対 イプシロン
「……っ、くそっ」
雷門からのキックオフで試合再開。……しかし、数分も経たないうちに流れはイプシロンに変わった。
わざと選手に向けてボールを放ってくるイプシロン。彼らの猛攻に、雷門イレブンは手も足も出ない状態だ。
目の前でみんながボロボロになっていく姿を見て、また気分が悪くなっていく。それと同時に、何もできず、見ていることしかできない自分に腹が立つ。
「名前、大丈夫……?」
「はる、な?」
「顔が真っ青よ。……思い出しちゃったの?」
春奈は僕が一度サッカーを辞めたきっかけを知っている。だから声を掛けてくれたのかな、なんて。
「だ、大丈夫……みんなが頑張ってるのに、目を逸らすのは違うから」
「そう……。でも、無理しないでね」
春奈の優しさに涙が出そうになる。けど、今はそんな時ではない。試合に出ていないからこそのやるべきことがある。
外から見て、少しでもイプシロンの事を知って、今後の試合に役立てるものを見つけなければならないんだから。
「逃げ足だけは天才的ね……」
「木暮くん、しっかりして!! 逃げてばっかりじゃダメよ!!」
隣の春奈の声援に顔を上げる。そして、彼女が声を送る相手である木暮を捉えた。
……あれ、彼奴なんでボールを避けてるんだ?
決して試合から逃げているという意味じゃない。
だって、ボールを避けられるってことは……
「木暮くんって、見えてるからこそボールを躱すことができるのかも」
「えっ?」
「秋ちゃん先輩もそう思ったんですね」
「名前まで……」
ボールが見えているってことだから。
いつの間にかフィールドを立っているのは、木暮のみになった。当然、イプシロンも木暮に視線を向けるわけで。
このままだと木暮が危ない……っ!
「瞳子姉さん、誰かと僕を交代させて……」
「そんな状態で、いつも通りのプレイなんてできるの?」
「っ、でも!」
正直に言えば、瞳子姉さんの言葉が正しかった。今の僕は心が不安定で、目の前の光景に気分が悪くなっている。いつも通りのプレイが出来る自信は無い。
それでも、このまま木暮だけにプレイさせるのは……!
「間もなく3分。我らは次の一撃を持って、このゲームを終了する」
「何っ?」
「また決めてるし……!」
もう3分も経っていたのか……!
そう思っていると、デサームが口を開いた。
「聞け、人間ども! 我らは10日の後に、もう一度勝負をしてやろう」
「10日……?」
「だが、お前達は勝負のその時までに、果たして生き残っていられるかな?」
「何、どういう意味だ……!」
デサームは言いたい事を言った後、ボールを蹴る体勢に入る。……まさか、そこからシュートを打つ気か……!?
「っ!!」
デサームは、自陣のゴールから雷門のゴールへとシュートを放った。助走もしていないというのに、何て威力だ……!
「ふざけるなあああああぁっ!!!」
そのシュートに対し、突っ込んでいく者が。……って、吹雪さん!?
「っ、危ないッ!!!」
咄嗟に出た声。……しかし、その言葉は届かず、吹雪さんはデサームの放ったシュートに吹き飛ばされてしまった。
あまりの威力に誰もが動けない。そんなボールが飛ぶ軌道の先にいるのは……。
「木暮っ!!」
土埃が舞う中、見えたのはデサームのシュートから逃げる木暮だ。なんで直線で逃げるんだ、横に逃げろよ!!
……なんて、いざ自分があの状況になったら、そんな判断ができるだろうか。
「木暮ェーーー、伏せてろーーー!!!」
「っ、避けきれないわ!!」
「木暮くん!!!」
シュートから逃げる木暮。だが、何かに躓いたのか、バランスを崩し転んでしまった!
……だが、それで終わらなかった。
「っ、何だ……?」
木暮が転んだ場所付近に発生したつむじ風。それが段々と収まったところで見えたのは、逆さの状態で木暮がボールを止めた、というものだった。
「……! あれ、」
いつの間にか静かになっていたことに、気づくのが遅くなった。
……イプシロンは姿を消していた。デサームが放った強力なシュートの痕跡だけを残して。
「イプシロンがいない……!」
「3分経ってる……」
本当に3分で帰ったのか、イプシロンは。
実際の試合だったら3分なんてあっという間なのに、雷門はここまで追い詰められていた。もし僕があの場に立っていたとしても、この結果は変わらなかったんじゃないか……そう思ってしまう自分がいる。
「木暮くん、すごい!!」
春奈がそう声を漏らすのも当然だ。だって、木暮があのシュートを止めたのは事実なのだから。
「偶然でしょ! 所謂ビギナーズラックってやつですよ」
「……偶然だけかしら」
「えっ」
「僕も瞳子姉さんに同感」
「苗字さんまで!?」
僕は木暮の実力を見ていたからこそ、はっきりと言える。瞳子姉さんは試合を通して、木暮を見た結果の評価だと思う。……多分。
あれだけボールを見る事が出来たんだ。躓いて転んだことは間違いないけれど、確かに木暮はボールを捉えた。ボールの扱いも下手じゃなかったし……言うなら。
「偶然のおかげで、木暮の実力が見えたって所かな」
「……名前がそう思ったのなら、そうかもしれないわね」
「そうですよ! あれこそ、木暮くんの実力なんだと思います!!」
「褒めすぎですよ、音無さん!!」
「目金さん、悔しいんですね〜」
「苗字さん!!」
目金さんをからかいながら、僕は横目で春奈を見る。……自分と境遇が似ているから、気に掛けている人物。きっと、春奈は木暮の理解者になりたいんだな。自分も同じだったからこそ。
「監督、どうかしたんですか?」
ふと、秋ちゃん先輩の声が聞こえた。僕の意識は、春奈達から瞳子姉さん達へと移る。
「……いいえ、なんでもないわ」
……本当に?
本当になんでもないの、瞳子姉さん。
雷門のみんなが無理でも、僕にだったら話せるでしょ?
そう思うのに、僕は瞳子姉さんが何か隠しているようにしか思えなかった。
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2023/7/30
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