三:黒鬱金香
「宵宮。起きてる?」
早朝の時間、私”達”は長野原花火屋を訪れていた。
「おん、起きとるよ。おはよう、名前」
「おはよう、宵宮」
私の声掛けに宵宮が返しながら、窓を開けた。そう、今いる位置は長野原家の裏側である。
その理由は、あと数分経てばこの辺りは人通りが増えてくるからだ。そして、一日が始まる。……同時に私は自由に歩けなくなる。
宵宮は窓から外へ出てきた。行儀が悪いとは言わない。もう見慣れてしまったからね。
「”楓真”もおはようさん」
「おはようでござる、宵宮の姉君」
私の隣に立つ男の子は楓真。……私の唯一の宝物。今年で5歳になる。
「昨日はどうだった? 宴会は楽しかった?」
「楽しかったけど……楓真のことバレそうになった」
「えっ!? あの場所にはあの人がいたはずだよね……?」
「だ、大丈夫なはずや! ……弟でごまかした」
「容姿を詳しく言ってないなら、弟で誤魔化せたんじゃないかな?」
あの人の血を濃く継いだのか、教えてもいないのに口調はあの人そのまま、髪の色もうっすらと黄色がかった白髪。私に似ているのは、部分的に染まった髪や、大きな瞳に彩られた私と同じ蒼色くらいだ。
……あの人を知る人物がこの子を見れば、誰もが思うだろう。あの人の血を継ぐ子供だと。
「それが、一向に信じてくれへんかったんよ……」
「えっ」
「というより、もしかしたら探しに来るかも……」
それはまずい!
私はあの人と会うわけにはいかない……会ってはいけない。
そう考え込んでいると、宵宮が口を開いた。
「……あんたがあの人を避けとるのは分かっとる。けど、一度会ってみたらええんとちゃうか?」
「会えないよ」
「うち、ずっとあんたが抱えていた秘密を明かしたよ」
「! なんでっ」
信頼する人には明かした。けど、同時に約束もした。……絶対にあの人には伝えないで、と。
犯した罪、二度と普通に生活には戻ることは許されない……私は汚れてしまった。
心優しいあの人の隣にはもう立てない。……暗い場所でしか私は生きられない。綺麗な場所を血で汚してしまった私に、賑やかな場所で過ごすことは許されない。
こんな私を知られたくない。だから隠して欲しいと言ったのに。
「こっちの身にもなってや。それに、拒絶なんてしてへんかった。むしろ……後悔しとった」
「後悔……?」
「死に物狂いで探すべきだった。そう言うとったよ」
宵宮から伝えられた、あの人の言葉。
……あぁ、変わらない。その優しさは今でも変わらないんだね。
「……宵宮。あの人に会ったらこう伝えて。『もう探さないで』って」
「!」
「私は人として許されない事をした。そんな人間が、優しいあの人の隣に立つ資格はない」
「あんたは逃げとるだけや。一度だけでいい、あの人に、楓原万葉に…」
「もうすぐ日が差し込む。……楓真をお願い、宵宮」
「名前!!」
楓真の背中を押し、宵宮に預ける。
私は顔を隠すように頭巾を被り、口元を隠す。これがいつもの私だ。名も知られず、受けた命令をこなす。裏の人間になる時間だ。
「___っ、母上!」
「!」
「次は、いつ会えるでござるか……?」
後ろから掛けられた言葉に足を止めてしまった。……あれほど私を母と言わないでって言ってるのに。
貴方より仕事を優先する人間を母親だなんて呼ばないで。……貴方は明るい世界で生きられるのだから。
「早く仕事を終えられるように頑張るね」
「……承知した。いってらっしゃい、母上」
「姉上よ、楓真」
「むぅ。……あねうえ」
片言な姉上呼びにクスッと笑みが零れた。可愛い頬を膨らませて不満そうに私を見上げる。
「……あんたが目的の為に駆け回っているのは分かっとる。でもな、楓真は名前が大事なんや」
「なるべく早く事を終えられるようにするよ」
「そうやない。……危険な場所に向かうのを止められんのか?」
「それはできない。……私の知りたい事は、そういう場所でないと得られないから」
「……毎日とは言わん。けど、安全だって分かったら家に来ぃや。生存確認のためやからな!」
「ふふっ。……うん、分かった。ありがとう宵宮」
「いってらっしゃい、名前」
今度こそ私は二人に背を向け、明るくなり始めている道へ出た。これから神里家へ行かなければならないから、どうしても道が開けた場所に出る必要がある。……だから薄暗いうちに出発したかったのに。
……でも、いつかこんな挨拶を交すことが”二度と”できなくなる日が来る可能性がある。一つ一つの出来事を大切にしないと。
……もしその時が来た場合を考えた時、楓真に寂しい思いをさせたくない。だから宵宮と交流させた。今ではよく懐いていているから、私がいなくなっても……きっと大丈夫。
私がいなくなった後の未来を想像していたときだった。
「___誰ッ!?」
感じた3つの視線。振り返ればそこには蛍とパイモン……そして。
「っ、」
ずっと、ずっと会いたかった人。……会いたくなかった人。
私を見つめる紅色の瞳と視線が合った。……その瞳は見開いていて、私を見つめていて。
いやだ、お願い……私を見ないで。
その綺麗な瞳に私を映さないで。
「あっ、名前!!」
後ろからパイモンが自分を呼ぶ声が聞こえる。反対方向に駆け出した私を追う3つの気配が消えない。
「!」
良かった。町の一日が始まっていて。これならあの人の聴覚も嗅覚も鈍らせることができる。
「っ、どこへ行くでござるか、名前!」
「なんで逃げるんだよ!」
近くで聞こえる声に、ただただ気配を薄めることだけを意識する。……大丈夫、罪を犯していた時に身に付けてしまった『気配を消す』技術がある。それに加え、この場所は鉄を打つ音や人の話声、火に燃えるにおいや料理の良い匂いが漂っている。……あの人の長所を消してくれる。
「……何故、拙者を拒絶する」
「!!」
「お主が犯した事、すべて宵宮殿から聞いたでござる。……拙者は知っておる、お主はそんなことを進んでやる人間ではない事を。名前、お主は被害者だ」
「……っ」
その言葉は私の存在を知り、犯した罪を打ち明かした人全員が言ってくれた言葉。何度も聞いたのに、貴方から聞く言葉は……とても心に響いた。
「拙者はお主がやったことを全て受け入れる。拒絶などしない……だから、姿を見せてくれ、名前」
「万葉……」
3人の気配は私が潜めている場所から近い。だから今泣いてしまったら……この鉄の音に混じった私の泣き声に、あの人が気づいてしまう。
「……3日後、拙者は死兆星号と共に稲妻を発つ。それまでに会いたい」
拙者はずっと待っている
……その言葉を最後に、1つの気配が離れていく。続いて2つの気配も離れていった。
「……うぅっ、ぐすっ」
ごめん、ごめんなさい。
貴方が受け入れてくれても、私ができないの。
見て欲しくない、見られたくない。汚れてしまった私を、貴方の綺麗な瞳に映して欲しくないの。貴方はもう自由なんだから、どうか私を探さないで。綺麗な思い出として私を置いていって。
こんな女より、素敵な女性が貴方に現れるはずだから。……どうか、私を忘れて。
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黒鬱金香(クロチューリップ)...私を忘れてください
私はもう、あの頃のような綺麗な私じゃない
貴方はもう自由の身……だからどうか、私を忘れて生きて
───桔梗院名前
2023年02月12日
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