novel | ナノ




「… …?」


早朝。肌寒さと、カーテンから差し込む日の光に、リンダの意識は浮上した。一体いつの間に寝たのだろうかと疑問に思いながらぶるりと震えて、眩しさに顔を背ける。
しかしその最中、頭を含め身体中に妙な痛みが走った。更に違和感、不快感にも呻いてもぞもぞと身体を動かす。
一体なんだろう、風邪でもひいてしまったのかと徐々に醒めていく頭で考えーーそして、原因に思い至ったリンダの身体は強張った。

動く事も目を開ける事すら恐ろしく、暫く息を潜める。そのうち、どうやらベッドの上にいる事と肩までは毛布が掛けられている事、また、絹触りからして自分が全裸である事を察した。


「……」


やがて、規則正しい寝息が間近から聞こえる事にも気が付いて、ゆっくりと目を開けた。

ーー目の前に、承太郎がいる。

それを確認し、思わず息をのんだ。
たくましい腹筋に分厚い胸板、くっきりと浮かぶ鎖骨。うっすらと開く肉厚のある唇から聞こえる呼吸音。そして、閉じられた目蓋。

リンダは音を立てないようにゆっくりと彼から距離を取った。ベッドの端へと後退し、フローリングに足を付ける。それでも彼が目を醒ます気配はなく、小さく息を吐いた。


「…痛、…」


同時に、全身を襲う痛みに身を縮めた。二日酔いという事もあるだろうが、昨晩の行為を思い返すと頭痛も酷くなる。
頭と腰を押さえつつ何とか立ち上がって、散らばった自身の服と下着を拾い上げた。ストッキングは駄目になっているがそれ以外は無事であったので、取り敢えずそれらを身に付ける。コートを羽織えばブラウスやスカートの皺も汚れも問題なく隠せたため問題なかった。
辺りを見回し、ソファに置きっ放しになっていた鞄を見付けて手に取る。


「……」


承太郎の寝顔を無言で眺めてから、リンダはそっと音を立てずに部屋の外へと出た。
現在は早朝。真冬のため外はまだ薄暗く、周囲に人気は無い。普段の賑わいが失われた街中をあてもなく歩くと、何時の間にか駅へと辿り着いていた。
始発の電車が動く前のためちらほらと人が歩いている事を確認し、リンダは一旦駅の洗面所に入った。


「酷い顔…」


涙の跡の残る顔を適当に洗い、取り敢えずは人前に出ても支障の無い程度に身なりを整え、そのまま何と無く電車に乗った。
終点で下車する頃には周囲はすっかり明るくなり、出勤前のサラリーマンや学生達で賑わっていた。人並みに流され歩いていると、偶々ビジネスホテルが目に入る。
あそこで休もうと思い立ち、ホテルへ向かってフロントでチェックインをした。鍵を貰いエレベーターに乗って、部屋へと足を運ぶ。
室内に入りベッドに腰掛けて、ようやく落ち着いたリンダは、静かに泣いた。


「ぅ、…っ」


彼があんなにも思い詰め、強く好意を抱いていたことなど知らなかった。酔った勢いで想いを告げられ無理矢理抱かれて、どうすれば良いのかさっぱり分からない。
とてもではないが両親やジョセフ達を頼る気にはなれない。友人に相談できる内容でもない。
そう一人ぐるぐると思考の渦に溺れ、途方に暮れて涙を流していた。







時刻が昼を過ぎ、いつの間にか夕方になっていた。腫れた目で時計を見ながら、リンダの思考回路はようやく正常に動き出した。
勢いで出てきてしまい、これからどうしたら良いのだろうと今更ながらに項垂れる。鍵が無いため帰れない、というよりも、帰宅すれば嫌が応にも承太郎と遭遇するので、帰るに帰れない。
どんな顔をして彼と対面すれば良いのだろうか。


「承くん…」


彼の言葉、表情、積年の想いが、リンダの頭を悩ませ胸を締め付ける。
それは果たして恐怖からか、焦燥からかーー否、それだけではない事を、彼女は既に自覚していたーー

しかし、頭を振って、リンダは一旦考えるのを止めた。取りあえず、昨晩から洗えていない身体を清めなければと思い立って、バスルームに向かった。


「これは…」


鏡の中の自分の姿を見つめ驚いた。身体中の至る所に痣ができてる。両の手首、腕、太もも、脹脛、腰にそれぞれくっきりと残る手形、鎖骨や胸元には鬱血痕。
それらを見て、彼に抱かれた事が嘘ではない事を、これが現実である事を改めて思い知らされた。ズキズキと全身に感じる痛みは、彼の想いの強さを物語っている。
波紋で治す気にもならず、リンダはのろのろと身体を洗った。

湯船から上がり、途中で購入していた下着を着け備え付けのバスローブを纏う。ベッドに座って水を飲み、ほうと息を吐く。
少し落ちついたため、リンダは再度昨晩の出来事に思いを馳せた。
まず、自分も酔っていたが承太郎も相当酔っていた。そして前回のように幼児帰りした様子ではなく、明らかに危険な雰囲気を放っていた。
それに気付けず、ノコノコと彼の部屋に入ってしまった自分が悪いのかもしれない。彼にとっては、好意を抱いている女が深夜の自室に上がり込み、無防備にも衣服を寛げてソファ代わりにベッドへ座ったのだから。


『好きなんだ…』


突然押し倒されて告白されて訳が分からなかったとはいえ、リンダはそれが家族としての好意ではないのかと聞いた。
約束も忘れ、冗談だと言ったし、唇も噛み切ってしまった。想いを寄せている相手からそんな対応をされれば、当然ながら傷付くだろう。


『ッ冗談じゃねぇよ…!俺が今まで…っどんな思いでいたか…!』


悲痛な言葉と表情を思い出すと、胸が痛む。
酔っていたとはいえ、告白された時点でもっと誠実に対応していればあんな事にはならなかったのではないか。
彼の想いを軽んじてしまった自分の所為ではないかと、リンダは悔いる。


「どうしたら…いいの…」


しかし、昨晩の行為はあまりにも強引過ぎた。
行為中の事を思い出すだけでも自然と身体が強張ってしまう。スタンドまで使って羽交い締めにされ、二人掛かりで犯されたようなものだった。
彼は昨晩の事を覚えているのだろうか。その前の泥酔事件の際の事は忘れていたようだが、今回はどうだろうか。
例えまた酔っていた時の記憶を失っていたとしても、部屋の惨状を見ればあの場で何があったは明白だ。目覚めた彼は何を思うのだろうーー

そこまで考えて、リンダはベッドに横になった。
膝を抱えて丸くなる。頭が痛かった。
いったん考えを止めなければ、身体も精神もどうにかなりそうだった。








『ーーおとなになったら、ぼくとけっこんしてくれる?』


ふいに、昔の承太郎の姿が脳裏に浮かんだ。その言葉の意味をあまりよく理解出来ないままに肯定したリンダに、ぱあっと頬を染めて笑った幼い彼。
胸がずきりと痛む。寝返りを打って誤魔化そうとしたが、その記憶を切っ掛けに彼と過ごした日々が次々に思い出された。

手を繋いではしゃいだこと。
水族館に行ったこと。
日が暮れるまで遊んだこと。
学校へ連れていって貰ったこと。
飽きるまで海で泳いだこと。
指切りしたこと。
強く抱き締められたこと。
隣同士の生活が始まったこと――

幼い頃はお互い好きだと言い合い、抱き合ったりキスを交わしていた。その後彼が異性に触られるのが苦手になってからは身体の触れ合いを避けるようになったが、変わらず仲は良かった。
思春期に入ると再会するたびにすくすくと成長する承太郎に距離を感じ始めた。口数も減り態度が冷たくなって、何を考えているのか分からなくなった。
あの約束は無かった事になったのだと、思うようになった。
その後少し疎遠になって約4年振りに顔を会わせると、成長した姿に男の人だと意識した。命をかけた旅へと向かった彼が心配で堪らず、無事に帰ってきた時には心底安心した。
そんな彼がアメリカの大学に進むことになった時、リンダは本当に嬉しかった。それからは彼に対して家族として親愛の心を抱いていた。
ジョースター邸でジョセフとスージーと承太郎とで生活を初めて、本当の兄妹のようだと思っていた。彼がスキンシップを自ら行うようになったのも距離が近くなったのも、自分を妹のように思っているからだと考えていた。


「でも、違った…」


彼は、リンダを完全に女として見ていたのだ。あの意味深な視線はそういう事だったのだと、今更ながらに理解する。
確かにリンダにも彼を男だと意識する瞬間は存在したが、それは許されない事だと考えていた。例え三親等以上離れているとはいえ自分達は血が繋がっているのだという考えの方が強かった。
だから、より強く彼を兄として思い込む事で彼の想いを避けていたのかもしれない。


『ずっと、そう思ってたのは俺だけだったみてえだがな…』


怒りと悲しみであふれた声と言葉を思い出す。考える事を放棄し続け、彼の気持ちさえなかった事にして、冗談だと言って傷付けた。
それを改めて理解して、リンダは自身の浅はかさに自嘲した。

明日は家に帰り、きっちりと彼と話し合おう、そう思いながら、彼女は目を閉じた。





――それがどれ程暢気な考えであったか知らずに。






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