05
一人で使うには広すぎる部屋。
今まで屋根裏や、酷い時には物置小屋で過ごしていた明にとって、この部屋は慣れない所か緊張さえ覚える。
せめてこの半分くらいの広さの部屋にして欲しいと戌や酉に恐る恐る伝えると、片方は仏頂面で首を横に振り、もう片方には笑顔で断られた。
ここ数日、特に酷い扱いもされず、それどころか彼らは硝子玉を扱うように優しい。あまりにも居心地が良すぎるのか、明は落ち着くことが出来ずにいつも窓の外を眺めていた。
そういえばしばらく外に出ていないなぁと考えていると、ノックも無しに扉が開いた音が聞こえた。
「また外なんか見てんのか」
入ってきたのは寅。
彼が手に持つ真っ赤な薔薇の花束が、彼と初めて会った時に彼のスーツに飛び散る赤と重なり、明の胸はどくどくと大きく鳴った。
「これ、やるよ」
そう言って寅が薔薇を差し出したのを、明はただ見つめていた。
この薔薇が気に入らないとか、決してそういう意味で受け取らなかったのではなく、ただ単に驚いていた。
だが寅は前者の意味で捉えてしまったらしく、少しだけ顔を曇らせて薔薇を後方へと投げ捨てた。
「なら、こっちか」
次に懐から取り出されたものに明は目を丸くする。
早く受け取れと言わんばかりにひらひらと揺らしながら差し出されたもの。それは見たことも無い分厚い札束が三つ。
いくらあるのか聞きたくもないそのあまりの衝撃に一歩後退し、明は両手を前に出して首を横に降る。
だがそれをまたもや気に入らなかったと捉えた寅は札束をまるでゴミを扱うように投げ捨て、明は驚いたように唖然と横を通り過ぎる札束を見送った。
「ちょっと待ってろ」
そう言って出ていった寅。
しばらく呆けていた明だが、ハッとして投げ捨てられた花束と札束を拾いテーブルへと置く。
こんな大きな屋敷に住んでいることからして察してはいたが、彼らは金持ちという部類に入る人間らしい。
何十本と束ねられた薔薇の花束と、ハンカチを取り出すかのごとく内ポケットから出てきた分厚い札束。
思わずテーブルから距離を取ってしまう程に、それは明には縁の無いもの。
それを寅はゴミのように投げ捨てたのだ。彼らの金銭感覚にこれからどう付いていけばいいのか不安になった頃、先程出ていった寅が帰って来た。
「これならどうだ!」
そう言って手に持つ袋をテーブルの上で逆さまにすると、じゃらじゃらと落ちてくるキラキラとしたもの。
とうとう明が目をそらしてしまったそれは、大量の宝石と、その宝石が埋め込まれた指輪やネックレスなどのアクセサリー。
床へと零れ落ちた宝石を気にすることなく寅は明に笑顔を向けるが、明はなぜか自分に背を向けている。
「……何してんの?」
「い、いえ……あの、すみません」
なぜか謝罪をしてしまった明は、舌打ちが聞こえてハッと振り返る。
「わかった、待ってろ」
「え、待っ……!」
止めるよりも早く部屋を出ていった寅に、明の胸には嫌な予感がどんどん広がっていく。
ちらりと横を見ればテーブルを埋め尽くす大量の輝きがあって、明はとうとう頭を抱えてしまった。
*
あれから三十分の時が流れ、あんなに広かった部屋は寅のプレゼントによりほぼ半分を埋めつくされていた。
確かに広すぎて困ってはいたが、まさかこんな展開で部屋が狭まるとは思いもしなかった。
「アンタ、結構ワガママだな」
花束でも札束でもなく、宝石やきらびやかなドレスに高価なアンティーク。何を差し出しても首を縦に振らない明に、寅は段々と苛立ち始めていた。
普通の女ならば泣いて喜ぶ品々なのだが、明はそれらを恐ろしい物を見るような目で見ている。
「何が欲しいんだよ」
不貞腐れたようにそう寅が呟くと、明はやはり恐る恐る口を開く。
「な、何も、いらない、です」
ぽつりと呟かれた言葉に寅が眉を寄せる。
明の言っていることが理解出来ないとでも言うように寅の表情は疑問に染まり、その目は部屋を埋めつくすたくさんのプレゼントを見渡し、そしてまた明へと視線を戻す。
「なんで?」
「……貰う理由が無い、から」
その答えに寅の顔は更に疑問に染まる。
今までの女は理由が無くとも嬉々として受け取ってくれた。それなのに明は喜ぶ所か寅との間に小さな距離を置いて拒否を示す。
どうやったらこの女を自分の手の平で転がすことが出来るのかと考えたが、物で釣る以外には思い浮かばない。
いっそのこと無理矢理犯して自分へ堕としてしまおうかと、細めた目を明へと向ける。
「………脱げ」
「え?」
「なんかもうめんどくさくなった。 だから脱げ」
ピタリと明の動きが止まる。
自分は買われた身なのだからこういうこともあるだろうと覚悟はしていた。だがいざそうなった今、決めていたはずの覚悟は小さく縮こまってしまったのだ。
縮こまった覚悟の代わりに膨れ上がった恐怖が、寅と初めて会ったあの時と重なる。
逆らってはいけないと、明が泣きそうになりながら衣服に手を掛けた瞬間、遠慮も無く扉が開いた。
「明、脱がなくてもいい」
「い、戌さん……」
明の目が戌の姿を捉えたと同時に恐怖に染まった表情に安堵が見え、それが気に入らない寅が舌打ちをする。
「邪魔すんなよ」
「寅、あまり明を困らせるな」
「つまんねえ」
小さく呟いた寅は椅子を蹴り飛ばして部屋を出て行く。
「……あ、ありがとうごさいます」
「俺は貴方の戌、何かあったらすぐに俺の名を呼んで下さい」
助かったのはいいものの、寅が部屋に持ち込んだプレゼントはそのまま。この大量の品々をどうしたらいいのだろうかと、明は小さな溜め息をついた。
*
「あらあら寅ってばどうしたの?機嫌悪いわねぇ」
わざとらしくそう言う酉を強く睨み付け、寅はテーブルの上にある果物ナイフを遠慮も無く投げ付けた。
風を切って酉の顔の真横を通り過ぎたナイフは柱に突き刺さる。
「危ないじゃない」
「くっそ」
まだおさまらない苛立ちの原因。それは自分にはなつかないくせに戌が来た途端に見せた明のあの表情にあった。
なぜあんなにたくさんのプレゼントをあげたのに自分には笑顔を向けないのか。そして何もいらないとはどういう意味なのか。
確かに戌の方が自分よりも少しではあるが長い時間を明と過ごしているのかもしれない。だが戌に劣っている部分など絶対に無いと自信のある寅はソファへと寝転がった。
「あなたのやり方は間違ってるのよ」
「あ?」
「あの子は物なんていらないの、あの子は自分の居場所があれば他にはいらないのよ」
「居場所?」
「ここがあの子の居場所。 明にとって最後の居場所。 もしここ以外であの子に居場所が出来たなら……」
柱に突き刺さったナイフを抜いた酉は、それをテーブルへと勢い良く突き立てる。
「俺達はそれを壊すだけ」
酉の低い声が静かな部屋へ響き渡る。
「あらやだ、テーブルに傷をつけちゃったわ」
すぐにいつもの口調と笑顔に戻ったものの、その目だけは笑っていなかった。
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