低い呻き声は徐々に熱を帯び、痛みは快感へと変わる。

見知らぬ男の首元に牙を立て、新鮮な血液を取り込む。喉を流れる血液は体を満たし、満足したアキラは男を解放した。
どこか物足りないというような、それでいて恍惚な表情をする男はアキラの足にすがり付く。

「も、もっと……」
「ごめんなさい、あまり宵(よい)以外の血を飲むと怒られるの」

彼女は吸血鬼であり、男はただの人間。
喉が渇いたなぁと思った頃には行動に起こしていて、どんなに理性を持っていても吸血衝動には堪えられないと身を持って知った。

宵というのもまたアキラに血を吸われた人間であり、アキラの魅力に惑わされた男の一人。
『もうこれからは僕以外の血は飲まないでほしい』
昨晩宵にそう言われにも関わらず、見知らぬ男の首に牙を突き立ててしまったことを少しではあるが反省していた。

吸血されたばかりで力の入っていない男の腕を振りほどき、小さな謝罪をしてアキラはその場を去った。

*


「ねぇアキラ、いらないの?」

服を乱し、日に焼けていない白い肌を晒す。
我慢出来ずに他の男の血を吸ってしまったなんて言えるはずもなく、飲めと言わんばかりに伸ばされた手にアキラは首を横に振った。

「どうして?」
「今はいい」

疑いを含んだ宵の目がアキラを見つめる。

「……まさか、飲んだの?」

乱れた服を直そうともせずに歩み寄り、すがるようにアキラへと掴みかかった。

「僕以外の人間からっ…血を飲んだの!?」

落ち着きを無くし、凄まじい剣幕でアキラに訴える。
一方アキラは困り果てていた。どうして宵がここまで激昂するのかが理解出来ずにただ黙って宵の叱咤を受ける。

「違うって言ってよ、飲んでないって!僕以外の血なんか美味しくないって!!」

幼い頃から体が弱い宵は、活発でよく出来る姉と比べられていた。激しいスポーツは体に負担を掛け、かと言って学力も人並みで飛び抜けたものは無い。
それとは正反対に姉は文武両道。産まれた時に才能というものを姉が根こそぎ持っていったに違いないと、そう結論付けるしかなかった。

あの子は役に立たないと囁かれ始めた頃には宵は自分の存在する理由がわからなくなり、とうとう震える右手に握り締めたカッターを自らの手首に当てた。

そして、アキラと出会った。

薄暗い部屋の窓枠に彼女は腰を掛け、宵の手首から溢れる血液を見つめていた。

「その血はいらないの?」

わけもわからずに頷いた宵へと、窓枠から軽く飛び降りたアキラは表情を変えずに歩み寄る。
そして細い腕を取り、傷口へと唇を当てたアキラに宵は大きく混乱する。ぴりりと痛む傷口を舌が撫で、けれどそれは不快なものではなかった。

(このまま僕は死ぬのだろうか)

それならば本望だ。
手首に滴る血を綺麗に舐めとり、アキラはその細い腕から唇を離した。
一向に意識が落ちる気配は無く、宵は小さな声で自分はまだ生きているのかと吸血鬼へ問い掛ける。

「あなたは生きてる」

表情の無い口元から覗く鋭い二本の牙が、月明かりに照らされて不気味に輝く。
そうなんだ、とすっかり血が止まった手首を見つめる宵にまた声が降りた。

「ありがとう、あなたのおかげで喉を潤せた」

自分でも人の役に立てるのだと、高揚に似た感情が胸に広がった。
また来て欲しいと言う宵の言葉通りにアキラはそれからよく宵の元へと姿を現した。吸血する為であり、人間という対象に興味を持ったアキラの気まぐれでもある。

そうしていつからか宵は、アキラが自分以外の人間から吸血するのが気に入らなくなった。

「ねぇ、僕知ってるんだよ」

アキラに掴み掛かる手を休め、虚ろな目をした宵が独り言のように小さな声で呟く。

「君の血を飲めば、僕も吸血鬼になれるんだよね?」

どくりと心臓が跳ねる。ほんの少しではあるがアキラの表情は狼狽を浮かべ、初めてみるそれに宵は狂気染みた笑みを浮かべた。

「宵、離して」
「僕は人間で君は吸血鬼。 いつか僕は君を置いて死んでしまう。 そして君は僕の死後、僕以外から血を飲むでしょう?そんなの考えただけで吐きそうになる、絶対に許さない。 そうなったら世界中の全ての人間を殺してからじゃなきゃ死ねないよ」

近くにあったカッターをカチカチと鳴らし、出てきた刃を舌で舐める。

「でも世界中の人間を殺すだなんて僕には無理だ、だから考えたの……死ななきゃいいんだって。 君と同じく永い時を生きればいい、その為には僕は人間を辞めなきゃならない」

ぬるりとした刃を首に当てられ、アキラは目を見開いた。
確かに吸血鬼の血を与えられた者は吸血鬼と化し、人間という名を捨てることとなる。
血を与えられた者は、与えた者の忠実な僕となり永い時を共に過ごす。どこからそれを知ったのか、首に当てられたカッターに力が入り、皮膚を裂く感覚にアキラは表情を歪めた。

「痛い?……君がいつも僕にくれる痛みはこんなものじゃないよ。 でもね、それ以上の快感が僕を君の虜にさせる」

鋭い痛みと共に宵が満悦の笑みを浮かべながら顔を寄せ、傷口を抉るように舌が触れる。
小さな音を立ててアキラの血をすすり、瞬間に宵の体を熱い何かが駆け巡る。

「ふふ、ふふふ……あはは…!」

病という壁が崩壊し、今までにない活力を感じる。体の重さが消え、それは今にも空を飛べてしまいそうな程。

「これで僕は…一生君と一緒にいれるんだね」

再度アキラの首元に顔を埋め、血が止まっているにも関わらずその傷口を味わう。吸血された時の快感には劣るが、それでも体に駆け巡るそれは宵の脳を沸騰させる。

「僕の血の全ては君のものだよ……だからアキラ、君もその血を僕以外にあげちゃ駄目だよ」

これで自分は完全にアキラのものとなったのだと、宵は恍惚とした笑みでアキラの身にすり寄る。
頬に触れたその手は既に冷たく、人間のそれでは無くなっていた。

「僕は君のもの、君も僕のもの」





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