08


 積み上げられたテーブルや椅子にソファ。
 ぐらぐらと不安定なその上に立つ少女の名は明。部屋には鍵を掛けられ、窓には頑丈な鉄格子。
 以前脱出が失敗に終わったあの日から、明は諦めずに何度も脱出を試みていた。自分でも驚く程に諦めが悪いらしく、逃げては捕まってを何度繰り返したかわからない。
 そんな明の次の脱出作戦は、ふと視界に入った天井の通気孔。
 幸いにもこの部屋にたくさんの家具が設置されている家具をどうにか積み重ねて、ようやく通気口に手が届いた。
 転びそうになりながらも通気口を開いたその時、同時に部屋の扉が開く音が聞こえる。

「おっ! いい眺め!」
「危ないよぉ明ちゃん」

 現れたのは手を丸めて双眼鏡のように明を見上げる申と、何故かフォークとナイフを手に持つ丑。
 見つかってしまったと焦る明は知らないのだ。この屋敷の中には明の言動全てを音で把握する人物がいることを。

「明ちゃん、降りてきなよぉ、ね?」
「い、嫌です!」
「白か」

 もはや下着が見られることを気にする余裕の無い明は通気孔に飛び乗り、その場から逃げ出した。

「行っちゃったぁ」
「おい丑、涎垂れてんぞ」


*


 それはさながらドラマや映画のワンシーンのように、狭く埃臭い通気孔の中を懸命に進む。
 どうにも、ここへ来てから野性的になったような気がするなんてくだらないことを考えていると、前方に明かりが見える。
 明かりを遮っている格子に眉を寄せ、どうにか体勢を変えてそれをがんがんと蹴る。
 前に裸足で逃げた際に負った怪我が痛んだが、そんなことを気にしている暇はない。
 頑丈に止められていたものではないらしく、ようやく外れた格子に遮られていた分の明かりで一気に照らされる。
 眩しさに目を細めながら、明は笑顔で外へと飛び出した。

「ナーイスキャッチ」

 降りたはずなのに足裏には地面の感覚は無く、代わりに誰かの腕に抱かれる浮遊感。
 気だるそうに拍手をする寅と、降りてきた明を抱き止めた亥、そんな亥の腕の中で唇を噛み締める明。
 無表情な亥の瞳が真っ直ぐに向けられ、思わず明はそれから目をそらす。

「どうして、逃げる」

 明がやっと聞き取れるくらいに小さな声がぼそりと呟く。

「逃げても――」
「明、あんまり逃げようとしてっと牢屋にぶちこまれんぞ」

 亥の小さな声は重なった寅の声にかき消される。
 何を言ったのだろうかと気になった明だが、こちらを真っ直ぐに見てくる亥の目を見ることが出来ずに俯いた。


*


 横抱きにされたままやって来たのは先程明が脱走した部屋ではなく、新しく用意されたのはこれまた豪華な部屋。

「……あの、さっき、なんて言ったの?」

 いつの間にか寅はどこかへ行ってしまったらしい。静かな部屋に二人。明は先程の疑問を口にした。

「逃げても、捕まえる」
「……」
「俺達はあんたを、手離すつもりは無い」

 窓からは外の暖かい空気が入ってきているが、室内はひんやりとした空気で充満していた。
 惜しむように明を降ろし、亥はまた真っ直ぐな目で明を見つめる。

「あんたの帰る場所は、もう無い。 ここ、だけ」

 それだけ言って亥は部屋を出ていく。
 帰る場所が無いというのはどういうことなのか。確かに売られた身の自分が、あの家を帰る場所だと言う権利は無い。
 だがどうにも亥の言い方には何か別の意味があるような、そんなことを考えながら明は窓際へと向かう。

「……何あれ」
窓から見えた光景に目を疑う。屋敷を囲う森の一部分が無くなっていた。
 更地になったその部分は森の入口から出口までの一帯。逃げ道がわかりやすくなったなぁなどと呑気に呟き、次の逃げ道を探そうと部屋を見回した。
 するとその時、扉が三回ノックされた。この屋敷でノックをする人物は限られている。
 遠慮も無しに扉を開ける寅と申と辰、ノックはせずに声を掛けてから返事を待たずに入ってくる丑、未、卯、酉。そしてノックと声掛けの両方をする戌、午、亥。
 ただ一人、鼠だけはわからなかった。
 彼だけはまだまともに会話を交わしたことはなく、ちょくちょくら顔を出す他の彼らと違って明が居る部屋へ足を運んだことはない。
 全員で集まる際にも鼠は目も合わせようとせずに本を読んでいたり窓の外を見たり、嫌われているのだろうかと明が思ってしまう程に素っ気ない人物である。

「ど、どうぞ」

 そう言うが、扉が開く気配が無い。
 しばらくしても開かない扉に業を煮やした明は自ら扉へ向かい、静かに扉を開いた。

「…………鼠、さん」

 そこにいたのはそっぽを向いた鼠。何かを言うでもなく、ただ鼠はそこに立っていた。

「あ、あの、入ります?」

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ明を見た後、鼠は明の横を通って部屋へと踏み入る。無言でソファに座り、明はその正面へと腰掛ける。
 しばらく沈黙が続き、何か話題を見付けなければとキョロキョロと部屋を見回す明をまたチラリとだけ見た鼠が、とうとうそのきつく結んだ口を開く。

「おまえ」
「……………」
「おまえは」
「………えっ」

 突然のことに一瞬空耳かと勘違いした明だったが、もう一度聞こえた声が鼠の口から出ていると気付き思わず気の抜けた声が漏れる。

「おまえは僕のこと、怒ってる?」

 よく見れば鼠の目は落ち着かないように四方八方に向けられ、その声もどことなく明の様子を伺っているようにも聞こえる

「えっと……お、怒ってないです」
「……そう」

 その言い方は相変わらず明に興味が無いというように冷たい。
 そんな中四方八方に向けられていた視線はようやく落ち着きを取り戻し、あれほど合わせようとしなかった目線がようやく合致する。

「嘘付いてごめん」

 唐突な謝罪に明はきょとんと首を傾げる。
 いつ自分は彼に嘘を付かれたのかと考えてみるが、まったく身に覚えが無いのだ。

「僕のせいでおまえは仲間外れになったから」

 いつ自分が仲間外れになったのか。
 大体、明がここへ来てまだ間もない上に鼠と真っ正面から話したのはこれが初めてだった。自己紹介の時ですら鼠とは酉を介して紹介されたのだ。
 嘘を付かれた覚えも無ければ仲間外れにされた覚えも無いし、何より仲間になった覚えすらない。

「……僕が何を言ってるのか意味がわからない?」
 こくりと頷く明を見つめたまま、鼠は寂しそうに言う。

「その方が僕にとっては好都合なのかもね……でもいいよ、教えてあげる、僕らが君を求めた理由を」

 彼らは自分の何かを知っている、そう感じた 明はただ鼠の口から出る言葉を待ち、拳を強く握った。


*


「……。 明は?」

 たくさんの家具が散乱する明の部屋、そして室内には明の姿は無く申と丑が二人して上を見上げていた。
 戌が眉間に皺を寄せながら明の存在を二人に問うと、申が楽しそうな笑みを浮かべて振り返る。

「明なら逃げたぜ!」
「あそこから行っちゃったぁ」

 丑が指を差す方を見上げれば、そこには蓋が開いた通気口。
 まさかあんな場所から逃げるなんて想定外だった、と戌が焦るように部屋から出ていこうとしたのを申が呼び止める。

「待てって! 明なら大丈夫だぞ、亥と寅が通気口の出口で待機してる」

 卯から、明が通気口から逃げようとしていると聞いた申と寅はそれぞれ二手に別れて行動を起こした。
 部屋で明を揺さぶる役と、出口に待機して明を落胆させる役。
 なんとも腹の底から性格がネジ曲がっている二人に明はまんまと遊ばれたのだ。
 それを察した戌は表情を曇らせて申を見つめる。

「…………」
「なんだよ戌、そんな怖い顔すんなって! 大丈夫大丈夫、明のパンツなら白だったぞ」

 それのどこがなにがどう大丈夫なのかと怒りと質問をぶつけたかった戌だが、ここで貴重な時間を潰すわけにはいかないと部屋を出る。
 通気孔を頑丈に補強しなければと戌が向かったのは、次に明の部屋になるであろう場所。
 部屋に辿り着き、通気孔は勿論、明が逃げれるだろうと考えられる場所を全て塞ぐ。
 そこで戌の耳に遠くから届いたのは明の声。無事捕まったのだと安堵した戌は明が来る前にと部屋を出て行く。

(…会いたい)

 血塗れになって帰ってきたあの日から、明が自分を恐れていると知っている戌は最低限顔を合わせないようにしていた。
 今日はまだ一度も顔を見ていないが、明に怖がられたくないと戌は会いたい気持ちを堪えて明のいない場所へと向かう。

「あなたに、触れたい」

 遠くにいる明の声を少しでも聞こうと耳を澄まし、両手を見つめる。
 卯のような聴覚があればいつでも明の声を、明が起こす行動を聞けるのだろうかと広げた手のひらを強く握り締めだのだった。


*


「ちょっと!森が焼け焦げてるんだけどどうしたの、何があったのよあれ!」

 慌てたように入ってきた酉に、午が困ったような笑みを見せて「ああ、あれ」と疲れ気に言う。
 室内には午と辰、そしてナイフを握りながら熟睡している未。

「巳が」
「巳が?」

 午が言うにはこうだ。
 明が逃げ出した際に裸足で逃げた為に足にたくさんの傷を負い、その傷をつけたのは森だろうと考えた巳が明が通ったであろう部分を燃やしたと言う。
 まるで屋敷へ続く道のように出来上がった燃え跡に酉が溜め息をつく。

「本当、信じられない子ね……」
「そんなもの今更だろう」
「そうだよ、今更だよ」

 その内明が触れたもの全てを燃やしかねんと酉が危惧する中、未が寝言で明の名を呟き、持っていたナイフを手のひらに突き刺す。

「ねぇそろそろ未危なくない? これ自分で首切る日も近いよ」

 明でなければ手当てを受けようとしない未が起きる前に、手のひらから溢れる血を止めなければと午が救急箱を取り出し手当てする。

「やぁね、おかしい子ばっかりで」

 頬に手を当てる仕草は母親そのものだが、見た目も中身も歴とした男。

「貴様も大分狂っているがな」

 ちくりと辰が毒づくと、酉は睨み殺す勢いで辰に目を向けたのだった。


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