になったのだ。お互い不干渉を試みていたが、今回はそうもいかない程切羽つまっているという事だ。椿は書類を戻した。

「政に巻き込まれ心苦しいでしょう、心中御察しします。お疲れ様です」
「んー」

椿はやはり恭しく頭を下げた。しかし机に頬杖をついていた安形は煙管を置いた。彼女の前に手を差し出し、猫でも呼びつけるようにちょいちょいと指を曲げる。

「椿、こっち来い」

色を帯びた低い声。
椿は畳を見つめたまま顔を染める。隊員同士から、一組の男女になろうとしているのだ。椿も警戒した野良猫のようにジリジリと距離を縮める。安形の目の前にまで来ると、彼は椿を胸に抱き締めた。椿は煙管の匂いを感じながら、居心地悪そうに身を捩った。

「……局長、あの」

椿はこうされるのが苦手だった。普段は男として気を張っているのに、安形の腕の中にいると一人の女に戻ってしまうからだ。変化を受け入られないまま、違和感だけが大きくなって戸惑う。
しかし安形はそんなことお構い無しに、彼女の尻を撫でた。柔らかいそこの輪郭線を辿っていく。椿はビクッと体を強張らせた。

「…っ!局長…」

どんなに優しく撫でられても、椿はそれを気持ちいいとは思えないでいた。どちらかと言うと擽ったい。
安形は襟から手を忍ばせた。さらしの上から慣れた手つきで揉む。手に収まるそこは薄くて固い。それでも執拗に続ければ、頂は布の下でツンと主張した。

「ぅ…ぁ…」

指ではじかれ、さらしがずれてそこが露になった。安形は頭を下げ、そこを吸い始める。

「んっ…ふ、ぁ……」

白いさらしがするすると外れていく。安形は片方の胸を撫でながら、口での愛撫を続けた。歯を立て、舌で転がす。剥き出しにされた幼い胸はされるがままに愛撫を受け止めた。

「んん!ふぁ…嫌……局長っ…」
「何度かしてるけど未だに慣れないな」

椿は胸に吸い付く頭を押し退けた。安形は自分の腕の中でくるんと彼女の体を反転させ、横に抱く。安形の膝の上で寝ながら、椿は横腹に当たる一物の熱を感じた。

「……局長」

不安そうに見上げると、安形は無言で笑みを返した。

「っあ!」

椿の袴をたくしあげ、裾から手を侵入させた。太股にツゥーと人差し指が這い、そのまま褌へ移動する。布の上から秘裂を割り、陰核を押した。

「ひっ…!…そこはだめっ……」
「なんで?」
「擽ったいというか、む…むずむずして……」
「…ふうん」

口ではそう言うものの、椿は母に抱かれた赤子のように身を預けていた。着崩れた襦袢の下はうっすら汗をかいている。
安形は弄ぶ手を進めた。褌に手を入れ、直接膣を犯す。椿は体を小さく丸め、彼の襟を掴んだ。

「…局長、局長……」
「…ん」

真夏の夜の熱に、二人は苦しい程に没頭していた。
椿は目に涙を浮かべ、懇願するように安形を見上げる。

「…局長、嫌です……怖い」

安形から笑みが消え、無表情に見下ろす。椿の頭の下に手を回し、そのまま持ち上げた。同時に彼の顔も下りてくる。
口付けるのだろうか、と椿はギュッと目を閉じた。しかし一瞬の間を置いて、彼の唇は額に落ちた。

「……あ、あの」

後ろに敷いていた布団に椿を置き、安形も寝転がった。大きな欠伸をして頭を掻いている。

「…局長」
「今夜はもういい。寝ろ」

安形は背を向けたままうとうとと目を閉じた。椿は着物を正してその素っ気ない後ろ姿を見つめる。

二ヶ月程前、安形に正体がばれた日。あの日以来椿は度々安形に体を弄ばれた。しかし二人は決して最後まではしていなかった。
安形がいつも一方的に愛撫し、恋人同士のように愛を囁いたり口付けあったりはしない。何かをしろと要求もしないし、椿が嫌がると大概はこうやってやめる。 安形の真意はわからなかった。
呼び出しても必ずする訳でもない。話をするだけで終わったり、行ったら安形が疲れて寝ていることもあった。かと思えば嫌がっても何時間も弄ばれる日もあったし、椿が意識を失っている間にいつの間にか部屋からいなくなってることもあった。ただ共通しているのは、最後の一線は越えないこと。
絶対的な立場から命令され、そこに気持ちのない関係の割には中途半端である。椿からしたら有難いので、何故最後までしないのかなんて聞いた事はない。
さすがに良心が咎められるのだろうか、と考えたがそれならさっさと追い出せばいい。そもそも彼程の見た目ならこんなことをしなくても、女に不自由はしないのではないか。
考えても何もわからない。椿は風呂に入って寝ようと上半身を起こした。しかし寝たと思っていた安形に腕を掴まれ、布団に逆戻する。

「局長?」
「なんもしないからさ。ここで寝ていけよ」
「しかし…」
「いいから。局長命令だ」

代理だけどな、付け足しながら抱き締める。風呂は明日の朝に入ろうかと考えながら、椿も目を閉じた。





翌朝、椿は安形より先に起き、朝食の用意の前に風呂に向かった。脱衣場で袴を脱いで大きく息をつく。

「……やはりきたか」

前の時から丁度一ヶ月。月ものがきたのだ。布団は汚していなかったが、褌にべったり血がついている。汚した着物を丁寧に畳み、体をさっと洗い流して新しい着物を身につけた。褌は生理の時に使う、和紙を縫い付けているものを着用する。

「…全く、今日は初出動の日だというのに…」

長い後ろ髪はまだ濡れているが、いつもと同じ高い位置で縛る。
月に一回は必ず来る生理現象。椿が始めて来たのは、確か去年の秋だった。年頃より少し早く、体つきは幼いのに中身は大人の女性に近付こうとしているのに戸惑いを覚えた。普段の生活でも疎ましいのに、男と偽って過ごす日々ではかなり厄介だ。頭痛や腹痛に苛まれるし、汚した着物等はこっそり洗わなければいけない。それ以上に困るのが、頻繁に厠に行かなければいけない事だ。秒刻みで仕事をこなさなければいけない立場では、思うようには行けない。あまり頻繁に行くと怪しまれる。
しかし和紙を変えないと血が漏れてしまうし、武道の稽古の時など大きな動きも出来ない。 この何日かはいつも以上に気が張り、生理のだるさも手伝って本当に疲れるのだ。しかしここで暮らすと覚悟して入隊したからには、弱音など吐く暇はない。
椿は表情を引き締めて台所に向かった。


朝食が終わると、隊士全員が道場に呼び出された。皆がなんだなんだとざわつく中、昨日のことだろうなと椿一人だけ冷静だった。
真夏の道場はごった返しになり、いつも以上にむさ苦しい。隊士を前にした安形は書類を携え、二百人を見据えた。

「昨日〇〇城から依頼があった。どうも最近、城の蔵に出入りして盗みを働いている奴がいるらしい。今夜隊員総出で見張りして盗人を捕まえる」

道場がざわざわと騒ぐ。安形が咳払いをすると静まり返った。

「今から城の見取図と作戦内容の書類を渡す。各班長、取りに来い」

火付盗賊改方は二十人前後を一つとした班が十ある。見回りや出動の時は班で行動するように分けられているのだ。数字が小さい程優秀な班と見なされ、その中でも特に優秀だと班長に任命される。椿は今年の新人ばかりを率いた十班の班長だった。新人は皆最初は十班から始まり、一年の研修を経て、各班に振り分けられるのだ。椿は来年は一班に来るだろうと期待されている。
局長代理安形と十人の班長が円になり、作戦内容の説明が始まった。

「一・十班は南門、二・九班は西門、三・八班は正門に配置。四・五班は裏の林六・七班は町で待機。各班長は俺と蔵に行って貰う。それぞれに作戦内容を必ず隊員にしっかり伝えること。椿、お前は班長と言っても新人だ。道流につけ」
「はい」

椿と道流と呼ばれた男子は同時に返事をした。椿は隣に座る美男子をチラリと見た。視線に気付いた向こうは如才のない笑みを浮かべている。
榛葉道流は一班の班長であり、役所内でも一・二を争う剣道の腕の持ち主である。局長代理の安形とは同期で、彼の補佐的な立場でもあった。しかしそれを鼻にかけることもなく、人当たりのよい男だ。彼も椿同様に線は細いが、椿と違って女顔というよりは、端正な美男子と言う方が正しい。実際に彼を慕う女性も多く、数々の浮名を馳せている。
椿は話したことはなかったが、聞いていた通りの人だと確認した。



集会も終わり、先輩達はいつも通り見回りに出かけた。いつもなら掃除を始める新人達は作戦の書類を何度も読み返し、今夜の初出動について熱く語っている。椿だけがいつも通り掃除を始めようと廊下を歩いていた。しかし後ろからぽんと肩を叩かれる。
そこにいたのは先程の榛葉だった。

「やぁ椿ちゃん」
「榛葉さん」

彼は当たり前のように椿の横を連れたって歩いた。

「一緒に組むのは初めてだね。椿ちゃんは優秀だから心配ないと思うけど、よろしくね」
「………はぁ」

椿は聞き慣れない自分の呼び方に困惑した。横目で榛葉を盗み見る。

「なんで椿「ちゃん」なんです?僕は男ですよ」

自分で言いながらも、椿は内心肝が冷える思いだった。安形とも仲がいいし、女性を知りつくしている人だ。まさかばれているのではないのかと、冷や汗が流れた。

「ああごめんね。椿ちゃんってかわいいからさ、ついね。嫌ならやめるよ」

困ったように笑う彼には憎めない愛嬌があった。
自分の方が我が侭を言っている気がしてくるし、あまりむきになる方が怪しいかもしれない。

「別に構いません。今晩はよろしくお願いしますね」

ふと顔を上げると、榛葉はまじまじと椿の顔を見ていた。探るような視線に思わず肩を竦める。

「なんですか?」
「いや、なんか顔色良くないかなって。体調悪いの?」

椿は思わず表情が強張った。察しがいいのか、そんなに顔色が悪いのか。
悟られないようにうつ向いた。

「ちょっと寝不足なだけです。大丈夫です」
「そういえば昨日安形に呼び出されたんだろ?あいつも調子悪そうな顔してたな」
「局長が、ですか?」

椿は昨晩と今朝の安形を思い出した。別段変わらない様子だったが、同期にしかわからない変化があるかもしれない。
元々激務を影でこなしている人だし、自分と同様に疲れているのだろうのと一人で納得した。

「椿ちゃんってよく安形に呼び出されてるよね。大丈夫?いじめられたりとかしてない?」

椿は似たような質問を同室の連中にされた事があった。榛葉は本当に心配してるといった風だが、同室の奴はいかにも下衆の勘繰りだった。

「…榛葉さんも僕と局長の噂は聞いてるんですか?」

その時の事を思い出し、椿は生理のせいもあってか苛立ちを隠せない口調になった。言い終わってからしまった、と唇を結ぶ。しかし榛葉は特に気にも留めず、ああと呟いた。

「あの噂ね。椿ちゃん可愛いけどあいつに男の趣味はないからさ。信じてないよ」

男の趣味に椿は当てはまらない。
榛葉相手に誤魔化し続けるのも心苦しく、椿は話題を変えた。

「そういえば局長に恋人はいないのですか?」
「うーん」

榛葉程でなくても、彼なら恋人がいてもおかしくない。若くして出世し、見た目も良く、頭の冴えた男だ。たまに安形目当ての女性が役所に来たりもする。食事等に誘われて行く日もある。椿も傷の男の正体をもし知っていたら同じことをしたかもしれない。
しかし榛葉は目を見て話す癖があるが、その質問をされると遠くを見た。眉を下げて返答に困っているようだ。

「今はいないけどね。暫くは作らないんじゃないかな」

妙に含みのある言い方をし、榛葉は見回りへ出掛けていった。椿も特に言及せず、自分の持ち場へ向かった。
皆が今夜の出動に浮き足立つところを、こそこそと厠に行きながらも一日を過ごす。


夏の長い昼間が終わり、夕食を食べ終えた隊士二百名は城へ向かった。
夕日は沈んだが、彼等の一日はこれからが本番なのだ。

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