氷塊散舞、悪鬼厄払



「お待ちしていました、時間通りですね」


名前さんと別れた場所へ戻ると、彼女は変わらずそこに立っていた。まさかずっとここにいたのだろうか……?


「なぁ名前、まさかずっとここにいたとか言わないよな?」

「ずっとここにいましたよ?」

「えぇっ!? お腹空いてないのか?」

「仙人は人間ほど食事を必要としませんから。それでもお腹は空きますが、今は大丈夫です」

「こっちが心配だぞ!!! 空、なにか食べ物ないか?」

「えっと……じゃあこれ!」


俺が差し出したのは杏仁豆腐だ。やっぱり名前さんと言えばが好きな食べ物は杏仁豆腐だから、という安直な考えの元、バッグから取り出した。


「まあ、杏仁豆腐! いいのですか?」

「食べた方が力が出るぞ!」

「……ふふっ、パイモンさんの言う通りですね。では、ありがたく頂戴しますね」


名前さんはお礼を言うと杏仁豆腐を1口含んだ。……数秒後、「お、美味しいです!」と心の底からの声が返ってきた。


「ありがとうございます。これは空さんの手料理ですか?」

「うん、そうだよ」

「まあ! 各地を冒険していらっしゃいますから、やはり料理上手ですね」

「あ、ありがとう名前さん」


誰に言われようと、やっぱり褒められると嬉しい。名前さんは嘘偽りのない心からの言葉をかけてくれるから、更に嬉しさを感じる。

……後でに怒られないかな。というより、先に行ってるって言ってたから、もしかしたらこの状況を見られてるかも……。


「空さんとパイモンさんは、既にお食事を済ませていらっしゃるということで間違いないですか?」

「おう!」


実はと話す前に早めの夕食を食べてきたのだ。だけど、なんで分かったんだろう?


「よく分かったね?」

「嗅ぎ慣れてきた匂いがしたもので。望舒旅館で取られたのでしょう?」

「うっ、当たってる……」

「鼻は良いほうなんです。自然界で生きるには必要なことですよ」


こうして会話している彼女は仙人であり、そして人の形をとっているだけ。実際はと同じく鳥だと言う。

……あ、と会ったことはバレてないのかな。でも、気づいてたら反応すると思うので気づいていないのだろう。もしくはが何かしらの方法で証拠隠滅したか、だ。どこまでも名前さん想いである。


「さて、お腹も満たされたことですし……参りましょうか」

「え? どこに?」

「今回の目的をお忘れですか? 漉華の池で起こっている異常事態の調査でしょう?」

「それは分かってるけど……って、もしかして分かったのか!?」


パイモンの問いかけに名前さんは頷いた。そして、こちらに背を向けた。


「日が沈んでから暫くして、悪霊の気配を感知しました」

「それで、どこだったんだ?」


名前さんはこちらを振り返ることなくゆっくりと腕を上げて、自身の視線の先を指さした。


「方向を指しても遠いので分からないと思いますが……この方向から気配を感じます」


「そして……」と名前さんは言葉を続ける。漸くこちらを振り返った名前さんは……



「 ___あの先には、私が200年前に倒れた場所があります」



どこか悲しげな雰囲気を含んだ表情で、俺たちの方を振り返ったのだ。
その言葉に俺はもちろん、パイモンも口を開けなかった。

だって、その発言は彼女が予想していたことの可能性が高いって意味なんだから。



「放っておくにはいきません。さぁ、準備はよろしいですか?」



……きっと名前さんは俺たちに例の少年について話してくれた時から覚悟していたのかもしれない。


「うん。……行こう、名前さん」


俺の言葉に名前さんが頷く。俺の返答に続いてパイモンも準備はできている意志を彼女に伝えた。


「はい。では向かいましょう」



***



「ここが……」


漉華の池某所。何の変哲もない、美しい景色がある場所。俺には何も見えないけれど、嫌な気配はする。ここに名前さんが言う悪霊がいるのか。

……そして、200年前に彼女がファデュイによって気絶させられてしまい、と離ればなれになってしまった悲劇の始まりである場所。


「これだけのものを出ておきながら、隠れているつもりなのですね」

「出す? なんの事だ?」

「穢れです。初めに話した通り、悪霊は害を及ぼす存在……まさに今、ここから漏れているのですよ」

「本当か!? でも特に何も感じないけれど……」

「俺も何ともないよ。でも嫌な感じはする」

「流石です。感知できるだけでも、すごい事ですよ」


俺は嫌な感じというもので悪霊の気配を感知している。名前さんによると、このような事を専門としている人達ははっきりと分かるらしい。


「ですが、無理をなさらないように。悪霊が放つ穢れは人を狂わせる……業障と同じです」


名前さんが俺を見つめる。
その瞳が悲しげで、悪霊によるものか業障によるものか分からないけれど、それらによって狂ってしまった人を知っている……そんな感じがしたんだ。


「では参りましょう……うん?」


悪霊のいる場所へと名前さんが踏み入れようとした瞬間、目の前の人物は足を止めこちらを振り返った。しかし、目線は合わず、どうやら俺達の背後を見ていた。


「? どうかしたのか?」

「いえ、彼の気配を感じたような……」

「彼?」

のことですよ。もう、この件は私が解決したいと言ったはずなのに……」


そう言って頬を膨らませる名前さんは、いつもと違った愛らしさを感じる。口調こそ大人っぽいけれどその容姿は少女と呼べるほど幼い。2000年ほど生きてるなんて言われてもまず信じないと思う。これは彼女の旦那であるにも言えることだけどね。


「気のせいじゃないか?」

「……そういう事にして置きましょう。さ、今度こそ参りましょう」


私が先導しますから、お二人は続いて下さい。
そう言って名前さんは先に悪霊の気配がする場所へと向かっていった。


「じゃあオイラ達も行こう!」

「うん」


俺は名前さんの後に続く前に後ろを振り返ってみた。……だが、ただ景色が続いているだけでの姿はなかった。
けど、名前さんが感じ取ったんだ。ここか名前さんの感知が鈍くなる場所で見ているのかもしれない。彼の事だ、そんな業ができるだろう。



「……」



知らない場所で名前さんの後へ続いて進む俺達を見つめる鋭い金色の瞳が、高い場所から見守っていた。



***



「……っ、うっ」

「なんか、気持ち悪いぞ……っ」


名前さんに続いて歩く事暫くして、広い場所に出たようだ。
秘境と言って良い程の空間。ただし中は暗く、そして……段々と気分が、悪く……っ。


「お気を確かに、お二人とも」

「……あ、あれ? 気持ち悪さが消えたぞ」


パイモンと同じく、先程までの気持ち悪さが消えた。こちらを振り返る名前さんへと視線を向けると、いつしか見た儺面を付けた彼女がそこにいた。
に対しても思うけど、夜叉の儺面ってどうしてこんなに怖いデザインなんだろう……。

ちなみに名前さんの儺面はのものよりは怖さはない。ただし、子供が見たら怖いって言うと思う……。


「うわあっ!!?」

「驚かせてしまいましたね、すみません。ですが、これがないとお二人をこの酷い穢れから守れません」


儺面がないと守れない?
彼女の言葉に首をかしげる。

はそんなこと言っていただろうか……もしかしたら、名前さんは違う、とか?
彼女は他の夜叉と違う異名……守護夜叉と呼ばれていたから、それが関係しているのだろうか。


「私の儺面は他の夜叉とは少し違うのです」

「名前の儺面はどんな効果があるんだ?」

「私の儺面は他を守る為の力が備わっています。ですから、他を癒やし守るときに真価を発揮するのです」


それはつまり、が儺面を付ける際に強大な力を発揮する代わりに自傷していることと同じではないだろうか。
自分以外を守り癒やす代わりに、自分はそれをすべて引き受ける……。自己犠牲という言葉が浮かんでしまった。


「それって、名前は大丈夫なのか……?」

「問題ありません。この力を持っている影響なのか、身体は丈夫なのですよ」


きっと儺面の奥で名前さんは微笑んでいると思う。優しい声音だから想像がしやすい。けど、やっぱりその儺面のデザインの影響でちょっとだけ怖い……。


「では、お二人とも私から離れないで下さいね」

「おう」


名前さんに着いて行って奥へと進む。
もし、名前さんと協力していない状態で漉華の池の異常事態の根源を発見していたら……俺とパイモンは無事で生還できなかっただろう。


「! 魔物だ!!」


あり得たであろう可能性を考えていた時、パイモンが声を荒げる。視線を向ければそこには魔物……ヒルチャールの姿が見えた。その数は暗い場所なので正確な数を把握できないが、多いことだけは分かる。

片手剣を顕現し、戦闘態勢に入ろうとした。


「お待ちください。ここは私にお任せを」

「あの数を一人でやるのか!?」

「あの魔物は悪霊の穢れに冒されています。ここに入った時点で、お二人はこの空気に当てられそうになっていた……危険ですから、ここから出ないように」


そう言うと名前さんは槍を取り出すと、その場に突き刺す。その瞬間、俺達を守るように氷のシールドが展開した。


「この氷壁の中に私の仙気を満たしました。これで私が戦闘で離れても問題ありません」

「けど……!」

「これは私にとって日常的なものです。心配しないでください」


名前さんはそう言うとシールドの外へ出る。着いて行こうと彼女の後を追ってシールドの外に出ようとしたが、半透明の壁に阻まれてしまった。どうやら彼女自身に干渉しないようで、俺にはできなかった。

これは彼女自身によるコントロールで成したものなのか、彼女はシールドの対象外なのか……いや、後者はないはずだ。きっと前者だろう。


どうしても一人でやろうと言う意思が見える。以前、傷だらけの状態で戦おうとした彼女を思いだしてしまう。今の名前さんは、あの時のような状態ではないのは分かっているけれど……。


「はぁッ!!」

「すごい、ヒルチャール達があんなにも簡単に……!」


夜叉は戦闘に長けている仙人だ。名前さんは守り癒やす能力が目立つけれど、夜叉であることは揺るぎない事実。彼女も戦闘は得意分野なのだ。


「凍りなさい!」


広範囲に広がった氷。名前さんの前方にいたヒルチャール達が倒れ消滅していく。細く美しい形をした槍先がヒルチャール達を襲い、見る見るうちに数が減っていき……


「ひとまずは脅威が去ったという事にしましょう」


名前さんがこちらへ駆け寄ってくる。見た所怪我はなさそうだ。


「本当に1人で倒しちゃったぞ」

「これでも場数は踏んでいますから、このくらいは倒せなければ」


そっか。名前さんは魔神戦争を経験しているんだ。更に璃月では毎日のように戦っているはずだから、心配するのは彼女にとって失礼に当たるかもしれない。
だけど、どうしても弱っていた名前さんを知っているから心配になってしまう。なんだったらの影響を少し受けているかもしれない。


「この空間を作り出した主……悪霊の気配は少し奥から感じます。何かあればすぐに教えてくださいね」


名前さんの言葉に頷く。
どうやらこの秘境では名前さんしかまともに動けないようだ。彼女に任せる形になってしまうが、何もできず足手纏いになるなら、ここは名前さんを頼ろう。



***



「一体どれだけの魔物がいるんだ……!?」


秘境を進む度に魔物の数が増えている気がする。それと同時に、嫌な気配を強く感じる。名前さんのお陰で気分が悪くなっていないけれど、嫌な気配というもので感じるそれが大きくなっているように感じるのは、彼女の言う『穢れ』が濃くなっているのだろう。


「……近いですね」

「本当か? じゃあもう少しでこの秘境をつくったやつに会えるのか?」

「はい」


この危険な空間を生みだしている存在……悪霊とは一体どんなものなのだろうか。そんなことを考えながら名前さんの後を着いて進む。


「! 止まってください」


前を歩く名前さんが俺達の先を塞ぐように手を伸ばす。反射敵に名前さんの顔を窺うが、彼女の目線はこちらではなく目先を向いていた。
俺は名前さんにつられるようにその先へと視線を移した。


「な、なんだあれ……!?」

「この空間を作り出した主……悪霊です」


あれが悪霊……!?
思わず名前さんの顔へと再び視線を向けた。

この秘境は、名前さんが200年前にファデュイに襲われ、璃月を離れるきっかけになった場所に発生している。
そして、名前さんが気に掛けている少年が亡くなった後、彼女のことで成仏できないままだったとしたら……!


「じゃあ、名前が会いたがっていたあの子ってことなのか……!?」

「……私は璃月に蔓延る悪を退治しなければなりません」


そう言って俺達の元にシールドを展開し、名前さんは悪霊の元へと駆け出した。


「名前さ、うっ」


思わず名前さんへと手を伸ばした。だけど、その手は名前さんに届くことはなかった。

___本当に名前さんはそれでいいの?
だってあんなにも少年について気にしていたのに……あの悪霊は名前さんが探していた少年の可能性が高いんでしょ……?

そう言いたかったのに、自分を襲った気持ち悪さに行動を阻まれた。シールドから少し手がはみ出ただけだというのに、この場所は、あの悪霊の出す穢れは俺には毒で。



「彷徨える魂よ、貴方がこの地に縛られる理由はありません。ですから、その身に抱える想いをどうか放棄してください。私は貴方を解放したいのです」



突如、名前さんを中心に氷の礫が混じった吹雪が発生する。
……氷塊散舞。が言うには名前さんは氷の礫を発生させながら舞うように戦うのだという。

今まさに目の前で彼女が戦っている姿が、の言っていた氷塊散舞そのものだろう。



「デテイケ、ココカら、でてイケ……!」

「!」


地を這うような低い声、そして恐怖を煽る声で悪霊はそう言い、名前さんへ攻撃した。名前さんは咄嗟にシールドを展開したようで、無傷のようだ。


「これは一度落ち着かせる必要がありそうですね……!」


名前さんは攻撃を躱しながら悪霊へと接近する。いくら本人が身体が丈夫だと言っていても、その行動は危険だ……!


「痛みは一瞬だけです。……ごめんなさい」


淡い水色の光が悪霊を貫く。それは名前さんが悪霊に一撃を与えたということだった。


「ア、アアアアアァ……ッ」


あれは穢れが溢れ出ているのだろうか。悪霊が倒れながら黒く不気味な何かを放出しながら崩れ落ちていく。
その様子を見ていた名前さんは槍をその場に突き刺す。その瞬間、名前さんが持つ槍が輝きだし……視界を邪魔していた黒い靄が晴れた。もしかして、名前さんの力?


そう思っていると俺達を守っていたシールドが解除された。あの時のように名前さんが力尽きて強制的に解除されたわけではなさそうだ。

こちらを首だけで振り返る名前さんがそれを物語っている。彼女が大丈夫だと判断したからだ。


「名前、この霊はお前が探してた子……なのか?」


パイモンの問いかけに名前さんは答えない。けど、無言は肯定の意味になるから……そういうことなのだろう。
儺面によって彼女の表情を窺う事はできないが、膝を着く悪霊の目線に合わせるよう屈んでいる名前さんの様子が、パイモンの問いかけに対する答えが『YES』な気がした。



「デテイケ、ココカら、でてイケ……!」



名前さんの後ろから様子を窺っていたら、ゆっくりとした動作で悪霊が立ち上がったのだ。
先程より大人しくなったとはいえ、未だに俺達に敵意を剥き出しなことに変わりない。いつ襲いかかってくるか分からない。

名前さんは下がって、と言うように俺達の前に手を出す。彼女の意思に従い、俺とパイモンは下がって様子を窺う。いつでも武器を出せるように警戒する。


「私はあなたを害する為に来たのではありません」

「オレが、ココヲ守らなくてはナラナイ……! オレが、オレガ……!」


先程までは呻き声のように聞こえなかったけど、なんとか言葉が聞き取れるようになった。
悪霊はこの場所に強い執着を持っている様だ。それも、『守る』と言って……。



「___もう良いのです」



悪霊が名前さんの言葉に反応し、顔を上げる。靄が掛かって表情は分からないのに、何故かその様子が不思議そうに名前さんを見ているように俺は感じた。


「あなたがここで苦しんでいる事に気づけず、申し訳ございません」

「ナニヲ言ってイルノカ、ワカラなイ」

「そうでした。今は顔を隠していたのでしたね」


名前さんが儺面に手を伸ばす。そして、その儺面から名前さんの素顔が現れた。



「彷徨える魂よ、いえ……少年。___この顔を覚えていますか」

「……ッ!! ア、あぁ……!!」



どこか震えたような声音で告げた名前さんの言葉に、悪霊が反応した。そして、名前さんの元へと歩み寄っている。
靄の濃度が段々と増している。悪霊について詳しくないけれど、何となく分かる。……このままじゃ危ない!


「名前、」



思わず手を伸ばした……その時だった。
靄が一気に分散し、その正体が現れた。……そこにいたのは方士の衣装を身につけた男性だった。


「あ、あなたは……俺が、俺がずっと探していた……!」

「……良かった、正気を取り戻したのですね」


正気を、取り戻した……だって?
名前さんの話では悪霊に落ちた霊は正気を失っているため、自力で戻って来れないと言っていた。けど、あの悪霊……いや、男性は自力で戻ってきたというのか?


「あっ、」


男性の身体が光に包まれる。……暫くして輝くが収まり、そこにいたのは水色がかった白い髪の少年がそこにいた。


「うっ、ぐすっ……お姉ちゃん、ずっと、ずっと会いたかった……!」


少年は泣きじゃくりながら名前さんに抱きついた。名前さんは少年を受け止めて、その小さな身体に片腕を回す。もう片方の腕は少年の頭に伸び、優しく撫でていた。

……やっぱり名前さんは悪霊の正体が探していた少年だったことに気づいていたんだ。そして、悪霊として払う前に現世に留まる想いを晴らそうとしていた……。やっぱり彼女は優しい仙人ひとだ。







2023/05/28

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