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「あの、戌…さん……」
「何でしょう」

 会話をするのは久しぶりにも思える。
 怖がらせまいとなるべく明と距離を置いていた戌だったが、明から話し掛けられては無視も出来ない。
 なにより、明から話しかけてもらえること自体彼にとっては幸せ以外の何ものでもない。

「あれから未の具合は……」

 あれから、というのは先日未が血を滴らせながら明の部屋へと現れたあの日。辰を未から遠ざけようと、辰と共に明が治療室を出ていった後のことだ。
 床に落ちたナイフを拾った未は、しばらくその刃を見つめていた。自分が死ねば、一生明の中に残ることが出来ると。
 だがその後たまたま治療室へと足を運んだ戌により止められ、それを酉から聞いた明が戌にお礼を言うと共に未の体調を聞きにやってきたのだ。
 あの時以来、未とは会っていない。怪我がどうなったのかも知らない明は心底未を心配していた。

「心配無い。 ただ、相変わらず小さな怪我ばかりしている」
「……そうですか。 あの時はありがとうございました、その、未さんを止めてくれて」

 俯く明を見下ろしながら、戌の胸にはもやもやとした影が掛かる。

「そんなに――」
「はい?」

 そんなに未が心配なのか、そう言い掛けた戌はハッとして言葉を飲み込み目を伏せる。
 明が誰の心配をしようと自分には関係のないこと。自分はただ明が側にいるだけでいいのだ。それ以上のことを望んではいけない。

「………いえ」

 戌が何を言い掛けたのか気になったが、無理に聞き出すことは出来ないと明は歩き出す。
 またしばらく彼女とは会話出来ないだろう。せめてその姿を目に焼き付けておこうと明の後ろ姿を見つめていた戌だったが、どうやら会話を続けるらしい明に話し掛けられ戌も足を進める。

「戌さん、ひとつ聞いてもいいですか?」
「はい」
「あの、ですね……私の家族は、今頃どうしてるか、わかりますか?」

 今明がどんな表情をしているのかはわからないが、その声色からして心配していることには間違いないだろう。
 あれが家族だなんて呼べるものかと戌が眉を寄せ、何かを考えるように明の足元の辺りを見つめたまま離さない。

「……貴方が心配するようなことではありません」

 いつだったか、巳に帰る場所など無いと言われたあの日から明の胸に突っ掛かる何か。
 確かに売られた身である明にとってはその言う通りなのだが、なぜかその言葉に一抹の不安を抱えていた。

「それでも心配です」

 小さな声で呟いた明の背中を見つめながら、戌はくしゃりと表情を歪める。
 悲しそうで寂しそうな、そして大きな罪を背負っているかのように重く暗いその表情。

「明、貴方は何も知らなくていい」

 もうその話をしないでほしいと思う戌の願いが通じたのか、明はそれ以上口を開くことは無かった。


*


「オレ達の印、付けたらいいじゃん」

 最近は少なくなったが、明はまだここから逃げようともがく。どうすれば逃げる気を起こさせずにいられるのかを話していた酉と寅と亥。
 そこへ、水が入ったコップを手に持った申が現れ先程の言葉を放つ。

「印ってつまり何だよ」
「二度とオレ達に逆らえないような、お仕置きみたいなもん」
「悪くないと思うわよ、あたしは」

 亥もそう思うでしょ?という酉の問いに亥は無言で頷く。

「だから何だよ、印って」

 苛立つ寅を酉が宥めつつ、提案をした本人の言葉を待つ。

「俺達だって神の端くれだぜ、今となっちゃ明はただの人間なんだし、どうとでも出来る」

 無邪気に笑う申は人差し指を立てる。

「隠しちゃえよ、心ごと」

 酉が楽しそうに口元に手を当て、寅は先程の苛立つなど微塵も感じさせないくらいに機嫌が良くなる。一人だけ堅い表情の亥だが、申の意見に反対する様子はない。

「決まりね、みんなを集めましょう」

 楽しみだわ、と口角を上げた酉が十二支に招集をかけるべく部屋を出ていく。

「絶対逃がしてやるもんか」

 小さく呟いた申を一瞥した亥も酉を手伝おうと部屋を出ていく。
 元々性格がいいわけではない申だが、こんな提案をする奴だっただろうかと、彼と仲のいい寅は疑問に思う。
 理由はわからないがここ最近荒れていたようだったし、苛立ちが収まってきたかと思えばこの提案だ。
 どうにしろ、寅は申の提案に対して異論はない。ソファへと座り、向かい側にで悪い笑みを浮かべる悪友と共に、これから起こることを考えてにやりと八重歯を覗かせた。


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