結局昼休み以降、志摩は何もアクションを起こしてくる事は無かった。塾でも至って普通であった。それが逆に雪男を落ち着かなくさせていた。自室の机に向かって、パソコンで教材用のプリントを作っていたが一向に進まない。遂に雪男は画面を閉じ、天を仰いで深い吐息を吐き出した。


(何も言って来ないのは来ないでムカつく…)


次第にイライラが募る。別に志摩に「廉造先輩と呼んで下さい」と懇願を期待していた訳では無い。ただ、何もなきゃ無いで、何か落ち着かない。
それに真っ向否定するつもりもなかった。ただ、「廉造」と呼ぶのが気恥ずかしかっただけなのだ。
パソコンの画面をもう一度開き、作業した所まで保存をすると電源を落として起立をした。そして自室を出ていくと、その足取りは暗闇へと消えていった。





◇ ◇ ◇





「せ、せんせ?!何しに来はったんです?!」
「……」


雪男が向かった先は、志摩の寮であった。突然の特別ゲストならぬ特別訪問者に志摩は目をまん丸くさせて大層驚いた。雪男はというと、眉間に皺を刻み、目を細めていた。


「何じゃないですよ…」
「え?だって、先生から訪ねてくるなんて珍しゅーて…そりゃ驚きもしますよ」
「誕生日」
「はい?」
「誕生日、おめでとうございます…」


志摩の目は見ずに、節目がちに伝えるとそれ以降黙ってしまった。志摩も志摩で、何か喋る事はしなかった。というよりは、喋るという事を忘れてしまうぐらいに吃驚していたのだ。


「え〜と、…え?」
「え?じゃありませんよ、誕生日だって言ってたじゃないですか。昼間」
「えっ、あ、あぁ!そうやね!うん、俺誕生日なんです!」
「あの時お祝いの言葉を言ってなかったので」
「わざわざそれを言いに来てくれはったんですか?」
「…そうですよ」
「わ!めっちゃ嬉しい!ありがとうございます、先生!」


予想外の出来事に、思わず志摩は力強く雪男を抱きしめる。その瞬間、志摩の全体重が雪男にかかる。雪男は「うっ」と呻き声を上げたが、何とか足を踏ん張って体勢を維持してみせた。おかげでどちらも後ろに倒れ込むという自体は免れた。


「あ、すみません先生!」
「い、いえ…」


ぱっ、と志摩が雪男から離れる。雪男は先ほどの衝撃でズレた眼鏡を押し上げた。


「あまりにも嬉しくて、もうっ…俺、往生してしまいそうやわ!」
「……」


余程嬉しかったのだろう。志摩は子供の様に無邪気にはしゃいだ。そんな彼を見て雪男は、まるで何か意を決したかの如く口を結んで、真っ直ぐに相手を見遣った。


「目、瞑ってもらえませんか?」
「目?」
「僕の気が変わらない内に早くして下さい」
「は、はいっ!」


半ば強制とも言える雪男のお願いに、志摩も咄嗟に眼瞼を閉じた。志摩がちゃんと眼を閉じたのを確認しているのか、雪男は顔の前で何度も右手を振ってみせた。それに何も反応しないと分かると、今度は志摩の肩越しに室内を見渡して誰もいない事を確認する。次いで、自分の左右後方も人気が無い事も確認した。
全てが大丈夫だと分かると、生唾を飲み込み相手の耳元へゆっくり口を近づけた。そして、


「お誕生日おめでとうございます。……志摩先輩…」


告げるとそっと雪男が離れていく。耳に掛かった息遣いと、反則すぎる言葉に無意識に志摩は目を開けてしまった。その瞬間、志摩に顔を見せたくなかったのか勢いよく雪男は頭を垂れた。


「何で下向いてしまうん?」
「……見せたくないからです」
「そないな事言わんといて。先生の顔、ちゃんと見せて下さい」


お願い、の意を込めてこめかみ部分に唇を寄せる。
思いが届いたのか、ゆっくりと雪男は顔を上げた。志摩より背丈のある雪男が少し顔を上げてみせれば、その表情は簡単に伺えた。
雪男の顔を見た志摩は「しまった」と思った。
いつもは凛々しく大人びた雰囲気を醸し出している彼であったが、今目の前にいる彼はまるで違っていた。眉尻は垂れ下がり、羞恥のせいか頬はほんのりと赤く染まっている。恋人のそんなギャップを見せられては、こちらまで顔が熱くなってしまう。
そう思った志摩は、顔の熱を逃がそうとある事を思いついた。


「せ、せんせ。外に行って星でも眺めません?というより今日は俺の誕生日ですから、言う事聞いて貰いますけどね…!」
「そそそ、そうですね!たまにはゆっくり天体観測もいいでしょう!」


雪男も顔に集まる熱をどうにかしたかったのか、素直に誘いに応じた。
そして志摩に差し出された右手をぎゅっと掴み、静かな廊下を二人にとって丁度良い早さで歩く。前を行く志摩の背中に、口には出さずしてこう言葉を投げかけた。


(僕にここまで恥ずかしい思いをさせたんだ…。僕の誕生日にはうんと可愛がってあげますよ)


そんな雪男の心内などつゆ知らず、志摩は幸せな気持ちに浸っていたのであった。





- end -



志摩聖誕祭。
2011.07.04


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