第5節「泡沫の夢」
___ボクを忘れて欲しい
今確かにドクターはそう言った
「君を傷つけたくないんだ……」
強く抱きしめられる……ドクターの気持ちがその行動に表れていた
「……いいえ、ドクターが悪いのではありません」
「え……?」
「いつまでも貴方のいない日常を受け入れられなかった、私の未熟な心が悪いのです」
少しだけドクターから離れ、彼の顔を見上げる
視界に入る彼の瞳はどこか泣きそうな色を映しだしていた
「だからどうか、自分を責めないで下さい」
「……確かに君は変わった。人間らしく良い方向に。それでも本質は全く変わってない」
「きっかけがあれば人間は別人のように変われる。……しかし、貴方がおっしゃる通り根本な所は変わっていないのでしょう」
そう、変わったとしても全て変わってしまえる訳ではないのだ
結局の所、私はいつまでもドクターのいない日常を受け入れられていないのだ……前世の頃から今に至るまで
自分がこの世界へと生まれ変わった事である希望を持った……もしかしたら、ドクターも私と同じようにこの世界に生まれ変わっているのではないか、と
しかし現実は自分が思うように動いてはいない
……今目の前にいるドクターがもう答えだ___ドクターはこの世界にいない
「うーん……どうやら君は悪い意味で受け取っているみたいだ」
「? 違うのですか?」
「違う違う。優しい所は変わってないなって」
「やさ…しい?」
私は優しいのだろうか
自分ではよく分からない
「自分が認めた相手にはとことん尽くす……君は信頼している人としてない人でかなり態度に差があるんだよ?」
「……それは本当ですか」
「本当本当。……これも“道具”としての性質なのかな」
だからなのかな……君はいつもボクを“悪”として見てくれない
ドクターは困ったような表情でそう言った
……当たり前だ、貴方は私を救ってくれた人なのだから悪ではない
「私は貴方がいたから今の“私”がいるのです。……忘れる事など、できるはずがない」
「……そうか。ボクの存在は君の心に相当深く刻まれているみたいだ」
でもね名前ちゃん
ドクターが私の髪束を手に取り指を通す
茶色い自分の髪は風に靡かれながらドクターの手から零れていく
「……君はもう道具ではない」
分かっているだろう?
……その言葉が頭の中で響いた
「よく思い出して欲しい。……君は敵に恐怖しなかった事はあったかい?誰かを失うことを恐れなかった事はあったかい?」
「……!」
初めは誰かを失うことなどなんとも思わなかった
自分に敵意を、殺意を向ける者に対して怖いと思った事もなかった
「君は誰かを守りたいと、強くなりたいと願うようになった。……前世の君には一切なかった感情だ」
違う
違うのですドクター
確かに私はそのような感情を持たない機械のような人間でした
ですが、貴方に出会ったからこそ私は人間へと変われたのです
「……でも、君は漸くまともな人間へとなれた。いや、生まれ変わったと言った方が正しいのかな」
「?」
「怖いと思う事、悲しいと思う事、楽しいと思う事……これは全て、君がボクと初めて出会った時には持ち合わせていなかったものだ」
「!」
「しかし、今世で君は良い運命に出会った。愛情を沢山注いで貰った君が前世のような人間に育つわけがない」
昔と今で大きな違いは、両親から与えられるもの……それは間違いの無い事かもしれない
しかし、ドクターの言葉に私はずっと違和感を感じていた
「___まぁ、自己犠牲が過ぎる所は相変わらずのようだけどね」
「!!」
どうしてドクターがその事を知っているの?
サーヴァントによく注意をされていることを、どうして?
私が作り出した幻想だから?それとも夢だから?
「ふふっ、君の気になっていることは分かるよ。相変わらず分かりやすいね」
「……では、私が抱いているこの違和感を説明してくれるのですか?」
「うん、勿論」
ドクターは一息置いて口を開く
「___ここ10年間、ボクはずっと君を近くで見てきたから」
……その言葉は私を驚かせるのには十分だった
「どういう意味ですか……?貴方が先程仰っていたではありませんか!私が作り出した幻に…夢に違いないのかもしれないと!」
「うん。そうだね」
「それでは矛盾が生じてしまいます!」
目の前にいるドクターも、この空間も全て私が作りだしたものだ
そう言ったのは……貴方ではありませんか!
「確かにボクは君の生きる世界にはいない。……そう、ボク自身はね」
「それは、どういう……?」
「君がサーヴァントにやっていることと同じさ。ボクは君の近くにいる人物の中にいる」
私の近くにいる人物の中、に……?
つ、つまり……ドクターは、ドクターは……
「憑依という形で誰かの中にいる……そういう事ですか?」
私がこの世界に生まれ変わって得た力…個性でサーヴァントを憑依させるように、ドクターも誰かに憑依した状態で存在していたって事……?
「正解。……やっぱり君は頭がいいなぁ」
「誰です?誰の中に貴方はいるのですか……!」
知りたい
貴方について知らない事を作りたくないのです……!
「それを言っては面白くないだろう?」
詰め寄った私の肩を優しく掴んだ
……これ以上踏み込むことは許されない
そう言われているようだった
「それに言ったはずだよ。ボクのことを忘れてって」
「……っ」
目が熱い
視界がぼやける
悲しい
寂しい
……苦しい
……あぁ、これが“泣く”という感情だ
今度こそ受け入れなければならない…ドクターがいない世界を
理解しなければ
……また同じような事を繰り返すという事は即ち、ドクターを穢しているのと同じなのだから
「ボクとして会うことはこれが最後だ」
「……はい」
「こうして涙を拭うのも最後だ」
ほら、後ろをご覧?
ドクターに言われ後ろを振り返ると、そこには___
「……!」
「君のサーヴァントが待っている」
蓮の花が咲き乱れた景色の中に、綺麗な黒髪に褐色肌…白く流麗な羽衣を纏う青年がいた
……考えなくとも誰か分かる
「マスター」
こちらを見つめる綺麗な黒い瞳は優して、懐かしくて涙が溢れそうになる
その理由は悲しいからか、嬉しいからか……いや、どちらもだ
彼の手をとれば二度とドクターに会えない
……区切りを決めなさい、私
ドクター自身はいなくとも、あの人は誰かの中で私の側にいると言った
……今はそれで良いではないか
「最後に……ドクター」
「うん」
あの時伝える事ができなかった言葉を…貴方に
「私も貴方を……お慕いしておりました」
「……うん」
貴方を完全に忘れる事はできない
……だけど、ドクターから卒業をしなければならない
「さようなら……ロマニ」
「ボクが言える立場では無いけど……どうか、幸せになって。名前ちゃん」
ずっと君を見守ってるよ
……その言葉がドクターとの、ロマニとの最後の会話になった。
「行きましょう」
「……うん」
その言葉を最後に私はサーヴァントに手を引かれ、眩しい道の先を歩いて行った
![](//img.mobilerz.net/sozai/1646.gif)
2024/06/08
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