04


「何かあったら俺を呼んでください」

 一人が利用するには広すぎる部屋。その中央に位置するこれまた大きなテーブルに並べられたのは、到底一人では食べきれない量の食事。
 驚きばかりで腹の減らない明は食事に手を付ける気にもなれず窓辺に立つ。
 簡単には割れそうも無い窓ガラスと、例え割れたとしても外には頑丈な鉄格子。先程戌が食事を置いていった際に外からは鍵が掛けられた音がした。
 どれ程に豪華な家具や調度品で飾っても、ここから出られないとなると牢と同じ。
 今まで埃臭い部屋で過ごしていた明にとってこの部屋は目が痛くなりそうなくらい眩しい。
 こんな綺麗な部屋に自分なんかがいてもいいのだろうかと胸の中に小さな罪悪感が生まれた、その時。

「明ちゃん、入るよ」

 知らぬ声が扉越しに聞こえ、ガチャリと鍵が外された音の後に扉が開いた。

「うわ、本当にいた」

 現れたのは端正な顔立ちの男。
 窓辺に立つ明を見つけるなり少しだけ目を大きくし、遠慮もなく部屋へと足を踏み入れた。

「抱き締めてもいい?」
「だ、だめ……」
「なんだ、手厳しいな……あ、自己紹介がまだだった。 俺は午(うま)、よろしく」

 差し出された手を見つめていると、午は小さな溜め息をつく。

「触れることが許されないなんて拷問だね」
「…………あ、ご、ごめんなさい」

 困ったように笑う顔もまた整っていて、見とれている場合ではないと午の手を握り握手を交わした。

「食事、取ってないみたいだけど」
「お腹、すかないから……大丈夫です」

 ふわりと午から香る匂い。女性が付けるような甘い香水の香りが明の鼻を先程から何度も掠める。
 よくよく見れば首元には赤い痕が数個程残っており、それが何を示しているかわからないはずもない明は恥ずかしくなって目をそらす。

「あれ、明ちゃん?どうした?」
「いえ、別に……」

 ほんのり桃色に染まる明の頬。それだけで全てを察したらしい午は悪戯っぽく目を細めた。

「処女?」
「っ!?」
「ビンゴ」

 一気に真っ赤に染まった明は隠すように顔に両手を当てる。
 綺麗な顔が近くにあるというだけで耐性の無い明は我慢ならないというのに、ただ綺麗なだけではなく痺れるくらいの色気も漂っているのだ。そして極めつけは脳を麻痺させる甘い香り。
 普通の女ならば既に午の虜になっていてもおかしくはない。

「隠さないで、かわいいんだから」

 明の手に触れようとしたが、触れるほんの手前で午の手は止まる。

「はは、困ったな」
「え?」

 余裕を見せているが、実の所午は戸惑っていた。
 他の女に触れた汚い手で明に触れていいものか、自分が触れることで明が汚れてしまうのではないかと。
 酉から明が見つかったと連絡を受け、急いで帰ってきたので一緒にいた女の香りを落とさずに明の部屋へとやって来た。
 先にシャワーを浴びるべきだったと後悔するのはもう遅い。明に触れようとした手を引っ込め、午は優しく微笑む。

「大切すぎると、こんなにも触れられないなんてね」

 ぼそりと呟かれた言葉が何を言ったのか聞き取れず、両手で隠れた目を出して午へと向ける。

「あら午、ここにいたのね」

 不意に現れた声に振り返ると、そこには酉と、どこか不機嫌そうな戌の姿。

「明、昨日紹介出来なかった奴らの紹介をするから、ちょっと来てくれる?」
「え、あ、はい」

 出ていく明について午も後を追う。

「………」
「見すぎだよ、戌」
「………」
「……あれ、無視?」
「………」
「大丈夫、手は出してないから」
「………明を、そこいらの女と一緒にするな」
「……知ってるよ。 嫌になるくらい、知ってる」

 そんな二人の険悪な会話を聞かせないように、酉は明の耳を塞ぎながら歩く。不思議に思った明は酉を見上げるが、彼はただ笑顔を浮かべていた。


*


 ソファに座らされた明。
 室内には丑、卯、未、申、亥の他にまだ明が会ったことのない男が二人。足を組み、見るからに偉そうな態度の男。もう一人は読書をしてこちらを見ようともしない男。

「ほぉら、辰(たつ)に鼠(ねずみ)! 挨拶しなきゃ」
「辰」
「………」

 辰と呼ばれた男は一言名前だけを言ってただ明を睨むように見つめる。
 鼠に関してはチラリと明を見ただけで何も言わずにまた本へと目線を戻した。
 そんな二人に対して明は隣に立つ戌へと困ったような目を向け、それを見て酉が呆れたように溜め息をつく。

「あそこの無愛想なのが鼠、あんな態度だけど本当はいい子なのよ」
「よ、よろしくお願いします」

 恐る恐る頭を下げた明の耳に、何かが割れた音と共に小さな悲鳴が届く。

「?」

 顔を上げると床に割れたティーカップと溢れた紅茶。パチパチと瞬きをする未が眉尻を下げてそれを見下ろしていた。

「あわわ」
「あらあら未、まったく……戌、何か拭く物を持ってきてくれる?」
「わかった」

 てきぱきと指示をする酉はもしかするとこの家では母親的な存在なのかもしれない。
 そんな中、ティーカップの破片を片付けていた未が「痛い」と呟く。どうやら破片で指先を切ってしまったらしく、それに気付いた酉はまた呆れたような表情をして未へと歩み寄る。

「未は座ってなさい、危なっかしいわ」
「ごめんなさい」
「いいのよ」

 落ち込んだ表情をして明の隣へ腰掛けた未の指先からは血が溢れている。ぽたりと床に落ちた血は、淡い黄色の絨毯に染みて跡を残した。

「大丈夫? て、手当てしないと……えっと…」
「……明?」
「あの、卯さん、救急箱はどこに」
「救急箱? あぁ、あそこの戸棚に入ってるよ」
 たくさんの視線を感じながら立ち上がった明は卯の指差す戸棚から救急箱を取り出し、不思議そうな表情をする未の手当てに取り掛かる。

「大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫」

 血を拭き取り、消毒をしてから絆創膏を貼る。
 その間ずっと未に見つめられ、背後からもたくさんの視線を受けて緊張してしまう明の手つきはぎこちない。
 どうにか軽いものではあるが手当てを終え、絆創膏が貼られた指を未は嬉しそうに見つめる。

「あとは、怪我してないですか?」

 前回会った時には熟睡していたせいで、会話をするのはこれが初めて。
 もう怪我は無いかという明の問いに未は手のひらを見つめて考え込む。

「ないみたいですね、良かった」

 明が救急箱を片付け始めたことに何を思ったのか眉を寄せる未。
 かと思いきや、たくさんのフルーツと一緒にテーブルの上に置いてある果物ナイフを手にとった彼は躊躇無く自らの指先を切った。

「えっ!? ちょ、な、何を……」

 傷が深いのか、溢れ出る血に慌てた明は唖然と傷口を見つめる。

「怪我、した」
 そう言って手のひらを差し出す未にハッとした明は片付けかけた救急箱からガーゼを取り出し、傷口へと当てる。

「あーあ、明が余計な心配するから未に変な性癖が出来ちゃった」

 そんな申のぼやきなど聞こえていない明は急いで手当てをし、未はというとそれを満足そうに見つめている。
 手当てが終わるとまたもや自らを傷付けようとする未から果物ナイフを奪い取った明。不機嫌そうな表情をする未を「やめてください」と宥め、ナイフをテーブルへと戻した。
 その時、部屋の外から足音が聞こえたかと思いきや扉が乱暴に開かれる。

「疲れたー!!」
「只今帰りました」

 現れたのはこれまた明の知らぬ男が二人。
 着込んだスーツには何やら血を匂わせるような赤い飛沫が飛び散っている。
 蜂蜜のような明るいこがね色の髪の毛の男と、長い前髪で右目を隠した男。前者はネクタイを弛めてシャツを出し、それと対にもう後者はネクタイを上まで上げてしっかりとスーツを着込んでいる。

「ん? 誰、そいつ」

 とうとうネクタイを投げ捨てた男が明の後ろ姿を見付けて問い掛ける。 挨拶をしなくてはと振り返って立ち上がった明の顔を見るなり、反応したのはもう一人の男。

「っ!?」

 先程までの冷めた表情から一転して驚きを表す男。片方だけ出た左目は大きく見開かれていた。
 パクパクと開閉する口からは「あ」やら「な」やら言葉にならない声が漏れる。
 なぜそんなに驚いているのだろうかと疑問に思う明だったが、まずは挨拶だと頭を下げる。

「明といいます、あの、よ、よろし――」
「いつからいたんだ!?」
「あの、き、昨日から……」
「おい! なんで誰も教えてくれなかったんだよ!」
「そりゃ教えたらあなた達、早く帰って来ようと仕事を疎かにするだろうからに決まってるじゃない」

 いつの間にか片付けを終えた酉が二人に着替えを手渡しながら言う。

「それよりまずは着替えなさい、そんな返り血だらけじゃ明が怖がっちゃうじゃない」

 赤い飛沫が何なのか、考えないようにしていた明だったが、酉の言葉で嫌でもそれが何なのかわかってしまう。
 恐らく自分自身の血ではないそれが、何の、誰のものなのかは聞けるはずもないし聞きたくもない。

「俺は寅(とら)! よろしくな。 あと、こっちでパクパクしてんのが巳(へび)だ」

 よろしくお願いしますと、怯えているのを表情に出さないように明は精一杯の笑みを浮かべて頭を下げる。

「明、部屋に戻ろう」

 そんな様子を察してか、戌が明の腕を引いて寅と巳の横を通り過ぎる。

「戌め、いらぬ過保護を」

 辰がそう言うと、卯は白けたような目を酉へ送る。

「酉ってさぁ、意外と意地悪なところあるよねぇ」
「あら、何のことかしら」

 あえて血だと発言して、明にそれを知らしめる。酉が満足そうに口元を緩め、卯はそれを見て眉間に皺を寄せる。
 一方寅は眉をピクピクと動かし、ほんのりと頬を染めていた。

「おい見たか? あの表情……怖いのを我慢して笑うあの顔……やべぇ」

 なぜか興奮している様子の寅に、誰もが同じことを思う。やばいのはお前だと、部屋にいるほぼ全員がそう思ったのだった。


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