12


「で、俺に何か用があるんだよね?」
「あ、あの……」


 それは三十分程前のこと。
 この屋敷から自力で逃げるのは無理だとわかった明は考えていた。誰かに手助けをしてもらえばもしかしたら逃げられるかもしれないと。
 酉、巳、寅、辰、申はまず無理だ。彼らに手助けを求めたならば断られるか、遊ばれるかの二択。
 未、丑、亥も期待出来ないだろう。亥に至っては前回逃げようとした際に妨害されたばかりだ。
 ならば鼠か卯。鼠に逃げたいという相談が出来るか考えて、無理だという結論へ。卯はもしかしたら笑顔でそれを承諾してくれるかもしれない。だが卯の本性を知らない明は、もし逃げれたとしてあの可愛らしい卯が他の人達に責められ、泣いてしまうのを想像して諦めた。
 明の逃走を誰よりも早く察知し、妨害しているのが卯だということ知る由もないのだ。
 そして残るは戌か午。どちらも共にここの住民の中ではかなりまともなのではないかと考える。
 だが戌とは最近あまり喋らなくなり、どうにも相談しづらいとなって辿り着いたのは彼――午だった。
 どうにか広い屋敷の中で午を見つけ出し、自分の部屋へと引っ張ってきた明。
 そしてなされた会話が冒頭のものなのだが、ここまできて明は逃げたいと口にすることを悩んでいた。

「ふふ」

 何かを考えている様子の明にくすりと笑った午はしばらくその様子を見守ることにした。
 一方の明は眉間に皺を寄せ、どう話せばいいのかを考える。
 逃げたいから手助けをしてほしいと言えばいいのか、私をここから逃してほしいと言えばいいのか。そして午はそれを認めてくれるのだろうか。
 これ以上考えても結論に達することは出来ないだろうと明は意を決する。

「……わ、私は、ここから逃げたいです!」
「……ふぅん」

 午の表情は変わらない。
 穏やかな笑みだが、どこか色気を漂わせる。

「だから、あの、て、手伝ってもらえたら……」
「俺が? 君の逃亡の手助けを?」
「は、はい」

 真っ直ぐに向けられる午の目に、明はそらしたくなるのを堪えて見つめ返す。
 表情を変えない午が何を思っているのかがまったくわからない。

「どうして俺に?」
「あなたが、一番私の話を聞いてくれそうだから……」
「こういうことは戌に頼むかと思ってたけど、俺なんだ」
「戌さんとは最近、あまり話せなくて……それで」
「この中じゃ俺がまともそうだからって、そう思ったんだ?」

 午の表情は相変わらず笑みを浮かべたまま。
 だが、なぜか明の胸には恐怖が徐々に広がっていく。

「俺も、見くびられたもんだなぁ」

 途端に、午の表情は色を無くす。
 先日の巳を彷彿とさせるその冷たい表情に、明は午にこの話をしたことを後悔した。

「確かに俺はまともかもしれない、でもあくまでもここにいる奴らの中ではって話なんだよね」
「…………」
「君は知らないだろうけど俺ってさ、本当は君に触れたくて触れたくて仕方ないんだ。 言うなれば犯したい、その顔を歪めさせたい、俺が欲しいとねだるまでしつこく君を蹂躙したい」

 言葉を挟む暇も無く次々と午の口から出てくる言葉に圧倒され、明は手に汗を握っていた。

「どんなに君に似た女を抱いても、君の声に似た女の喘ぎ声を聞いても、全然気持ち良くなれない。 むしろ不愉快、なんで俺はこんなものをあの子と重ねているんだろうって、自己嫌悪」

 それなのに明が現れたあの日、明の姿をその目に映した途端にこれまで女を抱いていた時には感じなかった心地好さが胸に広がったのだ。
温もりを得ようと見ず知らずの女を抱いても得ることの出来なかったものを、明を見ただけで得てしまった。

「結局、俺は君に汚れた目を向けてるんだよ、他の奴らと一緒」

 身体を満たすことが出来るのは明だけなのだと、午は冷たい表情で淡々と言う。

「だから、君を逃がす手助けはしてあげられない……してあげられないって言うより、したくないの方が正しいのかな」

 というよりも、と午は何かを含んだ笑みを浮かべる。
 さすが女を次から次へと侍らすだけあるその端正な顔は、含み笑いにより妖艶さが増す。

「逃げることは不可能だろうね」
「……どうしてですか?」
「全部聞こえてる奴がいるから」

 その言葉に明は首を傾げる。少しして辿り着いた答えに明は室内を見回した。
 盗聴機、もしくは監視カメラの類いが仕掛けてあるのではないかと部屋の隅やテーブルの裏など仕掛けがありそうな場所を探す。
 午はしばらくその様子を楽しそうに見ていたが、明が本格的に探そうと立ち上がった所でストップをかけた。

「この部屋には何もないよ……多分、俺の知る限りではだけど」
「じゃあなんで」
「聞こえてるんだよ、全部。 機械を通してるわけでもなく、声だけじゃなく音も全部聞こえてるんだ、誰かさんの耳にはね」

 今までやって来た逃亡がことごとく妨害されたのは、その人物に明のなす事喋る事全て聞こえていたから。
 その事実がまだ信じられないようで、明は眉を寄せて午を見つめる。

「まぁでもそれが誰かってのは口止めされてるから、言えないんだけど」

 声も音も全て聞こえているならどうやってここから逃げ出せというのだろうかと、明は進むべき道を見失ったような感覚に陥る。

「だからさ明ちゃん、君は素直に俺達の側にいたらいいんだよ」

 そう言う午の表情は、明が知る優しく穏やかな笑みだった。


*


「チッ……あのスケコマシ……言いやがった」
「うわぁウサちゃん、お顔が怖いよぉ」

 女と見間違うくらいに可愛らしい顔を歪ませた卯が舌打ちをする。
 その理由は午と明の会話。勿論全て聞こえていたその会話で、午が名前は伏せたものの全部聞こえてるという事実を明かしてしまった。

「ウサちゃん、こわいこわい」

 ぼりぼりと咀嚼音をたてながらクッキーを食べる丑の回りには菓子のカスが大量に散乱している。そんな丑を一瞥し、テーブルに置かれた菓子からマドレーヌを取って自らの口へと運んだ。

「ああぁ! 僕のマドレーヌー!!」
「うるさい」

 全て聞こえていると明に知られてしまっては、これからまた逃げようとした際に警戒されてしまうだろう。
 独り言の多い明のそれも聞けなくなるときたら、卯はあからさまな不機嫌を表情へと出す。
 明の声を聞きたい、むしろ明の声だけを聞いていたいけれど、そうはいかないのが現実。
 正面で未だにマドレーヌを取られた文句をたれる丑の声も、遠くから聞こえる足音も、明と会話する午の声も。全て卯には聞こえてしまうのだ。

「この世界にはいらない音ばっかりだ」
「ううぅ…マドレーヌ……僕の大事なマドレーヌゥ……」
「うるさい馬鹿」

 溜め息をつき、卯は自分の世界を閉ざすように耳を塞いだ。


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