酒は飲んでも呑まれるな


※巳年作り始めたものなので巳年だと思って読んでください。


 ここへ連れ去られてから何日たっただろうかと考える。屋敷に閉じ込められていては日にちも時間もよくわからない。
 つまらなくて窓の外を眺めても広がるのは大きな森と青い空。
 急に自分がいなくなったことを家族の皆が心配していないかな、と考えた所で杞憂に終わった。
 彼らからしたら本当の家族ではない明などただの厄介者。明がいなくなることなど気にとめることではない。
 いらぬ期待をしてしまったことに自嘲したのと同じく、屋敷のどこからか凄まじい轟音が鳴り響く。

「!? な、何?」

 何かが破壊されたような音に驚く明。次いでノックも無しに扉が開く音が耳に届く。
 ノックも声掛けもないことからして辰、申、寅の内の誰かまでは絞れる。
 そして扉の開け方は乱暴で、そこで申か寅のどちらかだと予想し、答え合わせをしようと明は振り返った。

「見つけたぁ」

 そこにいたのは寅でも申でもなく辰でもなく、いつもと様子が違う丑。心なしかその頬は赤い。
 予想もしていなかった人物の登場に驚いて見つめていると、彼は口の端から垂れた涎を乱暴に腕で拭う。

「何かあったんですか?」

 部屋の前で立ち尽くしたままの丑へと歩み寄ると、嫌な臭いが鼻をかすめる。
 いつもならば菓子やらの甘味を食べながら現れる丑の両手を見れば、そこには銀色が怪しく光るナイフとフォーク。
 見た目に反して異常な程に大食らいの彼がその二つを所持しているのはいつものことなので気にはならないが、どこか様子がおかしい。

「はぁ……いいにおい、明ちゃんのにおい、おいしそうな、ふ、ふふ」

 普段はおっとりしている彼の目は欲望にまみれたようにぎらりと鋭く、頬は少しだけ赤い。
 それはまるで丑の姿をした得体の知れない人物かのようだった。
 ここで先程した嫌な臭いの正体に明は気付く。

「あの……もしかして、酔ってます?」
「いただきまぁす」
「え?」

 腕に走る痛みに一瞬何が起きたのか、そして目の前の彼が誰なのかわからなくなる程に明は混乱する。
 視界に入るのは、彼女の腕に噛み付く丑の姿。しかもそれがまた結構な力で、固い肉を噛み千切るかのようにしっかりと明の腕に歯を立てていた。

「ちょっ!? あの、痛っ…!?」

 このままでは本当に噛み千切られてしまうと、身の危険を感じたその時。

「うぇぶっ」

 奇妙な声を上げ、丑が横へと吹っ飛んだのだ。ひりひりと痛む腕を気遣う余裕も無く、目を見開いて驚く明の前に現れた人物。

「…………」
「え、い、亥さん……?」

 何を言うでも無く、ただ亥はそこにいた。まるで高くそびえ立つ壁を思わせる威圧感に、明は無意識に一歩だけ後ろに下がる。

「えっと……あの、亥さん…は、助けてくれたんですよね?ありがとう、ございます……?」

 いつもならば口下手ながらも話をしてくれるのだが、今日の亥は丑と同様に何やらおかしい。
 十二支の中では一番背が高い亥に見下ろされるせいか、ほんの少し恐怖さえ感じてしまう。

「えっと…あの……用がないのでしたら……閉めますね……それじゃあ、失礼します……」

 語尾になるにつれ小さくなっていく明の声。
 あまりの無言の空気の重さに耐えきれず、明はそっと扉を閉めた。その際、またほんの少しだけ酒の匂いが鼻をかすめる。

「あれ、そういえば丑さん……」

 扉を閉めた所で先程吹っ飛ばされた丑を思い出し、安否を確認しようともう一度ドアノブに手をかけかけた、その時――。

「明!!」

 後ろから声が聞こえたかと思いきや誰かに体を引き寄せられる。
 そして刹那、扉が凄まじい音を立てて開く――否、吹っ飛んだ。

「っ!!?」
「うっわー……ヤバイな、アレ」

 先程の丑を思い出させるその吹っ飛びっぷりに明は唖然とし、そんな彼女の後ろにいる申が呆れたように呟く。
 どうやら明の名を呼び、そして助けてくれたのは申。開きっぱなしの窓からして、どうやら彼は窓から入って来たらしい。
 もし申が少しでも遅いタイミングで現れ、こうして引き寄せてくれなかったならば明はあの扉ごと吹っ飛んでいただろう。

「さ、さささ、申、さん……」
「危なかったな、明」

 いつもならば寅と一緒に明を鬼ごっこと称し追いかけ回したり、何かわからない血肉の塊を自慢げに見せてきたり、悪戯ばかり仕掛けてくる恐怖の対象である申が、今はどこぞのヒーローに見える。
 状況を説明して欲しいという明の願いは言葉にならず、そして扉が無くなり開放的になったその先には先程となんら変わらないままの亥。

「とりあえず逃げるから捕まってろよ」
「え?」

 申が素早く地を蹴り、亥もまた動いたかと思いきや明の耳に届く轟音。
 窓から飛び降りる際に一瞬だけ見えたもの。それはつい先程まで自分達が立っていたいたその場所に、亥の拳がめり込んでいたのだ。
 絶句する明を担いだまま難なく地面へと着地した申はまた違う窓から室内へと入る。
 前々から感じてはいたが、申だけでなく他の十二支達も人間離れの運動能力を持っている。今難なく飛び降りてきた部屋は三階に位置しているというのに、彼は壁や小屋根を伝ってヒョイヒョイと降りてきたのだ。しかも明を抱えたまま。
 こんな彼らから逃げようなど出来るわけがないと、明は眉に皺を寄せた。

「……あの、申さん」
「まぁまぁ、説明は卯から」

 申の視線を辿るとそこには疲れた様子の卯がソファに座っている。

「良かった、無事だったんだね」
「一体何が起こってるんですか?」
「実はね……巳に捧げられた御神酒を間違って飲んじゃったみたいでさ」

 卯が説明するにはこうだ。
 一般的な酒とは違い、その年の干支に捧げられた御神酒を本人以外が飲むと異常な程に酔ってしまうらしい。

「つ、つまり……?」
「今は巳年でしょ? 巳に捧げられた御神酒を間違って飲んじゃったみたいでさ……」
「酉辺りが面白がって飲ませたんじゃねーの?」
「ボクも最初は酉の暇潰しかと思ってたんだけど……さっき酉の呟き声が聞こえてさぁ、なぁんか嫌な予感」
「嫌な予感?」
「まぁその辺はまだわからないから本人に会ってみないと……」

 そこで卯の表情が歪み、不快だと言わんばかりに耳を塞ぐ。

「さっきから笑い声やら泣き声やら破壊音やら……もううるさくてかなわない!」
「破壊音は確実に亥だろうなー」
「今のところ丑と亥、あと未に寅……この四人は確実に酔ってるから明は近付かないように気を付けてね。 何かあったら大きい声を出すんだよ?わかった?」
「は、はい」

 いつもの可愛らしい雰囲気と打って変わって苛立つ卯に圧倒されつつ、明はふと疑問を口にする。

「わ、私は一人でここにいたらいいんですか?」
「んまぁそうだな、オレ達は酔っ払いを取っ捕まえねぇと」
「安心して、ボクらの他に戌と、あと辰、鼠、巳も酔ってないから。 アナタに何かあったら番犬がすぐに来るよ、きっと。 その前にボクが気付くだろうけど」

 そう言って出ていった二人を不安げに見送り、落ち着きなく部屋の中を歩き回る。
 先程から聞こえてくる轟音と地響きに怯えつつ明は思い出す。
 いつもは無口で無愛想だけど、申や寅に遊ばれる明を助けてくれる亥。そしてその場にいるだけで空気が和む丑。
 あの二人が御神酒を飲んだだけでああも変わるとなると、他の十二支達はどうなるというのか。特に寅は普段から申と共に明をいじめることを趣味としている為、泥酔状態にある彼に近付くのは危険極まりないだろう。
 今は酔っていない彼らに任せ、大人しくこのままこの場にひっそりと隠れていようと部屋の隅へと移動した。
 ここで明がいらぬ世話をしても迷惑をかけるだけだと、隅っこで小さく丸まり、響き渡る轟音の中で目を閉じる。
 轟音の合間に聞こえてくる明の名を叫ぶ声はおそらく寅のもの。
 あの時に吹っ飛ばされた丑は大丈夫だろうかやら、あんなに物を破壊しつくす亥は怪我をしていないだろうか。そして現在奮闘しているであろう酔っていない彼らは無事だろうかとか。
 次々と溢れる不安が胸に広がっていく。
 ここを出て皆の手伝いをするべきかとも考えるが、どう考えても酔ってない彼らに迷惑を掛けるだけだ。
 そんな時、扉が開く音が耳に届く。跳ねる心臓を胸に、強く閉じていた目を恐る恐る開ける。
 顔を上げればそこにいたのはいつもとなんら変わった様子が無い午。酔っていないのだろうと安心した明は安堵の笑みを浮かべて立ち上がった。


「午さん、他の皆さんは無事ですか?」

 ふと見やれば午の服には赤い斑点がぽつぽつとある。

「………え、ま、まさか、血ですか!? た、大変だ……っ」
「大丈夫だよ、俺の血じゃない」

 怪我をしているのだろうかと慌てて駆け寄る明。だがどこかに怪我をしている様子もなく、ホッとしたのも束の間。
 ふと、鼻をかすめた酒の匂い。

「明ちゃん」

 嫌な予感を胸に顔を上げた明の視界に入るのは、先程と変わらぬ笑みを浮かべる午。

「う、午さん……?」

 彼の服に飛び散る血が本人のものでないなら、誰のものだというのか。

「探したよ、明ちゃん」

 その瞬間、明の喉元に突き付けられるもの。
 冷たく固いそれは銀色に輝くナイフ。

「……え?」
「はぁ、何よりも愛してる君を殺せるなんて、俺は幸せ者だよ」

 無意識に明の体は動き、冷たいナイフから逃げる。明でさえわかる程にビシビシと伝わってくる殺気。

「待ちなよ。 大丈夫、怖がらないで」

 痛みなんて感じる暇無く殺してあげるよ、と言っていつもの笑みを浮かべる午。
 見た目は普段とまったく変わりないのだ。ただその殺気と、一瞬だけ鼻孔をくすぐった酒の匂いに明の中に警報が鳴り響く。
 逃げろとうるさい脳に従い駆け出した明だったが、途端に顔の真横を通り過ぎたものが扉に突き刺さる。

「っ!?」

 それは先程明の喉元に突き付けられていたナイフ。扉に突き刺さったナイフは小刻みに振動にしていて、それはどれほどの力で投げられたのかを表していた。
 あまりの驚きと恐怖で膝が震え、今にも床へと腰を付けてしまいそうになるのを必死に堪える。

「あぁでも、君が死んだらきっと丑が君を食べたがるだろうな……それは面倒だ」

 先にあいつを殺しとこうかな、という小さな呟き。

「それ、は、誰の……血、なの?」

 にこりと微笑む午。
 いつもならば安心するその笑みは今の明にとって恐怖でしかない。ぞくりと背を這う寒気に体が震える。

「これはね、」

 カチャリ――午の声と重なって聞こえた扉が開く音。振り返ればそこには冷えた目をする巳の姿。
 そんな巳の右手から滴る血が床に落ちたのを明は見逃さなかった。

「ああ、鍵を閉め忘れた」
「明、こちらに」
「あ、あの、巳さん、ち、血が!」

 慌てた明が巳に手を伸ばせば、その手を掴まれて引き寄せられる。血が滴る右手ではなく左手で掴まれたのは明に気を使った為であろう。
 見やれば巳の二の腕辺りの衣服が裂け、中に着るワイシャツには血が滲んでいる。手当てをした痕跡がないことに気が付き、明はふとポケットの中に手を忍ばせた。

「あっははは、楽しくなってきたなぁ」
「明、怪我はありませんか?」

 返事をするでもなくポケットからハンカチを取り出したアキラは巳の腕へと巻き付ける。

「明、私にそのような気遣いなど必要ありません」
「必要あります!」

 そんな二人のやり取りをつまらなそうに見つめていた午が首の関節を鳴らしながら歩み寄る。

「本当巳くんは狡いよねぇ、醜い執着心を隠さなくていいから、羨ましいよ」
「隠す必要もありませんからね」
「恥ずかしくないの?」
「何を恥じると?」
「そんな執着心をひけらかして、自分の弱点は明ちゃんだって言ってるようなものだよ」
「だから、それの何が恥ずかしいのか私には理解出来ませんね」

 不快そうに表情を歪めた午が舌打ちをし、扉に刺さったままだったナイフを抜き取る。
 明を挟んだ無言の睨み合いは少しの間続き、そして先に動いたのは午。
 ゆっくりと動いた彼の手は、明を引き寄せる巳の腕を掴む。ぎりぎりと爪がくい込む程の力で腕を掴まれた巳は眉間に皺を寄せて午を睨んだ。

「離しなよ、いつまでも抱え込んで、みっともない」
「みっともないのは嫉妬で醜い顔になっている貴方では?」
「あの……」
「本当に気に入らない」
「気に入ってくださらなくて結構です」
「け、喧嘩は……」

 みしみしと嫌な音が巳の腕から聞こえた時、明は意を決して午の手を掴む。

「……何、明ちゃん」
「て、手を、離してください」
「優しいね、君は」
「午さん」

 ふと、いつもの優しい笑みに戻る。
 明を怖がらせないように作ったような優しい表情だとなんとなくわかっているが、それでも明は安心してしまうのだ。
 けれどその笑みは一瞬だけで、すぐに午の表情は薄暗い影がおりた。

「憎たらしい、みんなの猫」

 直後、明の耳に届いたのは骨にヒビが入る不快な音。同時に午が掴んでいた巳の手首から先が、ぷらぷらと宙に揺れた。

「巳さん!?」

 知識を得ていない素人ですら、巳の骨が折れたということが見てわかる。それでも明を抱きとめる力を緩めようとしない巳を見上げると、彼は表情こそ変わらないがその頬には汗がふつふつと浮かんでいた。

「はは、ははは、無様」

 何も言わない巳へ嘲笑を向けた午の言葉を聞いた瞬間、明の手は動いていた。
 ぱしりと、午の頬を叩いたのは明の小さな手のひら。

「酷い」

 そしてぽつりと呟いた言葉に、午は驚いたように目を見開く。
 次第にその表情は曇っていき、縋るように伸びて来た彼の手を明は振り払った。

「巳さん、骨が」
「仕事柄よくあることですので心配はいりません。 それに、私達は人間よりも治りが早いのですぐに治ります」
「そういうことじゃないよ、痛いでしょう? 早く治療をしてもらわないと……」
「明、大丈夫です、君がそのような顔をする必要はありません」

 折れていない方の巳の手がゆっくりと上がってきたかと思えば、その手には銃が握られている。
 その先を午へと向けるが、向けられた本人である午はそんなことなど気付いていないらしくただその瞳に明を映していた。

「明ちゃん、いやだよ、いやだ……」
「へ、巳さん、待ってください!」
「いやだ……っ俺を嫌いにならないで、お願い」

 引き金をひいたのが見え、明は強く目を瞑る。
 だが耳に届いたのは弾が放たれる銃声ではなく、ぱしゅんという静かな音。ゆっくりと目を開けると、ぴくぴくと瞼を痙攣させる午と目が合う。
 その首元には細い針のようなものが刺さっていて、次第にさがっていく瞼に抗うように午は眉を寄せていた。

「嫌わ、ないで……君に嫌われたら、俺は……」

 ぷつりと途切れるように目を閉じ、午は床に倒れた。

「御安心を、即効性のある鎮静剤です。 少し眠って酔いを覚ましてもらうだけですよ」

 険しい表情をしながらも、巳はその銃を明の手に握らせる。何かあった時はこれで自衛しろということだろう。

「巳さん、まずは治療室へ行ってください。 私は午さんをそこのソファに運びますから」
「それなら私が」
「まずはその手を治療してきてください!」
「は、はい……」

 珍しく強い言い方をする明に気圧されたのか、まばたきを数回繰り返し明を見つめる。
 早く行けと言わんばかりに口をへの字に結ぶ彼女の表情に思わず笑みが零れ、巳は銃を持つ明の手をもう一度片手で包んだ。

「銃といっても反動はそこまでありません。 ここを引けばいいだけです、何かあったらこれで身を守ってください。 治療を終えたらすぐに迎えに来ますので、ここで静かにしていてくださいね」
「わかりました」

 何度もこちらを振り返る巳を見送り、とりあえず扉を閉めようと午の体を引きずり中へと入れる。
 扉を閉め、午とソファを交互に見てから彼の脇の下に腕を入れた。

「足、引きずってしまうけど許してくださいね」

 さすがに男の体を持ち上げる程の力は無いので、ずるずると足を引きずってどうにかソファまで運ぶ。上半身を乗せ、足もソファに乗せてようやく明は一息ついて午の顔を見つめる。
 左目の下にある泣きぼくろと長い睫毛。濃い茶色の髪の毛が顔にかかって邪魔そうだったので退けてあげようと手を伸ばした所で、彼の瞳が薄く開いた。
 鎮静剤が効かなかったのだろうかと手を伸ばしたまま硬直した明だったが、午が何かを言おうとしていることに気が付き顔を寄せる。

「……ごめ…ね、め、わく……けて……」

 どうやら気を失ってしまってわけではないらしく、体に力が入らない午は吐息にも似たか細い声を出す。

「あとで巳さんに謝ってくださいね」
「……ん………」

 少しは酔いが覚めたのか、どうにか会話が出来るようになった午はもう一度小さな謝罪を述べる。

「ごめ、ね」
「私に謝る必要はないですよ」
「ね、明、ちゃ……俺、のこと……嫌い、に、なっ……?」

 それは先程も彼の形のいい唇から出た言葉。
 嫌わないでくれと懇願するように言う彼はいつもの余裕な雰囲気はどこへ行ったのかと思う程に消えてしまっている。

「大丈夫ですよ、嫌いになりません」

 子供をあやすように優しく告げると、彼は安心したようにほんの少し口角を上げた。
「愛……てる、明……ちゃ……」

 それを最後に、目を閉じた午は静かな寝息をたてた。


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