(年末年始企画番外編*寅戌鼠申未辰)



「壊れたら壊れたでつまんねーな」

虚ろな目をするアキラの頬を撫で、ぼそりと寅が呟いた。
手首に刻まれた自分の名を見て満足げな笑みを浮かべながらそれを指の腹で撫でる。
それから視線を移動し、手の甲にある亥、腕にある鼠の名を爪で引っ掻く。目に映る他の名へも同様に冷たい表情で爪を立てた。

「イライラする」
「なら目覚めさせてやればいい」

静かな声が突然現れ、見ずともそれが誰なのかを察した寅は皮肉げな笑みを浮かべる。

「足の甲ねー…さすが忠実な犬だけあるよな」

ピシリとした漆黒のスーツを身にまとった戌は自分の名が刻まれた部分を見つめ、罪悪感に表情を曇らせる。
アキラを悲しませたくはない。だからどんなにアキラがあの家に帰りたいと願っても、悲しみしか生み出さないあの場所に帰ることは許せなかった。
それにアキラを手離せる程に心に余裕も無く、いっそのことなら悲しむという感情を無くしてしまえばいい。
そう思って彼は壊れたアキラを良しとした。

「善人のふりしてさ、人一倍欲張りだよなアンタって」
「黙れ」
「こいつを誰よりも気遣って、そのくせこいつの帰る場所に自ら手を下してさ……はは、アンタのそのねじ曲がった忠誠心、俺は嫌いじゃないぜ」

目元をぴくりと動かし、皮肉混じりな寅の言葉に手の平を握る。

「俺は、アキラの戌だ……アキラを守る、ただの戌」
「守るだけ、それ以外は許されないんだぞ……犬にはな」

知っている、とどこか自嘲染みた笑み浮かべて戌はアキラへと歩み寄る。
膝を床へとつけ、自分の名が刻まれた足の甲へと歪んだ忠誠のキスを落とした。さながら犬のようなその様子に、寅は「無様で滑稽なきたねぇ犬」と呟いたのだった。


*



仕事を終え帰った鼠は真っ先にアキラがいる部屋へと赴き、罪悪感に蝕まれる腕でアキラの体を抱き締めた。
全ての始まりは、アキラに負けたくないとついた小さな嘘。そのせいで全てが狂った。どれだけ懺悔しても、もう遅いのだ。


しばらくして自室へと戻った鼠だったが、室内に入るなり遠慮もなくソファを占領する申の姿が目に入り顔をしかめる。

「申、何をしてるの」

ここは紛れもなく鼠の部屋であり、出る前にはしっかりと鍵を掛けてきた。
だが手先の器用さでいえば十二支の中でも一番であろう申には鍵などあろうがなかろうが関係ないらしく、テーブルにはピッキングに使ったであろう折り曲げられた鉄の棒が置いてあった。

「オレさぁ、アキラとお前が話してるの聞いたんだ」

どくりと跳ねる心臓。
何を聞いていたのか、そう問い掛けようとしたが声にはならずに口だけが動いた。

「お前のせいでアキラはいなくなったんだな」

ざわざわと――体の奥底から沸き上がる罪悪感。頭から爪先まで、この身の全てを駆け巡ったそれは恐怖にも似ていた。

「他の奴には言ってないから安心し――」
「許さなくて、いい」

許さないでくれと、俯いた鼠の声はぽたりと床に落ちる。

「許すわけないだろ」

返ってきたのは冷たい声だった。わかっていたけれど、それでもちくりと痛む胸。
自分のくだらない意地のせいで全てが狂ったのだ、許されたいとは思わない。

「でもアキラはお前を許した」

いつもは飄々としている申の表情は、まるで自分が放った言葉の意味を理解していないかのように疑問を浮かべていた。

なぜアキラは鼠のことを許したのか。なぜこんなにも自分は苛々しているのか。
今すぐに苛立ちをぶつけたいが、その感情が何に対するものなのかがわからない。もやもやと胸を蝕み、悔しくて悲しい。名前を知らないその感情の処理の仕方がわからなければどうしようもない。

「オレはお前に対して怒ってるわけじゃない、でも許さない」
「……いいよ、それで」

申の腹の底を這い回る不快な感情、それは誰もが持ち合わせる嫉妬というもの。
けれどそれがわからない申はぶつけようのない苛立ちに舌打ちをし、寝転がっていた体を起こした。

「それだけ、じゃあな」

鼠の横を通り過ぎ、荒っぽい音をたてて扉が閉められる。一人ぽつんと残された鼠はアキラに会いたくて仕方のない気持ちに蓋をし、その場にうずくまったのだった。


*



ぽたりと、アキラの白いワンピースに赤い血が落ちる。徐々に染み広がるそれをただ静かに見つめる未の腕からはまた一滴、二滴と血液が滴り落ちた。

「アキラ……ねぇアキラ、痛い……痛いよ」

以前ならば未が怪我をしたならばすぐにアキラが看病をしてくれた。どんなに小さな傷でも懸命に手当てをするアキラが大好きで、自ら傷をつけることも多々あったのだ。
それなのに、最近はどんなに未が怪我をしてもアキラは手当てをしてくれない。虚ろな目が未に向けられることはなく、彼は傷だらけの腕にまた新しい傷をつけた。

「痛い、いたい、いたいよ……アキラ、アキラ…」

まるで怪我をして母親に泣き付く子供のように、未はアキラにすがり付く。
溢れる涙と赤い血でアキラの服が濡れることなど気にせずに、ただ未はアキラの優しさを求めた。

そんな未へと歩み寄る影が一つ。すがりつくその姿を見て蔑むような目を向けるその人物の名は辰。
未の血にまみれたアキラへも目を向け、汚いものを見るかのように鋭い目を細めた。

「邪魔だ」
「…………」
「聞こえないのか?ならば死ね」
「いいよ、殺しても」
「そうか」
「僕が死んだらアキラは心配してくれるよね、きっと」

銃口をぴたりと未の後頭部に押し付けるが、今殺されようとしている彼は何一つ表情を変えずにアキラへと頬をすり寄せた。
殺す価値もないと心の中で罵りつつも辰の指へと少しずつ込められていく力。

「こいつは貴様が触れてもいい存在ではない」

引き金を引き、戸惑い無く辰は指へと力を込めた――の、だが。カチャンと気の抜ける音が響き渡り、遅れて聞こえる辰の舌打ち。
どうやら銃には弾が入っていなかったらしく、今やそれは殺傷能力のないただの玩具でしかなかった。

「……ち、この死に損ないが」

投げ捨てられた銃は床を滑り視界から消え、憎悪を孕んだ辰の目が未を強く睨み付ける。

「どうせ死ぬならアキラ、君に殺されたい」

未の言動一つ一つに苛立ちを覚え、皮膚に爪が食い込む程に強く拳を握る。
理由はわからないが、触れたいけれど触れることが出来ない。ただでさえ脆い彼女に触れたら消えてしまうような気さえしていた。

そんなアキラに触れ、殺されたいと願う未が心の底から憎い。そして、羨ましくもある。

「くだらん」

小さく吐き捨て、辰は部屋を出ていく。
残された未は後ろを振り返ることもなく、ただアキラに顔を寄せて体の奥底から湧き出る痛覚に涙を溢したのだった。




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