卒業式も終わり、梅の木が色づく三月末日。 世間は春休みだが生徒会はそれどころではなかった。年度末の未処理の書類の片付けと新年度の準備が同時進行に行われている。 「ウサミ、部活動会計決算の書類をコピーしてくれ」 「わかりました、と伝えて下さいデージー先輩」 「浅雛、新入生名簿のファイルをクラス別に頼む」 「了解」 「丹生、この書類に捺印を」 「わかりましたわ」 「キリ、入学式で使う椅子の数を確認してくれ」 「しました!次の用事を申し付けて下さい!」 「ああ、では…」 誰もいない校舎の中で生徒会だけが騒がしい。 書類は積み上げられ、処理しても一向に減らないし、時々思い出したように校長に用事を言いつけられる。 皆げっそりした顔付きになる中、椿の顔色は人一倍ひどかった。大きな目の下には黒ずんだ隈、椿の性格を表しているような上向きの睫毛も力をなくしている。 「会長、朝から何も食べてないですよね。少し休んだ方が…」 「いや、僕は大丈夫だ」 掌を突きつけ、きっぱりと断った。 椿は連日連夜、誰よりも早く登校し、誰よりも遅くまで残り、休みなく働いている。 元来の真面目な性格もあるのだろうが少し異常なくらいだ。どこか自分を追い詰めているようでもある。 「会長、しかし…」 「本当に大丈夫だから。気にしないでくれ」 そうは言っても顔色は日増しに悪くなっているので、皆心配していた。 しかし何を言っても仕事を続けるのでどうしようもなかった。 仕方なく業務に戻る。 「っ………」 突然、椿の持っていたペンがビッ、と道を逸れた。ガクンと上半身が崩れ落ちる。 キリが気付いたのは床に叩き付けられる大きな音がしてからだ。 椿は意識を失っている。全員席から立ち、慌てて駆け寄った。 「会長!会長!」 「キリ君、早く保健室に…」 「わかってる!」 言われる前にキリは椿を抱えて部屋から飛び出していた。 腕の中の彼の体は熱い。ハアハアと息を切らしている。 熱があったのに無理していたのだ。 キリは自分に向けて舌打ちをした。無理をしているとわかっていたのに、気付けなかった。 どんなに早く走っても保健室がいつもより遥か遠くに感じた。 「なんだよ、誰もいないのか…」 春休みで保健室は無人だった。 未だに意識を取り戻さない椿をベッドにそっと横たわせた。ブレザーを脱がし、布団をかける。 熱が辛いのか、眠っているのに表情が険しい。 何か薬はないか乱暴に薬品棚をあさっていると、ベッドから弱々しい声がした。 「あがた…会、長…」 振り返ると、椿の目から一筋の涙がツゥー、と流れている。 キリは胸を痛めた。 薄々気付いていた。椿の様子がおかしくなったのは例の卒業式からだ。 キリは椿をこの上なく尊敬している。 自暴自棄になり、無茶ばかりしていた自分を救ってくれた。誰かをまた信じる事が出来るようになったのはこの人のおかげだ。 彼は真面目で芯が強く、時には美しいとすら思える。見た目の話だけではなく、内面から人を惹き付ける魅力があった。 しかしその椿が、卒業式では全校生徒の前にも関わらず、子供のように泣いていた。 いつもの力強い言葉ではなく、駄々をこねる子供のように寂しい、と。 そしてその視線の先はたった一人を見つめていた。 安形惣司郎だ。二人の間には誰にも入り込めない絆が確かにあった。 「椿会長、貴方はまだあいつの事が…」 椿を頼む、と言われた時はそんなことは言われるまでもないと頭にきた。 当たり前だ、これからは自分が支えていく。そう思っていつも行動していた。 しかし結局は椿の無理を止める事が出来なかった。 眠って力のない手を、両手でぎゅっと握り締めた。 自分の頬にその手を添え、目を瞑る。 会長、会長、椿会長―キリは心の中ですがるように祈った。 手に力が入り、震える。 「会長、俺もっと頑張ります。いつか貴方を支えられるように…」 椿の手の甲に、ゆっくり唇を落とした。一瞬だったが、名残惜しいその時間は長く感じられた。 「庶務としても男としても」 勿論椿の返事はない。だがそれで良かった。 キリは足音を立てず保健室を去った。 |